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■娘たちのエンブリオ(11)

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11月2日(日),3日(祝)の連休に、2つのバスケットボール大会が開かれた。
 
秋田県酒田市では第10回全日本社会人バスケットボール選手権大会が開かれた。この大会で男子上位2チーム、女子上位3チームはお正月のオールジャパンに出場することができる。
 
男子では貴司たちのMM化学が出場する。女子では玲央美たちのジョイフルゴールドが出場する。
 
一方、東京では東京都バスケット秋季選手権の準々決勝〜決勝が行われる。千里たちの40 minutesはここに出場する。ジョイフルゴールドもこの大会には参加申し込みだけしていたのだが、日程がぶつかってしまったので、こちらは棄権している。先週は2軍に相当するジョイフルダイヤモンドから数名、審判やTOをするのに来ていた。
 
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なお、両者のスケジュールはこのようになっていた。
 
■全日本社会人選手権
 
11/2 10:00 男子1回戦(ABCD) 11:40 男子1回戦(ABCD) 15:30 男子2回戦(ABCD)
11/3 9:30 男子準決勝(AB) 11:10 男子交流戦(ABCD) 12:50 男子3決(A) 14:40 男子決勝(A)
 
11/2 13:30 女子1回戦(ABCD)
11/3 9:30 女子準決勝(CD) 12:50 女子3決(B),交流戦(CD) 14:40 女子決勝(B)
 
■東京都秋季選手権
 
11/2 10:00 女子準々決勝(AB) 11:30 女子準々決勝(AB)
11/3 10:00 女子準決勝(DE) 13:00 女子決勝(D)
 

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千里は実は11月1日にもスペインで試合をしている。これが終わったのが現地の20:30で日本時刻では11月2日4:30である。さすがに日本で朝6時に対応出来ないので《すーちゃん》にインプレッサでみんなを吉祥寺の武蔵野体育館まで運んでくれるように頼む。吉祥寺に到着したのが8時頃だが、すーちゃんは麻依子から
 
「今日はどっちが出るの?」
と訊かれて
「ちゃんと千里本人が出ると思います・・・たぶん」
と答えた。
 
千里本人はグラナダのアパートで11/2 1:30(日本時間の9:30)頃目が覚めて酒田市に行っている《いんちゃん》と交替する。彼女はふだん市川に居てもらっているのだが、貴司が酒田に行ったのでそれに合わせて一緒に酒田に行っている。
 
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それで千里はそれでアリーナに出て行く選手たちを「頑張ってね」と言って見送る。そして吉祥寺の《すーちゃん》と交替した。麻依子が「遅刻。罰金10万円」と言ってコツンと頭を叩いた。
 

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貴司たちの試合は11:10頃終わった。貴司たちは勝った。それを《すーちゃん》から聞いた千里は
 
《勝利おめでとう。次も頑張ってね》
とメールを入れておいた。ついでに《すーちゃん》に頼んで、肉まんを差し入れた。
 
11:30からは千里たちの試合である。相手は大学生チームだったが、快勝した(12:40). 今日はこれで終わりなので、みんなで一緒に食事をしてから、14時頃、みんなを各地まで送っていく。
 
全員を送り終えた所で近くのスーパーの駐車場に入れて駐めて《すーちゃん》と交替する。貴司たちの試合はもう始まっている。貴司たちはこの試合でも終始リードを許して苦しんだものの、最後の最後に石原主将がファウルをもらい、フリースローを2本決め同点に追いついた。延長戦である。ここで双方死力を尽くした戦いになるが、最後は貴司がブザービーターとなるスリーを決めて逆転。準決勝に進出した。
 
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千里はフロアを出てきた貴司にキスをして祝福。
「明日も頑張ってね」
と言った。チームにはローソンのLチキを人数分差し入れておいた。
 

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その後、千里は《すーちゃん》と入れ替わり、車を駐めていたスーパーで買物をして葛西に帰って寝た。1日にプロの試合と、アマの試合ではあってもノックダウン方式なので落とせない試合をやるのはなかなか大変である。なお、この日は《いんちゃん》はスペインに行きっぱなしだが、彼女はスペイン語が分からないので、ずっとアパートに閉じこもっていたようである。
 
翌日11月3日。この日の試合会場は江東スポーツ会館である。いつも練習をしているS体育館からも近く、みんな普段の足で集まれるので送迎の必要は無い。それで朝適当に集まってから、《すーちゃん》と入れ替わりで酒田に行き、9:30からの試合に出る貴司に「頑張ってね」と言った。
 
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「千里どこに泊まったの?」
「千葉だけど」
「秋田にいるじゃん」
「これは立体映像なのよ。じゃね」
 
と言って会場の外に出てから、《すーちゃん》と交替した。
 
そして10時からの準決勝に出るが、これも快勝する(11:10). しかし貴司たちは負けていた。今日は千里たちはこのあと決勝戦に出るので悪いが仮眠させてもらう。《残念だったね。3位決定戦頑張ってね》とメールした上で、下着を交換して控室の隅でひたすら寝た。
 
貴司の3位決定戦は12:50、千里たちの決勝は13:00から始まった。
 
決勝の相手は江戸娘である。例によって、こちらの技術力と向こうの若さの勝負になる。パワーとスピードはどうしても向こうが上だが、テクニックや試合経験はこちらが上である。最後まで接戦が続いたが、最後は向こうの足立理絵が暢子のブロックを絶妙にかいくぐってシュートを決める。これが決勝点となって江戸娘が1点差勝ちをした。
 
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なお、貴司たちは3位決定戦に勝った。しかしこの大会で男子は2位までしかオールジャパンに行けないのである。あと少しであった。千里は《すーちゃん》に頼んで残念会用にサイダーを1箱差し入れておいた。その後、《いんちゃん》と位置交換して、《すーちゃん》がスペインに行き、《いんちゃん》は貴司たちと同じ便で大阪に戻った。
 
なお《きーちゃん》は現在、AYAのゆみをガードして北海道に行っている。
 

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東京の江東スポーツ会館では、40 mintuesのメンバーがフロアから引き上げてくると、そこに冬子がいた。冬子は麻央たちの報告で千里のチームがこの大会に出ると聞き、近くでもあるし、見に来たのである。
 
「お疲れ様。惜しかったね」
と冬子が言うので
「来てたんだ?」
と白々しく千里は答える。
 
実は北海道から戻ってから冬子が自分に尾行をつけるかも知れない、という付近から千里の遠大な計画が作動していたのであった。
 
「こちらもまだまだだったね」
 
メンバーの中の数人が、冬子の正体に気付いたようで
「もしかしてローズ+リリーのケイさん?」
と言って騒ぐ。
 
「千里、こんな有名人と知り合いだったの?」
 
「まあ郵便配達人と大邸宅に住む貴婦人という感じ」
と千里が答えると、冬子は言った。
 
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「その郵便配達人が実は郵便会社の社長だったりする感じだね」
 

結局冬子も残念会に連れて行く。この費用を冬子が持ってくれた。
 
「薫ちゃんたちのチームは出てなかったんだね」
と冬子が尋ねた。
「ローキューツは千葉だから」
「あっそうか!」
「向こうは千葉県秋季選手権で既に優勝して関東総合への出場を決めている」
 
「おお、凄い」
「まあね。それで今思いついたんだけど、冬、バスケットチームのオーナーにならない?」
「へ?」
 
「実は千葉ローキューツもこの東京40minutesも私が活動資金を出している。40 minutesは当初引退した選手とか、所属チームが無くなった選手とかが集まって、身体がなまらないようにとか言って始めたんだけど、結構強い人が揃ってきて、このままだと来年くらいは、関東大会で、うちとローキューツがぶつかる可能性も出てきたんだよね。それで両方私がオーナーだとやりにくいから、冬にローキューツの方を引き受けてもらえないだろうかと思って」
 
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「それどのくらい掛かるの?」
 
「給料とかも無いし、手弁当だから、年間の純粋な経費は連盟への登録料と大会の参加費で10万円くらいだけど、千葉ローキューツは全国大会にも出るから実は年間150-200万くらいの遠征費が掛かっている」
 
「200万くらいなら出していいよ。じゃ、私がローキューツのオーナーになろうか?」
 
「助かる。儲けにはならないけど」
「いや、今年はけっこうローキューツさんにステージのパフォーマンスに協力してもらったし、その縁ということで」
「じゃ、後日、薫や監督さんとのセッティングをするよ」
「よろしく」
 
そういう訳で千里は羽衣の元弟子“ひまわり女子高2年A組16番白雪ユメ子”に勧められたように、ローキューツのオーナーを冬子に引き受けてもらったのであった。
 
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11月5日(木).
 
龍虎のデビュー前、龍虎の個人的な関係者の慰霊の旅をすることになった。参加したのは下記14名である。
 
龍虎、上島夫妻、長野支香、田代夫妻、志水照代。村山千里、佐々木川南、白浜夏恋、若生暢子。唐本冬子・中田政子・秋風コスモス。
 
コスモスは多忙すぎる紅川社長の名代である。支香と春風アルトが同席することになったが、田代幸恵が「亡くなった人の前では誰もが皆等しく仏徒です」と言ったので、アルトさんも容認した(支香の側はそもそもアルトを拒否していない)。
 
一行は朝東京駅に集合して東海道新幹線で名古屋に行き、在来線で尾張一宮駅まで行く。駅から4台のタクシーに分譲して、高岡猛獅のお墓まで行った。
 
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お墓を掃除し、水を掛け、花と線香を備える。他に誰もお経が唱えられないというので、暢子に言われて千里が“般若心経”を唱えたが、上島はポカーンとしていたし、政子は笑い転げていた。しかしコスモスは表情ひとつ変えず合掌していた。それを見て冬子は、この子凄い!と思った。
 

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待ってもらっていたタクシーで尾張一宮駅まで戻る。東海道新幹線でいったん東京に戻ってから更に東北新幹線で仙台まで行く。仙台駅で長野夕香・支香姉妹の母・松枝が待っていて、一緒に長野家の墓に行った。こちらでもお参りするが、コスモスがぽつりと言った。
 
「津波は生きている人も死んだ人も全部飲み込んでしまった」
 
それを聞いて、千里は、この子、いつも明るく振る舞っているし、どちらかというとお馬鹿さんみたいなキャラを演じているけど、その内面には闇を抱えているのでは?という気がした。
 
ここでも千里が“般若心経”を唱え、松枝さんが笑いをこらえきれずにいた。
 

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仙台からの帰りの新幹線では、龍虎(それまで学生服を着ていた)はうまく乗せられて女性用のフォーマルドレスを着せられてしまう。それでこの後はこの服でと言われていた。
 
東京駅に着いた後は、大半のメンツはレンタカーで借りたクラウン・マジェスタに乗って八王子のホテルに入った(深夜出発するので足を確保しておく)が、龍虎、上島、冬子、千里の4人だけが別行動になり、山手線で目黒に移動して東急で田園調布まで行って、★★レコードの星原相談役の屋敷を訪れた。
 
2003年12月27日AM4:51、龍虎の両親、高岡猛獅と長野夕香は中央道で事故死したのだが、その時高岡が運転していたのがPorsche 996 40th anniversary editionであった。ところが事故の後、テレビで無責任な芸人のレポーターや自称評論家たちが、290km/hも出るような車を市販するのがおかしいなどと連日ポルシェを批判していた。
 
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それに反発したのがポルシェのファンで何台もポルシェを持っていた音速通信の重富社長であった。重富氏は上島に接触してきて、毎日ポルシェが馬鹿にされていて悔しい。偶然にも自分は高岡が持っていたのと同型の 40th anniversary edition を持っている。これを上島に譲るから、それでポルシェの良さをアピールしてくれないかと言ったのである。しかし当時の上島雷太にはこの限定品ポルシェを買うだけのお金が無かった。その時話を聞いた★★レコードの星原会長(当時)が重富氏からこの車を買い取り、上島雷太に託したのである。
 
上島や星原は協力してくれるテレビ局を巻き込み、上島が様々な歌手・俳優などと一緒に 996 40th anniversary edition に乗って日本各地を旅する番組を放映。この番組は3年間続き、この車に対するイメージは大いに上昇したし、ポルシェの日本での売れ行きも上昇したのであった。ポルシェ・ジャパンは感動してこの番組に感謝状を贈り、ポルシェの最新型を1台プレゼントすると言ってきたが、そういうのをもらったらワイロもらって番組を作ったみたいに思う人も出るだろうからということで放送局も上島も辞退したのである。
 
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そのポルシェ996 がこの星原さんの家のガレージに駐めてあり、ワンティスのメンバーには、いつでも乗りに来てと言ってある。それで雨宮や海原などが時々来ては借りてドライブしている。
 
今回の慰霊の旅ではこのポルシェに龍虎を乗せることにしたのである。
 
いわゆる「霊的な重ね書き」である。
 
よくない記憶を良い記憶で置き換えてしまうのである。
 

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娘たちのエンブリオ(11)

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