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「それで金玉の語源として、さっきここで出ていた説は、玉同士がぶつかってキーンという音がするからキン玉ではないかと」
と王子が言う。
「ぶつかっても音はしないと思うよ」
と千里は笑って言う。
「ぶつけてみたことあります?」
「ぶつけたら悶絶すると思う」
「ああ。野球で玉に玉がぶつかってキャッチャーとかが当たってうずくまってますよね」
「それ別の玉だと思うけど」
「キャッチャーを女房役って言うのって、玉取ってる人がやったほうが問題ないからですかね?」
「それはさすがに違うと思う」
「でもバスケでも男子がボールをまともにくらって立てずにあそこ押さえてるの見たことある」
と華香。
「あ、分かった。ぶつけたら頭がキーンとなるからキン玉とか」
と王子。
「うーん。それは新たな見解かも」
と言って千里は苦笑した。
「でも容器の中に玉がふたつ入っていて、ぶつかると音がするなら、金玉って鈴の一種かな、なんて意見も出てたんですけどね」
と華香。
「それも面白い見解だね」
しかし18-19歳の女の子の会話とは思えない話題だ!
早苗の怪我の快復は順調で27日からの二次リーグには問題無く参加できるようであった。
2009年7月27日、二次リーグ(Eighth-final round)が始まる。日本はFグループに属しているが、これは一次リーグ(Preliminary Round)のCグループとDグループの各々上位3チームが合体したものである。そして今回は一次リーグで当たっていなかったチーム、つまりDグループの上位3チームと試合をすることになる。スペイン、アメリカ、中国である。
「中国に勝たないことにはどうにもならないよね、これ」
と江美子が言う。
「それは決勝トーナメント進出の最低条件。できたらスペインかアメリカにも勝ちたい」
と彰恵。
「アメリカにはさすがに無理って気がする」
と百合絵は最初から弱音を吐いている。
「玲央美、2年前はアメリカとやってるんだっけ?」
と千里は2年前のU19世界選手権にも出場している玲央美に訊く。
「やってない。前回はチェコ、カナダ、セルビアに3タテ食らって、素直に13-16位決定戦に行った」
「あぁ・・・」
「カナダとは接戦だったんだけどなあ」
「凄いじゃん」
「まあ最初の内向こうが油断していたというのはあったけど。第1ピリオドが接戦になったから、第2ピリオドで向こうが猛攻してきた。そのあと頑張ったけど追いつけなかった」
「なるほどねぇ」
二次リーグ、初日の相手は「最低勝たなければならない」中国であるが、それは中国側も事情は同じである。
一次リーグで、日本・フランス・ロシアが2勝1敗だったのに対して、中国は1勝2敗であった。中国は二次リーグの3戦の内最低でも2つに勝って3勝3敗にならない限り、4位以内に入ることはできない。2勝4敗の場合は、その3国の内の2つが3勝になることになるので(アメリカが日本に勝つ前提で)脱落してしまう計算になる。
ともかくも日本も中国もこの試合は「絶対に勝たなければならない」試合であった。
この日の第1試合はスペイン対ロシアで、スペインが勝っていた。スペインはこの大会、調子が良いようである。アメリカとロシアに勝ったのは凄い。第2試合はアメリカ対フランスでアメリカが勝っている。
日本は19:45からの第3試合であった。
日本側は昨年から誠美が抜けて王子が入っただけであるが、中国側は半分くらいメンツが変わっていた。昨年は「隠し球」として使われて日本を悩ませた勝(シェン)さんは今年は9番の背番号を付けており、成長していることをうかがわせる。
その勝さんもスターターで出てきた。
試合はどちらも勝たなければならない試合ではあったのだが、試合前は何となく和気藹々であった。
「イッショ・ガンバロネ・デス」
などと王(ワン)さんなどは笑顔で言っている。誰かに変な日本語教えられたのではと思う。シューターの林(リン)さんも試合前から千里に握手を求めて
「Let's three point race」
なんて言っていた。意味は分かるが、微妙に怪しい英語だ。
その笑顔の中国チームが試合が始まると同時に超マジ顔に変化する。こちらもそのくらいの変化は織り込み済みで、マジに対抗していく。
試合は前半、接戦が続いた。
最初からお互い全力投球である。
点を取っては取られ、どちらも良く守り良く攻める。それで前半を終わった時点で38-38の同点であった。
第3ピリオド、日本は千里を休ませ、彰恵・江美子・王子と3人のフォワードを並べて猛攻を掛ける。中国側がこのピリオドで最初主力を休ませていたこともあり、これで10点差が付く。特に「アメリカ型」のフォワード王子は中国の体格の良いフォワードをパワーで蹴散らして得点を重ねた。慌てて中国も主力を戻すものの、その後は均衡が続き、第3ピリオドを17-29と12点差で終えた。
第4ピリオド、日本は今度は千里・渚紗・玲央美と3人のシューターを並べた。どこからでもスリーが飛んでくるというシステムに中国は守備に混乱が生じ、一時期は25点差までも行く。加えて中国の主力はさっきのピリオドで疲れ切っているのもある。しかしそれでも頑張って少し追い上げ、結局この試合は60-78で決着した。
試合終了後、中国の選手たちが首を振ったり、天を仰いだりしていた。こうして日本は決勝トーナメント進出の望みが膨らむ貴重な3勝目を手にしたのであった。
この日の結果
GrpE CZE 72-60 ARG / AUS 69-53 LTU / CAN 75-67 BRA
GrpF USA 88-75 FRA / ESP 70-54 RUS / JPN 78-60 CHN
GrpF.暫定順位 ESP(4-0) USA(3-1) JPN(3-1) RUS(2-2) FRA(2-2) CHN(1-3)
中国は厳しくなったが、残りアメリカとスペインに連勝すれば、理論上はまだ二次リーグ突破の可能性はある。スペインは決勝トーナメント進出が濃厚ではあるが、まだ確定はしていない。残りの試合で万一このような結果になると、上位5チームが全部4勝になり5チームで得失点差勝負になる可能性があるのである。
28 USA○−×JPN FRA○−×ESP RUS○−×CHN
29 RUS○−×USA JPN○−×ESP FRA○−×CHN
さて日本は翌28日アメリカ戦であった。
千里、玲央美、彰恵、江美子などはこの日の試合がかなり気が重い感じであったのだが、王子は「今日は20点差で勝ちましょう」などと威勢が良いし、サクラや華香などもそれに乗せられて元気が良かった。高田コーチが
「君たち元気いいね。今日は頑張ってね」
と言うと
「はい。アメリカを倒して優勝です」
などと気勢を上げていた。
「元気な君たちでやってごらん」
と言って高田コーチは先発を、彰恵/玲央美/王子/華香/サクラ、とした。相手はおそらく日本を舐めては掛からないだろうということで、物理的に激しい戦いになる可能性が高いので、大柄な選手を並べたというのもある。彰恵は副将でもあるし、お世話係のようなものである。
千里はベンチスタートになったのだが、試合開始早々、アメリカの凄まじい気迫を目にすることになる。
むろん、王子、華香、サクラは全く相手にしてもらえない感じである。かろうじて玲央美が何とか防御しているものの、ひとりではどうにもならない感じだ。冷静な彰恵でさえも頭が空白になっている感じであった。
10-0になった所でタイムを取り、華香とサクラをいったん下げ、江美子と百合絵を投入する。彰恵は親友の百合絵がコートインしたことで、やっと自分を取り戻すことができた。
それで玲央美−彰恵−江美子の連携で何とかこちらも得点ができるようになる。王子も一方的にやられたことで、最初はお手上げ状態になっていたものの、そういう自分の状態を怒りに変えてパワーで押してくるアメリカ選手にこちらもパワーで対抗する。
しかしパワーを使いすぎて、このピリオドだけで3つもファウルをおかしてしまった。
第1ピリオドを終えて33-16である。
第2ピリオドは、朋美を出すが、彼女には絶対に無理するな、絶対に怪我するな、というのを強く言い聞かせた。千里・渚紗、桂華・華香と出して、千里と渚紗のダブル遠距離砲で攻めるのを試みる。
しかしアメリカは第2ピリオドになっても攻撃の手を緩めなかった。フランス戦で最初フランスが日本を圧倒していたのに、最終的には試合終了間際に同点にされ、かろうじて1点差で逃げ切ったのを見ているので、この相手には最後まで気を抜けないと考えたようである。
千里はアメリカ選手と対峙していて、フェイント合戦とか位置取りなどというのが圧倒的なパワーの前には全く無意味であることを知った。こういう相手とやるには、今までのような自分では歯が立たないということを身をもって知ったのである。
スポーツというのは、やはりパワーとスピードだ。
強くなりたい。
そう千里は思った。
千里はこの日のアメリカ戦で一種のパラダイムシフトが起きた思いだった。
結局このピリオドも27-16の大差で終わる。
第3ピリオド、王子やサクラを戻す。彼女らは第1ピリオドでコテンパンにやられて、アメリカの恐ろしさを肌で感じた。そして20-30分休んでいる間に彼女たちなりに再び戦う姿勢を取り戻した。
それは試合前の段階で何も考えずに軽口を言っていたのとは違う、本気の覚悟であった。
王子(184cm)やサクラ(182cm)の体格で本気で気合いを入れていけば体格の差はあっても似たような背丈の相手選手にそう負けるものではない。またこのピリオドは相手の中核選手は前半頑張りすぎてさすがに疲れているので控え組中心のオーダーになっていたこともあり、王子はもちろんサクラもひたすらゴールを決めた。
それでこのピリオドは25-19という、比較的上品なスコアで終えることができた。
第4ピリオド、彰恵、千里、玲央美、江美子、王子というラインナップで出ていく。おそらく点を取りまくるのには最高のメンツである。しかし相手も主力が戻って来る。
激しい戦いが続いた。千里も頑張ってスリーを入れる。千里はこの短い時間の中でだが、こういう相手とやる場合の距離の取り方を、つかむまでは行かなくても、指先に触れるくらい分かり始めていた。
終わってみると、向こうの主力を相手にしたにしてはまあまあの24-17であった。
合計では109-68と、41点差の大敗であった。
しかし試合終了後のアメリカ選手たちに全く笑顔が無かった。こちらも完全燃焼だったが、向こうも力を出し切ったように見えた。
彰恵と向こうのキャプテンが握手したのに続き、千里も玲央美も、王子もサクラも、相手選手と握手したりハグしたりして、健闘を称え合った。
余裕がある相手なら15点とか20点とかの差でお茶を濁す場合もある。しかしこの点差を付けて日本を叩いたのは、アメリカがそうせざるを得なかったからであり日本は本気のアメリカという貴重な相手と戦ったのである。
この試合は後から考えてみると、千里や玲央美世代の選手にとってその後の大きな成長のきっかけになった試合でもあった。