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■春零(24)

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11:00から、H南高校と高岡S高校の試合である。高岡C高校の選手がT/Oを務めるが、15-18番の選手がこれを務めた。たぶん主力は消耗してとてもT/Oなどできない状態だったのだろう。
 
H南高校も主力が体力を回復していないので春貴は不本意だったが、夏生・松夜・五月・梨央・秋奈というメンツで始めた。こちらが主力を使わずにきたことで向こうはやや憤慨している感じだったが、愛佳や美奈子はとても稼働できない状態だったのである。
 
しかし控えセンターの梨央がしっかりティップオフに勝ち、夏生がスリーを美しく決めてこちらの先行でゲームは始まる。
 
最初は少し競ったものの、少しずつ相手を突き放していくことができた。先の試合で消耗した選手の中で体力のある河世と舞花は短時間使用した。でも愛佳と美奈子は最後まで使わなかった。この試合では2年生の夏生と松夜が交代でキャプテンマークを付けた。またポイントガードは一恵と五月が交替で務めた。
 
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それでもH南高校は高岡S高校に 60-71 で何とか勝つことができた。このメンツで県内でもトップクラスのチームのひとつに勝てたことから、やはりうちのチームの底力が付いてきていると春貴は思った。
 

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この試合が終わった後、海里たちが買ってきてくれたお弁当をみんなで食べた。河世・梨央・舞花などはお弁当を2個きれいに平らげた。2個目のお弁当を分けて食べてる子たちも多かった。パンもたくさん買ってたのに、あっという間に無くなった。ペットボトルもきれいに無くなりまた買ってきてもらった。
 
13:00から第3試合、高岡C高校と高岡S高校の試合が行われる。テーブルオフィシャルはH南高校が担当するので、夏生(24)・松夜(AS)・晃(S)・五月(Timer)の4人が制服(もちろん全員女子制服)を着て務めた。愛佳と舞花はまだ疲れが取れてないようだったので休ませておいた。五月は高校でのT/Oは初体験で緊張したと言っていたが、何とか無難にタイマーを務めあげた。
 
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またモッパーは、弥生・秋奈・海里・弓樹の4人が務めたが正確に務めることができた。何度か試合中の清掃に出遅れて注意されたが概ねは問題無かった。4人が揃って走り最後はピタリと真ん中で終了する所は「美しい。さすが強くなってきた学校だけのことはある」と褒められていた。
 
試合が始まってから、H南の部員たちや春貴は気がついた。
 
「あれ?矢作監督は?」
「居ないね。どうしたんだろう?」
「第1試合で消耗してダウンしてるとか」
「ありそうで怖い」
 
キャプテンの分家さんがコーチ兼任で試合は行われていた。
 
この試合で高岡C高校は何とS高校に 70-61 の9点差で負けてしまった。S高校は大喜びしていた。どうも勝てたのは3年ぶりだったらしい。
 
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やはり主力の疲れが取れてないから?と春貴は思った。それに何ヶ所か作戦ミス・選手交代ミスみたいなのも見られたので、矢作監督不在というのも大きかったのだろう。
 

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「3チームとも1勝1敗?」
「これどうなるの?」
「得失点差だね」
 
本部前に得失点表が張り出された。
 
   高C__H南__高S
高C ----- 41-31 61-70
H南 31-41 ----- 71-60
高S 70-61 60-71 -----
 
   W L for agn dif 高C 1 1 102 101 +1 H南 1 1 102 101 +1 高S 1 1 130 132 -2
 
「なんて際どい点差なんだ!」
「ほぼ横一線」
 
「1位高岡C高校、2位H南高校、3位高岡S高校」
と発表される。
 
「うちと高岡C高校で得失点差が同じなのに?」
 
「その場合は両者の直接対決での勝敗で順位が決まる。うちと高岡C高校の対戦で高岡C高校が勝ってるから高岡C高校の優勝」
と晃が説明する。
 
「そんな規則があるのか!」
 
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この順位の決め方は晃と五月だけが知っていて、春貴まで「へー」と思った。
 

しかし全員整列して表彰式が行われた。1位の賞状を高岡C高校の分家主将が、2位の賞状を愛佳が、3位の賞状を高岡S高校の園田さんが受け取り、お互いに握手を交わした。
 
矢作先生は表彰式にも姿を見せていなかった。春貴と愛佳が分家キャプテンに声を掛けた。
 
「矢作先生、どうなさったんですか」
「それが第2試合の最中に突然倒れて。すぐ保護者の車で病院に運んだんですよ。私もこれから連絡を取ってみます」
「大したことなければいいですね」
「はい。ありがとうございます」
 

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7月19日(火).
 
桜坂の口座に宝くじの当選金が振り込まれてきた。桜坂は早速行動を開始した。店舗の改装費用をサラ金から借りていた100万円をまず全額返済し、あわせてカードは解約した。それから銀行から借りていた50万円(旧店舗をリニューアルした時の改装費用の残額)を全額返済。ローン専用カードも解約した。こういうのを持っていると、誘惑に負けて使ってしまう危険があるので、自らの退路を断つのである。
 
そして妻に
「借金があったら全部言って」
と言った。
 
「ごめんなさい、実は」
と言って、3ヶ所から合計150万円借りていたことを告白した。桜坂は自分に言えない状態で無理してたんだなあと思った。それでふたりで一緒に返済してまわった。ローン専用のカードは解約させた。
 
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また、ピアノのローンが20万残っていたのを繰り上げ返済した。
 

これで“借金の返済”が完了する。桜坂は次の優先は慰謝料と考えた。
 
桜坂は火傷した少女の親に
「200万円くらい慰謝料を払いたい」
と申し出たが、
 
「跡が残らずに完治したので、慰謝料は不要。治療費を持ってもらい、先日の御見舞金だけで充分です」
 
という返事であった。
 
それで桜坂は少女の完治祝いにと言って彼女に総銀のフルートを(本人の望む品番のもので)買ってあげた。
 
「ありがとうございます。フルートの練習頑張ります。なんか指が前よりよく動く感じなんですよ」
「それは良かった」
 
桜坂は娘からも
「お父ちゃん、私も総銀フルート欲しい」
と言われたが
 
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「来年まで待って」
と答えておいた。
 

桜坂は井原さんと話し合った。
 
「井原さんの御自宅ですが、20坪なので、例えば300万くらいで買い取るという線ではどうでしょうか?」
 
「それ私も考えたんですけど、賃貸ということにはできませんか?私も主人を通して“琥珀”に長年関わって来たので、売り渡してしまうと縁が切れてしまう気がして寂しいので」
 
「それでもいいですよ。賃料はいくら払いましょうか」
「じゃ月1万円で」
「安すぎる気がします」
「それ以上頂いたら、桜坂さんとしては買い取った方がマシな金額になりますし」
 
それでこの件は井原さんの好意に甘えることにした。
 
「それから亡くなった御主人の退職慰労金として250万円お支払いしたいのですが」
「2ヶ月しか働いていないのに!」
 
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「昨年の解雇の段階で父は50万しか退職金をお支払いしていません。それは20年以上働いて下さった御主人への退職金としては少なすぎます。その分の補填もしたいのです」
 
井原さんは深くお辞儀をして
 
「助かります。頂きます」
と言った。それで桜坂は彼女に250万円を支払った。
 
「これ娘が建てる家の建築費の足しにあげようかな」
などと井原さんは呟いていたが、桜坂は言った。
 
「差し出がましいですが、退職金をもらったことは黙っておいて、娘さんたちが本当に苦しい時に助けてあげた方がいいと思います」
 
井原さんは一瞬考えてから言った。
「絶対そっちがいいですね!」
 

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以上で1000万円の内、約2/3の620万円を使い切った!
 
新店舗の改装費 100万円
旧店舗改装費の残額 50万円
妻名義の借金 150万円
ピアノローン残額 20万円
火傷した少女へ慰謝料代りの贈り物 50万円
井原さんへ 250万円
 
今年度末、長女は高校受験である。本人は金沢かせめて七尾の進学校に行きたいと言っている。
 
新店舗の運転資金も必要である。
 
桜坂は妻に言った。
 
「ねぇ、宝石は来年にしてもいい?」
「いいよ。来年が20周年だもんね」
 
(潜在的借金!娘のフルートも!こういうのは概して利子が高い!!)
 

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盛岡に行った千里たちだが、その日の夕方、また宗司に花巻空港まで送ってもらい、Honda-JetBlackで熊谷の郷愁飛行場まで飛んだ。千里は用事があると言って熊谷に残り、彪志のフリードスパイクに朋子と桃香が同乗して浦和に行く。朋子は久しぶりとなった京平・早月と交款していた。朋子はまただいぶお腹が大きくなって来た“こちらの千里”(8ヶ月)の身体も気遣っていた。
 
翌日は西武園遊園地に行き、15時くらいまで遊んだ。その後、子供たちは彪志に預けて、桃香・朋子は熊谷に移動する。ここで千里と合流し、18時の飛行機で能登空港に飛び、千里が運転するXC40で伏木に戻った。
 

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7月19日(火).
 
連休明け、彪志は有休を取って朝一番に、天野貴子の車でやってきた(本当は転送されてきた)青葉と2人で浦和区役所に出掛けた。そして青葉の転入届と2人の婚姻届けを提出した。書類は問題無く受け付けられ、青葉と彪志は法的に夫婦になった。
 
青葉は震災後の2011年4月に伏木に転居して以来、11年間高岡市民だったが、これで生まれ故郷に戻ったようなものである。青葉の誕生地は大宮である。
 
但し青葉は実際には伏木に住み続ける。出産も高岡市内の病院でするつもりである。
 
青葉から婚姻届けを提出したという連絡を受け、石崎部長は日本水連に青葉の妊娠に伴う休養届を提出した。この“妊娠による休養届”が実は青葉にとって大きなものとなった。石崎部長は「妊娠診断書を提出してほしい」と言われたので、青葉から直接水連にFAXした。
 
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実はこの時、日本水連では青葉の“女子としての参加資格”について再度協議が行われていたのである。青葉がオリンピックに続き世界水泳でも金メダルを取ったことで、青葉を“元男性だったのに”女子選手として認めてよいのかという議論がまた蒸し返されていた。
 
4月まで排斥派だった春坂黍子が
 
「川上選手は性転換選手ではなく半陰陽選手で、しかも小学1年生の段階で睾丸が無かったことが当時の病院の記録に残っているので、FINAの新しい基準でも問題無く女子選手として扱われる」
 
と説明するが、委員の中にはその情報に疑問を示す人たちも居た。
 
ところがそこに、川上青葉が妊娠したので休養したいという届けを出したという報せが飛び込んできたのである。
 
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「妊娠したということは間違いなく女なのでは」
 
「だいたい川上選手は身長が161cmで女子選手としても小柄ですよ。“男性だった時代の名残の有利な体格”なんて全く存在しませんよ」
 
ということで、青葉の参加資格には問題無いという結論が再度出たのである。
 
それに委員の大半はこう思っていた。
 
妊娠出産で1年近く休めば、もうトップアスリートには復帰できないだろう。だったらそもそも問題になるようなことも今後は起きないだろう。
 

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やはり記者会見はしてほしいということだったので、青葉は7月20日、石川県のASテレビのスタッフに代表インタビューを受ける形で記者会見をおこなった。これは全国のΛΛテレビ系列のテレビ局に生中継された。
 
「みなさんに期待して頂いているのに妊娠で休養することになって申し訳ありません」
「婚姻届けはいつ提出なさるんですか?」
「既に提出しました」
「挙式の日程は?」
「これから検討します」
 
「避妊とかはなさってなかったんですか」
「結婚するのはパリオリンピックの後にしようと言って、ずっと避妊していたのですが、失敗してしまったようです、本当に面目ないです」
 
「出産後に競技に復帰しますか?」
 
「水連の強化部長さんと電話でお話ししたのですが、私は世界水泳で標準記録を突破しているので、来年の社会人選手権と短水路選手権の出場資格があるそうです。だからそれで復帰して、パリ・オリンピックを目指します」
と青葉は笑顔で言った。
 
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2022年7月19日(火).
 
OCA(アジアオリンピック評議会)は、延期が決まっていたアジア大会の新たな日程について、2023年9月23日〜10月8日とすることを決定した。
 
 
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