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■春花(9)
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(C)Eriko Kawaguchi 2019-12.08/改2020-04-18
9月21日(土)。次の札所までは75kmほどあるので1日で歩くのは辛い。それで今日は東洋町の民宿まで行って泊まることにしていた。今日も午後から雨の予報だったのでできるだけ早く辿り着けるよう朝7時に出発する。早百合と一緒ではないので、かなり速いペースで歩く。それで予約しておいた民宿に辿り着いたのは、14時頃であった。
「お早いお着きですね」
「済みません。早すぎましたか?」
「いえ、こちらは問題無いのですが、雨が降り出す前で良かったです」
「私も雨が降りそうなので、ピッチを上げて歩いて来たんですよ」
そういう訳で15時頃には雨が降り出したが、千里はうまい具合に雨にはぶつからずに済んだ。しかしこの日、この民宿に泊まった他の客の多くが雨に当たって大変だったようである。
その客は夕食の案内があり、千里が食堂のある1階に降りていった時にちょうど入って来た。27-28歳くらいの女性に見えた。お遍路姿だがずぶ濡れである。車の音とかもしなかったので、歩きお遍路なのだろう。もし朝5時頃に日和佐を出て歩いて来たのなら時速3kmだと13-14時間かかるので、ちょうど今くらいの時刻に到着する計算になる。しかし雨具無しで雨の中を数時間歩いて来たのなら風邪でも引いてないかと別の心配をする。
「すみません、部屋は空いてますか?」
などと訊いているので、予約していなかったようだ。アルトボイスである。
「ええ。ちょうど残り1つでした」
と女将(おかみ)さんが笑顔で言う。
「でもあなたずぶ濡れ。お部屋に案内する前にお風呂に入った方がいいわ」
と女将さん。
すると女性客は「あっ」という表情をして尋ねた。
「もしかしてお風呂は共同ですかね?」
「ええ。うちは古い民宿なので」
「共同のお風呂って男女別ですよね?」
「まあ普通そうですね。男の方と女の人を一緒に入れる訳にはいきませんし」
と女将は戸惑うように答えている。
それで千里は“分かってしまった”。
「どうしよう?」
と客は悩んでいる。そこで千里は差し出がましいとは思ったが言った。
「今から他の客はみんな食事なんですよ。あなた、その間に入っちゃったら?」
「あ・・・それならいいかな?」
と客は少し考えているもよう。
「今、女湯は空いてますよね?」
と千里は女将さんに確認した。
「女性のお客様は、今日はあなたと」
と言って千里を見る。
「あなたと」
と言って今入って来た客を見る。
「その2人だけですから、空いてますよ。男性のお客さんは確かさっき1人、お風呂に行かれましたが」
「私は今から食事だから1時間くらいはまだ入浴しませんよ」
と千里は言った。すると彼女は安心したように
「だったら、泊めて下さい」
と言った。
「はいはい。こちらにお名前書いてくださいね。お着替え持ってます?」
と女将。
「それが荷物も全部濡れてしまって」
「非常用の下着があるからお貸ししますよ。お風呂に入ったらうちの浴衣に着替えればいいし。服はすぐ洗濯してあげますよ」
「助かります。下着、お借りします」
「納経帳は濡れてない?」
「それはビニール袋に入れていたので何とか。でも納め札は濡れてしまったかも」
「納め札の用紙、この民宿にもありますよね?」
と千里が訊くと
「ええ。用紙だったら100枚100円+消費税で」
「安いですね!」
「それなら今夜頑張って名前を書きましょう」
「消費税は今月中は8%ですね」
「そうなんですよね。来月から10%になっちゃう。宿賃も10%だけど、おにぎりとかをお夜食やお弁当用に売る時は8%だから計算が面倒くさい」
「なんか中小企業いじめですよねー」
「全くですよ。パイパイとか言うのも営業に来られたんですが、私には話が難しすぎて。今度大阪に行ってる息子に聞いてもらおうと言っているのですが」
「パイパイではなくて、ペイペイだったりして」
「あ、それかも!」
「パイパイだったら、私たちの胸の所に」
「女だったら大抵装備してますね」
「男の人にパイパイがあったら大変ですね」
ということで3人で笑ったが、今来た客はやや焦っている感じだった。多分あまりパイパイに自信が無いのかな?もっとも「自信が無い」ではなく「無い」のだったりして!?
ともかくも、それでその“女性”客は、この屋根のある暖かい所で雨の夜を過ごすことができたのである。千里は食事中、《びゃくちゃん》に、彼女が風邪を引いてないかチェックしてもらった。すると『風邪引いてたけど治しといたよ』ということであった。女将さんからも葛根湯をもらっていたらしい。
彼女はお風呂からあがると、ロビーにいた千里に「あがりました」と報告してくれた。彼女は高浜アリスと名乗った。
「石川県の方?」
「よく分かりますね!」
「妹が高岡に住んでいるので。高浜のアリス館ですよね?」
「あれ名前が可愛すぎですよね。ついでにあっちのこともバレてるみたいだし」
「言わなきゃ大丈夫」
「ですよね!」
彼女は民宿で買い求めた新しい納札に“高浜アリス”と自署し、南無大師遍照金剛と唱えて1枚千里にくれたので、千里も南無大師遍照金剛と唱え、自分の納札を1枚あげた。ついでに握手した。
9月21日の行程40.1km
2019年9月22日のMM化学の株主総会は、株主側が招集した総会には株数にして80%を越える多数の株主が出席(10%は病床の義邦氏が持っているので権利行使不能)。会場になった体育館はぎゅうぎゅう詰めの状況であったものの、予定通り、現在の取締役全員の解任と、丸正義月(27)を新社長、メインバンク出身者を新副社長とする、新しい取締役陣の選任が圧倒的多数による賛成で決定された。
懇親会では多数の株主が義月氏や、常務取締役・営業部長に就任予定の兄・義陽氏らと話したがり、ふたりも株主たちからの提案をしっかりスマホにメモしていた。
一方、前社長が招集した株主総会には、高縄氏本人の1人だけが出席して、自分自身を取締役として選任する決議をしたものの、こちらは当然無効である(そもそも定足数を満たしていない!)。数百人入る大会議室で1人だけでマイクを持ち議事進行?し「ご承認頂ける方は拍手を」と言って、自分ひとりで拍手したりしている様子は異様で、会場スタッフも困惑していたらしい。求めに応じて500人分の水のグラスをテーブルに置いて回ったが、無駄なことしてるなぁと思いながら作業したという。
株主側の総会で選任された新経営陣は当然のことながら、高縄・前々社長を特別背任罪で告訴するとともに、巨額の損害賠償請求を行う予定であると発表した。実際に大阪地検特捜部の捜査が始まると共に、社内でも“被害”を調査する組織が作られた。
こうしてMM化学の3ヶ月にわたる混乱は少数株主による株主総会の招集という“非常手段”により終止符を打たれたのだが、その間の遺失利益は恐らく200億円を越えるものと推測された。今期の赤字決算は免れないものと考えられ、会社は今期は中間配当を行わないことを発表した。しかし株価は一時は60円まで落ちていたのが取り敢えず500円まで回復した(6月の時点では3000円だった)。
経営陣が刷新されたことから、メインバンクが融資をおこない、9月25日の給料日には、きちんと9月分の給料が支払われるとともに、本来は7月上旬に支払われるはずだったボーナスが普段よりは少ない額ながらも支給され、社員の間から歓声があがった。今回はストライキ期間中に会社を支えてくれた非正規の社員たちにも金一封が配られ、彼らも大いに報われた。
それでバスケ部員たちも貴司から借りていたお金を完済することができたのである。そして部員たちは気持ち良く、MM化学バスケ部最後のリーグ戦に参戦することができた。
「会社の株を社員持ち株会で8.5単元(=850株)相当持っていたんだけど、株価が下がって含み損が200万ちょっと出てる」
と貴司は情けない声で言った。
「ああ、社員さんはみんな大変だろうね。それで上がり相場でいくら儲けた?」
と千里は訊いた。
「儲け?どうやって儲けが出るわけ?」
「だって60円の段階で10万株600万円くらい買っておいたら、今の相場でも5000万円、たぶん来年くらいには1億円か2億円くらいになるよ」
「600万も買うお金無いよ!」
「じゃいくら買ったの?」
「買ってないけど」
「もったいない!私だって50万株3000万円買っておいたから、今既に2億5千万円になっているのに」
「ひぇー!」
「この相場で儲けた人多いと思うけどなあ」
と千里(千里2)は平然とした顔で言った。
(千里3は理性派なので、こういう博打のような相場には手を出さない)
青葉は玲羅の結婚式の後、9月15日に北海道から高岡に戻ってきたが、翌日9月16日に神谷内さんから依頼された2ヶ所の“幽霊が出る”というスポットに行ってみることにした。
最初に行ったのが真珠から伝えられたX町のZZ集落にある集会所である。
神谷内さん、森下カメラマン、AD兼レポーターの幸花、“金沢ドイル”青葉、“霊界アシスタント”明恵、“霊界サポーター”真珠という6人でいつものエスティマに乗り、赴いた。
「あ、彼岸花がきれい」
と幸花が言った。
「彼岸花なんですか?白い彼岸花って初めて見た」
と明恵が言う。
「白曼珠沙華(しろ・まんじゅしゃげ)という品種らしい。彼岸花つまり曼珠沙華の近隣種らしいですよ」
と真珠が言う。
「親戚なのか!」
「金沢の香林寺というところが、この白曼珠沙華の名所らしいですよ」
「それは知らなかった!」
「そこも取材に行ってみたいね」
青葉たちは集会所の管理人さんの案内で、建物の周囲を一周し、その後、中にも入ってみた。青葉は風水羅盤を持って方角を確認しながら見て回った。建物は8間×4間くらいの大きさである。玄関を入って右手に建物の半分を占める集会室があり、左手にはトイレ、給湯室、事務室、玄関正面に和室小部屋(控室や更衣室として使用)があるという構造である。
「この給湯室に幽霊が出るんですか?」
「よく分かりますね!」
「これは明恵ちゃんも分かるでしょ?」
と青葉は言った。
「まあ分かりますね、これだけハッキリしていたら」
と明恵が言うが、真珠も頷いているので、ある程度霊感のある人には分かってしまうだろうなと青葉は思った。
「お湯を沸かしている時に後ろから肩をトントンとされたので振り向いたら誰もいなかったとか、給湯室に入ってきて誰か居る気がしたので声を掛けたものの、よく見たら誰も居なかったとか、その手の話が結構あるんですよ。だからここを使う時、女たちは必ず2人で入るようにしているそうです」
と管理人さんが言う。
「問題は対策だよね?」
「これ多分、祓ってもまた来ちゃう」
「方位か何かの問題?」
と幸花が訊く。
青葉は少し目を瞑っていたが手を伸ばして言った。
「こちらの方角にお墓がありますよね」
「よく分かりますね!そちらにうちの集落の墓地があるんですよ。そこから来ているんですか?」
「そうだと思います。それで生前親しかった人を見ると肩でも叩きたくなるんでしょうね。無害だと思います」
「なるほどー。次はあんたの番だよとか言われているんじゃないですよね?」
「それはないです。ただ声を掛けやすいタイプの人がよく見るかも知れません」
「なるほどー」
「ただ、無関係の浮遊霊が来る場合もあるし、何か対策した方がいいけど、どうしようかな?」
と青葉は言うと、台所と反対側の隅になる、集会室の隅の所まで行く。お墓はその方角にあるのである。
「ここは何か取り付けた跡がありますね」
「ああ、そこには小さな三角棚が取り付けてあったんですよ。でも唐突に棚があるから、ぶつかる人があって、危ないかもというので取り外したんです。あっ」
「それを取り外した後ではありませんか?幽霊を見るようになったのは」
「確かにそんな気がします」
「棚には何か載ってました?」
「お大師さんの人形が・・・それを持って来た方がいいですか?」
「その人形あります?」
「確か和室の押し入れに」
といって管理人さんは探し出してくれた。
「あの場所に棚を作ってこの人形を後ろ向きに置いておけば幽霊は来なくなりますよ」
「そうです!後ろ向きに置いてありました。なんで後ろ向きなんだろう?ってみんな言ってたんですよ」
「でもここに棚を作ったら、また人がぶつからない?」
と幸花が言う。
「そうですね。棚(たな)の前に柵(さく)でも立てましょうか」
と青葉。
「ベビーガードみたいなの置いたらどうかな?」
と明恵。
「その方がぶつかった時に痛くないかもね」
神谷内さんが可能なら9月27日(金)の放送に間に合わせたいと言ったので、管理人さんは工作の得意な人に頼んで、その週の内に棚を作ってもらい、本当にその前にプラスチック製のベビーガード(子供の居る家で使っていたものがあったのを持って来てくれた)を置いた。その様子をすぐ取材して放送に間に合わせた。それで本当に幽霊が出なくなるかは後日検証することにした。
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