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■女子中学生・ひと夏の体験(6)

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お風呂からあがった後は、お土産を買って、大治の家に戻った。そして紀子には休んでもらっていて、他の女6人で居間と台所を1時間ほど掛けて片付けた。滝子さんが感謝していたが、あれは1人で片付けるのはあまりに大変すぎる状態であった。
 
その後、優芽子は政人を回収して愛子と一緒に函館に戻る。吉子は新千歳に向かって東京に戻る。美輪子は
「途中まで送って行くよ」
と言って千里を自分の車(赤いウィングロード)に乗せ、深川駅でポストしてくれたので、その後はJRで帰った。
 
でも疲れたので途中で消えた!
 

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「Rも結構疲れたから消えるっての多くない?」
とモニターしていたVは言った。
 
「Bの次に消えるのはRかもね〜」
とGも適当に答えていた。
 
「RBY全員消えたりして」
「あり得るあり得る」
 
「そしたらどうなるの?」
「どこかに隠れている本体が出てくると思うよ」
「そっかー。どこに居るんだろ?」
「A大神様が隠しているというのに1カペイカ」
「それ安すぎる」
 
カペイカはルーブルの100分の1だが、近年ルーブルの価値が低くなりすぎて今やカペイカは実用性を失い、ロシア本国でも全く使用されていない。2004年当時の相場では1ルーブル=3.75円なので、1カペイカは0.0375円ということになる。
 

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2004年7月1日(木・とず).
 
ユングツェダーはほとんどの社員をこの日付けで解雇し、ペーパーカンパニー化された。
 
2月末のワンティスの会合で、ワンティスが少なくとも来年の春までは活動しないことを決めたのを受けて、左座浪源太郎(代表取締役・副社長に任命された)は村飼村飼藤四郎社長と話し合いの上で、事務所の実質閉鎖を決めた。
 
3月から5月に掛けて、その時点で在籍していた全てのアーティストを、∞∞プロに引き受けてもらうことにし、向こうの準備が整い次第、順次移籍させた。移籍金は“まとめて1円”とした。各々のマネージャーも∞∞プロに移籍している。それ以外にも、この業界に残りたいと言ったスタッフを∞∞プロあるいはそのグループプロダクションに移籍させた。
 
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そして残りのスタッフに関しては、印税処理のために若い経理担当の女性・鮫島知加子(19)だけを残して、7月1日付けで、全員に割増し退職金を払って解雇したのである。登記上の事務所も、鮫島さんの家に間借することにし(彼女に給料+家賃を払う)、今までの事務所は(6/30付で)賃貸契約を解約した。解雇を7/1付けにしたのは7月分の給料にボーナスまで払ってあげるためであり、実質的には6/30に閉鎖されている。
 
もし来年の春に、ワンティスが活動再開することになった場合は、また事務所を借りて数人雇う必要があるかもしれない。しかし、現時点でのワンティスの実質メンバー9人(上島・雨宮・三宅・下川・水上・海原・山根・本坂・支香)の動きを見ていると、少なくともこの9人が揃ってのワンティスとしての活動再開は無いだろうと左座浪は思った。特に上島・下川と海原・山根の間の、音楽の方向性に対する考え方の違いは埋めようもない。
 
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高岡は自分は無能なリーダーでバンドの中でも軽んじられていると思っていたようだが、彼のカリスマは捨てがたいものがあり、彼の存在でバンドはまとまっていた。上島にはそこまでのカリスマはない。あ、そうだ。雨宮もいるけどね。
 
そういう訳で、ユングツェダーは実質ペーパーカンパニー化されたのである。
 
上島・雨宮と左座浪の話し合いで、ワンティスの印税の30%を事務所がもらうことにした。
 
左座浪は事務所取り分の中から、村飼社長の治療費(名目上は役員報酬)、鮫島さんの給料、そして左座浪自身の給料を払うことにした。
 
ただ左座浪は自分の給料はできるだけ抑えて内部留保し、自身の生活費はプロレスの指導でできるだけ稼ぐことにした。プロレス時代の友人から誘われて、実は3月頃から彼の道場で若いレスラーたちの指導をしていたのだが、そちらに軸足を移すことにした。鮫島や上島から何か連絡があれば、その都度対処していく。
 
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7月5日(月).
 
沙苗は3度目の生理が来た。数日前からお腹が痛かったので生理だろうなと思い、ちゃんとナプキンを着け、母に買ってもらった生理用ショーツも着けていたので安心だった。
 
「ああ、来たんだな」
と思って処理した。3度目になるとだいぶ気持ちも安定してきたが、自分はこれを50歳頃までこれから35年間くらい毎月処理しないといけないんだなと思うと、女ってわりと面倒な生き物だという気もした。
 
「でも夏季教室とぶつからなくて良かったぁ」
 

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7月6日(火).
 
セナも3度目の生理が来た。沙苗同様、そろそろ来るだろうというので、夜用のナプキンを着け、生理用ショーツも穿いていたので、問題無く処理した。
 
ちなみにセナは夏季教室の後、(土曜日は疲れていたので休んで)日曜日にP神社に出て行った時、千里から
「セナちゃん、そろそろ生理でしょ?生理の邪魔にならないよう特別なタックをしてあげるよ」
と言われて、また例の“割れ目ちゃんが開ける”タックをしてもらった。
 
これをしてもらっている間は、おしっこの出方が変わるので、面白いなあと思っていた。確かにちんちんが普通の位置にあると、ナプキン着けるのに邪魔になるもんね〜。
 
生理が終わった頃、来週の月曜くらいにこのタックは解除してもらう予定である。
 
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2004年7月10日(土).
 
中体連剣道留萌大会が今回は苫前町スポーツセンターおよび隣接する苫前町社会体育館で行われる。
 
苫前町(とままえちょう)は、留萌の北方、小平町(おびらちょう)と羽幌町(はぼろちょう)の間にある。留萌支庁の町村は北から南へ並べると、このようになる。
 
豊富町(宗谷支庁)
────────
幌延町(天塩郡)
天塩町
遠別町
初山別村(苫前郡)
羽幌町
苫前町
小平町(留萌郡)
留萌市
増毛町(増毛郡)
────────
石狩市(石狩支庁)
 
上記で実は豊富町までが天塩郡である。天塩郡は支庁境界に跨がっている。なお幌延町は2010年に支庁が振興局に再編された際、留萌支庁から宗谷振興局に移籍された(幌延は留萌より稚内とのつながりが強いため)。従って2010年以降は、留萌振興局は天塩町から始まる。しかしこの物語の時点では留萌支庁だった。
 
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日本海に浮かぶ、天売島(てうりとう)・焼尻島(やぎしりとう)は羽幌町に属する。天売島にはオロロン鳥というペンギンに似た鳥がおり「オロロン、オロロン」と鳴く。この鳥は現在では天売島でしか見られないが、昔は北海道の日本海沿岸に広く住んでいた。この鳥の名前から採って、稚内市から留萌市を通り石狩市までを結ぶ日本海沿岸ルート (r106,R232,R231) を「日本海オロロン・ライン」という。留萌支庁はこの日本海オロロンラインに沿って分布している。そして営業しているバス会社は“沿岸バス”である。
 
苫前町は日本海沿岸にR232が通っており、町の南部(古丹別地区)から東方へ走る国道R239もある。R239は北海道を横断して網走市に至る。今日の会場のスポーツセンターはこのR239(霧立国道)沿いにある。R232,R239の交点は古丹別川南岸に近い香川地区の交差点である。ここから留萌市までは実はR232,R239の重複区間となる。
 
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苫前町を語る時に忘れられないのは大正4年(1915年)に起きた三毛別羆事件(さんけべつ・ひぐまじけん)である。ヒグマが民家を襲撃し、7名が死亡、3名が負傷するという大惨事が起きている。警官隊に加えて陸軍部隊まで出動する騒ぎの中、最後はベテランのマタギがそのヒグマを仕留めた。現在その事件のあった場所には「三毛別羆事件復元地」が設置されている。今回の会場となるスポーツセンターは三毛別川が古丹別川に合流するポイントの近くにあるが、事件のあった場所はここから三毛別川沿い(旧・三毛別森林鉄道沿い)に道道1049号を約19km(車で多分40分−山道なのでもっとかかるかも)ほど遡上した場所である。
 
(道道1049号は“定義上”は小平町まで行くが、羆事件復元地の少し先から小平町寧楽までは未通区間で道路が存在しないので念のため。また冬季は一部区間が閉鎖される)
 
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苫前町は最近では「風車の町」をアピールしている。苫前ウィンビラ発電所(風車8基3万KW 2000.12完成)、ユーラス苫前ウィンドファーム(風車5基2万KW 1999.11完成)という2つの大規模発電所(両者はすぐ近くにある)を持つ。両者合わせて2-3万世帯分の電力が供給できる。留萌から今日の会場のスポーツセンターに向かう途中、海沿いの国道からも多数の風車が並ぶ様子を見ることができる。
 
新エネルギーブームの中で風力発電所を作った所は多いが、苫前町のように成功した所はとても少ない。町では更に新たな風力発電所の建設も計画している。
 

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さて、このスポーツセンターには留萌市街地から約40km 車で1時間ほど掛かる。剣道部員は今回も保護者の車に分乗して会場に向かうことになった。
 
女子剣道部部員は、このように分乗した。
 
鶴野先生の車:真南・聖乃・如月(若手ホープ組)
紅音の母の車:紅音・香恵(3年組)
玖美子の母の車:沙苗・玖美子・千里(精鋭組)
セナの母の車:セナ・好花・真由奈(おしゃべり組)
 
今回は仲良し組でまとまった!
 
鶴野先生が参加したのは。“女子監督不在問題”を剣道連盟の方から言われたからである。これまでS中では顧問の岩永先生が男女チームの監督を兼任していたが、岩永先生はいつも男子のほうに付いているので、女子の方は実質監督不在だった。その場合に、何かで協議が必要になった場合困ると言われたのである(これまでは主将が代理で協議していた)。
 
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監督はその学校の教諭または校長でなければならない(外部指導者は監督補佐扱い)ので、どなたかお願いできないかと探した所、鶴野先生が引き受けてくれた。鶴野先生自身は剣道をしないのだが、お父さんが剣道をしていたので、小さい頃は道場に通わされていたこともあり、少しは剣道が分かるということだった。
 
「小学2年でやめちゃったから遠い記憶」
「へー」
「母からピアノか剣道かどちらかだけにしてと言われてピアノに飛び付いた。剣道あまり好きじゃなかったから」
「合う合わないがありますよねー」
 
「だから面と小手と胴の違いが分かる程度だけど」
「私たちもそんなもんです」
「あと中学生で突きは禁止だとか」
「よくご存じじゃないですか」
「取っ組み合いは禁止とか」
「剣道で取っ組み合いってあるんですか!?」
 
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昔の剣道では竹刀を放り出し、相手につかみかかって、面を剥がしたら勝ち、などという凄いルールがあったが、剣技じゃないじゃんということで昭和2年(←要検証)に禁止された。現在では相手の竹刀を抱え込んだり、自分の竹刀を(故意でなくても)落とすことは反則である。
 
土方歳三などは勝つためには相手を足払いしたり、土を顔に投げつけて目潰ししたりしていたらしい。古来戦場では「何としても生き残る」術が発達していたと思われるが、単に勝てばいいというのであれば、日本刀より槍の方が優秀だし、いっそマシンガンを撃てばいいという話にもなりかねない。
 

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