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■春紅(26)
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3月26日(千里の結婚式の2日前)、千里はふらりと四谷の不動産屋さんを訪れた。
「友人の妹の女子大生が住むマンションを探しているんですよ。何か適当な物件がありませんか」
「どの界隈がいいんですか?」
「四谷・市ヶ谷付近がいいんですが」
「ご希望の広さとご予算は?」
「そうですね。3LDKで20-30万の物件無いかしら」
女子大生ならワンルームか1Kかなと思っていた窓口の男性は一瞬「え?」と声を挙げそうになったが、よく見ると客はエルメスのワンピースを着ている。持っているバッグはマリクレールだ。お金持ちかも知れないと判断した。
「そうですね。3LDKだとどちらかというファミリー向けの物件になりますが」
「ええ、それは構わないわよ。最近のワンルームとか2DKとかいう物件は狭いから可哀想で」
「なるほどですね」
それで窓口の人は市ヶ谷駅から歩いて10分ほどの家賃27万円の物件を薦めてくれた。下見担当のスタッフと一緒に見に行く。
「わりと新しいわね」
「はい。まだ築7年ですから」
304, 506, 801 と空いているということだったが、千里は持参の方位磁針を見て「801がいいです」と言った。それで、そこを見に行く。
(スマホの方位磁針アブリを使わないのが“静電気女”の千里らしい)
それで中も見せてもらう。うん。方角は問題無い。変なのは処分したし、などと考えながら、千里は室内をゆっくり歩き回る。千里の歩き回った後がどんどんクリアになっていくが、スタッフさんも何か感じているようでキョロキョロしている。
ベランダに出て窓の外も見た。なるほどねーと思う。だから27万なのか。安いと思ったよ。それに空き部屋は3つじゃないじゃん。半分以上空いてる。あまりたくさん空いてるように言うと何かあるかもと思われると思って、少しだけ言ったな?でもこれは前回の新宿のマンションより遙かに“処理”が楽だ。
「ここにします」
「ありがとうございます」
それで事務所に戻って、契約することになる。地下の駐車場も1枠借りることにした。千里の予想通り、枠はたくさん空いている雰囲気だった。それで、駐車場代に加え、共益費・保証料を入れて35万円といわれた。
「借主様はそのご友人のお嬢様ですか?」
「金額も“大したことないし”、私が借主になってもいい?」
「はい。責任を持って下さるのでしたら」
本当はそういう又貸し的な行為は困るのだが、35万円の家賃を“大したことない”と言う客なら、融通をきかせてもいいかと判断した。
「じゃ私が借主になるね」
「お支払いはカードまたは自動引き落としでお願いしているのですが」
「じゃこのカードで」
と言って千里は“例のカード”を出す。担当者が一瞬ギョッとする。しかし
「お預かりします」
と言ってそのカードを受け取り、普通に処理をしてくれた。またこのカードで払う場合は、このカード自体の持つ機能で保証料が不要になると言われ、3万安くなって毎月の引き落としは32万円になると言われた。敷金・礼金などの初期費用(81万円)もカードで決裁した。
正式な契約は不動産屋さんから千里の住所に書類を送り、それに返信してからということで、2週間後には店頭で鍵を渡せるということであった。
不動産屋さんを出てから千里は呟いた。
「あぁあ。浦和の家を買って(川崎と葛西を解約して姫路も売却して)、折角住所を減らしたのに、また1つ増えちゃった」
常滑真音がCDのセールスが10万枚を超えて“デビューしたことになった”のに刺激を受けて、甲斐絵代子のファンたちが盛んに“布教活動”をした結果(たぶんひとりで何枚も買った子たちも多い)、彼女が歌った『美味しい時間/飴のある町』の売上累計が10万枚を超えてゴールド認定された。
それを受けて、コスモスは甲斐絵代子についても契約をA契約に切り替えることを表明した。4月4日(日)に山梨から両親を車で連れて来て、コスモス・ケイと面談。契約に合意し、絵代子のお父さんが契約書にサインした。これで今年は4人も歌手デビューしたことになる。
お父さんは絵代子の性別問題を心配したが、コスモスは『絵代子ちゃんが元男の子だったことはファンはみんな知ってますけど、気にしてませんから大丈夫ですよ』と笑顔で答えた。
絵代子と同時進行で契約を進めたフラワーサンシャインの安原祥子・桜井真理子まで入れると今年歌手デビューしたのは、5組・6人である。この2人も保護者との面談をして契約変更している。
なお、舞音のCDの方は、3/29-4/4の週間統計で売上累計が100万枚を突破。§§ミュージック3番目のミリオン歌手となった。この数字が発表されると女子寮の舞音の部屋に、恋珠ルビー、水谷姉妹、白鳥リズム、姫路スピカ、山本コリン、安原祥子、が押し寄せてきて
「おめでとう!」
と言って、コーラで乾杯して祝福した。スピカが買ってきてくれたホールケーキをみんなで分けた。
(5人以上の会食は禁止なので、切り分けるだけにして、食べるのは各自の部屋に帰ってからということにした)。
3月30日(火).
千里は播磨工務店・黄組のメンツを連れて橘ハイツを訪れ、寮母の門脇さんに声を掛ける。
「ちょっと工事に入りますのでよろしく」
「あ、はいはい。4階を改装するとかでしたね」
「そうです。2-3日で終わると思いますから」
「そんな簡単な工事ですか」
ということで、千里は彼らを4階に連れて行く。
「じゃよろしく。何かあったら呼んでね」
と言って、姿を消す(板橋の練習場に移動した)。
それで播磨工務店のメンツはこのような作業をした。
30日 5Fに唯一人居たネオンの奥さんにいったんキュアルームに退避してもらう。それから、ジャッキとクレーンで5-6Fを支えておいて4Fの配管をいったん外してから、2DKユニットを全部取り外し、代わりに1Kユニットを填めて行く。これは↓の順序で行う(旧ユニットをABCで書く)
甲班 40A撤去→401,402設置
乙班 40C撤去→405設置→40B撤去→403,404設置
二手に分かれ、左右から同時に作業したので、ほんの3時間ほどでこの作業が完了した。眺めていたネオンの奥さんが「鮮やかですね!」と感嘆していたが、元々ユニット工法で作られているので、ボルトを外せぱユニットを簡単に交換できるのがミソである。その後、エレベータホールの位置がこれまでと逆になるので、エレベータが4階でどちらのドアが開くかの設定を変更した。
31日 配管・電気工事などをしてから、検査班を呼び、配管等が正しくされているかを検査してもらって完了。
2021年4月1日(木).
レッドインパルスで今年の発会が行われたが、千里は広川妙子の後任の主将に指名されてしまった。
千里が「主将」なるものをやるのは実に初めてである。千里は中学でも高校でも主将はしていないし、ローキューツでは主将は石矢浩子、40 minutesでは主将は秋葉夕子が務めていた。実は主将にされそうになる前に逃げ出していた。
「えー!?私、人望無いですよぉ」
と言ったのだが
「世界の3P女王が何言っている?」
と今季から引退してコーチ登録になった前主将・広川妙子が言う。広川は年齢は36歳でも動きはまだ20代だ。しかし昨年1年間コロナで長期間試合から遠ざかり、練習も充分できない中、もう実戦感覚を取り戻しきれないと自覚して引退した。
「私より年上の人もいるし」
「でもチームに加入してからは6年経ってる」
「サンは敵を作らない性格だから主将にいいと思う」
「絶対に諦めない性格もいいよね」
「単に諦めが悪いだけなんだけど」
「みんなサンのこと尊敬してますよ」
と28歳のポイントガード湊川妃菜乃は言った。(サンは千里のコートネーム)
「尊敬してるし頼りにしてるよね。負けててもサンが居るから絶対挽回できると信じてプレイしてるもん」
と26歳のスモールフォワード鹿島深月。
「前半30点差付けられたのひっくり返したこともありましたね」
と23歳のセンター春野さくら。
それで千里は初めての主将を潔く(?)引き受けたのであった。
レッドインバルスの主将を引き受けたばかりの千里(3番)は4月3日(土)から、北区のNTC(ナショナル・トレーニング・センター)でオリンピック女子代表候補の第1次合宿に入った。
今回の合宿に招集されたのは30名で、ここから3ヶ月後の本番までの間に半分以下の12名まで削られて行くことになる。
シビアな生存競争の始まりであった。
なお、この時期、千里1・桃香・貴司が新婚旅行中、千里2が新婚旅行をしながらフランスのLFBに参戦中、千里3が合宿中となったが、この他、青葉も日本選手権に参加中で、浦和の家には、おとなは多忙な彪志だけが残る形になった。
そこで結婚式に出席するためこちらに出て来た朋子が千里1が戻るまで、この家の主婦を務めた(典子はHonda-Jetを使って1人高岡に返した)。
「千里ちゃん、よく毎日これをやってるね!」
と朋子は感心していた。
取り敢えず早月と由美を季里子の家に連れて行っているので、子供は手の掛からない京平と緩菜だけだし、4/7までは幼稚園も休みで送り迎えが無いので比較的楽だった。それでも彪志は毎日朝早く出かけて夜遅く帰ってくるし、青葉は大会に掛かるので結構神経を使う。その2人のお弁当も作ってあげなければならない。
食事を作る量も最初は感覚が分からなくて苦労した。幸いにも食材については、お肉やお米は直送されてくるし、細かいものも買物代行の人が週に2回届けてくれるので自分で買物に出る必要はない。しかし買物代行を頼むということは数日先までお弁当やおやつも含めた、献立の計画を立てて、それに必要な食材を量まで計算して(高校の家庭科の授業を思い出した)それを伝えなければならないので、これまで適当にそのあたりをしていた朋子は結構疲れた。
また朝が早く夜も遅いので昼寝をしないととてももたないが、ずっと子供たちがいるので、いつ寝るか最初悩んだ。(実際には京平と緩菜は“おとな”なので気にせずに、いつ寝てもよい)
「千里ちゃん、この倍以上の人間がいる中でこれをやってるんだよね。桃香は家庭のことについては役に立たないだろうし。ほんと千里ちゃん、偉いわあ」
などと朋子は感心していた。
「舞音ちゃんがこないだマネキンって言ってたからこういうの考えたのよ」
と、すっかり舞音のプロデューサー気取りの雨宮先生は言った。
「あんた、花沢ロングだったっけ?」
と今日舞音を連れてきた花咲ロンドに言う。
「すみません。花咲(はなさき)ロンドです」
「あ、そうか、ごめんごめん。そのロンドンちゃんがお店の店員で、意地悪なコスモス店長にこきつかわれてるのね」
ロンドは笑っている。雨宮先生は気に入った子の名前はわざと間違って話す傾向があると、ケイ会長から聞いたな、と思い起こしていた。
「ロンドンは、ある日中国物産展で、怪しげなマネキン人形を買ってくる」
「それが私ですか?」
と舞音。
「そうそう。あんたは舞音マネキン(まねまねきん)だね」
雨宮先生は楽しそうに言う。
「それでこの怪しげなマネキン人形を店頭に飾ったら、その途端お店に客が来るようになって、店は繁盛。でもこのマネキン人形には秘密があったのよ」
「実は妖怪だったとか?」
と舞音。
「あんた、よく分かるわね。実はこの人形は肉食マネキンで、最初は、店の中で走り回っていたネズミを食べちゃったり、窓にくっついてたカエルを食べちゃったりしてたけど、ある日、迷い込んできた犬を食べちゃう」
「段々エスカレートしていくんですか?」
と舞音はわくわくした顔で訊いている。
「そうそう。その内、店が繁盛しているようだというので忍び込んできた泥棒を食べちゃう。店員の女の子のDVな彼氏を食べちゃう。やがて意地悪なコスモス店長まで食べちゃう」
舞音は面白そうな顔をして聞いている。
「リトル・ショップ・オブ・ホラーズ(*21)ですか」
と話を聞いていた千里が言った。
「なんであんた、そんな古い映画知ってるのよ」
と雨宮先生が言う。
「これファッションブランドのCMだから、そういうグロテスクなのはやめてください」
と千里は言った。
(*21)元々は1960年に公開された映画 "The Little Shop of Horrors".その後、ミュージカル化され、そのミュージカルをベースにして1986年に"Little Shop of Horrors" と Theの無いタイトルでリメイク映画が作られた。元の作品では主人公まで食べられてしまう(但し相打ちになる)バッドエンドだが、このリメイク版では公開直前に試写を見た人たちの意見を入れて最後に10分間のエピソードを追加してハッピーエンド(?)に改作された。
花屋の店員シーモア(Seymour ♂)は意地悪な店長ムシュニク(Mushnick)にこき使われているが、同僚の女性オードリー(Audrey ♀)に思いを寄せている。ある日、シーモアは不思議な植物を入手して育て始めるが、それ以来お店は繁盛するようになる。しかしこの植物には秘密があった。
1986年のリメイク映画が公開された直後、この人食い植物を人食い冷蔵庫に置換した「フローズン・ホラーSHOW」というドラマが1987.5.18 にフジテレビ系で放送されている。ストーリーは1986年版の映画にけっこう近い。主人公が女性に変更され、松本伊代が演じたほか、松本伊代が司会を務めていた『夕焼けニャンニャン』からおニャン子のメンツを始め、チェッカーズ・松尾貴史なども出演している(実はボンド・プロダクションのタレント総出演のドラマでもある)。
なお1960年版映画の脚本はCharles B. Griffithという人が書いているが、ルーツは「宇宙戦争」で名高い H.G.ウェルズが1894年に書いた"The Flowering of the Strange Orchid" (邦題:奇妙な蘭)という、人食い蘭を描いた作品ではないかとも言われる。筒井康隆『メタモルフォセス群島』(1976)には1960年版映画の影響が見られる。
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