広告:まりあ†ほりっく 第2巻 [DVD]
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■春白(6)

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「周りに何も無いわね」
「ここは昭和の頃に開発されたのですが、バス路線も無く、不便なので引越して行く人が多くて、実は東日本大震災で大半の家が崩れてしまいまして」
 
「でもこの家は残ったんだ?」
「そうです。運が良かったのでしょう」
「そういう運のいい家って好きだわあ」
と雨宮先生が言ったが。千里も同意であった。
 
「ひとつには、途中で改築されていまして、改築された部分が地震に強い2×4(ツーバイフォー)だったからかも知れません」
 
「なるほど改築された部分が元からの部分も支えてくれたんだ?元の部分は木造軸組構法?」
 
と雨宮先生が訊く。専門用語がスラリと出たので、不動産屋さんは、この人はできるなと思ったようである。
 
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「はい、その通りです」
「戦後、たくさん家を再建しないといけないのに材木が足りなかったから、細い材木で無理矢理造ったお家ね。だいたいローンが終わるまでには崩れるなんて言われた造り」
 
「まあそういう説も聞きますね」
とさすがに業界の人は歯切れが悪い。
 
木造軸組構法というのは戦後まさしく大量の住宅需要をまかなうために生まれた手法で通常“在来工法”と呼ばれる。元々の日本の家の作り方“伝統工法”を簡易化したもので、使用する材木も細いし、その弱さを補うために土台に直付けするし、斜めに渡した木材(筋違い)を使ったりしている。土台に固定された家は地震の揺れがまともに伝わるし、筋違いの木材は家が歪むとすぐ破壊されるので、地震にとても弱い。更に釘を多用するのでそこから腐りやすいし、温度変化による木材の伸縮に耐えられない。
 
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これが“伝統工法”なら、土台の上に“置く”だけで固定しないので地震の揺れが家に伝わりにくいし、筋違いの無い柱と梁・貫のフレームは揺れに応じて平行四辺形のように動くだけで壊れたりはしない:柳に枝折れ無しの原理。また釘を使わないので木材が温度や湿度で伸縮しても平気である。土壁も自ら崩れることで揺れのエネルギーを吸収する。(崩れた土壁は再度水で練って塗り直しができる)“伝統工法”は高音多湿かつ地震の多い日本で育てられたきた建築法なのである。
 
一方、戦後間もない頃から昭和40年代頃までの“在来工法”の家は、概して技術の低い大工さんにより造られていることも多い(2×4は工務店の技術の優劣が出にくい)。地震に弱すぎるので現在はこの手法での住宅新築は禁止されており、2×4の手法を取り入れた新しい造り方に移行している。阪神大震災の時も崩れた家の大半が“在来工法”で、2×4の家や、古い“伝統工法”で造られた寺社などの類いは多くが耐え抜いたと言われた。
 
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「でもさすがに家がぼろっちいわね。今にも崩れそう」
 
「築60年ですから。長くお住まいになるのでしたら、建て替えなさった方がいいですよ。ヘーベルハウスとかでしたら3〜4ヶ月で建ちますよ」
 
「まあそれはぼちぼち考えるわ。急に必要になってね」
「はい。もし工務店とかのご紹介が必要でしたら、お申し付け下さい」
 
などと言いながら中を見てまわる。
 
「襖の立て付けが悪いのは愛嬌ね」
「家のフレームが曲がっていますので」
 
「じゃこれ買う」
「ありがとうございます」
「200万円だったっけ?」
「520万円ですけど」
「あら。150万円くらいにまからない?」
「無理です」
 
しかしそこから雨宮先生は(店に戻って支店長さんまで引っぱり出して)450万円まで値切ったのである。支店長さんが「値引きのこと、人に言ったりSNSに書いたりしないてでくださいね」と言っていた。
 
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でも雨宮先生はその場で450万円キャッシュで払い(実は2000万円の現金を用意していた)、その場で鍵を受け取った。本人確認用に住民票や印鑑証明なども用意していた。
 

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それで改めて雨宮先生の“アクアのアクア”で現地まで行く。
 
「千里、今更だけど、この家、怪しい所とか無い?」
「ありましたけど処理しましたから大丈夫です」
「ならいいか。まあヤバかったら、あんたが止めるだろうと思ったし」
「私でできる範囲でしたから」
 
2人は再度家の中に入る。
 
(図面再掲)

 
この家は昭和30年代に流行した“廊下で結んで部屋の独立性を高める”という欧米の住宅思想を取り入れた造りになっている。廊下で区切られた結果、部屋の大半(↑の図で左端の後で増築された部屋以外)が窓に面していないので、現在の規準では居室にはカウントできず、1K4Sという凄い間取りになる。しかし事実上3K2Sである。
 
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なお西側(図面では上)のトイレ前の廊下の左右に扉があるのは、元々この家の南側(図面では左)の部屋(実は現在の規準では唯一の居室!)は他人に貸していて、トイレはオーナー一家と共用していたからである。不動産屋さんの話では当時はこの南側の部屋に隣接して小さなキッチンもあったが、その後取り壊したらしい(当時の床のコンクリート床面のみ庭に残存)。
 
雨宮先生と千里は再度家の中を見てまわっていた。
 
「でもこんなに狭い台所はさすがにアルトちゃんが可哀想だわ。千里さぁ、この台所と隣接する納戸、それに居間と思われるこの部屋の間の壁を崩して、ひとつのLDKに変更しない?」
 
「ああ。3つ合わせたらギリギリLDKくらいにはなりそうですね」
(実際10.5畳になった。10畳からLDKを名乗ることができる。)
 
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「それと大事なのが防音だと思うのよ。ここは居間だから、残りの2つの内、どちらでもいいから防音工事しようよ」
 
「そうすれば、上島さんがピアノ弾いてても、美音良ちゃんがびっくりして泣いたりしないでしょうね」
と千里。
 
「普通は赤ちゃんが泣いてても作曲に集中できる、とか考えない?」
「普通じゃないので。それにそれは防音じゅなくてむしろ遮音ですよ」
 
「細かいことにツッコんでくるし」
「先生の教育がいいので。先生はどう思ったんです?」
「不覚にもあんたと同じだわ」
 

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「じゃそれやっといてくれない?3日以内に」
と雨宮先生は言った。
 
「私がするんですか?」
「業者に頼んでいいわよ」
「費用は?」
「奮発して100万円出すから」
「先生にしては上等ですね」
「上島は3月中に今のアパートを出ないといけないのよ。契約が切れるから」
「まあ何とかさせましょう」
「よろしくね」
 

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それでいったん帰ろうとして、雨宮先生のアクアに乗り込もうとした時、千里は言った。
 
「ここ本当に小型乗用車2台駐まります?」
「1台はそこの奥まで入れればいいんじゃない?」
「それ絶対左右どちらかぶつけますよ。ぶつけなくてもドアを開けられなくて降りれられない」
「ハッチバック車なら後のドアから降りられるかもね」
「なかなか大変ですね」
「だったら駐められるように出っ張りを削ってよ」
「分かりました」
「まあ性転換手術よりは簡単でしょ」
「先生も出っ張りを削りますか?」
「それは困る」
 

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それで千里は播磨工務店の白組を呼び、台所をLDKに改造するとともに“防音工事”を施してくれと言った。更に庭を少し広げてくれるように言う。
 
白組のリーダー・白田は千里に言った。
 
「こんなボロ家、どう強化したって、エレキギター鳴らしただけで崩れちゃいますよ。いっそ建て直しません?だいたいこの家の部屋に防音加工したらその防音材料の重みにこの家が耐えられません」
 
防音は吸音板のグラスウール(やロックウール)の力も大きいが、重い建材で揺れのエネルギーを吸収する仕組みが基本である。だから軽量鉄骨の家は防音性が悪い。
 
「私も建て替えを勧めたいけど3日じゃ建て直せないし、まあ何とかしてよ。手段は問わないから」
 
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それで播磨工務店・白組はこの住宅に地下室を作ってしまい、そこに吸音板を壁・床・天井に貼って、防音演奏室にしてしまったのである。実際それ以外の方法は無かったと思う。工事が完了したのは3月30日の朝であった。
 
↓がその改造後の1階の状態(1K4S→2LDK1S)である。

 
(上島雷太は1978年生男性で本命卦は巽、春風アルトは1986年生女性で本命卦は坎。いづれも東四命なので、吉方位はふたりとも南・南東・東・北である)
 
●改造のポイント
 
・地下室を造り、行き来するためのエレベータを設置した(階段を設置できる場所が“1階”に無かったため)
 
・台所・納戸・居間を合体させてLDKに改造。
 
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・脱衣室が無かったのを設置(洗面台付き)。
 
・表側の廊下を撤去して、庭を広げた。結果的に真ん中の部屋はサービスルームから居室に昇格した!
 
平屋建てなので“2階”のことを気にせず、建物を削ったり伸ばしたりすることが簡単にできた。また内装も少し変えている。
 
・真ん中の部屋・左側(南側)の部屋は畳敷きだったのをフローリングにしてクッション・フロアを敷いた。カーペットより掃除しやすい。
 
・風呂の浴槽はタイル貼りで作り付けの狭く深いものでシャワーも無かったのをホーロー製の広く浅めのものに交換。足を伸ばして入浴できるようにし、シャワーも取り付けた。元々石炭!で焚く方式だったが、給湯機方式(灯油)に変更した(浴室内に設置するタイプのガス窯は中毒が怖いので:上島は曲の構想を考えながら入浴していると異常に気付かない可能性がある)指定水量で自動的に停止するシステムを入れている。追い焚きは電気で可能だが、42度以上には浴槽内の水温が上がらないように制御が入る。
 
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・トイレはウォシュレット付きの洋式便座に変更した(下水には既につながっていた)。
 
地下室の防音壁は、コンクリート板・ヘーベル・空気層・吸音板で構成し厚さ50cm近くある。壁のみでなく床・天井にも吸音板を貼っている。床には更に厚いカーペットを敷いた。空堀りとの出入りは気密ドアである。換気は換気扇による強制換気である。
 
地下室の空堀りは東側(図下部)の庭の端に開口しており、地面の開口部にはグレーチングを敷いているのでその上に車を駐めることができる(駐める時に音で左右位置が分かりやすい)。このグレーチングは千里が姫路に建てた家などと同様、下からは簡単に開くが、外から内側に侵入するにはワイヤーを切断する必要がある(消防ならできるはず)。
 
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これだけの改造を3日でしてしまうのが、さすが播磨工務店の仕事だが、雨宮先生もこの“大改造”には驚いたようであった。雨宮先生は100万と言っていたのに300万も払ってくれた。
 
アパートからの引越は3月31日に雨宮先生が手配した引越業者にやらせた。
 
それで、あけぼのテレビの社長に就任した春風アルトさんは、この水戸の“小さなおうち”から美音良ちゃんをルーミーのチャイルドシートに載せて出勤してくることになったのである(実際には水戸市在住の元タクシー・ドライバーの女性をアルト専任の運転手としてコスモスが雇った)。
 

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