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■春白(7)

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少し落ち着いたかなと思われた5月の連休明け、ケイと千里、コスモスの3人はこの上島先生の新居にお邪魔した。
 
「汚くて狭い所で済みません」
とアルトさんは恐縮していたが、
 
「いや、駆け出しの頃に戻った気分でまた意欲が湧いてくるよ」
と先生は言っていた。
 
LDKのダイニングテーブルでお茶(八女茶)とかるかん饅頭を頂いてから、そのLDKの隅にある2人乗りの小さなエレベータで2回に分けて地下に降りた。上島先生とケイ、千里とコスモスという順序である。
 
40坪(*1)の土地の地下に敷地面積の3割くらいに相当する約24畳の広い洋室があり、そこに見慣れたヤマハのグランドピアノ S6A が置かれている。
 
(*1) 15半間×10.5半間=157.5半畳=78.75畳=39.375坪/13.6m×9.5m=130m2
(*2) 6.5半間×7.5半間=48.75半畳=24.375畳/5.9m×6.8m=40.3m2
 
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「あれ?このピアノは?」
「山折大二郎君が返してくれたんだよ」
「へー」
「僕がというか実際にはモーリーがこの家を買ったと聞いて、だったらピアノを返さなければといって」
 
このピアノは国分寺の上島先生の旧邸に置かれていたものである。ワンティスがデビューした2001年に購入し、ワンティスの多くの曲を生み出した先生の愛用品である。先生が2018年春に破産した時、雨宮先生が管財人さんから買い取り、山折大二郎の家に「置かせて」と言って置いていったものである(つまり所有権は雨宮先生にある)。
 
上島先生はそのピアノでワンティスの『紫陽花の心』を演奏なさった。千里に視線で促されて、ケイが歌唱した(上島先生は、ピアノも上手いし歌も上手いが弾き語りが苦手である!)
 
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千里とコスモスが拍手する。
 
「お粗末でした」
「いえ、素敵な演奏でした」
 

ケイはふとある事に思い至り“千里に”尋ねた。
 
「ねぇ、このビアノ、どうやってここに入れたの?」
 
このピアノ(Yamaha S6A) は 154cm×212cm×102cm というサイズである。エレベータは2人しか乗らないサイズの65cm×65cmというサイズである。当然エレベータには入らない。この部屋には階段が無い。空堀りには非常用の階段があるが、幅は1m弱しかない。どうにも入らない気がする。
 
「分解して空堀りから降ろしたんだよ。グランドピアノって分解するとわりと小さくなるから」
と千里は答えた。
 
「ああ。ワンティスのライブでも余興で使用していたピアノを解体してまた組み立てたりしてみせたことあるよ」
と上島先生は言っていた。
 
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でも嘘くさい!
 

実際には、播磨工務店のメンツは、この家を隣の空き地に“よけておいて”、一晩で深さ5mの穴を掘り、鉄板を熔接して山留めし地下室のフレームを造ってから、コンクリートや石膏ボード・吸音板などを貼り付けて地下室を造り厚手のカーペットも敷いた。
 
そしてここでピアノを搬入した!!
 
ついでに本棚なとを作り込む部材も搬入している。
 
その上で天井を造り、家を戻した。
 
実はここまで27日の夜、一晩で作業している。
 
夜中に作業しているので「家を持ち上げて隣によけたり」「家をまた置いたり」という作業は誰にも見られていない。万一誰か見てもいつも見ていた家が隣に建っていたら異変に気付かない、
 
28日はヒーターと換気扇で接着剤の臭いを抜く作業をしながら、地下室班は本棚などを組み立て、トイレ・簡易キッチンの作り込みと配管などの作業をし、一方地上班は台所・納戸・居間の間を崩したり、表側の廊下を撤去したりの作業をする。28日夜の間にエレベータの設置、ボイラーの設置などをする。このあたりや電気関係は、ちゃんと日本の法律に基づく資格を取得しているメンバーが指揮して作業している。
 
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29日は引き続きヒーターと換気扇で接着剤の臭いを抜く作業をしながら、トイレの便器をウォシュレットに交換したり、キッチンのシンクやお風呂場の浴槽を新しいものに交換して給湯器と繋いだり、また居室の床を畳からフローリングに変更したりといった作業をした。最後に29日夜に庭にアスファルトを敷き、庭灯や周囲の街灯を立て、30日早朝にゴミなどを片付けて、千里に引き渡したのである。
 
彼らがさすがに疲れていた(多分3日間一睡もしてない)ので、ふすま紙を貼り替えたり、照明器具を交換したり、クッションフロアを敷いたり、お風呂場にもバスマットを置いたり、庭に駐車位置の目安となる白線を引いたりする程度の作業は千里が自分の眷属(とうちゃん・げんちゃん・りくちゃん・びゃくちゃん・すーちゃん・てんちゃん)に命じてやらせた。
 
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実は空堀りに階段をつけるのを忘れていて!、30日に雨宮先生に言われてから、慌てて30日夜の間に設置した。引越は(2020年)3月31日に行われた。
 

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なお、ワンティス時代から愛用していたピアノを上島に返してくれた御礼に春風アルトは山折大二郎に「私のお小遣いから」と言い、少し小型になるが、同じヤマハのGB1K (146cm×151cm×99cm) をプレゼントした。山折は感激して泣いていたらしい。
 
ちなみにアルトさんはこのピアノを99万9800円(税込109万9780円)で購入しているので、このプレゼントには贈与税は掛からない。
 
雨宮先生は
「雷ちゃん、いい弟子を持ったね」
と言っていた。
 
まあ確かに雨宮先生には、ほとんど信者に近いような弟子は存在しない。
 

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青葉は(2020年)10月17-18日、東京の辰巳国際水泳場で短水路の日本選手権に出た後、翌週10月24日には、金沢市近郊のL温泉に“幽霊時計”の取材に行っていて、“熊のお化け”および“本物のヒグマ”に遭遇するという事件に遭う。
 
幸いにも“熊のお化け”は青葉により退治され、“本物のヒグマ”は危うく襲われる所だったものの《姫様》の通報で駆け付けてくれた千里姉のお陰で捕獲することができた。
 
青葉はそういったイベント以外では毎日津幡のプライベート・プールで泳いでいたのだが、11月7-8日には、第3日本社会人選手権水泳競技大会が、和歌山市の秋葉山公園県民水泳場で行われるので、これに参加した。
 
津幡グループから参加するのは、高校生の竹下リルを除く4人(青葉・ジャネ・筒石・南野)と、〒〒スイミングクラブ“部長”(本当は社長)の皆山幸花である。
 
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またホンダジェットを派遣してもらったので(§§ミュージックとしてはアクアのメインライターである青葉が万が一にもコロナに感染したら困る)、能登空港から関西空港へ運んでもらい(ビジネスジェット専用ターミナル“玉響”(たまゆら)を使用する)、そこからレンタカーのエスティマ・ハイブリッドを幸花が運転して会場に入った。関空から会場までは1時間弱で到着した。
 
「でも玉響(たまゆら)といったら、写真によく写る“あれ”よね?」
「あれは普通に写真に写るものと思っていたから、それ心霊写真ではとか言われて、え〜!?と思いましたよ」
 
などとジャネと青葉が言い合っているのを幸花は聞こえないふりをしていた。確かに青葉と一緒にいると、わりとよく玉響(オーブ)が自分で撮った写真にも写ることがある。それまでは見たこともなかったのに。
 
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(筆者も玉響の写っている写真は多数持っていますが、見て気味悪く思う人もあるかも知れないので、ここに掲載するのは控えます。でもあれは決して悪い性質のものではないと思います)
 

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今回の大会も前回の短水路日本選手権と同様、青葉は女子800m自由形と、400m IM(個人メドレー)に出場する。
 
スケジュールは短水路日本選手権と同様に、この2つの競技はいづれも1日目に行われる。午前中10:37に400m IM予選、お昼すぎ14:00に 800m(タイム決勝)があって、15:13に 400m IMの決勝がある。
 
全て全力で泳ぐのは無理なので、400m IM予選は、決勝に進出できる程度の少し手抜きの泳ぎをし、800mを泳いだ後は仮眠して400m IM決勝に出た。
 
それにしても800mを泳いだ1時間後に400m IMというのは仮眠はしても体力が回復しておらず、疲労感の残る中での決勝だったが、何とか精神力で泳ぎ切った。
 
結果はどちらも優勝で2つの金メダルをもらった。
 
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800mはジャネが僅差の2位である。短水路選手権ではジャネが1位で青葉が僅差の2位だったので、しっかりリベンジした。3位は南野さんである。
 
400m個人メドレーは2位が南野さん、3位は彼女のライバル・ 永井さんであった。短水路日本選手権でメダルに届かなかった彼女が今回は銅メダルを手にしたものの「今回リルちゃん来てないしなあ」とやや不満そうだった。
 

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帰りも8日の夕方、関空から能登空港までホンダジェットで送ってもらった。
 
但し、関空から能登空港まで飛んだ後、筒石・ジャネ・南野はそこで降りるが、青葉はそのまま羽田まで運んでもらった。
 
そして11/09-13の5日間は、ラピスラズリ・ケイと一緒に『作曲家アルバム』の作曲家さんの取材をした。
 
これまでの作曲家アルバム(取材日/放送日)↓
1.21/4.05 東堂千一夜
1.22/4.19 東城一星
1.31/5.10 木ノ下大吉
2.02/5.24 東郷誠一
2.08/6.07 山本大左
2.09/6.21 すずくりこ
3.14/7.05 松居夜詩子
6.05/7.19 海野博晃
6.06/8.02 後藤正俊
6.07/8.23 田中晶星
8.01/9.06 山上御倉
8.02/9.20 吉住尚人
8.03/10.04 吉野鉄心
8.04/10.18 関沢鶴人
10.03/11.01 八住純
10.04/11.15 蔵田孝治
 
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今回の訪問先は、上島雷太!、雨宮三森!!、そして水上信次、三宅行来、海原重観とワンティスの5人である。いつもは中学生のラピスラズリが動ける週末に取材していたのだが、年末が近づいて来て、ラピスラズリが多忙なので、毎日放課後に各先生を訪問することになった。これで2月7日放送分までを確保できることになる。
 
しかし水上先生と三宅先生はいいとして、他の3人は大変そう!と青葉もケイも思ったのであった。
 

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さて、『作曲家アルバム』で上島先生のお宅を訪問するに当たって、実は1月の時点で少し議論があった。
 
「さすがに2DKのアパートは映せないと思うのですが」
「20歳前後の駆け出しの作曲家ならあり得るけどね」
「どこかホテルか何かででもインタビューする?」
「いや、作曲家さんの創作環境を見てもらうのが番組の趣旨だし」
 
などと言っていたのだが、本人が一戸建てに引っ越すことになり、番組制作班は正直、助かった!と思った。
 
3月末に上島雷太の引っ越しの話をコスモスから聞いたケイは、〒〒テレビの制作に協力している◇◇テレビのスタッフと一緒に現地に行き、上島が1年間住んでいたアパートを本当に撮影させてもらう。美音良ちゃんが寝ている傍で、ヘッドホンをつないだポータブルキーボードを弾きながら五線紙に音符を記入していく上島を撮影したりした。更には引越業者さんが2DKの荷物を運び出し、とても小さな“大古住宅”に運び込む所まで撮影させてもらっておいた。
 
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そして11月に今回の訪問となったのである。
 

いつもの撮影のように、ケイ・青葉・ラピスラズリの4人、および〒〒テレビのカメラマン・ディレクター(青葉と一緒に能登空港からホンダジェットで飛んできた)と水戸市に向かう。
 
その付近一帯空き地だらけ(というより周囲に全く家が無い)なので、適当に車を駐めて降りる。
 
青葉は明らかに千里姉の手で強い結界が張られているのを感じ取った。
 
しかしラピスラズリの2人は困惑している。とても“大作曲家”の御自宅には見えないのである。通りがかりに見たらきっと廃屋と思うだろう。
 
青葉がピンポンを鳴らすと、春風アルトさんが出てくる。ラピスラズリの2人も、
 
「お早うございます、社長」
と、笑顔で挨拶する。
 
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「今日は私は非番だから、ただの主婦で」
などと言って、一行を家の中に案内する。
 
「ここは3DKくらいですか?」
と町田朱美が尋ねた。
 
「2LDKだね。敷地が40坪、建坪は21坪かな。
とケイは答えた。
 
玄関入ってすぐの所のLDKの中を通り抜け、エレベータに行く。
 
「凄い。エレベータがある」
「実はこのボロ家の下に地下30階の大邸宅があるのよ」
「ほんとですか?」
と東雲はるこが驚いたように尋ねる。
 
「まあジョークだけどね」
「本当だったら、秘密基地みたいで面白いですね」
と町田朱美。
 
「中で改造人間造ってたりしてね」
とケイ。
 
「男の娘を女の子に改造してたりして」
「そういう秘密工場を造ろうと言っていた人がいましたけど」
「ああ、だいたい誰かは想像がつく」
 
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