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■春花(12)

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最御崎寺の後は、室戸半島の西側・土佐湾沿いの海岸を北西に歩いて行く。海岸沿いに少し行った所、室津港に津照寺がある。港を見下ろす小高い丘の上のお寺である。
 
これだけ歩いてきた身としては、何もわざわざ丘の上にお寺を作らなくても、浜のそばに作ってくれたら、いいのにと思ってしまう!
 
地図で見ると室津川の河口にできた三角州の港町かなと思ってしまうのだが、実は荒磯を江戸時代に藩命により、人力で開拓して人工的に作られた港である。工事は極めて難航し、工事を指揮した一木権兵衛は、自分の命を捧げるからと神に祈願して港を完成させ、完成した所で自刃したという。この丘の中腹、一木神社に祭られており、津照寺は丘の頂上付近である。
 
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津照寺からは更に室戸半島西岸を北西に歩き、元(もと)の町に至る。元川の河口付近に発達した町である。そして!
 
ここから約140mの高低差(距離は約2km)を登って金剛頂寺に至る。
 
40km以上歩いてきて結構疲れている状態で最後に140mの登り道はさすがの千里にも、なかなか辛かった。
 
お参りした後は、そこの宿坊に入って休む。今日は幸いにも雨は降らなかった。
 
9月22日の行程46.8km
 

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9月23日(月).
 
金剛頂寺から140mほど山道を下ってから、また室戸半島西岸を北西に進んで行く。海岸沿いに22kmほど歩いてから今日も最後に標高400mのところにある神峯寺(こうのみねじ)まで約4kmの山道を登っていく。三菱財閥の創始者である岩崎弥太郎の母が、息子の出世を祈って毎日この急な坂を登って神峯寺にお参りしていたと言う。
 
しかしこのお遍路の道には、精神を削るルートがたくさん仕掛けられていて、正直歩きお遍路は挫折する人がほとんどなのではという気がした。4年掛けて結願した早百合は偉いと思う。何か願い事があるのだと言っていたが、その願いは叶うのであろうか、と千里は願うような気持ちになった。
 
(その願いが既に叶い喜んでいることを千里はまだ知らない。ところで十種競技は、男子と女子で種目が1つだけ違う。ハードル走が男子は110mHだが、女子はなぜか100mHなのである。なぜ男女で違うのかは諸説ある模様)
 
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神峯寺にお参りした後は、今来た山道を降りて行き、更に海岸線を37km歩いて、夕方5時頃、香南(こうなん)市の市街地に至る。今日はここで泊まり、28番札所の大日寺には明日の朝行く。
 
(同じ「こうなん」でも江南市は愛知県、香南市は高知県)
 
本日の軌跡
 
27.5km(4時間半)歩いて27.神峯寺(10:30-)
37.5km(5時間半)歩いて28.大日寺の近くの宿(17:00-)
 
9月23日の行程65.0km
 
普通の人なら神峯寺を降りた所、唐浜駅の近くで1泊した方が良いと思う。
 

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2019年9月24日(火)は朝から雨だった。
 
朝から折りたたみ傘を差して大日寺までお参りに行って来た。この旅で初めての傘使用である。その後、香南市内で雨があがるのをどこかで待とうと思っていたら
 
「こちらで休んで行かれませんか?お接待ありますよ」
と声を掛けられる。それで休ませてもらったが、20人くらいのお遍路さんが休憩していた。お茶とお菓子を頂く。体力を使うので甘いお菓子はありがたい。
 
「凄くしっかりした靴履いてますね。もしかして歩きお遍路ですか?」
とライダースーツを着た30歳くらいの女性が訊いた。
 
「ええ。霊山寺(りょうぜんじ)から歩いて来ました」
「何日目ですか?」
「えっと9月16日に出発したから9日目かな」
「歩きだけで?」
「ええ」
「それ物凄い速いペースという気がする」
「私、女修験者の鑑札持っているんですよ」
 
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「すごーい!」
と周囲からも声があがる。
 
「その金剛杖や鈴もその辺で売っているのとは違う気がする」
と言っている人もある。
 
「なんか握手してもらったら御利益(ごりやく)ありそう」
などと言うお婆ちゃん(夫と2人で自動車:ジムニー:でのお遍路らしい)があって、結局その場にいる全員と握手することになってしまった! ついでに納札(川島千里名義)も全員に1枚ずつ配った。
 
「月山和紙ですね。出羽の方ですか?」
と「御利益ありそう」と言った人の旦那さんっぽい人が言う。
 
「よくどこの和紙って分かりますね!出羽で鑑札を頂いたんです」
と言って千里が鑑札を見せると、写真を撮っている人までいる!
 

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「じゃ、山形県にお住まいですか?」
「いえ。出羽にはたまたま関わったんですけどね。出身は北海道で、もう10年くらい関東に住んでます。千葉市で6年、東京の世田谷区に引越して4年かな」
 
「あ、私も千葉市ですよ」
とライダースーツの女性。
 
「おお、奇遇ですね」
と彼女と握手をする。
 
「そちらはバイクお遍路ですか?こないだ秩父は私もバイクで巡礼したんですけどね」
「そちらのバイクは?」
「YamahaのYZF-R25というバイクなんですが」
「私はYZF-R3だよ」
「おお、奇遇奇遇!」
と三度(みたび)彼女と握手。
 
「私はとても2ヶ月仕事休めないから、バイクで一週間、実際には金曜の晩から夜中中走って四国まで来て、土曜から日曜まで9日間やって、日曜の夜に一晩中走って帰る予定なんですが」
 
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「それって、若くなきゃできない!」
という声がある。それで彼女とも握手する人があり、千里もノリで彼女と4度目の握手をした。握手のついでに彼女の納札も1枚頂いた。古庄モニカという名前である。
 
「日本人には珍しい名前ですね。ハーフさん?」
「ニューハーフさんだったりして」
「マジ?」
「冗談、冗談。ついでに両親とも日本人だよ」
「びっくりしたぁ。男の娘には見えないし」
 

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10時すぎに雨があかったので各自出発する。ジムニーで回っているという老夫婦からも納札を頂いた。八重龍宮・八重響姫というお名前だったが、切り紙になっている納め札が美しかった。バイクの女性にも
「気をつけて」
と声を掛けたら
「そちらこそ気をつけて」
と言ってくれた。彼女が出発する時、再度(5度目の)握手をした。
 
この日はこの後、このような日程で進んだ。
 
宿から近くまで歩いて28大日寺(07:00)。御接待で休憩。
9.3km(80分)歩いて29国分寺(11:10)
6.9km(54分)歩いて30善楽寺(12:44)
5.7km(51分)歩いて〃安楽寺(14:05)
7.2km(63分)歩いて31竹林寺(15:38)
 
今日は香南市から南国市・高知市と歩くのだが、この付近は市街地が一体化しており、ずっと町中の遍路となった。
 
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お寺の読み方はだいにちじ、こくぶんじ、ぜんらくじ、あんらくじ、ちくりんじ、である。ちなみに安楽寺は善楽寺と30番札所を争っていた所で、現在は和解して安楽寺は30番札所の奥の院ということになっている。竹林寺は、よさこい節に「坊さんカンザシ買うを見た」と歌われた坊さん(純信)が所属していた、高知市市内のお寺である(正確には竹林寺の脇坊・妙高寺の僧)。
 
むろん女装趣味があって自分でカンザシを使ったのではなく(カンザシを差す髪が無いだろ?というのが歌の意味)、彼女への贈り物として買ったものである。
 
今日は高知市内の旅館で休む。
 
9月24日の行程29.1km
 

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9月25日(水).
 
今日は天気が良い。昨日までたくさん雨を降らした前線は四国を離れているようである。この日は朝6時過ぎに宿を出て、下記の札所を巡った。
 
5.7km(50分)歩いて32禅師峰寺(07:00)
7.5km(1時間)歩いて33雪蹊寺(08:40)
6.5km(1時間)歩いて34種間寺(10:10)
9.8km(100分)歩いて35清瀧寺(12:30)
13.9km(120分)歩いて36青龍寺(15:13)
 
読み方は、ぜんじぶじ、せっけいじ、たねまじ、きよたきじ、しょうりゅうじ。知らないと清瀧寺も青龍寺も「せいりゅうじ」と読んでしまいそうである。
 
竹林寺は高知市の浦戸湾の奥の方にあるのだが、禅師峰寺は海岸線近くにある。どちらも浦戸湾の東岸で、次の雪蹊寺は西岸にあるので湾を横断する浦戸大橋(1480m)を渡る。この橋の歩道部は狭いので、結構な恐怖感がある。
 
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雪蹊寺から種間寺・清瀧寺へは市街地っぽい道を歩いて行くが、種間寺・清瀧寺の間で、四国第3の大河である仁淀川(によどがわ)を仁淀川大橋(633m)で越える。そして清瀧寺からは南下して海岸まで出てから宇佐大橋(645m)を越えて、横浪半島にある青龍寺に至る。この日のルートはやたらと大きな橋を越えた。
 
青龍寺の近くにある旅館に入って休んだ。
 
なおここは近くに野球で有名で、他に朝青龍や三都主などの出身校でもある明徳義塾高校がある。朝青龍という名前は実はこの青龍寺から来ている。(だから「あさしょうりゅう」と読む)
 
9月25日の行程43.4km
 

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9月26日(木).
 
今日も天気が良い。今日は青龍寺の近くから次の岩本寺まで行くのだが、この青龍寺のある“横浪半島”というのは、須崎市から土佐市方面へ東に延びる半島で、その先端付近に青龍寺はある。昨日は土佐市側から宇佐大橋(1973年架橋)を越えて、半島の先端にショートカットした訳である。橋が出来る以前は、お遍路さんはここを“龍の渡し”という渡し船に乗ってお参りしていた。
 
さて、ここで岩本寺まで行く“水平距離”での最短ルートは、この横浪半島を走る“横浪スカイライン”(以前は有料道路だったが現在は無料開放)を歩いて半島の根元まで行き、それから国道56号を歩くルートである。横浪スカイラインはとても眺めが良く、お勧めと書いている人も多い。ところがこのルートの最大の問題は、その風光明媚な横浪スカイライン自体がアップダウンが激しく、疲れるだけでなく、見通しが利かないのにスピードを出す車もあって(景色が良いので多分脇見運転も多いかも)、事故の多い道だということである。
 
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それで迂回になるが、宇佐大橋を戻って浦ノ内湾に沿って歩く県道23号を通るルートを使うことにする。この方が水平距離で遠くても、足に掛かる負荷では短いルートになるのである。
 
それで朝7時に旅館を出て、56kmほどのルートを歩いた。約11時間掛けて18時頃に岩本寺まで辿り着くが既に納経時間は過ぎている。お参りは明日にして宿坊に泊めてもらう。
 
9月26日の行程55.8km
 

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9月27日(金).
 
朝から雨が降っているが、傘を差して37番・岩本寺(いわもとじ)にお参りする。
 
次の札所は足摺岬の近くにある38番・金剛福寺であるが、距離は80kmほどある。距離が長いので、途中黒潮町の宿で1泊することにして2日掛けて歩くことにしていた。
 
今居る場所は四万十町なのだが、この後、黒潮町、四万十市、土佐清水市と通って行く(*4)。土佐清水市には桃香の祖母・高園咲子が住んでいる。お遍路するなら、お寄りよと言われていたので、そこにも寄る予定である。
 
岩本寺でそのまま雨が止むのを待ち、お昼頃から歩き始める。そして夕方頃、黒島町の宿に到着。
 
(*4)四万十町と四万十市は別である。高知県には他にも土佐市と土佐町があり別である。四万十市と四万十町は隣接している(四万十市・四万十町・黒潮町の三市町境界点が存在する)が、土佐市と土佐町は離れている。
 
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春花(12)

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