広告:萌えセーラー長袖-costume242-コスチューム衣装-AKBアキバ-セーラー服
[携帯Top] [文字サイズ]

■春花(7)

[*前p 0目次 #次p]
1  2  3  4  5  6  7  8  9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 
前頁 次頁目次

↓ ↑ Bottom Top

千里3はこの日、9月14日から日本代表の合宿が始まっていた。しかし練習は11:45から13:15まで1時間半の休憩となる。千里3はこの時間を利用して札幌に行ってくることにした。
 
シャワーを浴びて汗を流し、まずは神戸に転送してもらい、阿倍子がまだ寝ているのをいいことに京平を連れ出す。更に姫路に転送してもらい、美映が緩菜を放置して地下のバスケット練習場で練習しているのをいいことに緩菜を連れ出す。そして千里2が用意していてくれたホテル内の部屋に転送してもらい、自身ドレスに着換えるとともに、千里2が子供たちにタキシードとドレスを着せた。しかし千里が2人並んでいるので、緩菜は悩んでいるように見えた。(緩菜はまだ封印が解けていないようで、普通の1歳の子供だった)
 
↓ ↑ Bottom Top

「緩菜はドレスなんだ?」
と京平が言う。
 
「京平もドレス着る?」
「ドレスも可愛いけどなあ。でもボク男の子だからタキシードでいいよ」
 
玲羅の結婚式は11:30から、祝賀会は12:30からであった。千里2は理歌に頼んで、千里1や津気子を親族控室に釘付けにしておいたので、千里3はこの結婚式と祝賀会の間の時間を利用して、花嫁控室に行った。
 
「おお、京平君、緩菜ちゃん、可愛いね」
「玲羅お姉ちゃん、すごくきれい」
と京平が言うので
「よしよし。君はちゃんと人の褒め方を知っているね」
と言って、頭なでなでされていた。
 
「甥御さん、姪御さんですか?」
と着付けをしてくれている美容師さんが訊く。
 
「そうそう。式や祝賀会の間は友人に預かってもらっているんだけどね」
と千里3は答えた。
 
↓ ↑ Bottom Top

「あ、そうだ。これ大事な物」
と言って千里3は玲羅に祝儀袋を渡した。
 
「ありがとう。これがいちばん大事」
と玲羅も笑顔で受け取った。
 
そういう訳で、千里1、千里2,千里3は各々祝儀袋を玲羅に渡したものの、千里1は昨日桃香と一緒に玲羅と津気子だけが居る場で渡しており、千里2は今朝玲羅と長内さんだけが居る場で渡し、千里3は美容師さんだけが居る場で渡したのである。それで複数回受け取ったことに気付いた人は居なかった。
 
ちなみに名義は1番が“川島千里”、2番が“村山千里”、3番は“細川千里”であった。ふだんは2番と3番は逆の名義を使っているのだが、今回は3番が(どっちみち短時間しか滞在できない)子供たちを連れてくることにしたので、3番が細川の苗字を使用した。
 
↓ ↑ Bottom Top


結婚式が終わった後、千里2は桃香に声を掛けた。
 
「こちらに車を回送してもらっていたから、車で帰ろうよ」
「ああ、それがいいかも。新幹線の中で由美が泣くのが大変だった」
と桃香は言う。
 
それで桃香・千里2・早月・由美は車(オーリス)で帰宅することになる。
 
札幌9/14 20:00-24:00函館2:00(青函フェリー)5:50青森
 
子供たちを乗せているので、絶対に桃香には運転させられない。それで千里2がひとりで運転するが、このくらいの連続運転は平気である。フェリーの中ではぐっすり寝ておいた。
 
青森から東北道を下り、小坂JCTで秋田自動車道に入り、取り敢えずできている終端の大館能代空港ICまで行く。次は二ツ井白神ICからができているので、その間7kmほど国道7号を走る。秋田道に戻って河辺JCTからは日本海東北自動車道を走る(秋田道本線は河辺JCTの先は東北道の北上JCTまで行く)。
 
↓ ↑ Bottom Top

これがまだ象潟(きさかた)ICまでしか出来てないので、そこからまた国道7号を50kmほど走り、酒田みなとICで日本海東北自動車道に戻る。あつみ温泉ICでまた途切れているので国道7号を行く。
 
けっこう海岸に近い所を走るので景色にバラエティがあり、子供たちは随分楽しそうであった。桃香も「新幹線より車の方が子供にはいいみたい」と言っていた。
 
道の駅あつみ“しゃりん”で食事をできる所があるので昼食を取る。ここで1時間ほど休んでから出発する。
 
ちなみに今運転しているのは千里1ではなく千里2なので、桃香からのHな行為は全てシャットアウトである。
 
「そこまで殴らなくてもいいじゃん」
「猥褻犯には厳しくあたる。あまりやってると季里子ちゃんに告げ口するぞ」
「それは勘弁して〜」
 
↓ ↑ Bottom Top


桃香は2014年以降、千里と季里子の二股状態にある。2014年初めに季里子は名目上の夫(子供の精子提供者)であった夏樹と円満離婚(実際には季里子と夏樹は人工授精をしてもらうために婚姻届けを出しただけで、結婚の実態は全く無かった)。同年7月に千里が冬子の勧めで桃香に結婚指輪を返却し、9月に季里子が桃香の指輪を再度受け取ったので、桃香的には実は季里子が正式な奥さんで、来紗・伊鈴の“パパ”である。実は毎月(少額だが)養育費も払っている。千里が川島信次と結婚していた時期は向こうに入り浸りになっていた。
 
信次が亡くなった後で千里が茫然自失状態になっていたのには季里子も同情し、しばらく付いてあげてていいよと言ってくれたので、付いているのが実情である。季里子は早月・由美も自分の子供のように可愛がってくれる。
 
↓ ↑ Bottom Top

信次の一周忌(2019.7.4)が過ぎると、桃香は千里(千里1)との性的な関係が復活したものの、千里1自身は2019年5月に“巫女の力”を復活させて作曲活動に復帰し、バスケの本格的な練習も再開しているので、経堂のアパートも不在がちである。桃香はそれをいいことに季里子と半同棲になっており、あくまで千里1との関係は“つまみ食い”であって、毎晩している訳では無い。現状では千里1とセックスすると、性転換×2回してしまうのだが、さすがの桃香も毎晩性転換×2回していたら身が持たないかも!?
 
この二股状態は2019年末まで続く。
 

↓ ↑ Bottom Top

国道7号を40kmほど走って、朝日まほろばICから、また日本海東北自動車道に戻る。その後は、日本海東北自動車道と北陸自動車道を走って小杉ICに至り、ここで降りて高岡の桃香の実家に入った。
 
これが9月15日の20時頃である。そして千里2は桃香と早月・由美を降ろすと
「じゃ、私は四国にお遍路に行ってくるね」
と言い残して、桃香の実家を出た。
 
「御飯くらい食べて行けばいいのに。忙しい子だね」
と朋子は呆れるように言っていた。それでも「ちょっと待って」と言って、おにぎりを作って渡してくれた。
 
千里2が桃香たちを実家に置いていったのは、千里1のお遍路中、早月と由美の食事が不安だったからである!
 
なお実際には千里2は《つーちゃん》にオーリスの回送を頼んで、彼女と入れ替わりでフランス・マルセイユに移動した。朋子が作ってくれたおにぎりは千里1のリュック!の中に転送してあげた。
 
↓ ↑ Bottom Top


その、本当にお遍路に行く千里1は実際には飛行機で四国に移動した。
 
新千歳9/15 10:00-11:40羽田13:20-14:45徳島空港(バス)15:25徳島駅前(泊)
 
徳島駅近くの旅館に泊まり、お風呂にも入って、しっかり身体を休める。不足している写経をしていたらリュックの付近で何か音がした気がした。見ると手作りのおにぎりが5個も入っている。あれ〜?これ朋子母さんの手作りおにぎりのような気がするけど、なんでここにあるんだろう?と思う。すると《きーちゃん》が
『富山に行ってた代役さんが朋子さんからもらったのをこちらに転送した』
と説明する。
 
千里はなんで私の代役が富山に行ったんだっけ?と思ったものの、まあいいやと思い、
 
↓ ↑ Bottom Top

『だったらもらうね。お風呂に入ったら少しお腹すいてきた所だった。朋子母さん、いただきまーす』
 
と答えて、それを食べながら般若心経を5枚も書いた。
 

↓ ↑ Bottom Top

翌9月16日(祝).
 
お遍路セットを身に付ける。
 
白いお遍路ズボンに足首を守る脚絆(きゃはん=ゲートル)、上も白衣(びゃくえ)に輪袈裟。青葉から渡された金剛杖、美鳳さんからもらった五鈷鈴、愛用の藤雲石の数珠、“同行二人(どうぎょうににん)”と書かれた菅笠(すげがさ)。ここで“同行二人”というのは弘法大師と2人で歩くという意味であり、金剛杖がその弘法大師の象徴である。
 
(昔テレビドラマのラストで『同行二人と言うし2人でお遍路に行きましょう』とと言って2人で歩いて行くというシーンで終わっているものがあった。脚本家さんは同行二人の意味が分かってない!と批判されることになった。しかしその騒ぎのおかげで私はこの言葉を覚えた)
 
↓ ↑ Bottom Top

これに納札箱に山谷袋を持つのが標準的だが、全行程を歩くというハードな行程なので、登山用リュックにさせてもらった。リュックには防水スプレーを掛けている。リュックの中身は
 
・『四国遍路ひとり歩き同行二人・地図編』(お遍路する時の最も標準的な地図)
・“川島千里”の名前を記入済みの白い納札(おさめふだ)200枚
・納経軸(完了した後康子さんにあげようと掛け軸にした)
・納経帳(番外札所のためにこれも持って行く)
・御影帳
・経本
・ろうそくと線香にライター
・昨夜までに書いた75枚の般若心経
・写経用紙と筆・墨・硯
 
といったものである。これらは全部ジップロックに入れている。その他、アクエリアスのペットボトル4本、非常食のおにぎり・カロリーメイト・ガーナチョコ、筆記具、五線紙、ティッシュ、生理用品、下着や靴下の換え、タオル、アンメルツ、オキシドールと絆創膏、葛根湯、ビニール袋多数、モバイルバッテリー3個、UQ Wifiルーター、1mのコード付き電源タップ、AC→USB×4のアダプタ、お財布など。
 
↓ ↑ Bottom Top

カメラが無いのは千里が撮っても絶対に写らず、持っていても無意味だからである!
 
しかし結構な重さである。リュックなのでこの重みは両肩に掛かるので良い。山谷袋(ずた袋)では片方に掛かるので辛い。一応リュック形状になるズタ袋もあるが、肩紐が細くて食い込むので素直にしっかりしたリュックにした。
 
手には手甲(てっこう)を付けるのが標準的だが、軍手にさせてもらった。また本来は裸足で歩くのが大地の恵みを得られてよいとされるが、バリバリ歩こうというので、ナイキ・エアズームのウォーキングシューズを履く。遍路道は険しい山道もあるが、9割が舗装路なので、トレッキングシューズよりウォーキングシューズの方が良いという意見が多い。交換用のインソールも用意しているし、厚手の靴下も多数用意している。基本的に靴下は1日1足履き潰すつもりである。軍手も適度に交換する。
 
↓ ↑ Bottom Top


徳島駅からJRで板東駅まで移動する。
 
(坂東市は茨城県だが、板東駅は徳島県。偏が土偏と木偏の違いがある)
 
そこから700mほど歩いて1番札所・霊山寺(りょうぜんじ)に到達する。いよいよ四国お遍路1130km(280里)の旅に出発である。
 
門前で合掌一礼して中に入る。水屋で手と口を清め、鐘を撞いてから本堂に行く。自分の名前を書いた納札を納め、ろうそく・線香をあげる。お賽銭を入れて合掌し、納経する。それで終わりかなと思ったのだが、ここで他の人の行動を見ていて、大師堂にも行って同じことをしなければならないことに気付く!
 
それで大師堂に行き、納札を納め、ろうそく・線香をあげて、お賽銭を入れ合掌する。そして納経する。ここで納経軸に墨書・御朱印を受け、御影を頂く。それでお寺を出て、門の所で合掌一礼する。
 
↓ ↑ Bottom Top

「でもこれなら1ヶ所につき写経が2枚いるじゃない!」
と思わず千里は声に出した。
 
千里は昨夜までに75枚の写経を書いていたのでこれで88ヶ所の内8割くらい行けると思っていたのに、前半にも届かない!
 
そういう訳で千里はこの後、毎日4枚くらいずつ般若心経を書くハメになるのである。
 

↓ ↑ Bottom Top

この日は下記の札所を巡った。
 
板東駅から
0.7km(_6分)歩いて1霊山寺(07:36)
1.3km(11分)歩いて2極楽寺(08:50)
2.7km(26分)歩いて3金泉寺(10:00)
5.0km(43分)歩いて4大日寺(11:30)ここでお昼。
2.0km(17分)歩いて5地蔵寺(12:30)
5.0km(46分)歩いて6安楽寺(14:03)
1.2km(_9分)歩いて7十楽寺(14:53)
4.0km(34分)歩いて8熊谷寺(16:13)
2.7km(26分)歩いて宿泊場所の予定が・・・
 
お寺の名前の読み方は、りょうぜんじ、ごくらくじ、こんせんじ、だいにちじ、じぞうじ、あんらくじ、じゅうらくじ、くまだにじ、である。霊山寺は有名なのに、わりと読み間違えられている。
 
お遍路道は最初、鳴門市から吉野川沿いに川上へ西行する。この付近は札所と札所の間隔も短く、比較的易しい道である。
 
↓ ↑ Bottom Top

熊谷寺をお参りし終わったのが16時半。納経締め切り時間の30分前である。
 
その後2.7km(26分)歩いて次の札所の近くまで行き、その近所にあったホテルに泊まるつもりだったのだが、この日は満室だと言われた。
 
ありゃ困ったなと思ったのだが、声を掛けてくる年配の女性が居る。
 
「よかったらうちにお泊まりになりませんか?お接待しますよ」
「ほんとですか?助かります」
 
ということで、善意に甘えることにした。
 
9/16の行程24.6km
 

↓ ↑ Bottom Top

↓ ↑ Bottom Top

前頁 次頁目次

[*前p 0目次 #次p]
1  2  3  4  5  6  7  8  9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 
春花(7)

広告:ワンピース水着-ボーダー-タンキニ三角-3点セット-hkyy203-tx014