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■春花(8)

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結局その晩はその女性の家に千里を含めて3人の女性が泊めてもらった。全員歩きお遍路である。1人は女子大生、もうひとりは40代の女性だった。女子大生は1年に1国ずつ歩いてきたということで、香川から始めて愛媛、高知ときて、4年目の今年は徳島路を歩いて、これで結願になる予定ということだった。
 
「実際50日もバイトもせずに歩くだけのお金がないので」
「普通そうですよね!」
「8月はずっとバイトしてて、その資金で今年も四国に来ました」
「どちらの方?言葉は九州っぽい気がする」
「佐賀県の呼子(よぶこ)ってところなんですよ。大学は福岡市ですが」
「朝市で有名なところですね」
「そうなんです!」
 
40代の女性は大病をして3年近く入院した末、特効薬が開発され、おかげで完治して退院することができたということだった。
 
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「みんな、病み上がりで大丈夫?とか言ったんですけどね。3年間死の恐怖に隣り合わせで病院のベッドで過ごした体験が、私にお遍路に向かわせたんです」
 
「精神が削られる時間ですね、それ」
「最初は早く退院したいとか、考えていたんだけど、だんだん無気力になってしまって。考え方がどんどんネガティブになっていったんです。私いつ死ぬのかな。死ぬ時って苦しいのかな、とか。だからこれは再出発の旅なんですよ」
 
「人生100年です。まだ半分以上残ってますよ。頑張りましょう」
 
彼女は裸足で歩いているということだった。
 

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千里が結婚して3ヶ月で夫が事故死して、数ヶ月茫然自失の状態で過ごしたこと、忘れ形見の子供が生まれたことから頑張らなきゃと思い直して、既に坂東33ヶ所、西国33ヶ所、秩父34ヶ所をやって、仕上げにお遍路をしようと思っていると言うと
 
「ほんとにそれはショックですね」
とみんな同情してくれた。
 
「結婚して3ヶ月なんていちばん幸せな時期なのに」
「でも子供がいるのなら頑張らなきゃね」
 
「そのお子さんは?」
「友だちに預けてきました。西国33ヶ所は車で回ったから連れていたんですけどね。四国は歩くことにしたから、さすがに0歳児には無理だし」
「いや、西国33ヶ所もけっこう赤ちゃんには辛いですよ」
「お乳が出るように水分取らないといけないけど、水分取り過ぎるとトイレが辛いし」
「それは切実よね!」
「男の人だとその辺でしちゃうんだろうけど」
「女はそうはいかないもんね」
 
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その夜は般若心経を30分で1枚、6枚書いてから寝た。お手本を見ずに書いているので“写経”ではなく純粋な“筆経”では?と《こうちゃん》が突っ込むと『心の中の経本を見ながら書いているんだよ』と千里1が言ったので『うーん』と彼は悩んでいた。
 
翌9月17日(火)。朝御飯を頂き、よくよく御礼を言い「南無大師遍照金剛」と唱えて(本当は最初に声を掛けられた時に唱える)納札も渡してから7時に出発する。女子大生の早百合とは同時出発になった。何となく一緒に歩き出す。この段階ではペースが違うだろうから、その内バラバラになるだろうと思っていた。
 
彼女はヨネックスのウォーキングシューズを履いていた。出発前にアンメルツを塗っていた。40代の女性は体力が微妙なようで少し遅めの出発にしたようである。
 
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この日は出発点近くの9番札所・法輪寺に行った後、
 
3.8km(35分)歩いて10切幡寺(08:00)
9.3km(1時間20分)歩いて11藤井寺(09:50)
12.9km(4時間半)歩いて12焼山寺(14:50)
1.0km(20分)歩いて杖杉庵(16:20)
4.0km(1時間)歩いて宿泊(17:50)
 
と進んだ。読み方は、ほうりんじ、きりはたじ、ふじいでら、しょうさんじ、じょうしんあん、である。焼山寺は、つい訓読みしてしまいがちだがお寺の名前は一般に音読みが多い。
 

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藤井寺から焼山寺(標高700m!)に至る途中で小休憩してお昼にしたが、早百合は千里の速いピッチにしっかり付いてきた。この藤井寺から焼山に至る道はアップダウンが大きく、お遍路随一の難所である。
 
400mほど登って長戸庵
アップダウンを繰り返して柳水庵
100mほど下った後300mほど登って浄蓮庵
300m降りた後、急な山道を200m登って焼山寺
 
下ってまた登るというのが物凄く精神的に削られる。この道は物理的な体力消耗も激しいが、実は精神力も試される場所で、たぶんこの途中でギブアップする人も多いのではと思われた。ちなみに途中の柳水庵は非常時には宿泊も可能である。この道を歩いてきた人は柳水庵・浄蓮庵の納経印を焼山寺で頂くことができる。
 
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千里たちはかなり速いペースで4時間半で歩ききっているが、御遍路道の入口の所には「健脚5時間・平均6時間・弱足8時間」という看板が立っていた。千里は早百合に適宜おにぎり、チョコ、アクエリアスなどを渡してカロリー補給させながら歩き、彼女がアンメルツを塗ったり足をマッサージする時間待ってあげたりした。
 
「よく付いてこれるね。スポーツとかしてた?」
「中学高校の時に陸上部だった」
「それでか!一般的なウォーキング速度より1割くらい速いのに」
「速いなと思ったけど、少し昔を思い出して頑張りましたよ」
 
ずっと後から聞いたら、こんな山中で1人にはなりたくないので必死になって千里に付いていったらしい。でも彼女は陸上でロードなども走っていたせいか、下り道の歩き方が凄くうまかった。ほとんど体力を使わず重力を利用して降りていて、千里のほうが彼女の身体の使い方を学ばせてもらった。
 
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「坂道は足で走るんじゃなくて、身体の重心で走るんだと言われました」
「そのお手本みたいな歩き方してる。早百合ちゃん凄いよ」
 

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実際下りのペースが速かったことから“健脚”の時間より短い時間で到達できた。2人とも足底のしっかりした靴を履いているので岩面でも滑らずに済む。
 
なお彼女が持っているカメラであちこちで一緒に記念写真を撮り、後で送ってくれたので、この徳島路の写真は残ることになる。
 
焼山寺で1時間ほど休んでから、1kmほど(下り200m程度)降りた所に衛門三郎終焉の地の杖杉庵(じょうしんあん)があるので、そこまで2人で一緒に行った。しかし焼山寺道があまりに凄いので、衛門三郎ってこの山道で体力の限界を超えて亡くなったのでは?という気さえした。
 
杖杉庵まで来たのが16時半頃で、ここでお参りした後、山道4km(下り300m程度)を降りて神山町の中心部に至る。藤井寺を出る前にこの中心部付近にある旅館に予約を入れておいたので、18時頃、ここの宿屋に入った。
 
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「でもほんとに早百合ちゃん、頑張ったねぇ!」
「私長距離選手だったから、筋力はないけど体力はあるから。歩く時は歩くのに必要な筋肉だけを動かしているんですよ」
 
「うんうん、そんな感じだった。長距離って5000mとか10000mとか走ってたの?」
「5000mはだいぶ走りました。10000mはまだ走ったことないんですよ。でもマラソンは2回完走してる」
「マラソン完走できるなら10000mは楽勝でしょ?」
「そう言われるんですけど、あれは全然別の競技なんですよ」
 

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「ああ、そうかも。ひたすら長距離?」
 
「私、身体が柔らかいし、総合力があるとか言われて、走り高跳びとか、あと十種競技にも何度か出たことありますよ」
 
「へー。走り幅跳び、走り高跳び、棒高跳び、砲丸投げ、円盤投げ、やり投げ、100m, 200m, 400m, 1500m とかだったっけ?」
 
「惜しいです。200mがなくて、110mハードルなんです」
「ハードルか!」
 
「でも凄いです。9個当てた人は初めてですよ。陸上やってました?」
「私はずっとバスケット部なんだよ。でも高校時代に陸上部の子と一緒にハーフマラソン走ったことはあるよ」
「すごーい!高校生でハーフ走れるって凄いですね。やはりその頃からスタミナあったんですねー」
「中学生の頃はスタミナなくて40分間走り回れなかったんだけど、高校時代にけっこうスタミナ付けたかな」
「かなり努力しましたね」
 
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「明日はどうする?一緒に歩く?別行動にする?」
「よかったら付き合わせて下さい」
「じゃ、頑張ろう」
 
そういう訳で千里は徳島路はずっと彼女と一緒に歩くことになった。この日はお風呂に入った後、彼女の足をマッサージしてあげた。ついでに足の裏の内出血などを《びゃくちゃん》に治療してもらった。
 
9/17の行程34.2km(但し高低差が凄い)
 
(一般に高低差100mは水平距離1km相当と言われる。焼山寺道はアップダウンが2000m近くあるので、水平距離で34kmでも実際は50km以上の歩行に相当する)
 

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翌9月18日(水)は朝7時に出発した。
 
お遍路道は焼山寺で折り返しとなり、吉野川の支流・鮎喰川(あくいがわ)に沿って川下へ東行する。
 
15.0km(3時間)歩いて13大日寺(10:00)
2.3km(20分)歩いて14常楽寺(11:00)
0.7km(6分)歩いて15国分寺(11:45)
1.8km(20分)歩いて16観音寺(12:35)
2.8km(30分)歩いて17井戸寺(13:35)
16.8km(2時間半)歩いて18恩山寺(16:40)
4.0km(29分)歩いて立江寺の宿坊(18:00)
 
読み方は、だいにちじ、じょうらくじ、こくぶんじ、かんおんじ、いどじ、おんざんじ、たつえじ、である。観音寺は、つい「かんのんじ」と読みたくなる。実は観音寺がある町の名前は「かんのんじ」である。
 
井戸寺で出発点の近くまで戻ってきてからは南行して、恩山寺・立江寺と進む。
 
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焼山寺の麓から大日寺までの距離は遠いが、アップダウンがそれほどでもないので速いペースで歩くことができた。観音寺まで行った所でお昼を食べている。最後は19番札所立江寺まで辿り着いているが、納経時間が終わっているので、お参りは明日にして、ここの宿坊に入って休む。この日もお風呂から上がった後、早百合の足をマッサージ、ヒーリングしてあげた。
 
9月18日の行程43.4km
 

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9月19日(木)は朝7時に立江寺でお参りした後、出発する。
 
今日の行程は「1に焼山、2にお鶴、3に太龍」と呼ばれ、お遍路中のNo2/No3難所のコラボである!鶴林寺は標高516mの山の頂上付近、太龍寺は標高600mの山の頂上付近にある。しかし千里と早百合は焼山を既に歩いているので、今日は精神的な余裕があった。
 
13.1km(3時間)歩いて20鶴林寺(10:40)
6.7km(3時間)歩いて21太龍寺(14:40)
4.0km(35分)歩いて宿(16:00)
 
読み方は、かくりんじ、たいりゅうじ。
 
鶴林寺への道は勝浦川沿いに平地を10km歩いた後で3kmの登り道、太龍寺へは400m降りてから500m登るという、また精神力を試される道である。しかし2人はこれをかなり速いペースで踏破した。鶴林寺から400m降りた所でお昼を食べてからその先を歩いている。太龍寺でお参りした後は、登って来た道を4km降りた所にある民宿に泊まった。
 
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9月19日の行程23.8km(登り降りが凄い)
 

9月20日(金)は午後から雨の予報である。それで朝6時に宿を出発して歩き始める。
 
7.0km(1時間)歩いて22平等寺(07:00)
19.7km(3時間)歩いて23薬王寺(10:40)
 
読み方は、びょうどうじ、やくおうじ、と普通に読む。
 
今日のルートは山道を突っ切り、途中土佐中街道(国道195号)と交差する。薬王寺は海岸近く日和佐(ひわさ)駅のそばである。
 
この薬王寺が徳島(阿波)路最後の札所である。早百合はこれで結願となった。4年掛けて88のお寺全てをお参りした。
 
「結願(けちがん)、おめでとう」
「ありがとうございます」
 
それで千里1は早百合と握手した。
 
この後、早百合は日和佐駅からJRで板東駅まで戻り、霊山寺で満願之証をもらってから高野山に行くということだった。徳島行きが12:38なので、近くのお好み焼き屋さんで一緒にお昼を食べ、駅で彼女を見送った。
 
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日和佐12:38-14:11徳島14:17-14:49板東(霊山寺)板東18:59-19:27引田19:33-20:57高松21:13-22:05岡山22:18-23:18新大阪(ネットカフェ泊!)
南海難波9/21 8:19-9:11橋本9:16-9:56極楽橋10:01-10:06高野山10:16-10:30奥の院前
 
千里は午後からは雨が降りそうなので無理をせず、日和佐のドラッグストアで下着の替え、軍手や靴下の替え、電池などを買って装備を調え、着換えや傷んだ靴下など余分な荷物は宅急便で経堂のアパートに送ってから、薬王寺の温泉に泊まった。
 
9月20日の行程26.7km
 
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春花(8)

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