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■春花(21)

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(C)Eriko Kawaguchi 2019-12.28/改2020-04-18
 
「それも作ってもらったりした場合、追加で270m×60mもあれば足りますかね?」
と町長は尋ねる。
 
「ちょっと待って下さいね」
 
体育館が140×140=19600 プールが140×120=16800 テニスが90×90=8100 ゴルフが90×70=6300 なら合計で50800m2。これに対して50m追加なら敷地は270m×320m=86400m2なので建蔽率は 58.8% になる。
 
「現時点では58.8%になりますね。行けますよ。ただですね」
「はい」
 
実はもしこういう機会があったら頼むと若葉さんから言われていたことがあったのである。
 
「実は今、設計上、体育館とプールの間が10m離れているのですが、この間隔が狭すぎるという意見がありまして。もし可能なら横に10m追加できませんか?ですから、270×270 を 270×320 にするのではなく 280×310 にするんですよ。縦の寸法は現在体育館が140m テニスコートとグラウンドゴルフをくっつけて建てれば150mなので、310mあれば何とかなるんですよね。建蔽率は面積が 280×310 = 86800 で、58.5% になります」
 
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「ああ、それは可能ですよ」
 
「それが可能なら、更に検討して欲しいことがあるのですが」
と青葉は言う。
 
「実は以前開発された時に作られて残っている体育館の基礎ですが、これは確認したら敷地ぎりぎりに作られているんですよ。これ違法ですよね?」
 
「50cm空けないといけないですね」
 
(民法234条1項により、建物は敷地境界から最低50cm空けた所から建てなければならない)
 
「だから適法に建てるにはせっかく作られている基礎をいったん除去して新たな基礎を作る必要があります。そこでいっそのことですね。現在の土地の周囲に4mくらいの道路を巡らせることができませんかね。万一火災が起きた時の消防車の通路になるのと同時に、普段はここをジョギングコースとして解放するんですよ」
 
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「ああ、それはいいですね!」
「280m×310mの回りなら、一周が1180mになりますね。敷地全体に塀を作るからこの道は風からは守られて結構走りやすい気がします」
「動物の侵入の可能性も低いですしね」
「そうなんですよ」
 
能登では、タヌキ・キツネの侵入はざらである。地区によっては猪や鹿が来ることもある。以前は熊は居なかったのだが、数年前から目撃されるようになった。
 
「でもそれキリが悪いですね。いっそ280×320にしません?そしたら一周1.2kmですよ」
「それでもいいですよ」
「だったらこういう土地を追加することになりますね」
と言って町長さんは絵を描いた。
 

 
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町から追加で売ってもらうのは↑で薄黄色で塗った逆C字型の土地である。
 
「追加分の面積は 21452m2になりますね」
 
(288m×328m - 270m×270m から元々道路として所有していた8m×14mを引いて94464 - 72900 - 112 = 21452)
 
「いびつな形の土地で済みません」
「それで矩形の土地になるんだから問題無いですよ。ではそれでいきましょう。これで建蔽率は・・・ 53.8% だから、多少予定が変わっても何とかなりますよね?」
 
「なると思います」
 
「だったら、この付近の路線価が9200円なので、掛け算して・・・1億9735万8400円、キリのいいところで1億9700万円というのでいかかです?」
 
「いいですよ。そのくらいの資金はあります」
 
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「テニスコートの運営費の件に付いては補助とか頂けるんでしょうか?」
 
と幸花が言った。青葉としてはわりとそれは構わない気はしていた。
 
「それなんですが、町から年間たとえば300万円くらい補助するなら維持できます?」
「300万円頂けるなら何とかしますよ」
 
青葉は実際にはその倍かかる気がしたが、そのくらいは地元への貢献ということでよいだろうと思った。
 
「そこでですね。年間300万ならですよ。10年で3000万ですよね。だから毎年300万お支払いする代わりに3000万値引いて1億6700万円で土地を売るという案などご検討頂けません?」
 
青葉は天を仰いだ。
 
「町長さん、商売人ですね!」
「どうでしょう?」
「いいですよ。それで」
「では取引成立ですね」
 
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それで青葉と町長は握手した。
 
(しっかり森下カメラマンが撮影する)
 
正式には議会の承認が必要らしいが、与党が過半数を持っているので大丈夫ですよ、とのことであった。結果的に町としては風紀上の問題が生じかけていた土地を処理してもらえ、スポーツ振興にもなり、更に町に1億6700万円の臨時収入が入ることになる。町のメリットは大きい。
 
冬子のメリットは北陸に大型のライブ会場が得られる。若葉のメリットはお金を減らせる!(増える気もする)。千里のメリットは北陸に居る時にバスケができる!?し、知人のチームに練習場所を提供できる。
 
では青葉のメリットは・・・何だろう!? 思いつかない!!
 
取り敢えずお金が12-13億円ほど消費される!!(既に7億払っているのだが)
 
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なお、町との実際の売買契約は年末になったのだが、そういうわけで、エグセルシス・デファイユ津幡はこのような形になることになったのであった。
 

 
ただしテニス場・グラウンド・ゴルフ場は春以降の建築である。
 

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千里1のお遍路は続いていた。
 
10月8日は午前中雨だったので道後温泉の宿で、雨があがるのを待ちながら心経を書いていたのだが、この日とうとう東寺の分まで所定の枚数を書き上げた。
 
「やったぁ!」
と思わず叫んだが、この後も念のため毎日1枚くらいは書こうかなと思った。
 
お昼くらいに雨があがったので出発した。
 
松山市内のお寺が2つ残っているが、市の中心部からは離れて海岸付近にある。
 
道後温泉から
9.5km(95分)歩いて52太山寺(13:30)
2.5km(25分)歩いて53圓明寺(14:30)
34.4km(5時間)歩いて宿泊(19:58)
 
読み方は、たいさんじ、えんみょうじ。
 
2つのお寺を打った後は今治市の次のお寺の近くまで歩いて近くの旅館に投宿した。伊予路は松山市、今治市、西条市、と各々の市内にお寺が集中していて、そのまとまり同士の相互間が離れている。
 
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10月8日の行程46.4km
 

10月9日は晴れたので順調に今治市の札所を打っていく。
 
この日は千里が朝起きた時、ふと気付いたら、何人かの眷属が居なかった。そういえば昨日から居なかったような気もした。別に珍しいことでもないので、気にせず朝御飯を食べ、準備をして出かけたら、54番延命寺でお参りをしている最中に戻ってきた。
 
「何してたの?」
「まあちょっと寄り合いかな。支店対抗運動会みたいな」
「そういうのがあるんだ!」
「取り敢えず優勝した」
「それはおめでとう」
「男の娘チームが意外に手強かった。昨日は僅差で負けたけど今日は逆転して総合ポイントでもこちらが優勝した」
「頑張ったね!」
 
この子たちも色々付き合いがあるんだな、と千里は思った。
 
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(女装ビーツ、市川ドラゴンズ、小浜ハルコンズ、仙台コシネルズ、対抗運動会。主催者千里2!で、1回戦・雑木林引き抜き競争はコシネルズの勝ち。女装ビーツは1本差!で破れた。樹木の運搬は競争させると途中で落としたりした時に怖いので、千里2が分担を決め、福井の製材所へは小浜ハルコンズ、栃木の製材所へは仙台コシネルズ、残りの木を一時的に山に置くのはドラゴンズとビーツにやらせた。そして今日行われた2回戦・雑霊狩りは、昔からよく千里にやらされているおかげで、女装ビーツが圧勝して、総合優勝であった)
 

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旅館から少し歩いて54延命寺(8:00)
3.4km(30分)歩いて55南光坊(9:10)
3.0km(25分)歩いて56泰山寺(10:15)
3.1km(25分)歩いて57栄福寺(11:20)
2.4km(25分)歩いて58仙遊寺(12:12)
6.1km(90分)歩いて59国分寺(14:20)
17.0km(3時間)歩いて清楽寺(18:00)
2.0km(20分)歩いた旅館に宿泊(18:30)
 
読み方はえんめいじ、なんこうぼう、たいさんじ、えいふくじ、せんゆうじ。こくぶんじ、せいらくじ。
 
53圓明寺(えんみょうじ)と54延命寺(えんめいじ)はどちらがどっちの読み方か分からなくなりそうだが、実は54番は昔は圓明寺と書いていて、53番と字も同じだったのを、紛らわしいので通称だった延命寺を名乗るようになったもの。
 
西条市内の清楽寺は60番札所・横峰寺の前札所である。ここは明治の廃仏毀釈で横峰寺が廃寺になってしまった時、60番札所を引き継いだ所である。その後、横峰寺が再興されるとそちらに札所を返して、こちらは前札所になった。
 
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八十八ヶ所の中には前札所のある所が3ヶ所あるらしいが、ここは次の横峰寺が標高700mの山の上にあり、しかも厳しい登山道を上らないと到達できなかったので、その麓に前札所が作られた。但し昔前札所があったのは蔵王権現堂(現・妙雲寺)で、千里が立ち寄った清楽寺は↑の経緯で新しく前札所となった所である。
 
千里が到着したのはもう夕方6時でお寺は閉まっていたものの、山門前で一礼して般若心経を心の中で唱えてから、2kmほど進んだ所にある旅館に投宿した。
 

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10月10日(木)も晴れだった。
 
早朝旅館を出て8kmほどの山道を登る。標高745mの横峰寺に到達するのに、千里の足でも3時間ほどかかった。
 
さすがに一休みさせてもらってから参拝する。
 
そして次の札所・香園寺に向かうのだが、これは今来たルートを戻る行程である!実は香園寺は清楽寺から、ほんの1kmほどの所にある。だからここは逆打ちしてもいいくらいである。
 
ともかくも今登ってきた道を下っていく。さすがに下りは2時間ほどで降りきることができた。
 
この日のルート
 
旅館から
8.0km(180分)歩いて60横峰寺(9:00)
9.7km(120分)歩いて61香園寺(12:00)
1.3km(10分)歩いて62宝寿寺(12:30)
1.5km(11分)歩いて63吉祥寺(13:20)
3.2km(30分)歩いて64前神寺(14:30)
 
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今日は前神寺の近くの温泉に泊まる。
 
10月10日の行程23.7km (745mまでの登山・下山を含む)
 

10月11日は、また長距離歩行である。
 
温泉旅館を出てから45km歩き、お昼頃次の札所に到着した。
 
45.2km(7時間半)歩いて65三角寺(13:30)
 
三角寺(さんかくじ)は標高355mの所にある山で、かつては険しい山道を登って参拝していたが、現在はかなり整備されている。最後仁王門に登る段差の大きな73段の階段は45km歩いて来た身には、なかなか辛い。
 
この寺で愛媛の札所は打ち上げである。次はとうとう讃岐(香川)路に入る。この日は四国中央市の市街地まで5.3kmほど降りて、市街地の旅館に泊まった。
 
10月11日の行程50.5km
 

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春花(21)

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