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■春転(22)
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2021年6月21日(月).
理史は仕事が夕方で終わった後、自分のCR-Zに乗り、八王子に向かった。龍虎から改めて話したいことがあると言われたので、彼女の新しい家に向かったのである。
門のリモコンや家の鍵は元の家のものをそのまま持って行ったからと言われていたので、門の前でリモコンのボタンを押すと門が開く。ガレージは全て扉が開いている。ポルシェと、2台の“アクアのアクア”が駐まっている。つまり、アクア・マクラの双方が来ているということなのだろう。
1台空いている所に自分の車を駐めた。
屋根付き通路を通り、玄関でピンポンを押すと、ドアが開くが、
「鍵持ってるんだから、自分で開ければいいのに」
と言って、マクラが理史に抱きついてキスした。
マクラは赤いブラウスとチェックのスカートを穿いている。可愛い!と思う。
ピンポンの直後にドアが開いたので、エンジン音が聞こえた時点でここまで来て待っていたのだろう。
彼女が理史を案内して、LDKではなく、アコーディオンカーテンで仕切られた向こう側の“ラウンジ”まで連れて行かれる。
もうひとりのアクアがソファに座っている。
スカートを穿いている!
でもアクアがスカートを穿いているのは今更だ。マクラは赤と緑のチェックのスカート、アクアは青系統のチェックのスカートである。
彼は理史を見て
「お帰り、サトシちゃん」
と言った。
「“お帰り”なんだ?」
「ここはもうサトシちゃんのおうちでもあるから、自由に使ってね」
「自分の荷物持ち込んでもいいよ。一番奥の部屋がボクの部屋だから、サトシの荷物はそこに置いてね」
とマクラが言う。
しかし“同じ顔”“同じ声”で話されると何だか変な気分になる。今はアクアが青い服に青系統のスカート、マクラが赤い服に赤系統のスカートを着ているから区別がつくけど、服を交換されたりしたら、2人を見分ける自信が無い。
男アクアもブラジャーつけてるし!
「隠れ家に使わせてもらうかも」
と理史は答える。
「まあボクたちも隠れ家的に使っているしね」
とアクアは言った。
「でも忙しいのによく2人とも休めたね」
「先週『白鳥の湖』を突然踊ったので今日は1日特別休暇をもらったから」
「特別休暇3日あげると言われたのに1日だけで誤魔化された」
理史は吹き出しそうになった。さすがに彼女たちは3日も休ませてもらえないだろう。
「結局君たちは双子なのか?」
と理史は尋ねた。
「そのあたりの事情を説明する前に、ボクの両親のことを話さなければならない」
とアクアは言った。
マクラがペーパーフィルターでコーヒーを入れてくれる。コーヒーカップはマイセンと見た。コーヒーはブルーマウンテンだが普通のブルーマウンテンとは風味が少し違う気がした(実は普通のジャマイカ産ではなくニューギニア産ブルーマウンテン。主としてヨーロッパに出荷されており、日本ではレア)。理史は1口飲んで味わった上で、スティックシュガーとピッチャーに入っているミルクを入れて飲んだ。
マクラはクッキーの入ったお菓子入れも出したので摘まむ。お菓子入れは深川製磁と見た。お菓子はブランドは分からないがフランスっぽい味付けだという気がした。こないだフォションのクッキー喜んでいたし、龍はフランス系の味が好きなのかなと思う。
「まあ長い話になるんだけどね」
と言ってアクアは話し始めた。
・ボクは、ワンティスのメンバー、高岡猛獅と長野夕香の間の子供である。2人が法的に婚姻していなかったので、長野の苗字を名乗ることになった。それどころか、理由は不明だが、両親はボクの出生届けも出していなかった。
・両親はボクを友人のスタジオミュージシャン、志水英世・照絵夫妻に預けていた。
・2003年12月27日早朝、両親は中央高速で事故を起こし即死した。志水夫妻は今後のボクの扱いについて遺族と相談しようと葬儀の席にボクを連れて行ったが事務所の社長に追い払われてしまった。志水夫妻は自分たちでボクを育てようと決意した。
・2006年夏、幼稚園の年中さんだったボクは原因不明の病気で倒れ、それから2年ほど入退院を繰り返す。ボクに戸籍が無く健康保険にも入れないため医療費が凄まじくかかり、経済的にも大変だった。
・2007年7月、志水英世が事故死する。夫を失い収入も激減した中で原因不明の病気の子供を抱えて、照絵は途方に暮れた。しかも保険が使えないので高額の医療費がかかる。照絵はミュージシャン時代のコネを辿って、ボクの母の妹・長野支香に接触し、泣きついた。長野支香は照絵の話を信じてくれた。
・支香さん1人では手に余るので、支香さんは上島雷太に相談した。上島さんは驚いたものの、取り敢えず病院代は全部自分が出すと言ってくれた。
・上島さんはまず、ボクの戸籍を作ることが必要だと判断し、この手の問題に詳しい弁護士さんに依頼してボクの戸籍を作ってくれた。
「これが凄いドラマティックだったんだよ」
とマクラは言った。
長い話というのもあり、アクアとマクラは交互に説明する。理史はやはりこの2人は双子なのだろうと思いながら、話を聞いていた。
アクアが羊羹を出してきて切り分けて3つの小皿に乗せる。九州の小城(おぎ)の羊羹という話である。マクラはお茶を入れた。同じく九州の八女(やめ)茶だと言った。
「これ見せてあげる」
と言って、マクラは1枚のラミネート加工されたホロスコープを見せてくれた。
「ボクの出生チャート。これはボクのお母ちゃん、長野夕香が、友人の占い師さんに頼んで作ってもらったホロスコープだという話だった。照絵さんがこれを保管していたのが第1のヒントになった」
理史はチャートに書かれている名前を見る。
“高岡龍虎 M 2001.08.20 14:21 町田市”
と印刷されている。つまり高岡夫妻は実際には入籍していなかったものの、いづれちゃんと婚姻して、龍虎の母も龍虎も高岡の苗字を名乗らせるつもりだったんだろう。
「それから、ボクの養育費を高岡の両親が志水の両親に送金するのに使っていた口座の暗証番号が2525で、これがボクの出生時の体重だと夕香お母ちゃんは言っていたらしい。それで弁護士さんは町田市内の産婦人科を1軒1軒訪ねて、2001年8月20日14:21に体重2525gで生まれた子供がいなかったか聞いて回った。そしてついに見つけたんだよ」
「その弁護士さん凄いね!」
「出産した女性はどうしても名前を名乗らなかったらしい。でも母の写真を見せたら間違いなくこの人だと、お医者さんも助産師さんも証言してくれた。更にはボクのDNA、支香叔母ちゃんのDNA、夕香・支香姉妹の母にあたる松枝さんのDNAを鑑定してもらって、ボクは遺伝子的に、松枝さんの直系子孫であるが、支香さんの直系子孫ではないという鑑定結果が出た。松枝さんの子供は夕香・支香の2人だけだから、理論的にボクは夕香の子供ということになる。それで裁判所はお医者さん・助産師さんの証言、ホロスコープと暗証番号の件も含めて総合的に判断して、ボクが長野夕香の子供であることを認めてくれた。それで、やっとボクは戸籍が作られたんだよ」
「ほんとに凄い」
「それで支香叔母ちゃんがボクの未成年後見人になるとともに国民健康保険の被扶養者にしてくれて、高額の医療費がかかる問題も解決した」
「戸籍が無いと本当に大変なんだなあ」
アクアが今度は握り寿司を出してきた。
「形が悪いのごめんね」
「もしかして手作り?」
「100円ショップのお寿司の型で酢飯を整形してお刺身載っけただけだから」
「お魚は柵で買ってきてボクが切った」
「すごーい」
2人の説明は続く。
「DNA鑑定については、父親の方も、父方の親戚のDNA鑑定の結果との比較で、父の猛獅に兄弟姉妹がいないことから、猛獅の子供であることが理論的に確定していた。でも当時、父の父・越春さんは、さんざん猛獅の隠し子を名乗る人たちに欺されて疑心暗鬼になっていたから、ボクが猛獅の子供であることを認めてくれなかった。それでボクの戸籍の父親欄に関しては、越春さんの同意があればその親子関係を認めるという審判になって、ボクの父親欄は空白にしておくことになった」
「それ、いまだに認めてくれてないの?」
「これをボクがデビューして半年くらいの頃にもらった」
と言って、アクアは1枚の文書を見せる。
同意書と書かれており
「私、高岡越春は、長野龍虎が高岡猛獅の子供であることを認めます」
となっている。
「もらったんだ!」
「なぜこれをまだ提出してないかについては後で説明する」
「うん。龍たちはあれこれ事情が複雑すぎるよ」
「自分でも思う」
2人の説明は続いた
・病気の件に付いては、上島さんが、色々なお医者さんにボクの病状を説明して回った結果、似たような症状の病気について書かれた論文を見たことがあるというお医者さんに到達した。それで、その論文を買いた先生の所にボクを連れて行ったら、間違い無くその病気であることが判明した。
・原因はとても発見しにくい場所にある腫瘍で、それを摘出した上で化学療法をすれば治る可能性があると言われた。それで手術を受けることになる。
・その手術前日に、醍醐春海先生というか村山千里さんを含む、旭川N高校女子バスケット部のメンバーと知り合った、千里さんたちのチームも明日物凄い強豪と対戦するけど頑張って勝つから、龍虎も手術頑張れと約束した。実際に約束したのはチームメンバーの佐々木川南さん。
・当日、千里さんや川南さんたちのチームはほぼ負けという状態から千里さんのトリックプレイが決まって奇跡の大逆転勝利を収めた。ボクの手術もMRIで見ていたのより実際の病巣が大きく困難な手術となり一時は心臓が停止する事態にもなったけど、幸いにもすぐ動き始めてくれて、何とか手術は成功し、ボクは生還した。
・それ以来、ボクと旭川N高校女子バスケット部のメンバーとの交流は続いている。
・それで退院することになるが、この時、ボクの面倒を見られる大人がいないという問題が出てくる。
「当時、志水のお母さんは、福井の実家に帰らなければならない状況だった。ボクは退院しても頻繁に通院することが必要だから福井には行けない。支香叔母ちゃんは仕事が忙しくて、ツアーなどにかかると何週間も帰宅できない。ボクが入院している間はいいけど、ボクが退院してしまうとお世話が出来ない」
「それで田代の御両親の里子になったということだったね」
「そうなんだよ。だからボクはそれ以来、田代さんちの子供として育てられたから、ボクは田代龍虎を名乗っている」
「越春さんの同意書をボクが提出しないのは、田代の両親に悪いと思っているからだよ。だってボクが小学1年の時から、この同意書をもらった中学2年の時までずっと育ててくれたのに、唐突に父親欄に名前を入れたら、子供を取られちゃう気がするじゃん。だからボクはこれを提出するつもりはない」
「それ永遠に提出しないの?」
「越春さんは遺言書を書いて、その中でボクと猛獅との親子関係があることを認めると書いてる。だから、越春さんが亡くなった場合は、ボクの戸籍の父親欄には高岡猛獅の名前が記入されることになる」
理史は少し考えていた。そして言った。
「龍のお父さんの高岡猛獅さんには兄弟姉妹が居ないと言ったね。龍のお母さんの長野夕香さんの兄弟姉妹は支香さんだけ。だから龍にいとこが存在するとしたら支香さんの子供しかあり得ない。でも支香さんの子供は、先日海原先生との結婚で明らかになったけど、まだ小学生の女の子だけ」
「うん」
「つまり龍にはいとこがいるはずが無い」
「そうなんだよ。ボクのいとこは、海原美奈代だけなんだよ」
とマクラも認めた。
「だからアクアとマクラがいとこというのは、大嘘だ」
と理史は指摘する。
「いやあ、あの時、ボクたちが2人いるところを河村監督に見られちゃってさ。それでとっさに『アメリカに住んでる従妹です』と名乗ったんだよ」
とマクラは照れながら説明する。
(実際に見られたのはNとF。反射神経の良いMはとっさに隠れた)
「それが、アメリカに住んでる従妹という話の始まりか」
「その話をもう終わらせようと思って、アメリカで結婚してもう日本には来ないということにしようとしたんだけどね」
「どうして終わらせる必要があるの?もう私たちは双子ですと発表しちゃえばいいじゃん。男の子アクアと女の子アクアがいたとなれば、みんなが納得するよ。共同ペンネームみたいなものだと説明すればいいだけだし。エラリー・クイーンとか、CLAMP, PEACH-PIT や 藤子不二雄・岡嶋二人とか。ラララグーンの“ソウ∽”も実は共同ペンネームだった。今は分離したけど。写真集を撮ったのが女の子アクアで、『夏の飛び魚』とかで胸を曝していたのが男の子アクアなわけでしょ?」
と理史は言った。
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