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■春白(9)

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(C) Eriko Kawaguchi 2021-02-10
 
その日、男子寮の管理人室では、瀬那と母が夕食を取っていた。父はまだ帰宅していなかった。
 
瀬那は何気なく母に言った。
 
「今日学校で友だちから『生理いつあった?』とか訊かれて焦っちゃった」
 
母は尋ねた。
「どう答えたの?」
 
「適当に先週あったって答えた」
 
「それさあ、適当に答えてるとその内矛盾するよ」
「そんな気はする」
「自分の生理日がいつかというの、自分で“決めて”さ、手帳に印付けておきなよ。赤い丸とか。シール貼ってる子もいるよ」
 
「あ、そういえばお姉ちゃんから、そんなこと言われてた気がする」
「それと、ちゃんとナプキンも持ってた方がいいよ。女の子は急に生理来ることもあるから、予定日でなくてもいつも最低2個くらいは持ち歩いているよ」
「あ、そうだよね」
「じゃナプキン買いに行こうよ」
「うん」
 
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それで母は夕食が終わった後、キュアルームに居るユキ・ツキ姉妹に声を掛けてから、瀬那を連れて車でドラッグストアまで行った。
 
車を駐車場に駐め、一緒に降りる。入口から入って、瀬那は右手に行き、3列目の棚の所にある生理用品コーナーに行った。
 
「どれがいいのかなあ」
と瀬那は悩むように言ったが、母はひとこと言った。
 
「あんた、全く迷いもせずにこの棚の所に来たね」
「え!?」
 

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(2020年)11月6日(金)、浜梨恵真はいつものようにセーラー服を着てH市のU中学に登校し、現国・化学・地理・音楽/体育・数学、という授業を受けた。
 
音楽の授業では1学期は男子制服を着てテノールで歌っていたのが、2学期になってからは女子制服を着てソプラノで歌うようになり、恵真は改めてこの“新しい生活”に喜びを感じた。体育でも他の女子と一緒にバスケットをしたが、自分が女子チームの中でプレイすることに充足感を感じていた。
 
昼休みと放課後は音楽室の近くにある物理教室で吹奏楽部の練習に出る。一応恵真は1月に歌手としてデビューする予定なので年内いっぱいで吹奏楽部は退部することになっており、同じフルート担当の愛絵・姫良からは
「寂しくなるなあ」
と言われていた。
 
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6時間目が15:00に終わり、教室の掃除をしてから15:30から17:30くらいまで部活に出た後下校。18:00くらいに帰宅して夕飯を作る。恵真は男の子だった頃から、平日の夕食は恵真が作ることが多かった。母の帰宅はだいたい19時頃だし、受験を控えている姉は忙しいし、元々あまり家事はしない人である。
 
11月7日(土)は、自室でフルートの練習をしたり、キーボード(CASIO SA-76 44鍵)を弾きながら発声練習をしたり、学校で習っている曲を歌ったりしていた(デビュー予定曲などは他人に聞かれると困るので自宅で歌ってはいけないと言われている)。練習する時は、窓をしっかり締め、厚手のカーテンもして演奏しているが、どうしても音は漏れるよなと思っていた。
 
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恵真が8月下旬から、女子制服を着て学校に行くようになったことについて、隣の家のおばちゃんなどは、
「エマちゃん、小学生の頃はよくスカート穿いてたもんね」
などと好意的に言ってくれたので、恵真も救われるような思いだった。
 
しかし結局学校には届けの類いは全く出していない!
 
従って、恵真は学校の名簿には「浜梨恵馬・男」と記載されているし、生徒手帳もそういう表示である。
 

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11月8日(日)は朝御飯を食べてから
「行ってきまーす」
と言って、いつものように“セッション”に出かけた。
 
既にデビュー曲については、10月10-11日に音源が完成している。土日2日間かけたので翌週は代休となり、10月18日には、吹奏楽の大会に出た(同じ大会に後にライバルと言われるようになるAeyo(緒方美鶴)が参加していたことを恵真は知らない)。
 
そして10月24日には、ホンダジェットに乗り日帰りで四国まで往復し、PVの撮影をしてきた、9月に写真撮影で能登と旭川に行った時はガルフストリームG450で、あれも小さな飛行機だなあと思ったが、今回のはあれよりもずっと小型で可愛かった。思わず「1個欲しい」と思いたくなるが値段は5億円らしいから多分一生掛けても買えない(と思っていた)。
 
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10月25日には3度目の生理が来た。10月29日(木)には下校時に偶然“仮名Mさん”と遭遇し、半ば唆されるようにして去勢手術を受け、恵真は正式に男子を廃業した。
 
10月31日には、1月にデビューする新人として雑誌のインタビューを受け(その前に高そう!な美容室で髪をセットしてもらった)、その後、デビュー曲の作曲家・琴沢幸穂さんに挨拶に行った。
 

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作曲家兼プロ女子バスケット選手ということでお忙しい方らしく、恵真は“仮名Aさん”と一緒に板橋区にある琴沢先生の個人バスケット練習場にお邪魔した。ここはあくまで作業場所らしく、御自宅は浦和らしい。
 
小さな家がまるごとバスケットのシュート練習場になっているので恵真はびっくりした。先生の居室は地下にあり、ワンルームマンションみたいに、バストイレがある他は10畳くらいの部屋になっている。(↓図面:再掲)
 

 
床はフローリングらしいが、防音のためカーペットが敷かれている。壁や天井も吸音板で覆われている。ここには、作曲用のワーキングデスクとその上に載った富士通のノートパソコン・それに繋がる49鍵キーボード(KORG TRITON taktile-49), 演奏用のクラビノーバ(Yamaha CVP-809) の他、ベース、フルート、ピッコロ、アルトフルート、ヴァイオリンなどが所狭しと置かれていた。
 
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「ここは2時間バスケしたら2時間作曲したりして、相互に気分転換になっていいんだよ」
などと先生はおっしゃっていた。
 
たくさんヒット曲を出しておられるので30代くらいの先生かと思っていたのだが、見た感じまだ24-25歳くらいだったので恵真は驚いた。それでバリバリ現役のバスケット選手ということなのだろう。バスケット選手としては日本代表チームにも入っていてスリーボイントが上手く、世界大会でスリーポイント女王になっていると“仮名Aさん”が言っていた。天は二物を与えるんだなあと、恵真は先生と話しながら思った。
 
先生は龍笛の名手ということで演奏を聴かせて頂いた。
 
凄い!と思った。
 
一発で琴沢先生のファンになった。
 
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「こんな凄い演奏を聴いたのは初めてです」
と恵真は言った、
 
「たぶん日本で五指に入る名手だと思う」
と仮名Aさんも言ったが、琴沢先生は
「妹の方がもっと凄い」
などとおっしゃる。
 

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「妹さんも龍笛を吹かれるんですか?」
「うん。君のデビュー曲『風の中のココ』の作曲者・桜蘭有好(おうらんあるす)だよ」
「わぁ、姉妹だったんですか!」
「アルスは富山県に住んでいるからね。その内東京に出て来た時に会わせるね」
「はい、お願いします」
 
(実を言うと『風の中のココ』の桜蘭有好も、『君に会いに来た』の星野輝希もどちらも青葉である。青葉は大宮万葉名義でアクアに楽曲を提供しているので、セシルには別名義で作品を書いた。2つ出来て、どちらがいいか迷ったので、“仮名Aさん”に選択を委ねたのである。『風の中のココ』は難曲なのでセシルに歌いこなせるか青葉も分からなかった。並みのアイドル歌手なら『君に会いに来た』の方が絶対いいが、セシルは『風の中のココ』をしっかり歌いこなした)
 
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「でも君、男の娘なんだって?」
「実はそうなんです」
「でも睾丸はもう無いでしょ?」
「はい。実は取っちゃいました」
と言って、恵真は“仮名Mさん”と一緒に行った病院のことを思い出しドキドキした。
 
「でもこの子、既に戸籍も女の子に訂正しちゃったのよ、折角可愛い男の娘として売りだそうと思っていたのに当てが外れた」
などと“仮名Aさん”は言っている。
 
「こんな可愛い子を男の娘として売り出しても誰も信じませんよ。でも戸籍も訂正したのなら、もう全部終わってるんだ?」
 
「はい、ほとんど女の子みたいなものだと思います」
と恵真も答える。
 
(恵真は自分に既にペニスが存在していないことに、未だに気付いていない!)
 
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「でも雨宮先生もいったいどこでこんな可愛い男の娘を見つけたんです?」
と琴沢先生は尋ねた。
 
“仮名Aさん”は
「新宿の街を歩いていた所を拉致して、女の子に改造しちゃったのよ」
などと言う。
 
しかし恵真はキョトンとした。
「雨宮先生?」
 
それで雨宮は気付いた。
「あんた、まさか今まで私が雨宮三森だと知らなかった?」
 
「うっそー!?そんな大先生だったんですか?」
と恵真は声を挙げた。
 
「まさか名前を名乗っていなかったんですか?」
と琴沢先生が雨宮先生に訊く。
 
「うん。私は“仮名A”、この子は“仮名E”ということでやってた」
と雨宮。
 
「だけど、この子のお母さんは、ワンティスの前身のワンバンがよく出ていたライブハウスに勤めていたのよ。古い知り合いでさ。だからお母さんから聞いているものとばかり思ってた」
 
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「ああ、その縁でスカウトしたんですか?」
「いや。偶然。契約の話をするのに会いに行ってびっくり」
 
「え?ワンバンってワンティスの前身なんですか?」
と恵真はまた驚いている。
 
「そのあたりお母さんから聞いてなかった?」
と雨宮が訊くが恵真は首を振っている。
 
「お母さんは、雨宮先生から聞いていると思っていたのかもね」
と琴沢先生は笑っている。
 
「まあワンバンのメンバーの私(Sax)と上島雷太(Pf)・高岡猛獅(Gt)の3人がプロデビューすることになって、知り合いのドグドグというバンドでやっていた水上信次(B)と三宅行来(Dr)を誘った。それにマニピュレーターとしてひとりでネットに作品を発表していた下川圭次を入れて6人でデビューした。サポートメンバーとして海原重観(Gt)と山根次郎(Tp)、コーラスとして長野夕香・支香の姉妹が加わっていたけどこの4人も後に正式メンバーになって10人編成のバンドになった」
 
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「へー」
 
「バンド名は、恵真のお母ちゃんが勤めていたお店が“ムー”という名前だったからさ、ムーからアトランティスを連想して、ワンバンとアトランティスの合成でワンティスにしたのよ」
 
「そうだったんですか」
 
「その名前が決まった経緯は、雨宮先生、上島さん、下川さん、三宅先生4人の見解が全部違いますね」
と琴沢先生は笑いながら言っている。
 
「まあ混乱していたからね」
と雨宮先生も言っている。
 
上島:「ワンバン」の名前でデビューするつもりが、ワンバンの残りのメンバーからクレームがあったため、少し変えることにし、イギリスのバンド・ティシホーンから少し借りて「ワンティス」とした。
 
(実際には不参加メンバーで後に自身もロック・ギタリストになった崎守英二は誰もクレームとかしてないと言っている:高岡が死亡した後、レコード会社は彼を勧誘して新たなギタリストにし、ワンティスの活動を継続させようとしたが、崎守はその話を断ったし、上島も今はたとえ英ちゃんといえども高岡以外のメンバーを入れる気持ちにはなれないと言った)
 
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下川:8文字がいいという話になり高岡がワンタン(Wang-Tang)と言ったが、夕香ちゃんが「それは酷い」と言って母音を変えワンティス(Wang-Tiss)にした。なお料理のワンタンは中国語ではHuntunであり、Wang-Tangは高岡の勝手綴り。
 
三宅:高岡が「ティッシュ1枚頂戴」と言ったら、雨宮がティッシュをわざわざ2枚に分離してその1枚を渡した。それでOne Tissue →ワンティスになった。OneではなくWangにしたのは「一より王。Only OneではなくNo.1になろう」と高岡が言ったから。
 
(ちなみにもうひとりのオリジナルメンバーである水上先生は「気がついたらそういう名前になっていた」と言っており、名前決定には関わっていないようである。レコード会社初代担当の太荷馬武は「事務所の社長が決めた」と言っていたので、彼も関わっていないようである)。
 
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「でも私、雨宮先生って女性作曲家と思っていた」
 
「まあ雨宮先生を見たら多くの人が女だと思うよね。外国に行く時、いつも入出国で揉めてるから、いっそ性転換手術して戸籍を変更しちゃえばいいのに」
と琴沢先生。
 
「性転換したら女の子抱けなくなるじゃん」
と雨宮先生。
 
しかしそういう訳で、恵真はやっと“仮名Aさん”の正体を知ったのであった!
 

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