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■春紅(14)
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「だったら、その人たちが困りません?」
「きっと、250SLの方を使うだろうし、それが出てたら、きっと祭梨(花咲ロンド)ちゃんのスクーターが勝手に使われる気がする」
「ああ」
(ロンドのスクーターは真っ赤な Vino である。海浜ひまわりのバイクも空いているが、誰も近寄らないし、ひまわりは“そのバイクには”他の子を同乗させることをコスモスから禁止されている:だからひまわりは花ちゃんのバイクを使う!)
「カブも空いてるけど、50ccなら祭梨ちゃんのヴィーノを使いたがる。私の400ccもたいてい空いてるけど、みんな400ccは恐いと言うのよね〜。250ccと大差無いのに」
花ちゃんには大差無いだろうなと聖子は思った。
ともかくもこの半月間、聖子は Ninja250 (Carbon Gray) を借りることにしたのである。
借りてみて聖子は、あ、これ『少年探偵団』で北里ナナちゃんが乗ってるバイクと同型だと思った。聖子もドラマの撮影で結構乗っている。なお、撮影用のナナちゃんのバイクは誰の趣味なのか、ピンクの塗装に花柄模様入りである!
(花ちゃんのバイクはカブも含めて5台とも黒なので、女子寮に駐めておくと、すぐ誰のかが分かる。彼女は四輪もエクストレイルの黒で車の趣味がとっても男性的である:兄3人の下の長女という生い立ちから、いつも兄たちのまねをしていたせいだと言ってた。彼女は物心ついた頃から立っておしっこしていたらしい。今でも床置き型の小便器ならFUD無しでおしっこできると言っていたが、服を濡らさずにできるのか!?)
聖子が入校当日、“裏書き”で名前が天月聖子に変更されている(自動二輪の)運転免許証を提示して入校手続きをすると
「ああ、最近改名なさったんですね」
と言われる。
「はい。名前が格好良すぎて、男性と誤認されることがあったので」
などと言っておく。
聖子は見た目は女の子にしか見えないので、トラブルなどは一切なく、入校することができた。
2月頭に、裁判所から性別訂正と名前変更を認める手紙が来て、仰天した聖子だが、母に電話してみると
「あれ〜。私があんたに渡したのは名前変更するだけの申請書だったのに、どうして性別も訂正されたのかしら?」
と言う。
「でも好都合じゃん。来年の4月を待たずに女の子になれて」
などと母は言っていた。
要するに、あの時、聖子は母から渡された改名申請の書類と、《こうちゃん》が勝手に作ってバッグのサイドポケットに差していた、性別訂正・改名申請の書類の両方を持っていた。そして橘ハイツの玄関で、後者を落としてしまった。
それを弘原如月が拾い、ツキが投函した。裁判所からは(こうちゃんが書いていた連絡先に)呼び出しが来た。
《こうちゃん》は、西湖が性別変更には消極的である気がしていたので、裁判所からの呼び出し状を見て驚いたものの、女の子になる気になったのなら、“気が変わらない内に”協力してやろうと、多忙な西湖たちに代わって、身代わりを面談に行かせた。裁判官は女の子にしか見えない面談者を見て、性別訂正を認めてくれた(聖子本人が行っても結果は同じだったろう)。
つまり、今回の事件は、誰も悪くなかった!
(親切な人は多すぎたが)
まさに偶然の悪戯だったのである。
なぜそういうことになってしまったのかは分からないものの、聖子ももう戸籍上の性別は女ということで、いいことにした。
それで健康保険証、運転免許、パスポート、マイナンバーカードの名前変更手続きもすぐにしておいたのである。パスポートは新規発行になったが、とにかく2月中にこれらの手続きは終わっていた。
特に運転免許証の書き換えは真っ先にしたので、2/5に自動車学校に入る時には既に訂正されている免許証を使用することができた。
聖子は、基本的に午前中Fが学校に行き、午後からMが仕事に行くというパターンの生活をしていたので、学校を終えた後のFが自動車学校に通うかたわら、保険証やパスポートなどの変更手続きに行った。免許証の変更については、Mが能登にCM撮影に行っている間に、Fが都内でしておいた(Fはこの間ちゃんと学校にも行っている:実は出席日数がもうギリギリで休めなかった)。
「だけど、健康保険証、パスポート、マイナンバーカード、全て性別は女と記載されていたよ。だから変更したのは名前だけ。鮫洲(免許試験場)では、念のため、運転免許証の内部に記録されている性別を確認してもらったんだけど、『ちゃんと女性になってますよ』と言われたし。要するに、ずっと前から私たち、戸籍以外は全部女になってたみたいね」
などと手続きをしてきたFはMに言った。
西湖は、確かにパスポートが女になってるのは何でだろうとは思っていたけど、要するにボクはもう既に女の子になっていたのかと、少しショックを覚えた。
そして新しいマイナンバーカードを提示して改名したことを学校にも言ったら
「うん。お母さんから聞いてる。卒業証書の名前はちゃんと“聖子”になるから安心してね」
と言われたので、どうもその件は母が学校に連絡してくれていたようであった。それが2月22日のことだった。
2021年2月4-7日の水泳ジャパンオープンでは、長距離女子は“津幡組”がメダルを独占し、仙台在住の金堂多江は、1個もメダルを取ることができなかった。
何度か津幡にも長期滞在している多江は
「やはりあそこは環境いいもんなあ。24時間泳げるんだもん。私も高校卒業したら津幡組に入れてもらおうかなあ」
などと考える。
彼女は現在高校3年生で来月高校を卒業する。多江は現在全国に多数のプールを所持しているSTスイミングクラブの仙台教場に所属している。オリンピック候補生は優遇はしてもらえるものの、多数の会員で共有するプールなので、どうしても練習時間に制約がある。
友人でライバルの竹下リル(金堂より1つ下)からは「高校出たら、うちに来ない?」とも誘われている。STスイミングクラブ側に内々に打診してみたら、STスイミングクラブに所属したまま、津幡で練習をするのは構わないと言われた。
それで高校を出た後は、津幡に移動することも考えているのだが、問題は4月頭の日本選手権である。オリンピック代表を決めるこの大会で2位以内に入らないと、そもそもオリンビックに出ることができない(3位でも選ばれる可能性はあるが、あくまで例外扱いである (*13))
(*13) FINAの規定では「各国でOSTを越えている選手2名まで」が五輪に出場できるが
「上位2名がいづれもOQTを越えている場合、3位の選手がOSTを越えていればその選手まで出場できる」となっている。自分はOSTは当然越えられる。そして2位以内に入ればOKだが、万一3位になった場合は、上の2人がOQTを越えているかという“人まかせ”になる。もっとも4位では全く話にならない!
高校の卒業式は3/1だから、津幡への移動はそれ以降になるが、本当はそれ以前からひたすら練習していたい。日本選手権まで2ヶ月。南野さんもリルもきっとその2ヶ月間、毎日12時間以上練習するだろうに自分は少なくとも今月中は、毎日限られた時間しか練習できない。
「もういっそ高校退学しちゃおうか」
とも考えたものの、親が絶対許してくれないだろう。
そんなことを考えながら、新木場駅に向かって歩いていたら、ポンと肩を叩かれたのである。
「こんにちは、金堂さん」
「こんにちは。川上さんのお姉さんでしたっけ」
津幡に行っていた時に見た気がする。
「そそ。ね、金堂さん、水泳練習場とか要らない?」
「は?」
「仙台だったよね?家まで送っていくよ。道々話そう」
と言われ、少しアクアティクス・センターの方に戻り、駐車場に駐めてあった、黒いインプレッサに乗った。
「実は、私こないだ引っ越してね」
「はい」
「それで新しい家の地下に妹の練習用のプールを作ったのよ」
「自宅にプールですか!凄い!」
「いや、妹が地元ではたくさん練習できるけど、大会とかで東京に出て来た時に充分な練習ができないとか言ってたからさ」
「確かにそれは私も思うんですよー」
「それで今まで使ってた室内水泳練習場が要らなくなってさ、誰か使わないかなあと思ってたんだけど、金堂さんなら使うかもと思って」
「どのくらいの大きさなんですか?」
「長さ6m・深さ2m・幅2m」
「へー」
と言いながら、さすがに6mじゃすぐ向こうにぶつかっちゃうと思う。
「でもこの水槽の水が流れるんだよ。速度は調整可能」
「へー!」
「だから長さは6mしか無いのに、ほぼ永遠に泳いでいられる。要するにルームランナーの水泳版かもね」
「面白いかも」
「誰も要らなかったら捨てるしかないし、もし興味あったら、もらってくれないかなあ。24時間水泳の練習ができるよ」
「速度調整はどうやるんですか?」
「手動でも調整できるけど、オートにしておけば、泳いでる人の速度に合わせる(青葉はこの機能使ってなかったみたいだけど←千里が教えてないからだと思う)」
「じゃ気にせず単純に泳いでいればいいんですね」
「そそ。速度とか、泳いだ距離・時間とかは側面の大きな液晶表示板に表示される」
「欲しいかも」
「じゃ持って行かせるよ。金堂さんの住所教えて」
「あ、でも3DKのマンションには入らないかな」
「じゃ金堂さんの学校に置かせてもらうとかは?」
「それいいかも知れない」
それで近くの友部SAに車を駐め、金堂さんが高校の水泳部の顧問の先生に電話する。途中から千里に代わり、直接顧問の先生と話した結果、学校に置くと結局夜間に使用できないので、顧問の先生の御自宅の離れに置こうという話がまとまった。
「水道代・電気代が掛かりますけど」
「そのくらいは構わないよ」
それで年末に青葉が浦和に来た時、青葉が使用した“生け簀”は金堂さんの学校の水泳部顧問の自宅に移設されることになったのである。(結果的には金堂さんが津幡に移動した後も、後輩が使えることになる)
なおこの“生け簀”は元々は《せいちゃん》の趣味の工作である。制作費は100万も掛かっていない。
話がまとまり、東北自動車道を北上する車の中で多江は訊いた。
「でもこれで私がたくさん練習したら、川上さんを追い抜くかも知れませんよ。いいんですか?」
「私自身もバスケット選手で、今オリンピックに向けて代表サバイバル戦をしている最中だけどさ」
と千里は言う。
「あ、そうか。バスケットの日本代表候補だったんでしたね」
「なかなか厳しいよ。最初は30人くらいから合宿の度に招集される人数が減っていく」
「きびしー」
「でも私はライバルが強くなるのは、根本的に嬉しい」
多江は千里のことばを深く胸に受け止めた。
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