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■春花(16)

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千里1のお遍路は続いていた。
 
消費税があがった10月1日の朝、宿坊の食堂の人たちが慌ただしく紙に墨書した新しい価格表をプラスチック製の価格表の上に貼り付けていた。
 
「たいへんですね!」
「経営規模の小さな店ほど負荷が大きいんじゃないかね。これって」
と40代くらいの職員さんが文句を言っていた。
 
10月1日も2日も雨だったのでお遍路には行かず、観自在寺の宿坊でひたすら般若心経を書いた。
 
千里がお手本を見ずに直接和紙(美鳳さんからもらった用紙だが、先日遭遇した八重龍宮さんによるとこれも月山和紙らしい)にお経を書いているのをちょうど回ってきた年配の僧が見とがめた。
 
「そなた、写経というのは、お手本を前に置き、それを見ながら書くものだぞ。そなたのは“写経”ではなく“筆経”じゃ」
 
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と先日《こうちゃん》からも指摘されたことを言われる。それで先日と同様に返事する。
 
「御老師様(*5)、私は心の中に掲げたお手本を見ながら書いているのでございます」
 
(*5)“老師”とは自分を指導してくれる僧への敬称で「先生」程度の意味。“年老いた”という意味は無い。
 

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すると僧はムッとして大きな声で叫んだ。
「喝!」
 
千里は間髪入れずに答えた。
「キャッツ&ドッグ」
 
「お主やるな・・・」
と僧は悔しそうである!
 
実は「喝!」というシブがき隊のシングルが存在し、その次のシングルが「キャッツ&ドッグ」である。この僧の世代なら知っているだろうと瞬間的に思いついたので答えたのだが「ここ禅寺だったっけ?」などと千里は焦りながら考えている。
 
(観自在寺は真言宗。むろん禅寺ではない)
 
「作麼生(そもさん)!」
「説破(せっぱ)!」
 
「ここに1本の筆が落ちていた。これは誰の筆か?」
と僧は自分の懐から筆を1本取り出して言った。
 
「私のですからもらいます」
と言って、千里は僧の手から筆を奪い取ってしまった!
 
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僧は大笑いして
「参った参った」
と言い、
 
「それがお主の筆なら、これはきっとわしの筆じゃろう」
と言って、千里が写経に使用していた筆を取り上げる。
 
(結果的に筆を交換したことになる。なお千里が使用していたのは佳穂さん手製の特別な筆であり、実は僧は素敵な筆をお布施してもらったようなものである)
 
そして僧は
 
「わしがお手本を書いてやるから、これからはそれを見なくてもいいから掲げて書くように」
 
と言うと、美しい字で般若心経を書き上げ、最後に自分の名前を書いてから
「やる」
と言って千里に渡した。千里は“寛親”と書かれた、その名前を見てびっくりした。
 
「ありがとうございます。頂きます、☆彡寺の寛親僧正様でしたか」
「うむ。知っておったか」
「お名前だけは」
 
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思わぬ大物の名前が出てきて、名前だけは知っている人も何人かいるようで、結構なざわめきがある。
 

「せっかくだから一度音読してみなさい」
と寛親が言う。
 
「音読ですか?」
と千里は情け無さそうに言う。
 
「読めないか?」
寛親は漢字をそのまま書くだけで読んだことが無いのだろうかと思ったようである。
 
「読めないことはないのですが、私の読み方はあまり一般向けではないので」
「構わん、構わん。どんな読み方も供養じゃ」
 
この時、寛親は宗派の違いによる読み方の違いのことかと思ったようである。実は般若心経はいくつもの読み方が存在する。しかしやむを得ないので、千里は寛親が書いてくれた般若心経を音読した!
 
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すると千里と阿闍梨のやりとりを息をのんで見ていた周囲の人物が最初は戸惑うようにし、お互い顔を見合わせ、やがて忍び笑いが漏れ始め、最後に千里が心経を読み終えると、かなり笑っていた!
 
寛親は笑ったりはせず、頷くようにして言った。
 
「ありがたいお経を聞かせてもらった。礼を言うぞ。わしの寿命は今ので3年伸びたな」
 
「毎日お聞かせできないのが残念です」
 
「今気付いた。そなた、どこかの高僧から印可を得ているな?」
 
そういうの何故分かるのだろう?と千里は思いながら答えた。
 
「長谷川瞬嶽と申す僧より、瞬里の名前を頂きました」
「瞬嶽殿のお弟子さんであったか!」
 
「お名前を覚えて頂いているようで幸いです」
「あの人のお弟子さんって、少し変わった人が多いよね?」
などと言っている。
「瞬角さんとか結構変わっていたようです」
「僕、一度、瞬角さんのポルシェに乗せてもらって、二度と乗りたくないと思った」
などと寛親がさっきまでとは違う口調で言うので、さすがの千里も吹き出した。
 
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僧正が千里に握手を求めたので握手したが、僧正がこの後、女僧正になってしまったかどうかは定かでは無い!?
 
ともかくも千里はこの後、阿闍梨の書いてくれたお手本を前に置いて、でもそれは見ずに!般若心経を書き続け(寛親からもらった形になった筆も凄く書きやすかった)、この2日間で40枚(30分に1枚のペース)書き上げて、残りは20枚ほどになった。
 

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10月3日は晴れたので出発する。2日間の休憩で体力もかなり回復している。そして今日はいきなり50km歩行である。
 
朝6時に宿坊を出発。観自在寺にも2日間の宿の御礼参りをしてから歩き始める。最初は10kmほど歩いて内海から山中の遍路道に入り、柳水大師・清水大師とお参りしていく。山道(清水大師は標高460m)を結局9kmほど歩いて国道56号に戻り、8kmほど歩くと津島町に至る。ここまで既に27kmほど歩いており、ふつうの人はここで1泊した方が良い。
 
千里はそのまま歩き続ける。松尾峠はトンネルを抜けずに旧道を歩き、宇和島市街地近くの馬目木大師にお参りしてから市街地を歩いて、龍光院へ。名前が紛らわしいのだが、こちらは別格6番札所になっているお寺である。ここにも到着したのが13時頃である。お参りして休憩した後、更に10km歩く。最終的に41番札所・龍光寺に到着したのは3時半頃であった。
 
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元は隣接している稲荷神社と一体のもので、ここは神社の雰囲気が強く、神社体質の千里には心地よい。「お母ちゃん頑張ってね」という京平の声を聞いた気がした。お遍路を終わったら、京平と緩菜の所に寄って行こう、と千里は思った。
 
今日はここにお参りしてから1kmほど道を戻り、務田(むでん)駅近くの民宿に泊まる。
 
10月3日の行程 53.0km (宿への1kmを含む)
 

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10月4日は晴れである。朝8時に出発し、3.6km(龍光寺から2.6k)歩いてまずは佛木寺に至る。お参りした後、10.6km歩いて明石寺に向かう。
 
務田から龍光寺・佛木寺を通って明石寺方面に行くのは県道31号を行くのだが、ここで歯長峠を越えることになる。多くの人が発信しているが、現在この歯長峠の旧道は、崖崩れのため通行止めの状態が続いている。それで歯長トンネルでバイパスして向こうに抜けることになる。ただしこのトンネルも日によっては工事などにより通行できない時もあるらしい。その場合は佛木寺から高光付近まで8kmほど打ち戻り、国道56号を通って明石寺方面に行くしかない。現地で情報を確認しなければ峠まで行ってから通れないということになった時、あまりにも悲惨すぎる。
 
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千里は佛木寺でお寺の人に訊いてみたら「今日は通れますよ」ということだったので、そのまま県道31号の山道を歩いていった。
 
山道を歩いて行っていると、バイクっぽい大きなエンジン音が聞こえる。かなりの排気量だな。1800ccくらいあるぞ?と思っていたら、実際巨大なバイクに乗った女性!がやってきた。30代のお水系かな?という雰囲気。千里を見てバイクを停める。
 
「お姉ちゃん、歩きなの?乗ってかない?」
「ありがとうございます。でも私は歩きお遍路なので」
「ちょっと車に乗るくらいバレないって」
「同行二人(どうぎょうににん)と言って、遍路は1人で歩いていても弘法大師様と一緒なんです。誰も見ていないと思っても、弘法大師様が見てますよ」
 
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「あんたマジメだね!私、高校時代にマラソン大会で彼氏のバイクに乗せてもらったことあるけど」
「それはさすがにまずいのでは?」
「ダチに告げ口されて叱られて、もう1回先生の監視付きで走らされた」
「あはは」
「でも叱った先生が付き合って一緒に走ってくれたんだよ」
「それはいい先生ですね」
「うん。私も尊敬した」
 

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「でも格好いいワルキューレですね」
「あんた、よくこれがワルキューレって分かるね!」
「Goldwing Valkyrie F6Cですよね? 私もバイクに乗るので」
「そうなんだよ。ゴールドウィングかワルキューレかどっちかにしてくれって名前。あんたのマシンは?」
「Kawasaki ZZR-1400ですよ」
「忍者じゃない奴だ!」
「よくご存知ですね!」
 
ZZR-1400はカワサキのNinjaシリーズのバイクなのだが、この型だけニンジャという名前がタイトルされていない(後継機にはタイトルされた)。
 
結局その女性がバイクを押しながら歩き、千里と話すが、かなり意気投合した。
 
「特別に住所・メールアドレス入りの納め札をあげておきますね」
と言って、千里は“村山千里”名義の納め札を渡した。
 
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「あんた、村山千里って、醍醐春海か!」
「ああ、バレてる」
「ハートライダーに出てたよね?」
「何度か出ました」
「冬の北海道をバイクで走破したの、あんただったよね?あれ感動したよ」
「あれ酷いんですよ。私が下見で1度走行してきたら、『ああ、生きて帰ってきたか。だったら番組にするかな』って」
「あはは、テレビ局ってそんなものだよ」
 
バイクを押しながら30分近く話し、最後は握手して別れる。それで彼女はF6Cで歯長峠方面へ去って行った。30分間スローペースで歩いて千里も結構休憩になった。千里は彼女が戻ってこないので、やはりトンネルは通れるようだと確信し、そのまま歩いて行った。
 
「旧道は通行止めです」という看板が出ている。それでトンネルを通るが、内部は暗く懐中電灯が必要だった。懐中電灯は夜間の遍路になった場合のために常備している。
 
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明石寺にお参りした後は、更に21.4km歩き、大洲(おおず)市に向かったが、この途中でこの過酷な歩行に耐えてきたナイキエアが破裂してしまった。普通のお遍路よりかなり速い速度で歩いて来たので、衝撃も激しかったのだろう。エアが無くても靴底自体のクッションがあるから歩けるのだが、空気が出入りして女児の草履のように音が少しうるさい。それで千里は持っている接着剤で、上下をくっつけてしまった!
 
これで音はしなくなったものの、どこかで新しい靴を買った方がいいかもと考えた。
 
さて、この日は15時頃、大洲市中心部の旅館に投宿した。
 
次の札所までの距離が長いので途中で1泊するのである。伊予の道は、最初の観自在寺から龍光寺までが50km, 佛木寺・明石寺を経て、明石寺から大寶寺までが70kmあるというハードな始まり方をする。
 
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本日のルート。務田を出てから
3.6km(35分)歩いて42.佛木寺(08:30)
10.6km(90分)歩いて43.明石寺(10:45)
21.4km(2時間半)歩いて.伊予大洲の旅館(15:00)
 
お寺の名前の読み方は、ぶつもくじ、めいせきじ。
 
10月4日の行程35.6km
 
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