広告:ここはグリーン・ウッド (第1巻) (白泉社文庫)
[携帯Top] [文字サイズ]

■春花(22)

[*前p 0目次 #次p]
1  2  3  4  5  6  7  8  9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 
前頁 次頁目次

↓ ↑ Bottom Top

 
10月12日(土)、千里1は四国中央市の旅館を朝6時に出た。
 
まずは約20km(5時間半)歩いて雲辺寺まで行く。お遍路の札所の中で最も高い900mの位置にあるお寺である。
 
三角寺から雲辺寺へは、山の上の道を歩いて行く近道?もあるのだが、千里は宿泊のため、いったん里まで下りてしまったので、そのまま国道192号を歩く。遍路道も川滝付近でこの国道192号に合流する。結局旅館を出てから15kmほどを約2時間半かけて三好市佐野まで行く。そして、そこから残り5kmほどを2時間半かけて登って行くのである。
 
千里がその遍路道と合流した川滝を過ぎ、もうすぐ県境という付近を歩いていた時、千里の後方から近づいてくる足音があった。千里はだいたい時速6kmくらいで歩いているが、ウォーキングをする人の中には平地なら時速7-8kmのペースで歩く人もあるので、追い付かれるのは珍しくもない。ただどんな人だろうと思い、振り返って見た。
 
↓ ↑ Bottom Top

40代くらいのたぶん男性?である。“たぶん”を付けたのは、千里が最初その人の雰囲気で女性のような気がしたものの、髪が短いし、筋肉質なので、やはり男性かなと考え直したからである。お遍路衣装を着ている。まだ真新しい感じだ。ひょっとして讃岐路から歩き始めた人だろうか?
 
しかし何かお遍路にしては違和感がある。この違和感の正体は何だろうと思ったので、千里は男性に声を掛けた。
 
「お疲れ様です。南無大師遍照金剛」
 
「あ、おはようございます」
と言った男性は何故か焦ったような顔をした。
 
ちょうど道路工事をしていて大きな工事用車両が出て来ようとしていた。警備員さんから「あんたたちちょっと待って」と言って停められる。
 
↓ ↑ Bottom Top

「全行程歩いておられるんですか?」
と千里は男性に尋ねた。
 
「え、えっと、よくまだ分からなくて。この近くからかな」
「ああ、三角寺から?」
 
やはり讃岐路から始めたのだろう。雲辺寺は実は徳島県にあるが、讃岐(香川)路の最初の札所とみなされている。この界隈は県境が複雑で、近くには愛媛・香川・徳島3県の県境である曼陀峠(まんだとうげ)もあり、実はその峠を越えるお遍路道もある。しかし千里は(愛媛県四国中央市の宿から)歩きやすい国道を歩いて来た。今、千里たちがいる所の数メートル先には徳島県という看板も立っている。千里のルートは徳島県三好市池田町佐野まで行き、そこからまっすぐ雲辺寺に登って行く道である。
 
↓ ↑ Bottom Top


「この近くの方ですか?」
「いや、北海道なんだけど」
「あら、私も北海道出身なんですよ」
「あ、そうなんだ?」
と言いながら男性は焦っている。
 
「私は留萠(るもい)なんですけど、そちらはどこですか?」
「えっと、“じっかち”という所なんだけど」
 
千里は考えた。
 
「ひょっとして十勝(とかち)ですか?」
「あ、そうも読むかも」
 
「北海道で生まれたけど道外で育ったとか?胆振(いぶり)とかは読めない人もたまにいるけど、北海道の人で十勝を読めない人って初めて」
 
と千里は戸惑うように言った。
 
「あ、そうなんだよ。十勝で生まれたけど、育ったのは北陸の島根で」
「島根は北陸ではなく山陰ですが?」
「あ、えっとそこも小さい頃に移動して、東北の栃木に住んでいたんだよ」
「栃木は関東だと思いますが」
「あれ〜〜〜!?」
 
↓ ↑ Bottom Top


千里がここまで地理に弱い人も珍しいかもなどと思っていた時に後方から愛媛県警のパトカーが来た。県境だからかUターンするようでハザードをつけて、バックで脇道に入る。
 
ところがパトカーは脇道から発進して元来た道に戻りかけた所で突然停止し、ハザードを再度焚くと乗っていた警官が2人降りて、こちらに走ってくる。
 
何だ何だ?
 
その時千里は男性の「やべー。お巡りに見つかった!あと少しで県境越えられたのに」という心の声を聞いた。
 
まさか逃走犯? 逃げる時にお遍路に化けた?県境を越えたら警察は追跡できないという“都市伝説”を信じてる?
 
千里は猛烈に怒った。
 
よりによって神聖なお遍路の衣装をそんなことに使うなんて!それで男性が「そうだこいつを人質に取って」という心の声を発して千里を掴まえようとした所を逆に柔道の技で鮮やかに投げた。
 
↓ ↑ Bottom Top

2人の警官が走り寄ると男に手錠を掛け
「####だな?**町の衣料品店での強盗傷害の疑いで緊急逮捕する」
と年配の警官が言った。
 
「強盗犯なんですか!」
と千里は驚いて言った。
 
「何かされましたか?」
「されそうになったので反撃して投げを打ちました」
 
「こいつは市内の衣料品店で主人を刺した後、店にあったお遍路の衣装を着て逃げていたんですよ。こいつ既に前科3犯で一度は人を殺したこともあるんです。服役あけにまた事件を起こしたんですよ」
 
「この人と今少し話していたら、話が変なので困惑していた所です。お巡りさんたちがきたら焦った声を出すし、危害を加えられそうになったので反撃したのですが」
 
「怪我がなくて良かったです。お手数ですが、署まで来て調書作成にご協力頂けませんか?簡単に済みますから」
「私、お遍路中で今日は40kmほど歩いて観音寺市まで行きたいんですが」
「だったら事情聴取の後で、観音寺まで署の車で送り届けますよ」
「私は歩きお遍路ですから車に乗せてもらう訳にはいきません」
 
↓ ↑ Bottom Top

そんなことを言っていたら、工事の現場監督?かなという感じの70代の男性が寄ってきていった。
 
「奥さんは何時までに観音寺に辿り着く予定だったの?」
「16時なんです。17時にはお寺が閉まってしまうので時間の余裕が無いんですよ」
 
「だったらさ、パトカーで警察に行って事情聴取して、1時間以内にこの場所まで送ってもらったら?同じ地点から再開すれば問題無いよね?」
 
すると年配の警官が言った。
「それ約束します。1時間以内に必ずここにお連れします」
 

↓ ↑ Bottom Top

本来なら被疑者と別のパトカーに千里を乗せるべき所だろうが時間が惜しいし、千里も全然気にしないと言ったので、男と同じパトカーで署まで行くことにした。千里が助手席に乗り、年配の警官が運転。若い警官が被疑者と一緒に後部座席に乗って署まで行く。
 
「でもあんた強いね。捕まえようとしたらスルリと逃げられて投げを打たれたから参ったと思った」
と男は言っている。
 
「これでも過去にバスケットの日本代表も務めた者なので」
「日本代表!それなら女でも、かなわねえや。しかし、お遍路なら紛れられるかなと思ったんだけどなあ」
 
「お遍路にしては少し変な雰囲気だったから。気付いた」
と運転している警官(警部だった)は言っている。
 
↓ ↑ Bottom Top

確かに変だったね!
 
「刺された人は死んでないんですよね?」
と千里は警官に確認する。
「ええ。少し入院は必要ですけどね」
「よかった。だったら、あなた次にシャバに出てきたら、今後こそ本物のお遍路になって一部の区間だけでも歩いてみたら?それで以前殺してしまった人の菩提も弔って。お遍路って生と死の境界線にあるから、人生変わりますよ」
 
男はしばらく考えるようにしていたが、やがて言った。
「考えておく。今回**さんには申し訳無いことをした。最初は俺を諭してくれていたのに、つい言い争いになってしまって」
 
強盗傷害と聞いたが、それならむしろ“傷害後窃盗”の事例なのではという気がした。傷害罪(最高刑15年)と窃盗罪(最高刑10年)の併合罪で最高刑は22.5年になる。強盗傷害なら最高刑は無期懲役である。
 
↓ ↑ Bottom Top

「反省する気持ちがあるのなら、正直に供述することだな」
と運転している警部は言った。
 

「そういえばさっき会った時に生麦大豆なんたら言ってたのはお遍路の挨拶言葉?」
と男は千里に尋ねた。
 
「南無大師遍照金剛ですね。“南無”は“南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)”とか“南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)”とかの“南無”で、帰依(きえ)するという意味。大師は弘法大師で、四国88ヶ所は弘法大師への信仰でまとまっているんですよ。遍照金剛は弘法大師の別名です」
 
「へー」
 
「でも今あなた面白いこと言いましたね。生麦大豆とか」
「すまん。なんかそんな風に聞こえたから」
 
「昔話がありましてね」
「うん」
 
↓ ↑ Bottom Top

「ある所にどんな病気でも治してしまう凄いおばあちゃんがいたらしいです。病気の人が来て、そのお婆ちゃんが『生麦大豆半升五合』と唱えるとすぐ治ってしまっていたらしいです」
 
「ああ、たまにそういう凄い人がいるんだよね」
 
「ところがある時、旅のお坊さんが来て、お婆さんが呪文を唱えているのを聞いて『お婆ちゃん、呪文を間違って覚えているね。生麦大豆半升五合じゃなくてね南無大師遍照金剛だよ』と言ったらしい」
 
「ああ、話が見えた」
と男も言う。
 
「お婆ちゃんがその後、正しい呪文に変えて南無大師遍照金剛と唱えるようになったんだけど、全然病気を治せなくなってしまったらしい」
と千里は話を結んだ。
 
「なんか色々考えさせられるなあ」
と運転している警部は言っている。
 
↓ ↑ Bottom Top

「私の知り合いの陸上選手で物凄く変なフォームで走る人がいます。そんなフォームで走ったら効率悪いだろうから、正しいフォームにすればもっと速くなるのでは、と言う人もいるんですけど、本人にとってはそれが1番いいんですよ」
 
「それフォーム直したらスピード出なくなるだろうね」
と警部。
「プロ野球でも、おかしなコーチにフォーム矯正されて勝てなくなるピッチャーよくいますよ」
と若い警官。
 
「まあ、人はそれぞれ自分のやり方がある。それは無理に直さなくてもいいから、そのやり方で道を究めればいいんですよ。お兄さんも今回の罪は償わなければいけないけど、その後は自分の行くべき道を行ったら?」
 
と千里が言うと、彼は深く考えているようだった。
 
↓ ↑ Bottom Top


男を緊急逮捕した警部さんが事情を話してくれたので、千里は別の警官(こちらは警部補さんだった)から状況を訊かれたが、男と話したのはほんの2-3分だったので、聴取は10分ほどで終わった。それでさっきの警官の若い方の人が車でさっきの工事現場の所まで送ってくれた。
 
「でも日本代表になる人は違いますね。元殺人犯の前であんなに落ち着いて話しができる女性って初めて見ましたよ。男でも震え上がるのに」
などと彼は言っていた。
 
結局この事件で40分近く消費したが、“山登り”する前に休憩できて良かった!
 
それで改めて雲辺寺への道を昇って行き、お参りした後は、山を反対側、北の(香川県)観音寺市方面に抜けて、大興寺まで行く。その後は平地を歩いて回る。
 
↓ ↑ Bottom Top

20.0km(5時間)歩いて66雲辺寺(12:00)
9.4km(75分)歩いて67大興寺(14:00)
8.7km(80分)歩いて68神恵院(16:00)
0.0km(0分)歩いて69観音寺(16:30)
 
読み方は、うんぺんじ、だいこうじ、じんねいん、かんのんじ。
 

↓ ↑ Bottom Top

なお、神恵院と観音寺は同じ場所に並んでいる。
 
元々琴弾八幡宮というのがあり、その境内に建てられた別当寺が観音寺と呼ばれた。八十八ヶ所が定められた時、八幡宮自身と観音寺が共に札所になった。明治の神仏分離の際に、八幡宮に置かれていた阿弥陀如来図(弘法大師筆)は観音寺の西金堂に移され、ここが神恵院本堂とされた。しかし2002年に新しい神恵院本堂が境内に建立され、それまでの神恵院本堂は観音寺の西金堂に戻った。
 
仁王門を入り左手に神恵院の(新)本堂と隣に大師堂(実は十王堂の建物に間借りしている)、その近くに観音寺の大師堂もあるが、観音寺の本堂は(仁王門から見て)右手に行った所である。
 
2つ続けてお参りした後、日没直前になったが、神恵院から歩いてすぐの所にある“銭形”の展望台に行ってみる。
 
↓ ↑ Bottom Top

昔の時代劇『銭形平次』で、この砂絵がタイトルに使用されていたが、誰が何の目的で造ったのか分からない“寛永通寶”の砂絵である。
 
東西122m 南北90m の楕円だが、山の上からはちょうど円に見えるようになっている。砂の高さは2mほどである。観音寺市のシンボルでもあり、毎年2回ボランティアによる調整が行われている。台風などで崩れた時は市民総出で作り直したりしているという。
 
「まあよく造ったもんだね」
と千里が言うと
 
「隣に五百円玉の砂絵でも造ろうか?」
と《こうちゃん》。
 
「騒ぎになるから、やめときなさい」
 

↓ ↑ Bottom Top

 
近くに21-22歳くらい同士のカップルがガイドさん?に連れられてきている。すごく仲睦まじい感じなのでまだ若いけど新婚旅行かも?と思った。
 
「すごーい。これ見たらお金持ちになれるかな?」
と彼女。
「見るだけでお金持ちになれるなら、毎日観光客さん案内している私はきっと大金持ちですね」
「確かに確かに」
「でも見る度に20文(もん)くらいは得しているかも」
「運転手さんの手取りは1回の案内で20文くらい?」
「経費引いたらそんなものかも」
 
ああ、観光タクシーとかの運転手さんかな?と思った。
 
「寛永通宝って今のお金にしたら幾らくらいですか?」
と彼氏。
 
「江戸時代の立ち食いそばが“二八そば”と言われて2×8=16文(もん)ですから、現代の300円くらいと考えると1文20円くらいになりますね。1両が10万円くらいとも言われますが、4000文で1両なのでそこから計算すると1文25円くらい。まあそのくらいの価値ですね」
とガイドさんは語る。
 
↓ ↑ Bottom Top


ガイドさんがふと千里に気付いて言った。
 
「そちらはひょっとして歩きお遍路さんですか?」
「そうですよ。南無大師遍照金剛。そちらは新婚さんですか?」
「昨日結婚したんですぅ」
と彼女が笑顔で言う。
 
「それはおめでとう!言葉が山陰の人っぽい」
「すごーい!米子なんですよ」
 
「米子は6年前に出雲の神在祭(かみありまつり)を見に行った時泊まって蟹を食べたなあ」
「わあ!近くに住んでいて、神在祭は見に行ったことないです」
「地元の名所ってわりとそういうもんですよね」
 
千里はそういえば、あの時、《こうちゃん》が私の振りして信子を性転換させちゃったなあ、などと思い起こしていた。
 
ガイドさんが言った。
 
↓ ↑ Bottom Top

「お遍路さんはどこから歩いてこられました?」
「霊山寺を出て順打ちでここまで来ました。4分の3終わった所ですね」
「ずっと歩いて?」
「そうですよ」
「なんか握手でもしたら御利益(ごりやく)がありそう」
 
「あ、だったら握手してもいいですか?」
と彼女。
 
「いいですよ」
と言って、千里は新婚夫婦、更にはガイドさんとまで握手した。
 
《こうちゃん》がニヤニヤしてそれを見ているので「何だろう?」と
千里は思った。
 

↓ ↑ Bottom Top

この日は観音寺市内の旅館で休む。ちなみに、お寺の名前は「かんのんじ」だが、市の名前は「かんおんじ」である。
 
10月12日の行程38.1km
 
今日は愛媛県四国中央市→徳島県との県境手前(→四国中央市街)→徳島県三好市→香川県観音寺市と3県にまたがるルートを歩いた。
 
ところで千里の活躍(?)によって逮捕された男であるが・・・、男だったはずなのだが・・・その日の夜は署長の判断で松山署に移送されて女子留置場に収容された!
 
(女子留置場はスタッフを女性のみで構成しなければならないので数が少なく、大きな都市にしか無い。また常に定員が厳しく相部屋である・・・つまり彼(?)は女子の相部屋に収容されて古株の未決入居者にたっぷり“可愛がられた”)
 
↓ ↑ Bottom Top

千里はお遍路をしたら人生変わりますよと言ったが、どうもその前に人生変わったようである!?
 

↓ ↑ Bottom Top

前頁 次頁目次

[*前p 0目次 #次p]
1  2  3  4  5  6  7  8  9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 
春花(22)

広告:まりあ†ほりっく1(MFコミックス)