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■春転(27)
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それで数紀はその日、海老原さんに連れられて区内の産婦人科に行き、精子の採取を行った。最初女子と思われたのは愛嬌である。射精は帯広の病院と同様、ローターを使用して射精に到達させた。数紀本人としてはあまり気持ち良くなかったし、射精の瞬間は凄い頭痛がきて辛かったし、ちんちんも痛くて痛みが翌日くらいまであった。あまり何度もやりたくない気分だった。
「君、いつ頃からオナニーしてない?」
と医師は尋ねた。
「小さい頃は、自分でちんちんいじってたりしてましたけど、小学3-4年生の頃以降はもうそういうことしなくなりました」
「なるほどね。じゃオナニーして射精するというのは、あまりしたことない?」
「それは一度も経験無かったです」
「なるほど分かりました」
数紀はこのことは過去に、中学の保健室の先生(女性)に、男性的発達が遅いのではと心配されて話したことがあるだけである。先生は男性ホルモンの補充を勧め、病院に掛かったほうがいいと言ったが、数紀はこれ以上声変わりを進行させたくなかったので拒否した。それで逆に数紀が女性ホルモンを飲んでいるのではと疑ったようだった。
しかし今日のお医者さんはオナニー問題についても数紀の男性的発達についても特に意見は言わない。それで数紀はかえって気持ちが楽だった。(数紀がスカートを穿いていたので、女の子になりたいのだろうと判断し、男性ホルモンの補充を勧めなかった、というのに数紀は気付いていない)
医師は顕微鏡で精液をチェックしていたが、濃度が薄いので濃縮して冷凍しましょうと言っていた。次の採取は1ヶ月あけてから行うことにした。まあ後1回だけなら痛いのも我慢するかと数紀は思った。
「これ2回採取したら睾丸は除去するということじゃないですよね」
と帰り際、海老原さんに尋ねる。
「まさか。でも自分で勝手に取っちゃう子が時々いるからさ。念のため精子を保存しておくのよ。将来子供が欲しくなった場合にそれで作れるようにね」
「なるほどー」
数日後、国民健康保険の保険証が届いた。受け取ってくれていたフロントのユキさんから「名前や生年月日に誤りがないか確認して、もし間違ってたらすぐ区役所に連絡した方がいいよ」と言った。
それで数紀はハサミを借りて開封し、中の保険証を見た。
氏名 柴田数紀
生年月日 平成17年5月20日 性別女
適用開始年月日 令和3年6月25日
交付年月日 令和3年6月25日
世帯主氏名 柴田数紀
「あ、問題無いみたいです」
と数紀は答えて、運転免許証を入れているパスケースに一緒に入れた。
ユキは本人が「問題無い」と言っているんだから、いいんだろうなと思い、特に何も言わなかった。
それは本当に舞音人気に冷水をあびせる事件だった。
騒ぎは常滑真音の写真集が発売されてから半月近く経った7月6日頃からネットで拡散し始めた。震源は写真投稿サイトだが、オリジナルの投稿者のアカウントは翌々日くらいには閉鎖された。
その写真は舞音が着替えている最中を隠し撮りしたかのようなヌード写真で、パンティは着けているものの、バストがきれいに映っている。顔は舞音に見える。
この写真の真贋について、ネットではかなり議論が沸き起こった。まず明確になったのは、この写真には加工の跡は無いというものである。コントラスト調整・明度調整はされているが、つぎはぎなどの跡は見られない。しかしこれが本人なのか似た人物なのかについては意見が分かれた。別人だとしてもかなり似ている。バストの発達度を見て高校生くらいの年齢の女性であることは間違い無いのだが、問題は本人なのかという点である。
コスモスは7月7日あたりから多数の企業からの問い合わせ応対で忙殺された。舞音が出演しているCMの会社からの「あれは本人のヌードか?」という問合せである。コスモスは明言した。
「あれは別人ヌードですよ、明らかに舞音とは違います。ですからCMは安心して流してください。万一あれが本物で、その結果イメージダウンなどで損害が出たら、そちらの損害額は全部お支払いした上で、私、腹を切りますから」
コスモスが自信ありげに語るので、各企業は不安を感じながらもCMを流し続けた。コスモスは損害が出たら全額補償すると言ったが、コスモスのバックにはムーランが付いていると考えている企業が多いので、本当に補償してくれるかもと思う。更にこちらが重要だが、ここで万一CM放送を中断した後で別人と判明したりしたら、舞音のファンたちから不買運動でも起こされかねず、そちらの損害の方が大きい。また各企業は舞音のCMを流してる他社の様子も伺っていた。CMを中断する企業が1社も無いことから「みんなで流せば恐くない」の心理で、各企業は放送を続けたのである。
しかし多くの企業に「あれは別人です」と言い続けているコスモスも一抹の不安を感じ、また何か疑いを晴らす方法は無いかと必死に考えた。山村を呼んで、オリジナルの写真を投稿した主を「ありとあらゆる手段を使って」突き止めるよう命じたか、さすがの彼もすぐには特定できないようである。
そこにアクアがやってきて言ったのである。
「社長。舞音ちゃんのヌードを撮影しましょう」
「え〜〜〜!?」
舞音本人はこの騒ぎが始まって以来、さすがにショックで、7月7-9日の3日間は学校も休んでいる。仕事も休ませてもらった。仲の良い姫路スピカや安原祥子・花咲ロンド、更には男子寮から木下宏紀まで来て、代わる代わる舞音の部屋に滞在し、おしゃべりして気を紛らせ、また舞音から絶対に目を離さないようにしていた。夕方以降は、水谷姉妹や篠原君、白鳥リズムなども来てくれた。忙しいはずのアクアまで「ちょっと寄った」と言って、お土産にベルギー産のチョコレートを置いていってくれた。
そこにコスモスから連絡が入るのである。
「舞音ちゃんのヌードを撮影したいんだけど」
「え〜〜〜〜!?」
コスモスが説明したのはこういうことである。
・この写真は絶対に舞音のヌードではない。だからそれを証明する。
・どんなに顔が似ていても、身体のパーツの比率まで完全に同じという人間は存在しない。だから、舞音自身のヌード写真を撮影し、それとネットに出回っている写真との比較を行う。身体のパーツの長さや配置の比率を計算して、それが本物の舞音のヌードとは異なることを示せば、これが偽物であることを証明できる。
・不正な操作が行われないよう。写真の撮影および、その比較作業は公正な第三者に委ねる。
「分かりました。そういう趣旨なら私のヌードを撮るのは構いません」
と舞音は答えた。
写真撮影は、これまで多くのタレント写真を撮影している高居由紀さんにお願いすることになった。写真の比較作業をするのは、東京R大学の写真芸術科教授・三雲忠之さんにお願いすることにした。
それで舞音は高居さんのスタジオに行き、コスモスおよび、第三者の立会人としてお願いした、作家の日室響子さんが見守る中、撮影に応じたのである。手順はこうである。
・カメラにメモリーカードが入っていないことを確認する。
・新品のSDカード(Amazonの通販で送られてきたものをその場で箱から開封する)をカメラにセットする。
・そのカメラで舞音のヌードを撮影する。
・そのSDカードをその場でパソコンで開き、判定者にチェックしてもらう
という手順で進める。この舞音自身が替え玉でないことを証明するため、
・舞音の中学時代の同級生を呼び少し話してもらう
・舞音にこの場で『招きマネキン』の歌を歌わせる。
・歌声についてホルマント分析をして、CDでリリースされている声の人物であることを確認する
という厳重なことをしている。
判定作業をする三雲教授は男性なので、撮影が終わり、舞音が服を着た後でこの部屋に入る。
これらの過程はΛΛテレビが取材することになった。番組ではこの検証方法について説明した上で、経過を詳細にレポートする。
7月10日(土).
舞音がスタジオに入り、昔の友だち(顔は映さない)とおしゃべりして
「間違い無く本人です」
という証言がある。
この2人は中学時代にクラス委員をしていた子と生活委員をしていた子である。“証言する”という性質上、謝礼は渡せないことを理解してもらった上で常滑市から出て来てもらっている(テレビ局の車で往復してもらった)。
この後、舞音が歌を歌う(生歌を放送する)。
音響技術者さんの手で音声の分析が行われ
「間違い無く同じ人の声ですね」
という判定が出る。
SDカードの箱を開け、これにテレビ局のアナウンサーがマジックで署名した。
友人や音響技術者さんは退席し、コスモス・日室響子・高居由紀の3人だけになり、舞音は服を脱いだ。ここはテレビ局のスタッフも退出し、廊下で待機する。
舞音は確認作業のためとはいえ、本当に裸になってカメラの前に立つのは恥ずかしかったが、気合を入れて頑張った。高居さんはジョークを交えて舞音をリラックスさせ撮影してくれた。
「舞音ちゃん、可愛い!運動するだけあって身体も引き締まってて美しいし。ね、ね、18歳になったら、私にヌード写真集撮影させてくれない?」
「利益供与の約束をすると公正な第三者にならないからダメです」
「あんた頭の回転速いね!」
舞音が服を着て、三雲教授が入室する。テレビ局のスタッフも入ってくる。
カメラから三雲さんがSDカードを取り出してアナウンサーの署名があることを確認する。それをパソコンで直接開いて、教授は様々な部分の寸法を測定しているようであった。その操作の様子はテレビ局の女性アナウンサーのみが見ている。つまり舞音のヌード写真を見たのはこの2人だけである。テレビカメラはパソコンの画面は映さず、モニターの向こう側から、三雲さんの顔を映し続ける。
「ネットに拡散していた写真と完全に同じアングルで撮影されている。これは比較しやすいです」
と三雲さん。
「そりゃ同じアングルになるように撮影しましたから」
と高居さん。
「さすがプロですね」
とテレビ局のアナウンサー。
「明らかに別人です」
と三雲教授は言った。
(1)最も明確なのが、乳輪の大きさである。これがまるで違う。
(2)プライバシーに配慮して数値は出さないがバストの形も大きさもまるで違う。
(3)写真から体脂肪率をソフトにより計算させた所、舞音ちゃんはよく運動しているだけあり、引き締まった身体付きをしており、体脂肪率がスポーツ選手並みの18%程度であるのに対し、ヌード写真の主は30%ほどと大きく異なる。
(4) 顔および身体のあちこちのパーツの比率を比較した所全く異なっており、同一人物である可能性は0%である。また写真の女性は恐らく18-20歳程度と推定される。
(5)バストの特徴およびお腹の付近の脂肪の付き方から、写真の女性は妊娠中だと思う。
舞音もコスモスも別人の写真と信じてはいたものの、この判定結果にホッとした。
「舞音さん今のお気持ちを」
とテレビ局の女性アナウンサーがマイクを向ける。
「ほんとにこの3日間くらいはしんどかったです。でも疑いは晴れたので、また元気いっぱいの舞音をみなさんにお見せしたいと思います」
と舞音はさすがに疲れを隠せない表情で言った。
「将来本当にヌード写真を撮るおつもりは?(セクハラ)」
「私のヌード写真より、招き猫ちゃんのヌード写真のほうがきっと可愛いです」
と舞音も笑顔になって言った。
なお、舞音のヌードを撮影したSDカードはその場でゼロライト法により完全消去した上で、舞音本人に渡された。
並みのタレントなら即廃棄する所だが、舞音は物事にこだわらない性格なのでこのSDカードをファンの方から誕生日プレゼントに頂いた Lumixのミラーレスカメラに差して使用していた。
視聴者もネットの住人たちも、テレビで放送された検証方法については適正であると判断した。それでネットで広まっていたヌード写真は24時間以内に全て消えてしまった。残しておくと、自身が訴えられかねないので、転載した人がみんな自主的に消去したのである。
しかしこの“ヌード流出事件”が結果的には宣伝にもなって、舞音の写真集は売れに売れ、そのあと発売されたアクアの写真集とならんで長期間、書籍売上げの1,2位を独占し続けることになる。
また、7/7頃唐突に売れ行きが止まっていた『マネキューレの騎行』も7/10に検証番組が生放送された後は舞音に対する同情が集まったこともあり、また売れ始め、7/10-11の2日間だけで60万枚を売って、7/12発表の累計売上枚数が100万枚を超えミリオン認定。5枚目のミリオンとなる。この曲は更に売れ続けて、7/19発表の統計では160万枚と、これまでの舞音のシングル最高売上枚数を更新した。
更には、騒動の期間中も舞音のCMを流してくれていた企業に「舞音を応援してくれた御礼をしよう」という運動をファンたちが始め、ブルボンの“一週間のクッキー”をはじめ、プレルージュ、液体蚊取り、ミズノのシューズ、舞音がCMしていたボールペン、寝具、問題集などまで売上が上昇することになり、各企業の広報担当は、CMを流し続けて良かったぁ!と胸をなで下ろしたのであった。
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