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■春四(14)
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それで中に入り、居間の椅子に座る、
「お疲れ様」
と朋子がねぎらってくれる。
「これお土産です」
と言って“虎屋の羊羹”を出す。
「ありがとう。ここの羊羹(ようかん)、ほんと美味しいよね」
と言って、お茶を入れる。それで羊羹を食べていたら青葉が言う。
「そうだ。播磨工務店の徳部(九重の仮名)さんが昨日、なんか大きな荷物持ってきたけど。家に入らないし重たいから結局車ごと置いてってくれた」
「昨日?」
それで庭に出て2tトラックの荷室を見る。巨大なヘクサコプターが収まっている。
「昨日の午後5時頃、千里さんにクワッドコプターを借りる話をしてたのに」
「徳部さんが来たのは6時頃だったよ。きっと播磨林業の輪島支店から持って来たんだろうね」
「借りる約束したのはクワッドコプターだったんだけど」
「これは6枚羽根だからヘクサコプターだね。もっともちー姉は羽根がいくつもついてるのは全部クワッドコプターと思っている可能性がある」
「可能性あるね!」
「そもそもちー姉は言葉の言い間違いが多い」
「奨学金を逮捕(貸与)するとか、アナウンサーが降参(交替)するとか」
「スケートでドリブル・アクセス(トリプル・アクセル)を飛んだとか、契約をクリーニング・オフ(クーリング・オフ)するとか」
「貴司さんが言ってた。『そのダンコン切って』と言われてギクッとしたけど、目の前に大根があったって」
「ちー姉の周囲の人はみんな慣れてる」
「でもこの手の言葉にはギリシャ語系とラテン語系があるよね」
「そうそう。ギリシャ語系が、モノ・ジ・トリ・テトラ・ペンタ・ヘクサ・ヘプタ・オクタ・ノナ・デカ。半分はヘミ。ラテン語系が、ウナ英語ではユニ、ビ英語ではバイ、トリ・クアトロ・クインク・セクス・セプテム・オクト・ノベム・デセム・半分はセミ」
さすが言葉については詳しい。
「何倍という言い方がラテン語系だね。トリプル・クアドラプル・クイントゥプル(*15)」
「化学(ばけがく)では割りとギリシャ語系使うね。二酸化炭素 CO
2 は carbon dioxide, 一酸化炭素 CO は carbon monoxide、スプレーに使われるジメチルエーテル(dimethyl ether "DME" (CH
3)
2O )、保存料とかに使われるエチレンジアミン四酢酸 ethylene di-amine tetra acetic acid (HOOCCH
2)
2 NCH
2=CH
2N (CH
2COOH)
2、ついでにとても危険な物質、一酸化二水素 Dihydrogen Monoxide (*16) とか」
「あはは」
「勢い余って“ジ亜塩素酸”(*17)」
「それマジで勘違いしている人ある」
(*15) ○倍の言い方
2 ダブル(double)
3 トリプル(triple)
4 クアドゥルプル(quadruple)
5 クイントゥプル(quintuple)
6 セクストゥプル(sextuple)
7 セプトゥプル(septuple)
8 オクトゥプル(octuple)
9 ノヌプル(nonuple)
10 デクプル(decuple)
100 セントゥプル(centuple)
(*16) 一酸化二水素 DHMO(Dihydrogen Monoxide) とは次のような性質を持つ化学物質である。
・酸性雨の主成分である。
・土地の侵食を引き起こす。
・多くの金属の腐食を進行させ、錆付かせる。
・電気事故の原因となり、自動車のブレーキの効果を低下させる。
・工業用の溶媒・冷媒として用いられる。
・防火剤・消火剤として用いられる。
・農薬の散布に用いられる。出荷されるも農産物にはDHMOが残留している。
・ファーストフードの食品に添加されている。
・毎年海辺や川でこれによる死亡事故が起きている。
・マウスにDHMOのみを与え続けたら死亡した。
DHNOの化学式はH
2O、つまり“水”である!
この話はいわゆる似非科学(えせ・かがく)の類いのうたい文句が如何にいいかげんであるかの例として、1997年にアメリカの中学生が発案したものである。
(*17) 次亜塩素酸 (HClO) は亜塩素酸 (HClO
2) より酸化数が1つ小さいから“次”が付いたものである。ジ亜塩素酸ではなく次亜塩素酸。ちなみに亜塩素酸 (HClO
2) は塩素酸 (HClO
3) より1つ酸化数が小さいから“亜”が付いたものである!
御御御汁(おみおつけ)とか部長代理補佐みたいな命名である。
英語では塩素酸は chloric acid、亜塩素酸は chlorous acid、次亜塩素酸は hypochlorous acid.
「しかしこれ重たそう」
「人の手では運べないから結局このトラックごと借りるしかないね。徳部さんがバッテリーはフル充電してますと言ってた」
「それは助かる」
取り敢えず操作説明書を読む!
操作説明書はUSBメモリに収められているのでパソコンに取り込んで読んだ。
「あんな大きな機体はライセンスか何か必要なのでは」
と朋子が言う。
「それでライセンスを取ったんですが、実際に使うまでに忘れそうと言ったら、千里さんが貸してくれたんですよ。もっとも私は20-30cmの機体を想像していたのですが」
「ちー姉は程度を知らないからなあ」
「桃香がカップ麺ひとつ買ってきてと言ったら、段ボール箱で1箱買ってきたとか」
「食べちゃうけどね」
「でも桃香もあの子買物とかしないから、千里ちゃんが切干し大根を頼んだのが“切干し”が分からなくて青首大根買ってきたとか」
「いいコンビだという気がする」
取り敢えず昨日の15時頃まで(初海との打合せで)千里姉がここに居たことは言わない方がいいなと青葉は思った。
結局操作説明書を読むのに1時間かかる。特に自動操縦の設定がいろいろあるようである。
そして最後に
「白い段ボールに入っているのが操作練習用の小型機体だから、それで練習すると良い。またシミュレーション・ソフトがあるから。最初はそれで練習するとよい」
などと徳部さんの手書き文字?で書いてある。
「白い段ボール?」
それでトラックに再度行ってみると荷室の隅に白い段ボール箱がある。開けてみると10cmサイズの小さなドローンが収められている。実機と同じ形をしている。
「可愛い!」
「これなら家の中でも飛ばせそう」
シミュレーションソフトは操作説明書と同じUSBメモリの中に入っていた。プロポ(操作卓)をパソコンのUSBと接続し、ソフトを起動する。
起動すると徳部と清川の似顔絵が表示されたのでギョッとした。
「これ播磨工務店で開発したソフトなんだろうね」
「遊んでるなあ」
それでFPV用(*18) のゴーグルを着けてまず離陸から始めるが、いきなり墜落する!墜落の衝撃音までリアルっぽい(*19). 寿命が縮む思いである。母がびっくりして飛んできて
「何かあった?」
と尋ねた。
「シミュレーターでやって正解だったね」
「これしばらくシミュレーターで練習するよ。充分慣れてからその小型機で練習して、それから実機を使う」
「それが良さそうね」
(*18) FPV = First Person Vision (一人称視点)。ドローンから見た映像をモニターやゴーグルに表示させるシステム。ラジコンのように実機を目で見ながら操作するのではなく、遠くまで飛ばす“目視外飛行”(BVLOS - beyond visual line of sight) ではこの技術を使ってドローン側の視野を見ながら飛行させるのが一般的である。しばしばゴーグルを使って飛ばしている。ラジコン方式の10倍難しいと言われ、高度の技術が必要である。実際の飛行には100g未満の機体を除いて国土交通省の許可を得るかライセンスの取得が必要。
(*19) 九重の趣味。自分が墜落させて500万円の機体を壊した時の録音を使っている!
「だけどこんなののライセンス取らせるって、もしかして転勤?」
「それなんだけど、転勤は確実と思うんだけど、行き先についてはお正月休み明けに通告すると言われている」
「まあサラリーマンに転勤は付きものだけどねぇ」
「ぼくがどこに転勤になっても、青葉はここ伏木に居て」
「悪いけどそうさせてもらう」
「ドローンライセンスの他にも大型自動車と大型特殊自動車の免許も取った。あと千里さんの勧めで自動二輪の免許も」
「へー。つまり、ちー姉は彪志の転勤先を知ってるんだ」
「そうみたいだけど、聞いても絶対言わないだろうからなあ」
「まあそういう人だね。基本的に神様みたいに俯瞰しているだけ。でも助言は、してくれる。危なかったら即介入して助けてくれる」
「うん、そんな感じ。傘持ってけとか」
「ちー姉の傘勧告には助けられる。でもやはりドローンで薬の配送をするとか?」
「製薬会社の社員にドローンのライセンスを取らせるといったら、やはりそれを考えるよな」
「どこか凄い山の中なんじゃないの?そこに至る道路が存在しないとか」
「そんな所には人が居ないのでは」
「熊さんや鹿さんが受け取ったりして。でもちー姉がバイクの免許取らせたというのは、四輪では到達できない山奥だとか」
「そんな村あるんだっけ?」
「出勤するのにドローンが必要とか」
「ドローンに乗っていくの?」
「そうそう」
彪志は自分がクワッドコプターの荷台に乗っていくところを想像した。そしてその機体を自分がゴーグルとプロポで操作してたりして!?
「もしかしたら離島かも知れないと、一緒に講習受けた人は言ってた」
「ああ。離島なら有意義かも。ヘリコプター飛ばしたらお金掛かるもん」
「ドローンならヘリコプターほどお金が掛からないし、狭い所にも着地できるからね」
1月6日(金).
13:44と23:53 にS市を震源とし、最大震度4および3の地震があった。人形美術館はどちらの地震でも固定軸が外れた。昼間の地震はお客さんが入っている最中だったので、誘導してお客さんを外に退避させた。そのあと館内を点検してから再開した。マリアンは座り込み、スイスイ1号も自動停止していた。
夜中の地震では30分くらいしてから昇太と2人で見に行ったが特に被害は無いようだった。スイスイ1号・マリアンともに止まっていたので、歩行経路に障害物がないことを確認して再スタートさせた。
レストランのほうは、昼間の地震ではお客さんにテーブルの下に入るよう声を掛けた。例によって料理がこぼれたりしたものは無かった。コップがいくつか垂れたが、テーブルの下まではこぼれなかった。
揺れが収まってから
「お代は要りませんから気をつけてお帰りください」
と案内したが、全員が完食してから帰り、お代も押しつけていった。料理がまだ来てなかった人も「食べてから帰りたい」というので作って提供した。S市の人たちはもう地震慣れしている感じである。
夜中はもちろんレストランも閉店しているので、美術館を見た後そちらに回ったが特に異常は無かった。
1月7日(土).
12月24日に信濃町ガールズに加入してから休み無しで稼働していた氷川チャイムはこの日も他の子たちと一緒にテレビ局を既に3軒まわっていた。
「信濃町ガールズって凄い忙しいんだね」
「いやさすがにこんなに忙しいのは初めてだよ」
と朝から一緒に回っている斎藤恵梨香ちゃんが言う。
「百道十足事件で大量にタレントさんが捕まって、代役で出ていった信濃町ガールズが凄く使い手があったというので、どんどん『また頼む』と言われている状況だからね」
「特に一昨年(2021年)秋以降に入った子たちはトークのうまい子が多くて生番組にも強いのよね」
と知多めぐみ(2021“夏”加入)。
その時、水巻イビザが気付いた。
「チャイムちゃん調子悪い?お腹押さえてる」
「あ、いえ。お腹壊したとかではないと思うんですけど、なんか昨日あたりからお腹が痛い気がして」
「どの辺が痛いの?」
「この辺です」
数人が顔を見合わせる。
「生理が近いのでは?」
「え〜〜!?」
「だってその辺りが痛いと言えばねぇ」
「まだ生理の予定じゃなかった?」
「え、はい」
なんで私に生理とか来るの〜?
「きっと環境が変わったからタイミングがずれたんだよ」
「よくあることよくあること」
「ナプキン持ってる?」
「いいえ」
「だったらプレゼント〜」
「トイレ行って着けてくればいいよ。まだ15分くらい大丈夫だから」
「予定無くても、いつも持ってた方がいいよ」
「はい、分かりました」
チャイムは「なぜ〜」と思いながらもトイレに行ってもらったナプキンをショーツに取り付けてきた。
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