[携帯Top] [文字サイズ]
■春四(18)
[*
前p 0
目次 #
次p]
「まそれでこれ社長からのメッセーシね」
と言って紙を渡す。
現在世界的にドローンが注目されています、軍事分野では無人の偵察機・攻撃機などが運用されており、一方農業分野では無人ヘリコプターによる農薬散布などが普及しています。また国土の広いオーストラリアやアメリカ・カナダでアマゾンやウォルマートが積極的にドローンによる商品配送を実施しています。
これに対して日本では国土が狭くほとんどの地区に車でアクセスできることから政府はドローンに対しては消極的で、むしろそういうのが住宅密集地や鉄道・道路にでも落ちたらいけないから禁止しろといった空気が支配的でした。しかし道路でのアクセスが厳しい山村や離島を抱える自治体など、また人手不足に悩む小売業や製薬業、2024年問題が目の前に迫る運送業などからは、日本でもドローンによる商品配送について解禁を求める声が多数寄せられていました。
昨年(2022年)3月には新潟県阿賀町で町が主体になってセイノー・KDDIおよびドローン会社のACSL、エアロネクスト、ドローン配送会社のNEXT DELIVERYが配送実験を行っています。
厚生労働省・内閣官房・国土交通省は2021年6月22日に薬のドローン配送に関するガイドラインをまとめていましたが、この段階では一般的なことを述べるだけで、細かいことは定められていませんでした。しかし昨年12月からドローンライセンス制度(無人航空機操縦者技能証明)ができたのも契機にしてドローンによる薬の配送に関する新しいガイドラインがこの3月にも発表されるのではないかと言われています。そこではドローンによる薬の配送に向けて、かなりの緩和が行われるのでは無いかと期待されています。
外資系の製薬会社メルクは、7年ほど前から兵庫県養父市(やぶし)で配送実験を行なっています。政府が認可する方針さえ出せばすぐにも全国で事業化するものと思われます。国産製薬会社トップグループに属する我が社としては絶対にこの流れに遅れるわけにはいきません。
そこでこのたび“UDD事業化準備室”unmanned aerial vehicle drug delivery operate preparation room を立ち上げ、できるだけ早く“いつでも事業化できる”状態にするため、事業化にあたっての問題点をどんどんあぶり出していくことにしました。
「やはり問題点が色々出てくるでしょうね」
と水川が言う。
「取り敢えず今分かっている問題をまとめたものがある」
と言って課長はタブレットに表示させてこちらに見せる、
懸念される問題点と対策
●墜落による物理的・人的被害への配慮
・できるだけ道路の上・鉄道の上・人口密集地の上を飛ばさない。
・パラシュートを付けるなどして衝撃を緩和する
・ガソリンや火薬などの危険物を運ばない。
・夜間は必ず灯火を付けて、他のドローンなどから識別しやすいようにする。
●運ぶ物体は充分丈夫な容器に入れ、破損したり簡単には開封できないようにする。
・外国では飛行中のドローンを叩き落としたり銃で撃ち落としたりして搭載物を奪う事件が起きている、
・雨で濡れたり、風で飛散しないようにする必要がある。
・特に薬品は第三者の手に渡ることはとても危険である。
・麻薬や向精神薬などはできるだけ運ばない。
●プライバシーへの配慮
・個人向けに配送した場合に薬を見るとその人がどんな病気に罹っているか分かる場合がある。
・薬は個人別に分け不透明なもので包装し、他人の目に触れないようにする。
・宛先を明記し、本人や家族以外が誤って開けないようにしておく。
●大量配送と個別配送の各々の問題を検討する。
・山奥の村や離島の薬局や診療所に多数の薬を届けるケース
・個人の患者に処方薬などを届けるケース
ドローンの運搬能力を考えると、後者が中心になると思われる。
そのほかに次のような場合も想定する。
・災害等に緊急に必要な薬を届けるケース
・離島の急患などに対処するケース
月子(彪志)は千里さんが貸してくれたような大型ドローンなら、薬局・診療所への配送にも使えると思ったが今は言わなかった。竹なんて1本15-20kgありそうだ。
「それで場所はどこかお聞きしていいですか?」
と水川が質問する。
「富山県の南砺市(なんとし)というところなんだよ」
と社長。
「富山県ですか!」
とふたりとも驚く。
「てっきり東北か北海道と思いました」
「北陸や山陰も結構雪が降るね」
「地元の南砺市、近くの砺波市・高岡市などからぜひ実験に協力したいという声が寄せられていて、必要なら条例改訂とかもして協力するといってくれている」
そのあたりは上場企業のネームバリューだなと思った。
しかしだったら青葉の家から通勤できるのではとも月子は思う。
「江戸時代には火薬の密造をしていた所ですね」
と月子(彪志)は言った。
「鈴江さんはそのあたり詳しいよね」
月子(彪志)は説明した。
「南砺市は富山県でも南端に位置する自治体のひとつです。北部は平野部ですが、南部は五箇山(ごかやま)といって、船でしかいけない温泉がありまして」
「ああ、あそこか」
と水川が言う。旅行好きの人には結構知られている。
「また昭和40年代までは一部の集落は冬になると全ての道が雪で通行不能になって孤立し、急病人が出たら自衛隊のヘリで運んでいたんですよ」
「凄い場所だね」
「南部は物凄い山と谷の中にあります。隣の白川村と同様に合掌造りの家が残ってますよ」
「なんか凄い秘境のような」
「日本の秘境で5本の指に入る所だと思います。そこへ行く道を一度通りましたが、細い道で曲がりくねっていて、片側は高い山、片側は深い谷で万一カーブを曲がりきれなかったら確実に即死できそうでした。生命の危険を感じましたね」
「それこそドローンの出番だ!」
「それで自治体が協力してくれるんだろうね」
と課長も言う。
「協力してくれるでしょうね。こういう所はいづれ社会基盤が失われるのではないかと不安を持ってますから」
「そんな山奥で江戸時代、加賀藩が火薬を密造していたんですよ。万一幕府と戦争になった場合に備えて」
「おぉ」
「その火薬を金沢まで運んでいた道を塩硝(えんしよう)街道といって、1970年代に県道(富山県道54号)になりましたが、20年くらい前から土砂崩れがあった区間が通行止めになったままです。多分復旧する気が無い」
「しないのか」
「山の中を突っ切らなくても麓を回れば済みますしね。10年くらい前までは通行止めとはいってもバイクでなら通れたらしいですが今は分かりません」
「あぁ」
「また五箇山から富山市南部、“風の盆”で有名な八尾(やつお)を通って岐阜県側に抜ける国道471号というのがあるのですが、私も通ったことはありませんが、これが過酷なほうの酷道で車1台やっと通れる道だし、落石が至る所にあり、舗装が傷んでいてほとんどダートという感じで凄いらしいです」
「国道でそれか」
「塩硝街道のほうは“険しい”の険道ですね」
「なるほど」
「民謡の里としても有名ですね。こきりこ節・麦や節がここですし、隣の八尾(やつお)のおわら節とあわせて富山県の三大民謡というんですよ」
「へー」
「ここで一曲」
と水川が言う。
「え〜?」
課長も笑顔なので月子(彪志)は歌った。
「こきりこーの竹は七寸五分じゃ。長いは袖の、かなかいじゃ。まどのサンサもデデレコデン、はれのサンサもデデレコデン」
なんか拍手がある。
「それ、何か竹がたくさん束ねてあってさらららーとかいう音のする楽器使うやつでしょ」
「はい。ささらというんですよ。言われたのは板ざさら(びんざさら)だと思いますが他にも、棒ざさらといって南米のギロと同系統の楽器もあるんですよ。元々は全国的に使われていた楽器なんですけどね」
「まあそれで営業所は平野部の城端(じょうはな)という所だけどね」
と言って課長が字に書いてみせると
「これで“じょうはな”と読むんですか!」
と驚いている。知らないと読めない地名である。
「城端線の終点ですね。昔は顔についてるほうの“鼻”の字を書いたそうです。近くの“風の盆”で知られる八尾(やつお)同様、絹織物で栄えた町なんですよ」
「へー」
「まあ南砺市の平野部の南端ですけどね。すぐ南側に広大な山間部がある」
「つまり山間部との間でドローンを行き来させるのに人口密集地帯を通らないということか」
(正確には城端地区の北側だけが平野部で南側の大半が山間部になっている。城端地区内部で低い所と高い所の標高差が1000mほどある)
「実はそういう環境だからこそ実験したいらしい。電波が届かないところでのコントロールとかもする必要がある」
「なるほど」
「自動飛行頼りですね」
「ああ」
(3月に実際に発表されたガイドラインでは基本的には電波途絶状態での飛行は禁止)
「スタッフはどのくらいの人数ですか?」
「富山の本社(*25) を含めて各地から7人程度と聞いている。あと現地採用のスタッフ数名。それに多分地元の自治体から委託された協力者何人か。最初は少人数で始めて、軌道に乗ったら全国から人を集めて、ここは研修センターに改組する」
「ああ。最初から何十人もいたら収拾がつきませんよね」
「開設の時期は?」
「3月5日に事務所開きの予定」
「日曜日ですか」
「当日はマスコミの取材もあると思うからよろしく」
「はい!」
もしかして、ぼくそれにレディスで出てテレビにも映るの?
「通常は土日は休みになる予定。ドローンの性質上、できるだけ人が少ない時にテストしたいから」
「墜落した場合に被害を出さないためですね」
「まあ墜落することは無いと思うけどね」
「いつから向こうに行けばいいんですか」
「実際に使用する建物は実は今建ててるところで、2月13日・月曜日に竣工して受け渡しされる予定。この日が“たつ”といって吉日らしい」
「十二直(じゅうにちょく)ですね。建築屋さんは十二直にこだわるんですよ」
と月子(彪志)が言う。
「あ?詳しい?」
「あまり詳しい訳じゃないんですけどね」
と月子(彪志)は一応断る。
「大安とか仏滅とかの六曜はごく最近唐突に出て来たもので占い師さんも懐疑的で信じてる占い師さんは皆無らしいですけど」
「そうなんだ!」
「これに対して十二直(じゅうにちょく)は古くから信じられてきたんですよ。“中段”(ちゅうだん)とも言いますが、棟上式とか竣工とかは十二直で吉になる日にしかしないんです。ただし十二直が良くても三隣亡とか不成就日は避けます」
「なんかそういうことらしいね。どうしても事故の多い現場だから、よけいその手のものには敏感みたいだね」
「知り合いの工務店の人は、昔は土日なんて考えも無かったし、大工さんたちに疲労が重なって事故を起こしたりしないように、三隣亡は、この日に作業したら三軒隣まで滅しますよと言って休暇を取らせていたのではと言ってましたけどね」
「いや休むことは大事」
「まあそういう訳で、建物が2月13日に竣工して3月5日から営業開始。この3月5日も十二直が“なる”で吉日」
(*25) D製薬は富山市が本社(主として製造部門)、東京が本店(主として販売部門)で、実際には本店の方が規模は大きい。
今回は新たな配送システムの開発なので販売部門を持つ東京本店が主導している。
「一般のスタッフは3月5日からの勤務だけど、君たち2人は2月13日に現地で工務店の人から建物及び施設を受け取ってほしい」
「分かりました。建物以外に施設があるんですか?」
「広い敷地を一応水捌けの良い土で覆う。そこでドローンの操作練習をしてもらいたいから」
「なるほどー」
「あとヘリポートを3基くらい作るつもり」
「ああ」
「常駐させるへりは1機だけだから君たち予備のヘリポート使ってヘリ通勤してもいいよ」
「それは月子ちゃんだな」
「まあ今回の人事の半分は、鈴江さんを奧さんの近くに行かせてあげようという親切心」
と課長。
「やはりそれもありましたか」
「奧さんの家から通える?」
と水川が確認するように尋ねる。
「たぶん40-50kmと思います。車で1時間かな」
「でも高岡からは50km離れた金沢まで通勤通学してる人がたくさん居るし。城端は通勤範囲だと思います」
「東京の感覚に近いなあ」
「八王子から東京都心とか40-50kmありますね」
「熱海とかからなら100kmあったはず」
「向こうでも金沢から能登半島の七尾までとか70kmくらい通勤している人いますよ」
「じゃ行けますね」
[*
前p 0
目次 #
次p]
春四(18)