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夕方、一緒に彪志の家に行く。彪志の母・文月が
「いらっしゃい」
と言って青葉を歓迎し、紅茶を入れてくれる。それで彪志の父の帰宅を待ちながら少し話していたら、
「そうだ、青葉ちゃん、こんなの使わない?」
と言って文月が何かのチケットをくれた。
「ピアノ・レッスン券?」
「私の盛岡時代のお友達がこの春に大船渡に引っ越してきたのよ。それでピアノ教室を始めたのよね」
「へー」
「レッスン用の教室をプレハブなんだけど建てて、今月開講したんだけど、まだ始めたばかりで生徒さんがいなくて。これは1ヶ月分の無料レッスン券。彪志にレッスン行かせようかとも思ったけど、男の子に習わせても仕方無いしね。青葉ちゃんなら使わないかなあと思って」
この時点で、文月はまだ青葉が男の子であることを知らない(宗司は知っている)。
「え、でも私、ピアノとか弾かないし」
と青葉は言ったのだが、
「俺は弾かないけど、ピアノの弾ける女の子って素敵だなあ。青葉ちょっと練習してみない?」
と彪志が言う。
「そ、そう?じゃレッスン行ってみようかなあ」
と青葉も彪志に言われると、彼の理想の女の子になってあげないといけないかななどと思い、少しその気になる。
「あ、でも私、お小遣いとかないから、レッスン用のテキスト買えないよ」
と青葉が困ったように言うと
「あら、そのくらい私が買ってあげるよ」
と文月はニコニコ顔で言った。
青葉の家の困窮状態は文月も知っていて、この所青葉は「これお姉さんに」などと言って、文月からサンドイッチやおにぎりなどをもらっているので、おかげで未雨も餓死せずに済んでいる。
(父はもとより家に寄りつかないが、最近は母も数日自宅に戻ってこないことがある)
やがて宗司が帰宅する。
宗司はデスクワークをするのには問題無いのだが、足の状態が良くないので、自宅からお店までそんなに距離は無いものの車(Honda CR-V)で通勤している。彪志が出て行き、玄関から家の中まで入るのを手伝う。車自体は文月が車庫に入れる。
「お疲れ様でした」
青葉はただ見ていただけであったが、彪志の父に言った。
「やあ、青葉ちゃん、いらっしゃい」
と宗司は笑顔で言う。
宗司が帰って来たので、青葉はヒーリングを始める。居間にマットを敷き、宗司にズボンを脱いで横になってもらい、骨折箇所の所に手かざしするようにして、手を足と平行に動かす。
「一ノ関時代の友人で手かざしの治療しているおばちゃんがいたけど、あの人のより、青葉ちゃんのは効き目が強い気がするよ」
などと文月はそれを見ながら言っていた。
「私の師匠とかなら、もっと強い治療ができると思うんですが、師匠は奈良県の山の中に籠もっていて、めったに地上には降りてこないんですよ」
と青葉は言う。
「逆にこちらから、その先生の所には行けないのかしら?」
「あそこは登山家でも諦めるような険しい山道を登った先なので」
「そんな凄い所に籠もってるの!?」
「かなりの年だって言ってたね」
と彪志が言う。
「うん。もう30年くらい前から、『約100歳』と言っているという噂もあるし」
「ひゃー」
「そうだ。みんなに言っておかなくては」
と宗司は言った。
「俺転勤になるから」
「え〜!?」
「どこに?」
「八戸」
青葉はこの時期、顔の表情にロックを掛けていたので、無表情のままではあったものの、ショックを受けていた。
せっかく彪志と仲良くなれたのに・・・・。
すると彪志が青葉の気持ちを察したかのように言った。
「青葉、手紙書くから」
「うん」
と青葉は一瞬だけ笑顔になって言った。
「転勤っていつ?」
と文月が訊く。
「8月17日付け。だからお盆の最中に引越」
「なんて変な時期の転勤なの?」
「本当は4月に辞令が出るはずだったらしい。でも俺が入院していたので延期になっていたみたいなんだよ」
もし宗司が春に転勤していたら、青葉はそもそも彪志と知り合うこともなかっのであろう。
「じゃ青葉ちゃんの治療もあと半月かな」
と文月。
「それまでに少しでも良くなればいいのですが」
と青葉はできるだけ平静さを保って言った。
8月1日。バンコクで行われているU19世界選手権は、この日、11位決定戦、9位決定戦、5-8位クラシフィケーション(順位戦)と準決勝が行われる。
既に13-16位のクラシフィケーションと13,15位決定戦は27,28日に行われ、13位韓国 14位チュニジア 15位マリ 16位タイという順位が確定している。
9-12位クラシフィケーションは昨日行われ、フランスがアルゼンチンを下し、ブラジルが中国に勝っている。それでこの日は下記のようなスケジュールが組まれていた。
13:00 JPN-CAN(C.5-8) / ARG-CHN(11th)
15:15 CZE-LTU(C.5-8) / FRA-BRA(9th)
17:30 AUS-USA(semifinal)
19:45 RUS-ESP(semifinal)
千里たちは例によって朝から今日の対戦相手、カナダチームの情報分析を聞いた。
PG 5.ブラウン 10.ホワイト 14.グレイ
SG 7.アイミ 11.カイリ
SF 6.ミッチェル 9.ルッソ 12.マリー・クラーク
PF 4.ケイト・クラーク 8.カワスキー 13.ジャクソン 15.ベイカー
「ガードが5人ですか」
「あれ?センターが居ない?」
「パワーフォワードが実質センターの役割も果たしているみたいです」
と分析担当の谷浜さんが言う。
「このチームでとにかく凄いのが4番キャプテンの背番号を付けているケイト・クラーク。彼女はこの6月に高校を卒業して即WNBAに入っている。今大会で現時点でリバウンドがスペインのフェルナンデスに次いで2位、得点がアメリカのサミットに次いで2位。今大会の最強クラスの選手のひとりだと思う」
と片平コーチは説明する。
「クラークが2人いますね」
「姉妹なんだよ」
「へー!」
「お姉さんのケイトはパワー・フォワード、妹さんのマリーはスモールフォワードで登録されているけど、身長はどちらも190cm」
「じゃ性格の違いなんですね」
「そうそう。ケイトは近くから豪快に入れるのが好き。妹さんは遠くからでも入れるし、足が速い。実は中学生時代は陸上競技で全国大会にも行っているらしい」
「凄い」
「じゃ、陸上からバスケに転向したんですか?」
「というより、カナダの学校って、様々なスポーツをさせるんだよね」
「へー!」
「学校によっても違うけど、だいたい3ヶ月交代くらいで別のスポーツをする。だから各々の大会も各シーズンの終わり頃にある。1年中ひとつのスポーツをしている子は少ないんだよ」
「面白い制度ですね」
「春は陸上、秋はバレーボール、冬はバスケットボールなんて感じらしいよ」
「夏は?」
「水泳かも。だけど夏休みかも」
「微妙ですね」
「ラグビーとかはしないんですか?」
「ラグビーは秋じゃないかなあ」
「女子もやるんですかね?」
「女子ラグビーもあるにはあるけど、競技人口は少ないかもね。やはり女子は秋はバレーが多いかも」
「シンクロとか新体操とかは女子だけですかね」
「まあ男子の新体操やシンクロもあるけどね」
「ラグビーやりたい女子は男装して、シンクロやりたい男子は女装すれば」
「男装してラグビーはいいが、女装してシンクロは無理がある気がする」
「このクラーク姉妹以外で要注意なのが、シューティングガードのアイミ。この人はどんどんスリー撃ってくるから気をつけないと、大してやられてない気がするのに、いつのまにかたくさん点を取られている」
と片平コーチが脱線していた話を元に戻して言う。
「そういう選手の怖さは、ここではサンとリト以外、全員体験しているな」
と彰恵が言う。
「じゃアイミの担当はサンで」
と朋美が言う。千里も頷く。
「クラーク姉はレオだろうね」
「クラーク妹はキラだな」
「そのあたりはコートインしている選手の中で流動的に」
千里たちは午前中1時間ほど軽く汗を流してから11時に早めのお昼を食べ、12時半頃、会場に入った。
「5-8位のクラシフィケーションと言っても強い国ばかりだね」
と桂華が言う。
「カナダは無茶苦茶強い。リトアニアは昨年U18ヨーロッパ選手権の優勝国、そしてチェコは3位だった。今年も4位」
と彰恵。
「準決勝の方はアメリカ・ロシア・スペイン・オーストラリア。まあこの辺りはもう紙一重だよね」
と百合絵。
「取り敢えず今日はその無茶苦茶強いカナダ戦だ」
と江美子。
昨日カナダはアメリカに敗れて5-8位クラシフィケーションに回ったのだが、準々決勝でアメリカとやることになってしまったのは、運としかいいようがない。これは一時リークでスペインがアメリカに金星を挙げたのが回り回ってそうなってしまった。
「まあ勝敗考えずに思いっきり行こうよ。変な欲は出さずにさ」
とキャプテンの朋美が言う。
「昨日はあわよくばベスト4と思ってたけど、なんか吹っ切れたね」
などと早苗も言っている。
そして今日の日本の相手はカナダである。スターターはこのようになった。
CAN PG.ブラウン SG.アイミ SF.ミッチェル SF.マリー・クラーク PF.ケイト・クラーク
JPN PG.朋美 SG.千里 SF.玲央美 SF.彰恵 PF.江美子
日本はカナダ側のスターターを予測した上で、それとマッチングできそうなメンツを並べた。
ティップオフはケイト・クラークと玲央美で行うが、ケイトが勝ってマリーがボールを確保し、攻め上がってくる。各々自分のマークする選手のそばに寄るのだが、ケイトとマリが一瞬交錯するように走ったことで、玲央美と彰恵はスイッチせざるを得なくなった。
ボールは結果的にケイトが持っている。彰恵と対峙しながらボールをドリブルしている。
一瞬のフェイントを入れてから反対側を抜こうとする。彰恵が騙されずにそちらに手を伸ばす。
しかしその彰恵の手をものともせずそのまま制限エリアに突進。フォローに江美子が駆け寄るが、彼女は江美子が来る直前にシュートした。
入って2点。
試合はカナダの先攻で始まった。
「彰恵、手は大丈夫?」
と玲央美が心配する。
「平気平気。この程度の衝突は慣れてる」
と本人は言っている。
日本は適材適所を考えてマンツーマンで付いているのだが、カナダは複雑なコンビネーション・プレイでしばしば日本側のマーカーのスイッチを強制し、結果的にミスマッチを作り出しては、そこから攻めて行く。
監督は彰恵や江美子では無理と判断して、体格のよい王子と百合絵を投入した。
しかし、彼女たちでは今度はクラーク姉妹やミッチェルの高い技術力に付いていけない。うまいフェイントでやられてしまう。
結果的にこのピリオドは日本は防戦一方となり、25-8というとんでもないスコアになってしまった。
第2ピリオド、彰恵/渚紗/桂華/華香/サクラというメンツで出て行く。彰恵は今度はポイントガード役である。
彼女たちには、防御はあまり無理するなということと、攻撃ではできるだけ物理的な接触を避け、入っていけないようなら、遠くからでもシュートを狙えといったことを言った。
その結果、先のピリオドほど酷いことにはならなくなる。
しかしそれにしてもケイト・クラークの存在感は物凄い。
彼女は第1ピリオドに25点の内半分の12点をひとりで取ったのだが、このピリオドでもひとりで8点取り、20-15のスコアにした。
前半合計で45-23である。