[携帯Top] [文字サイズ]
■春白(12)
[*
前p 0
目次 #
次p]
11月13日(金).
この日の深夜、恵真が仕事を終えて帰宅すると、母がホテルの部屋で待っていた。そして言った。
「あんた転校させることにしたから」
「え〜〜〜!?」
母と雨宮先生、それに事務所の社長さんも入って3日がかりで話し合い決めたのはこういうことだったらしい。
(前提)アクアの代役の子がダウンしているため、とにかく手が足りないし、今こなさなければならない仕事を実際にこなせるのは松梨詩恩・米本愛心・羽鳥セシルの3人のみ。現在松梨詩恩と米本愛心も同様に超多忙状態になっている。これは多分2月頃まで続く。
・羽鳥セシルは、移動時間を節約して疲労を減らすため、そして万が一の単位不足による留年を防ぐため芸能人の多い都心の高校に転校させる。
・当面の間、午後からだけ仕事をしてもらう。午前中は必ず学校に行かせる。
・夜は年末年始に限ってはドラマの撮影に限り24時までは黙認するが、0時すぎまでは使わない。
「それで制服は8月にU高校の制服を作った時の寸法控えがあったから、それと同じ寸法で作ってもらうことにした。日曜の夕方までに作ってもらえるらしいから、それ私が受け取っておくよ」
「凄い速いね!」
「割増し料金弾んで、超特急仕上げらしい」
「ひゃー。大変そう」
「まあ今はオフシーズンだからね」
「でも転校って、試験とかは無いの?」
「ああ、代役の女の子を今日学校に連れて行って試験受けさせた」
「そんなの、いいの〜〜?」
「あと、あんたは女子として転入するから」
「分かった」
「U高校に昼間行って転出するからと言って、U高校の在学証明と履修済みの授業とかの書類をもらってきたから。その書類の名前と性別をちょっと訂正しといた」
「すごーく違法っぽいんですけど」
恵真にはそんなことを言ったが、どちらもジョークである!
C学園はアクアのマネージャー山村がコネを使って転入をお願いしたので、恵真の母が提出した、U高校での成績表(成績より生活態度等が重要。非行歴などは無く。部活に入っていて関東大会まで行っているのも評価された)を見て、無試験で編入できることになった。また恵真の書類は、ちゃんとU高校でも女子になっていたので、女子校であるC学園は何の問題もなく恵真を受けいれてくれたのである。
U高校の校長は性別の変更は大変なことなので、騒がれないように転校したいのだろうと勝手に解釈してくれたようであった。校長は恵真が2学期になって以来女子制服で登校していたことを知らない!
恵真の母は普段から本当のこととジョークとの区別が分かりにくい。
11月14日(土)の早朝に、滞在している京王ブラブの部屋に、訪問者がある。雨宮先生と一緒にやってきたのは27-28歳くらいの女性であった。
「お早う。アルスちゃんを連れてきたよ」
『風の中のココ』の作曲者・桜蘭有好であった。
「あれ?」
「セシルちゃん、また会ったね」
と桜蘭有好先生は笑顔である。
「お早うございます。大宮万葉先生・・・ですよね?」
「うん。そういう名前もあるよ、セシルちゃん」
「あんたたち知り合いだっけ?」
などと雨宮先生は言っている。
「9月に能登と旭川に写真撮影に行った時にご一緒したじゃないですか。雨宮先生も」
とセシル。
「そうだっけ?」
と雨宮先生。
「先生、ボケてきてません?」
と桜蘭有好=大宮万葉=金沢ドイル=青葉は言っている。
「うーん。記憶がない。不覚!!」
と雨宮先生は言っていたが。
ついでに、雨宮先生は、この先生を“琴沢幸穂先生の妹”と言ってたけど、大宮先生のほうがお姉さんだよね?などとセシルは内心思った。
「桜蘭有好こと大宮万葉君は、今週東京でずっとラピスラズリと一緒に番組の撮影をしていたんだよ」
「わぁ」
「それで今日、富山県に帰る前にセシルに会ってもらおうと思って連れてきた」
「お忙しいんですね」
「先週の週末は和歌山で水泳の社会人選手権に出ていて、その後、東京に来た」
「わあ、水泳をなさるんですか」
「金メダル2個取ったらしいよ。ついでに東京五輪の代表に既に確定している」
「すごーい!妹さんはバスケットの日本代表で、スポーツ姉妹なんですね」
とセシルが言うと、大宮先生は一瞬変な顔をし、雨宮先生はなぜか笑いをかみ殺していた。
この日の朝は桜蘭有好=大宮万葉先生と1時間くらい楽しくお話ししたが、途中で仕事が忙しくてと言ったら、大宮先生が手を握ってくださった。するとなぜか疲れが取れていくような気がした。また心の中にあった色々な不安が消えて行く感じで、この後、元気に仕事ができるようになる。
翌15日(日)の早朝、今度は雨宮先生、琴沢幸穂先生、22-23歳くらいの吉田和紗というマネージャーさん、それに母がやってきた。どうも朝から夜中まで仕事があるのでプライベートな用事?は早朝ということになっているようだ。
「君の住まいを決めたから」
と雨宮先生。
「それ、私ずっとホテル住まいなのかなと思ってました」
「私が借りている物件なんだけどね。今空いているから、良かったら使ってもらえないかと思って」
さ琴沢先生は言っている。
「へー」
「君が月曜から通うC学園は赤羽駅のそばにあるんだけど、琴沢幸穂が借りている物件は、赤羽駅の隣の尾久駅の近くなんだよ」
「隣駅ですか!」
「まあ、コロナが落ち着くまでは電車禁止だから学校まで誰かに送らせるけどね」
「分かりました。それお家賃とかは?」
「無料でいいけど条件がある。それは現地で説明するよ」
゛はい」
琴沢先生と雨宮先生は忙しいということで離脱する。恵真は荷物をまとめ、母・吉田マネージャーと3人で手分けして持ち、部屋を出た。ホテルをチェックアウトし、吉田マネージャーの車(日産のエンブレムが付いていた。背面に225xeという記号が書かれているのが車種か何かだろうか?)に乗り、尾久に移動する。
中規模のマンションである。車を地下の駐車場に入れ、1階に上がる。
「広いですね。部屋が3つもある」
「この真ん中の窓の無い部屋。ここで寝るの推奨。ここがいちばん落ち着くんですよ」
「じゃそうしようかな」
「ただしこの部屋ではセックスはして欲しくないんですよ。オナニーはOKです」
「セックスとかオニーとかしません」
「高校生ですしね」
(セックスは別として“男子”の高校生なら、たくさんオナニーすることが3人とも意識に入っていない)
「もし彼氏が出来てセックスする時は他の部屋で」
「分かりました」
「それと大事なのはこれ」
と言って、吉田マネージャーは部屋の奥の本棚の上にある神棚の前に置かれた桐の箱を取る。
「これは鏡なんですけど、この鏡の向きを動かさないでほしいんです。中身を見る程度は構いませんが」
と言って箱を開けて見せてくれた。
銀白色の美しい金属鏡であった。
「銀の鏡ですか?」
と母が訊くが
「銀ではない気がする」
と恵真。
「これは洋白(*6)の鏡です」
「なるほど」
「ただ一般の洋白よりは白銅に近い組成らしいです。私もよく分かりませんが」
「ああ」
(*6)“洋白”は“洋銀”の別名。“洋”の名前は明治になってから西洋からもたらされた合金だからであるが、ヨーロッパでは中国から伝わった合金という意識があり、中国語の呼称 paktong (白銅)がそのまま通じたりする。“白銅”という単語については実はかなりの混乱がある。
・洋白と洋銀は同じ概念の別名と考えて良い。
・現在日本で言われている白銅と洋白(洋銀)はヨーロッパではあまり区別されておらず、Nickel Silver あるいは Paktong:白銅) と呼ばれる。基本的には、銅とニッケルの合金。但し亜鉛を加えることもある。
(中国から伝わった後、ドイツで量産されたので German Silver, New Silver, Argentan, Alpacca などとも呼ばれる。アルパカというのは German Metalのスペイン語訳)
・楽器の素材として使われる場合、日本では、亜鉛を含むものを洋白、含まないものを白銅と呼んでいるようである(メーカーによっても違うかも−組成もメーカーごとに違うかも)。洋銀の楽器は白銅の楽器の倍以上の値段がする。
・白銅貨と呼ばれる百円玉の組成はCu75%-Ni25%
・洋銀貨と呼ばれる五百円玉の組成はCu55%-Zn27%-Ni18% (専門家はニッケル黄銅と呼ぶ)
・神社等に納められる白銅鏡は、ニッケルではなく、銅と錫の合金。
(Cu:Copper(cuprum):銅, Zn:Zinc(zincum):亜鉛, Sn:Tin(stannum)錫すず、
黄銅=真鍮:brass:銅と亜鉛の合金/青銅:bronze:銅と錫の合金−白銅との差は比率問題)
「動かさないつもりでも動いてしまった場合は?」
「基本的には西を向ければいいんですけど、分からなかったら私を呼んで下さい」
「分かりました」
「この鏡を置くために琴沢先生はこの部屋を借りておられるんですよ。でも誰かが住んでないといけないらしくて。それで誰か住んでくれる男の娘を探していたらしくて」
「男の娘がいいんですか?」
「セシルちゃんのことを聞いていたので、住まいを探しているならぜひということで」
「へー!」
それでセシルはこの尾久のマンションに住むことになった。引越はこの後、母がしてくれるということで(実際には主力は弟の香沙)、母は車を置いている四谷の駐車場にポスト(駐車場代も吉田さんが払っていた)してから、恵真は吉田マネージャーの車で今日の仕事先に向かった。
土日の仕事を終えた後、11月16日(月)から恵真はC学園中学高校の4年生に編入されて通学することになったが、ここが女子校と知って仰天する。さすがに“ボロを出さずに”女子高生できるかなあと不安になる。
しかし登校初日に、同じく芸能人の生徒、秋田利美(白鳥リズム)、栗原リア、島原世令菜(中村昭恵)、近松恭佳(ビンゴアキ)、田中蘭(松元蘭−この時期はアイドル歌手をしていたが、後にローズ+リリーの第3次バックバンド:フラワーガーデンズのメンバーとなる)、などといった子と知り合う。特に利美ちゃんとは相性の良さを感じた。彼女も男の娘?なのかなと恵真は思った、
この日はこの利美・リアと一緒に午後から仕事先に行った。恵真は、利美が紅白にも出場が決まっているとリアから聞いて驚いた。全然そんな感じではないのに。利美はごく普通の女子高生である。それに男の娘(と恵真は思い込んでいる)の利美ちゃんでもそんな人気歌手になれるのなら、自分もこうやって女子高生芸能人をしててもいいのかもと思った。
でも利美ちゃんを見ていて、やはり売れる子は人当たりもいいんだなあ。そういえば映画の撮影で会ったアクアちゃんも、凄くいい感じの人だったもんなと、恵真は思った。
その日、仕事が終わった所で、雨宮先生が放送局に来て「家まで送るよ」と言って送ってくださった。
放送局から尾久のマンションまでは15分ほどで到着するのだが、先生は
「家にちょっとあげて。渡したいものがあるんだ。絶対何もしないから」
と言う。雨宮先生は「商品には手を付けない」と言っていたしと思い、マンションの中に入れた。
すると雨宮先生はフルートケース?を恵真に渡した。
重い!
「何です。この重さは?」
「開けてみて」
中に入っていたのは白いフルートである。
「もしかしてプラチナのフルートですか?」
「よく分かったね」
「これは一体?」
「そのフルートを今月中に吹きこなせるようになって欲しい」
「何かそういう仕事があるんですね」
「うん。プラチナのフルートを吹く美少女フルーティストの役を演じてもらう。それにはこれが本当に吹きこなせないといけないから」
「分かりました。頑張ります」
「そのフルートはしばらく預けておくからこのマンションの中だけで練習して」
「こんな高そうなフルート、怖くて持ち出せません」
「うん。それがいい」
しかしセシルは毎日夜中に仕事が終わって帰宅してから、このフルートを練習した。最初はなかなか思うように吹けなかったものの、だんだん気持ち良く吹けるようになっていく。そして吹いていると、その日の仕事の疲れが取れていくような気がしたのである。
[*
前p 0
目次 #
次p]
春白(12)