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(C)Eriko Kawaguchi 2018-12-28
千里はそういった経緯を2時間ほど掛けて説明した上で、こう言った。
「彼女にもよく関わってよく一緒に遊んであげている私の友だちからの提案なんだけどさ」
「彼女?」
「あ。間違い。彼ね」
「いや。“彼女”でいいよ。デビュー前にちょっと手術して女の子にしてあげようよ」
などと政子は言っている。
「それで龍虎のデビュー前に、関係者一同で、高岡さんのお墓、夕香さんのお墓、そしてふたりが亡くなった中央道の事故現場に、お参りできないかって。ただ、これ誰に話を持って行けばいいか分からなくて。龍虎の“親代わり”がたくさんいるから。誰と最初に話すかで墓参りのメンツも変わりそうな気がするんだよ」
と千里が言うので、冬子は少し考えてから
「まずは親権者である長野支香と話すべきだと思う」
と言った。
冬子が支香に連絡してみると彼女は今香港に居るものの、明日朝帰国するということだった。それで帰国したら恵比寿のマンションに来てもらうことになった。千里もそのくらいの時間帯にまた出てくることにする。実際千里は夜間はスペインに行くので、レオパルダの練習が終わってから仮眠して11時頃また出てきた。
(10月28日)お昼頃やってきた支香は言った。
「龍虎にケイちゃんも関わっていたのは知らなかった」
千里が墓参りの相談が、龍虎にいつも関わっている友人からあったと説明すると
「ああ。佐々木川南(かな)ちゃんでしょ? あの子、ホントに龍虎と仲がいいみたいで、いつも自分の“実の妹”のように可愛がっているんだよ」
などと言っているが、わざわざ“妹”と言っているようだ。
それで冬子・千里・支香の“3人”で話し合った(政子は茶々を入れるだけ)結果、慰霊は2度に分けた方がいいということになった。
「1度目は初仕事の前に内輪の人間で。この時は志水さん、田代さん両方の里親も誘う。2度目はいわば公的なメンツで、ワンティスのメンバーにできるだけ全員出席してもらう」
「うん。その線でいいと思う。田代さん夫妻と志水さんは特に確執のようなものはないよね?」
「それは無い。志水さんは今でも月に1〜2度は田代家を訪問して一緒に御飯食べたりしている。龍虎は志水さんのことも『お母さん』と呼ぶし、田代さんの方も『お母さん』と呼ぶ」
と支香。
「だったら問題無いね」
「ただ、私と春風アルトさんの間にはどうしても緊張関係がある」
と支香は説明する。
「まあそれは仕方ないでしょうね」
長野支香は一時期上島雷太と恋愛関係にあって、それがスクープされて大騒動となり、その余波で、深夜ほんの8時間ほどの間にアニメの第1回放送直前、その主題歌を差し替えるなどという離れ業をすることになった。しかし結果的にはその騒動がローズ+リリーの活動再開のきっかけとなったのである。
「だから龍虎の行事とかに、私が出る時はアルトさんは来ないし、アルトさんが顔を出す時は私は遠慮する」
「大変だ」
「じゃ内輪の方は田代さんと相談して詳細を詰めるよ。公的な方は上島君と相談してみる」
「分かりました。それでお願いします」
それで支香は龍虎のスケジュールを確認するため§§プロの田所さんに連絡してみたのだが、龍虎のスケジュールは12月以降全ての土日が空いていないし冬休みも完全に埋まっていると言われた。
「アクアの写真とか歌唱とかを見聞きして、どこのテレビ局も物凄く興味を持っているらしい。それと、春からのドラマに出演が決まった」
「わっ」
「でも慰霊の話をしたら、1月3日は空けられるかもということ。これ紅川さんが調整してくれるって」
「助かります。じゃ、公的慰霊はその1月3日で、私的慰霊は11月中がいいかな?」
「うん。紅川さんもその線を推奨してた。やはり公的な慰霊については上島君に音頭を取ってもらうのがいいだろうと紅川さんも言ってた」
白浜藍子がその日何気なくスマホのスイッチを入れ、スワイプでログインすると勝手にmixiアプリが立ち上がった。白浜のスマホはスワイプした時にしばしば勝手に何かが立ち上がることがある。自分の操作が悪いのか、設定の問題なのかはよくわからない。しかし立ち上がっていたので友人たちの書き込みを眺めていたら料理下手な人の話題で盛り上がっていた。それを見ている内に、白浜自身も書きたくなり、「仲良し友人」限定になっていることを確認の上
「私、あまりにも料理が下手すぎて、お嫁さん首になっちゃった。料理教室行こうかな」
と書き込んだ。
するといつもmixiに常駐している友人が
「あらあ。残念だったね。でもそれお嫁さんになる前に料理教室に行くべきだった」
と書き込んでくれて、ちょっとだけ心が温かくなった。
スマホを落として母に「買物行ってくる」と言うとメモを渡されたので、母のモコを借りて買い物に出かける。ところでがスーパーに向かう途中でスマホに電話が掛かってきた。その着メロがXANFUSの"La Boum"であるのに驚く。それは斉藤邦明からの電話なのである。
白浜は車を脇に停めて電話に出た。
「おはようございます。白浜です」
「お久しぶり、白浜さん」
という声は社長では無かった。
「奥様?」
それは斉藤社長の奥さんだったのである。奥さんは初期の頃&&エージェンシーの事務をしていて、白浜は入社した頃、奥さんから色々仕事を習った。
「夫はアメリカに行っているんだけど、秘密のミッションなんで電話は置いていったのよ。それでmixi見て気付いたんだけど、あなた離婚したの?」
「はい。首になっちゃいました。私お料理できないし、家事ができないし。お義母さんにも、子供たちにも嫌われて、流産を機会に離婚になってしまって」
「あなた流産したの?」
「はい。年齢的に子供産めるのは最後のチャンスと思っていたから悲しかったです」
「今何してるの?」
「実家に居候していますが、弟夫婦が同居してるから、私お邪魔みたいで・・・」
「だったら東京に戻ってらっしゃいよ。私も斉藤が1ヶ月半留守にしてるから何か一人暮らしは御飯作るのもおっくうでさ」
「私料理できません」
「うん。だから食べてくれるだけでいいよ」
「はい!でも社長の留守に居候みたいなことしていいんでしょうか」
「あなたちんちん付いてないよね?」
「付いてないです。義母からは付いてたけど手術して取ったのではと疑われましたが、妊娠したので、やはり元から女だったのかと言われました」
「ちんちん付いてない人、意図的に機能喪失させた人の同居は全然問題無いよ」
奥さんが白浜の口座に交通費を振り込んでくれたので、白浜は翌日東京に戻り、斉藤社長の留守宅にしばらく居候することになった。
その斉藤邦明は9月にアメリカである女性と会った。
斉藤の渡米の目的は表面的には実はマンハッタン・シスターズの制作を実質主導することであった。それまでプロデュースしていた人物が実は麻薬所持で捕まり降板したのである。そこでこのグループの設立初期にまとめ役になった雨宮三森に照会があり、雨宮は∞∞プロの鈴木社長に相談した。それでちょうど&&エージェンシーの社長を解任された斉藤に、今回のアルバムの制作を主導してもらうことにしたのである。
ただ鈴木は斉藤氏に別の密命も託していた。それは明智ヒバリの事件から浮かびあがってきた薬物汚染の鍵を握るかも知れない人物が8月下旬、アメリカに渡航したままずっと帰国しておらず、しかもこの人物は今回逮捕されたマンハッタン・シスターズの前プロデューサーとも親しかったのである。
斉藤はその人物との接触を試みた。最初は警戒していた彼女も、悪いようにはしないからと言われ、何とか心を開いてくれた。それに実は生活資金も底を尽き掛けていたのである。斉藤は彼女に当面の生活資金も提供することを約束した。
斉藤は彼女と弁護士も交えて話し合い、9月下旬、DEA(アメリカ麻薬取締局)と司法取引することに同意した。彼女はこの罪状が明らかになった場合、日本に帰国すると逮捕される可能性があった。しかし少なくともアメリカ国内では情報提供の見返りとして訴追されないことになった。
彼女の証言を元に更に内偵を進めたDEAはアメリカあるいはメキシコで密造されたと思われるデザイナーズドラッグがアメリカ国内のみならず日本や韓国にも輸出されているルートを摘発。10月下旬に2人の売人を逮捕。更に彼らの携帯電話の電話局に残っていた通話履歴から製造元まで特定することに成功していた。そしてDEAから情報を提供された日本のNCD(厚生労働省麻薬取締部:麻薬Gメン)と警察庁は密輸の元締めになっていた暴力団組長を逮捕。その周辺調査から11月上旬、女性歌手Y、元野球選手K、など5人を逮捕した(ニューヨークルート)。
一方国内では∞∞プロの調査部は10月の段階でNCDと接触し、事実上の司法取引をして、こちらの調査内容を全て開示する見返りに、ヒバリを含む数名の使用者について、事情聴取まではするものの、悪質でないと判断されれば起訴しないという“口約束”を得た。それで入院中のヒバリを含めて全員が任意の事情聴取に応じた。全員が書類送検の上、起訴猶予処分となった(東京ルート)。こちらは一切報道されなかった。
しかしこの事情聴取の結果警察は、鈴木社長と同様に、ある女性歌手とその夫の作曲家に対する疑惑を深めた。それが11月中旬のことで、警察は更に2人の周辺調査をして証拠固めを進めた。
照屋清子(明智ヒバリ)はしばらく福岡近郊の精神病院の閉鎖病棟に居たのだが、何度か軽いフラッシュバックはあったものの、2ヶ月ほどで症状は納まった。ヒバリ本人も、入院しているということは忘れて、のんびりと過ごし、今年前半のハードスケジュールを回顧していた。
それで12月くらいで退院かなあ、と思っていた時、唐突に彼女が昔から抱えている“発作”が起きたのである。それで清子は医師から統合失調症の疑いを持たれ、入院が延びてしまった!
変な薬を飲んだことで発作が誘発されたかなと清子は思った。ラブドラッグは覚醒剤系(正確には幻覚剤)なので、脳の働きが活性化され、この発作を起こしやすくする。清子は正直ライブの最中に突然おかしくなったのも、薬の作用なのか自分の抱えている発作なのか、微妙だと思っていた。
それで統合失調症の薬を渡されるのだが、清子はこの薬は飲みたくないと思った。
基本的に“お薬”は脳を活性化させる覚醒剤系(“冷たいの”)と、逆に麻痺させる麻薬系(“熱いの”)に大別される。
覚醒剤の傍系として、幻覚剤や興奮剤などもある。MDMA(エクスタシー)などのラブドラッグやマジックマッシュルームは1960年代にヒッピーの間で流行ったLSDやシティハンターに出てきたPCP(エンジェルダスト)などとともに幻覚剤に分類される。幻覚剤には神経伝達物質のセロトニンと似た構造のものが多い。神経伝達が過剰になることで幻覚が生まれるのである。
興奮剤は幻覚剤や覚醒剤に比べると害が少なく作用も穏やかなので多くが合法である。これにはカフェイン・エタノール(酒精)・エフェドリン(麻黄)・大麻(マリファナ)・ニコチンなどがある。麻黄は葛根湯などの風邪薬に使われている。実はラブドラッグの重要な成分でもある。大麻は現在合法な国と違法な国がある。
統合失調症は簡単に言うと脳の暴走なので神経伝達物質セロトニンの働きを抑える系統の薬が処方される。しかし清子は自分の場合これを飲むと、今度は躁鬱病を誘発する気がした。清子は自分の精神がとても微妙なバランスの上に立っていることを自覚している。
それで飲みたくないのだが、監視されているので飲まない訳にはいかない。飲まずに居たら、きっと身体を取り押さえられて無理矢理にでも飲まされるだろう。
どうしよう?と思っていた時、部屋の中に唐突に女性の姿が現れた。最初これは幻覚か?と思った。
「その薬飲まない方がいいよ」
と彼女は言った。
「私も飲みたくないけど、どうしよう?」
と清子。
「私が処分してあげるよ。カメラに背を向けて死角で私に渡して」
彼女はまさに監視カメラの死角に立っているのである。それで清子はそうやって薬を渡した。
「この薬を飲むとどんな感じになるか分かるよね?」
「だいたい想像が付く」
「だったら、そういう演技をしてなよ。あんた女優でしょ?」
「ドラマにも何度か出た。あなた名前を教えて」
「私は貴里子。きりちゃんでいいよ」
「ありがとう。きりちゃん。私いつ頃ここを出られるかなあ」
「その内、紅川さんが様子を見に来ると思うんだ。その時、一時外出できるように頼みなよ。理由は適当に考えて。沖縄に行くといいことがあるよ」
「分かった。やってみる。でも沖縄かぁ。私のお祖母ちゃんが沖縄出身なんだよ」
「知ってるよ。久高島でしょ?紅川さんも沖縄の宮古島だしね」
「そういえばそうだった」
「じゃね。また薬が渡されたら、心の中で私を呼んでね」
それで彼女の姿は、すーっと消えた。