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■春からの生活(16)

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ワルツは玄関を入ってすぐの所にある梵字を書いた紙のペアに驚いたようである。
 
「ここはもしかして神殿か何かなのでは?」
「よく分かったね。ここは実はお稲荷さんなんだよ」
「へー!」
 
「そこの梵字の紙、そして重要なのはこれ」
と言って部屋の奥にある桐の箱を開けてみせる。
 
「鏡が入っている」
「銅鏡ですか?でも白いですね」
「そう。白銅鏡。そう古いものではないよ。30年くらい前のものかな」
「へー」
「特別に見せてあげる」
と言って千里はカーテンを引いて部屋を暗くし、シーリングライトも消灯した上で懐中電灯の灯りを鏡に当てた。すると鏡に反射した光が当たった壁に稲穂の模様が浮かび上がる。
 
「きれーい」
「魔鏡というやつですか?」
「そうそう。これを他の人に見せたのは初めて」
「わぁ」
 
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それで千里はカーテンを開け、銅鏡も桐の箱に戻した。
 

「この鏡とあの梵字。これだけを維持してもらえばいい」
「お供えとかは?」
「必要無い。あと、この部屋ではセックス禁止なんだけど、西湖ちゃんセックスとかしないよね?」
「相手がいません!」
 
「もし男の子の恋人でも女の子の恋人でもできても、セックスしたい時は他の場所でしてもらえるなら、ほんとにタダでいい。実は私自身がなかなかここに来られなくなるけど、ここには誰かが住んでいないと空間が維持できないから困っていたんだよ」
 
「生気を吸われるようなことは?」
とワルツ。
 
「むしろ元気になると思う。物凄いパワースポットになっているから。ここは実は伏見稲荷と直結しているんだよ」
 
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「両親があんなふうなので、長時間何かの作業をしてもらうのが難しいし、ハンコもらうだけでも大変なんです。だからアパート探しはマジでどうしようかと思っていたので、ただ居ればいいのだったら、その話、お受けしたいです」
 
と西湖は言った。
 

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「了解。じゃそうしよう。だからここの家賃は私が払い続けるから、西湖ちゃんはここに居てもらえばいい。光熱費だけ払って。そうだ。私が移動する先には同居人さんが持ってる調理器具があるから、西湖ちゃんがお料理とかするなら、ここの調理器具は置いていくけど」
 
「料理は好きなんですけど、なかなか作る時間が無くて。でもあったら使うかな。新しいの揃えるのはけっこう手間が掛かるし」
 
「OK。あと既に9年くらい使っているものだけどエアコンもそのまま付けておこうか?クリーニングはしておくよ」
 
「助かります。たぶん新しいエアコン買っても、電機屋さんが取り付けに来る時に、私在室していられないです」
「じゃそれも置いていこう」
 
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他に、こたつ、電気カーペット、空気清浄機、除湿器、洗濯機、冷蔵庫も置いていくことにした。退去前にげんちゃんたちに!クリーニングしてもらう。
 
しかしそういう訳で、用賀のアパートは千里1が引っ越した後に、西湖が入ることになったのである。
 

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その後、西湖たちはJ高校の制服を取り扱っている衣料品店が入っているショッピングモールに移動するが、最初にモール内のATMに寄り、西湖はさっき建て替えてもらった入学金を千里に返した。
 
「ありがとうございました」
「はいはい」
 
それで衣料品店に行って、学校から渡された書類を見せて採寸をお願いするが、
 
「あなた標準的な体型だから一週間でできますよ」
 
と、ここでも言われる。同じことを学校でも言われたが、西湖は少し疑問を感じた。158cmの彼は中3男子としてはかなり背が低い方である。その小ささ故にアクアの代理が務められるのだが。普通の男子用の服が大きすぎて中学時代は運動会の応援団衣裳など女子用を着ていた。女子用が入るなら、いっそのことチアガールする?とか言われたが遠慮しておいた(ちょっとやってみたい気はした)。
 
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ともかくもサイズを測ってもらう。バスト、ウェスト、ヒップ、肩幅、袖丈、背丈、それにウェストラインから膝までの高さも測られた。ふーん。男子の採寸も女子と似たような所を測られるんだなと思った。
 
代金はその場で前払いした。
 
その後、教科書を扱っている書店に行き、学校で書いてもらった伝票を見せて教科書セットを購入。次は体操服を扱っているスポーツ用品店に行き体操服を購入、内履きを扱っている書店!?に行き、内履きを購入、通学用靴を扱っている靴屋さんに行き、やはり伝票を見せた上でJ高校指定の通学用ローファーを購入した。
 
「内履きが書店というのは面白いですね」
「何か歴史的経緯があったんだろうけどね」
「でも体操服、サイズ計られてMと言われたのが不思議〜」
「ああ、西湖ちゃんはたいていSだよね」
「日本人の体格がもっと小さかった頃から基準が変わっていなかったりして」
「いや、こういう伝統校ではそれありそう。来年で創立100年らしいし」
「でもこのローファー、内張が派手〜」
「まあ色々伝統があるのかもね」
 
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新宿信濃町の事務所に戻る最中に、西湖はふと思い出して言った。
 
「そうだ。一昨日、S学園の制服も作ってくださいとお店に頼んじゃったんですけど、どうしましょう?」
「うーん。作ってと言っちゃった以上、そのまま作ってもらうしかないんじゃない?キャンセルされても、もう布の裁断とかしているかも知れないし」
とワルツは言う。
 
「そうですよね。それは作ってもらってちゃんと買い取ることにします」
「どっちみち、撮影現場に入る時のために、女子制服は持っていた方がいい」
「そうなんですよね!」
 
西湖は女の子役が多いので、そういう場合、最初から女の子の服を着て現場に入る方がスムーズに役の中に入っていける。それで今までも中学生の女子制服っぽい服を数種類所有していたのである。
 
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「でもJ高校の男子制服とS学園の女子制服があるというのは面白いかも」
 
「J高校とS学園はどちらも用賀駅で生徒が入り乱れるから、S学園の女子制服を着ていたら、そちらの生徒と思われそうだね」
 
「あ、そうですね!」
 

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J高校の入学許可証は翌日、3月23日(金)に到着した。
 
J高校に入れることになったので、S学園の方には入学辞退の申し入れをする必要がある。ところがそれは保護者に電話してもらわなければならない。西湖は父にも母にも電話を掛けてみたが、呼び出し音が聞こえるだけで取ってもらえない。それでメールをしてみた。
 
23日の深夜になって、母から電話があった。
 
「へー!J学園の入学許可をもらったの?」
「いや、J学園じゃなくてJ高校だよ」
 
と言いつつ、西湖は、お母ちゃん、お父ちゃんから聞いてないの〜?と思う。
 
「知り合いの先生に連絡して話付けてって、裏口入学みたいなもの?」
「それとは違うと思うけどなあ。別に高額寄付金とか払った訳でもないし」
 
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「じゃ2つの学校に合格したことになるわけね。どちらに行くの?」
「S学園は女子校だから、J高校だと思う。結構こちらは厳しい学校なんだけどね」
「厳しいというと?」
 
「S学園は出席日数の半分出ていればいいし、期末試験で20点未満の赤点取っても20点以上取れるまで何度も追試してくれるらしいんだよ。しかも同じ問題で!でもJ高校は出席日数の3分の2以上出ないといけないし、40点未満が赤点で、追試も1回しかないらしくて、本試験とは別問題で、それ落とすと留年なんだよね」
 
「あんたほとんど勉強してないでしょう?そんな厳しい学校大丈夫?それにたぶんアクアちゃんは今年・来年まではいいけど、再来年は高校卒業して日程が物凄いことになるよ。たぶんあんた、ほとんど学校に行けなくなるよ」
 
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「うっ・・・・」
 
そのことは西湖は全く考えていなかった。確かに今はアクアはさんは高校生だからこそ、平日はわりと休める。卒業してしまうとフル稼働になる。その時、ほんとに自分の日程はどうなるんだろう?
 
「そんな厳しいJ学園よりS高校に行ったら?」
「女子校だから無理だよぉ」
と言いながら、お母ちゃん、2つの高校の名前がごっちゃになってると思った。
 
「ほんとに大丈夫?難しい高校に行って途中で退学になるくらいなら、最初から易しい高校に行った方がいいと思うよ」
 
「でもボク女の子になりたい訳でもないし、女子高行くなんて無茶だから、何とかJ高校で頑張るよ」
 

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「分かった。そしたら、行かない方には辞退の連絡しないといけないんでしょ?」
 
「そうなんだよ。これ生徒からの連絡ではダメで、保護者から電話で学校に申し入れて下さいということになっているんだよね。そしたら学校から書類が送られてくるから、それに記入して返送する。記入には保護者の署名捺印も必要だから、それもお願い」
 
「分かった。でも土日は学校やってないよね?」
「うん。だから月曜日になっちゃうかな」
「じゃ月曜日の午前中に電話してみるよ」
「ありがとう。色々配慮してもらったのに申し訳無いと言っておいてくれる?」
「分かった。言っておく」
 

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さて、西湖自身は受験のためにだいぶ仕事を休み、その間リズムやスピカに代わってもらっていたので、22日にJ高校に行くというのが確定した後、どんどん仕事が入れられた。
 
23日はまだ午前中だけだったのだが(それでJ高校の入学許可証を受け取ることができた)、24日から27日までは(普通の学生は)春休みなので、時代劇の撮影で、つくばみらい市のワープステーション江戸に行き、早朝から深夜まで撮影をした。
 
アクアからは
「西湖ちゃん、ごめんねー。ボクの仕事に付き合って全然受験勉強ができなかったんでしょ?でも入る所決まって良かったね」
と言ってもらった。
 
「いえ、ちゃんと勉強してなかったボクが悪いんです。アクアさんはちゃんと仕事しながらお勉強しているみたいだし」
と西湖は答える。
 
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「ボクも中学時代はほんとに勉強してなくて、英語も全然分からなかったんだよ。それで反省して高校に入ってから中学の英語を勉強し直しているんだよね。何ならボクと一緒に少し勉強しない?」
 
「やります!」
 

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撮影は時代劇なので和服である。過去にも和服での撮影は何度かあったものの、ここまで濃厚な撮影は初体験であった。
 
「洋服に比べて和服って身体の凹凸が分かりにくいですよね」
「むしろ寸胴体型の方が、和服は着やすい」
「巻きスカートと同じで体型が変わっても留めるポイントを変えるだけでそのまま着られる」
「実は男物と女物の差は柄だけかも」
「まあ、他に帯が違うし、男性は《おはしょり》をしない習慣なんだけどね」
 
「この和服って実際に江戸時代の様式なんですかね?」
と葉月が半ばひとりごとのように言うと
 
「全く違うよ」
と近くに居た藤原中臣さんが言う。ふたりは藤原さんに会釈する。
 
今回のドラマではベテラン同心・山門新五郎を演じているが『キャッツアイ』の映画ではカジノの支配人役であった。重厚なバイプレイヤーである。
 
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「まあそもそも江戸時代に化繊の和服は無い」
「確かに!」
 
「着付けにしても実際にはこの着方はほぼ現代の着方だよ」
「そうなんですか!?」
 
「こういう広い帯を使い始めたのは江戸時代も後期になってからだし、帯の結び目も前結びが主流だったんだよ」
「へー!」
 
「江戸時代の後期に最初遊郭で後ろ結びが流行り出して、その後一般の女性でも未婚の女性が後ろ結びをするようになる。未婚の子はお母さんが締めてあげられるから」
「なるほどー」
 
「でも後ろ結びが普及してても、遊女の最高級ランクである花魁(おいらん)は前結びのままだったんだよね。あるいはいったん後ろ結びになっていたのを昔のやり方に戻したのかも知れない」
 
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「あ、現代のお祭りでやってる花魁道中とか前結びですね」
「そうそう」
 

「ボクはひとりで和服を着る時は前で結んでぐるりと回すんですよ」
とアクアが言うと
 
「そうそう。ボクも若い頃女役やった時に、その半回転方式でやってた」
「わあ、藤原さんも女役なさったんですか?」
「あれは黒歴史にしたいけどね」
「へー」
 
「ボクは大部屋俳優だったから、女が足りない時は、結構女物の服を着せられて、大奥女中とか、芸者とか、そういう役をやらされたよ」
「わあ」
 
「だから男物の侍の服着て立ち回りでぞろぞろ出てきて主役に斬られる役をして、その後今度は女物の和服着て、悪徳代官と越後屋が密談する場でまたぞろぞろ出てくる遊女役」
「忙しいですね!」
 
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「予算が無いから少ない人数で撮影していたしね」
「2人分ギャラもらいたい感じ」
「そうそう、僕もそう思ってた!」
と藤原さんは懐かしそうに言う。
 

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「そうだ。今井(葉月)ちゃんのおじいさんとも共演したことあるよ」
と彼は少し遠くを見るような目をして言った。
 
「わ、蛍蝶とですか?」
と葉月が驚く。
 
「蛍蝶さんが花魁(おいらん)で、ボクは下っ端の散茶女郎でさ」
「さんちゃ?」
 
「散茶ってのは茶葉を挽いて袋に入れたティーバッグ状のお茶でね」
「そういうのが江戸時代にあったんですか?」
 
「そうそう。上等なお茶は茶葉を袋に入れ、お湯の中で振って茶の成分を出す。でも散茶は挽いてあるから、振らなくてもちゃんとお茶の成分が出てくる。それで客を振らずに誰とでも付き合う女郎を散茶女郎と言ったんだよ」
 
「へー!」
「日本語ってそういう言葉遊び多いですね。ドラ息子とかシャッポを脱ぐとか」
 
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(ドラ→鐘を突く→金を尽く→ドラ息子/兜を脱ぐ→シャッポを脱ぐ)
 
「そうそう。大根役者なんてのもそう。僕のことだけど」
と藤原さんが言うと
「藤原さんはイチロー役者です」
とアクアが言う。
 
「君、頭の回転が速いな」
「いえ、これ大根役者の反対は何だろうと今井と話したことあったもので」
 
(大根で食中毒は起きない→当たらない→大根役者/イチローのバットはよく当たる)
 
「なるほどー。そういう訳で、花魁は偉いから、自分の気に入らない客とは付き合わない。でも下っ端の散茶女郎はそんなこと言ってたら稼げないから誰とでも遊ぶ」
 
「客を選ぶってのは面白いですね」
「日本的感覚だと思うよ。遊郭では花魁が上座に座って客は下座だし」
「そのあたりも凄い」
 
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「だけど蛍蝶さんの孫娘さんと共演できるというのは長く役者やってきて良かったと思うよ」
 
と藤原さんがほんとに嬉しそうに言うと、アクアも葉月も
 
「孫娘じゃなくて孫息子ですー」
 
とは、とても言えず、一瞬顔を見合わせてから、曖昧に微笑んでいた。
 

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西湖が時代劇の撮影から自宅に戻って来たのは、3月27日(火)の深夜である。
 
郵便物が来ているのでチェックする。ひとつはS学園からの手紙である。開封してみる。
 
入学者オリエンテーションを4月1日(日)に行うので、入学する人は全員参加してくださいというものである。それに加えて、入学前に天月西湖さんとは保護者を交えて、就学についての事前打ち合わせをしておきたいので、都合の良い日付を連絡してほしいという、教頭先生の直筆の手紙が入っていた。たぶん性別問題についてあれこれ細かい打合せをしたいということだったのだろうが、これは入学辞退の手続きと行き違いになったなと西湖は思った。
 
もうひとつの封書を開けてみる。
 
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え!?
 
西湖は目を疑った。
 
 
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春からの生活(16)

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