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■春銀(18)
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津幡のアクアゾーンが竣工した後は、火牛スポーツセンターの地下に青葉が個人的に作っていたプライベートプールにも同様の改造をおこない、工事中、アクアゾーンの50mプールを彼女たち専用として運用した。5月1日にその工事が完了。日本代表候補の人たちはそちらに移ってもらい、アクアゾーンの50mプールもスイミングクラブの会員の上級者に開放した。また会員でなくても近隣の高校・大学の水泳部の人たちに開放することにした。
このブールは、手摺りや踏み板表面にウィルスが早く死滅する銅をふんだんに使っているほか、50mプールも25mプールも、感染防止のため、各レーンの水が各々独立循環するようになっていて、プールの水を通しての感染はまず起きないようにしている。それに各レーンには同時には1人しか入れない(プール自体にレーンの数までしか人を入れない)ので複数人でレーンを共有することはない。さらに1人が使った後、次の人が使うまで(水が入れ替わるまで)一定の時間を置くようにしているし、ロッカーも誰かが使ったロッカーは自動的にアルコール噴霧により消毒されるようになっている。
更には入場者は検温した上で簡易検査キットでコロナ陰性であることを確認してからしか更衣室に入れないという徹底ぶりである。しかしそこまで徹底している故に、練習場所が無くて困っていた水泳部の人たちにも安心して利用してもらうことができた。
若葉は5月1日にプライベートプールの改造工事が終わると、そのスタッフに埼玉県熊谷市の郷愁村リゾートに移動してもらい、ここにも津幡と同様の改造を施した。この作業は50mプール→25mプール→遊泳プールの順に進めた。
最初に改造が終わった50mプールは日本水連に“日本代表候補限定”で津幡同様“1レーン1人”の運用ルールを守ってくれることを条件に無償で利用してもらうことにした。こちらは水連の要望で25m×20レーンの状態でアクリル板による水の分離を行った。つまりここは津幡の50mとは逆に、50m×10レーンでは使用できないが、より多くの選手が使えるようにするための措置である。
特に白血病から回復したばかりでコロナでなくても全ての感染症に弱い状態にある某女子選手には、専用レーンを割り当てて、他の選手は空いていてもそのレーンは使わせないという特別運用をすることにした。
50mプールの次に改造ができた25mプールは、津幡同様、現地の高校生などに開放した。そして遊泳プールの改造まで終わったのが6月下旬で、若葉はここを7月6日(月)にオープンさせると発表した。平日オープンはやはり混雑を避けるためである。予約制にして、密度が高くなるのを避けるようにもしている。
郷愁プールを7月6日(月)に一般開放するので、そのシミュレーションも兼ねて、一週間前の6月29日(月)に津幡の火牛アクアゾーン遊泳プールを一般開放することにした。こちらも要予約で、1日を9:00-13:00/14:00-18:00の2つの時間帯に分け、各時間帯別に100組限定である。
時間前に来て待つ人の列で“密”が発生しないようにするのも兼ねて、若葉はアクアゾーンの一部を改造して、ロング滑り台と“外周回プール”を作った。滑り台は、常に水が流れていて、その水が(個別の)浄水設備を通って循環しているので、感染確率の低い状態で遊ぶことができる(利用には感染検査を通ることが必要)。火牛ホテル(2F)のフロアから地下プールまで、高低差21mを滑り降りるので結構楽しい。緩急2つあり、“緩”は幼児でも安心して楽しめる、ゆるやかな滑り台、“急”はミニスライダーという感じで刺激を求める人向けである。ストレート、スパイラルA・Bの3種類があるが、よりハードなスパイラルB(中学生以上・65歳未満限定)が人気だった。
午前のチケットを持っている人は午後、午後のチケットを持っている人は午前に100円で利用できる。定員に余裕がある日は予約することにより、ここだけ800円で利用できる(いづれも外周回プールとセット)。これがわりと人気が出て収支が改善されることになる(若葉が、またお金が増える、とぶつぶつ言っていた)。
2階の飲食店はテイクアウトのみの運用で、できるだけ、来場者各自の車の中で食べてもらうことを推奨する。
また休憩スペースは予め敷いていたカーペットを撤去してフローリングの状態で運用。休む人には個人用のカーペットとタオルケットを貸し出し、回収したものは洗浄して高温で乾燥させてからしか再利用しないような運用にした。このカーペット・タオルケット代(+クリーニング代)は最初から入場料に含まれているので追加の支払いは無いようにする。そうしなないとフローリング上に直接寝る人が大量発生してクラスターの温床になりかねない。そのため入場料は当初1200-1500円程度を予定していたのを2500円という(田舎にしては)高めの値段設定にした。
「かなりの赤字になるのでは?」
と〒〒テレビの森本アナウンサーの取材で心配そうに質問された若葉は
「ええ。お金が減って助かります」
と答えたので森本は
「は!?」
と戸惑うような声をあげた。取材ビデオを見て青葉が吹き出した。
恵馬(恵真)が水着撮影をし帰宅後そのまま女の子の格好をしていたら帰宅した姉に裸になってみるよう言われ、“女の子に変身した”姿を母と姉に見せた、8月12日。
夕方近くになってから弟の香沙(かずな)が映画から帰ってきた。
「なんで、まー兄ちゃん、スカート穿いてるの?」
と訊いた。
すると姉が
「まーちゃんは女の子になったんだよ」
と言った。
「え〜?どうやって女の子になったの?」
「病院で、男の子をやめて女の子になる手術を受けたんだよ。まーちゃんの胸に触ってごらんよ」
すると香沙は恐る恐る恵真の胸に触る。
「あ、おっぱいがある」
「ちんちんも無いよね?」
と姉が訊くので
「触っていいよ」
と恵真は言った。
香沙はおそるおそる、ワンピースの上からお股に触る。
「ちんちんが無い。まるで女の子みたい」
と香沙。
「女の子になったからね」
と姉。
「まーちゃんは、もう女の子だからお兄ちゃんじゃなくて、お姉ちゃんと呼んであげて」
「だったら、お姉ちゃんが2人?」
「これでうちは、男の子2人と女の子2人だね」
と母も言う。
「私がひー姉ちゃんで、こちらは、まー姉ちゃんだね」
「分かった」
「名前も“けいま”はやめて“えま”にするから」
「まー兄ちゃんじゃなくて、まー姉ちゃんは、“えま”としか呼ばれていなかった気がする」
と香沙まで言っている。
「そうなんだよね」
「進研ゼミとかの宛名も“えま様”と振り仮名振ってあったじゃん」
「そうそう」
あれは確信犯(誤用)だったんだけどな、と恵真は思う。
「かずちゃんも女の子になる?簡単な手術で女の子になれるよ」
「それって、もしかしてちんちん切っちゃうの?」
「もちろん」
「そんなの僕は嫌だ」
と弟は、不安そうに答えた。
「手術受けるの怖かったら、寝ている間に病院に運び込んで手術してもらう手もあるけど、恵真も実は昼寝している間に病院に運び込んじゃったんだよ。麻酔から醒めて、本人はびっくりしてたけど、女の子になれて良かったと嬉しがってた」
などと母はジョーク(?)を言うが
「やめて!僕絶対女の子にはなりたくないから」
と香沙はマジで怖がっていた!
それで弟はその日から寝る時、自分の部屋に鍵を掛けて寝るようになった!
(もっとも香沙は普段からHな本を見たりする時に部屋に鍵を掛けている)
でも恵真は自分の着た服を洗濯した後、堂々と他の家族の分と一緒に干すようになった。
これでこの家で男物の下着を着けるのは香沙だけになった。
姉は自分の部屋(パーティション)に恵真を呼ぶと言った。
「私の小さくなった服とかあげるから持って行きなよ」
「もらっちゃおうかな」
「これで小さくなったスカートとかをあんたにあげられる」
「結構段ボールに入れられてたのを穿いてた」
「まあ女装教育用に置いてたからね」
「でもボク元々女の子の服を着たいと思ってた気がする」
「だから置いていたのさ。あんた七五三でも私のお下がりを着たし」
「そうだっけ?ボク男の子用の和服とか着たんじゃなかったんだっけ?」
「本当は私が数え7歳の時に、まーちゃんは数え5歳だったから、まーちゃんには男の子用の和服を用意して、一緒に行こうとした。ところがあんた、この服は嫌だ、お姉ちゃんと一緒のがいいとダダをこねてさ」
「へー。全然覚えてない」
「だから、お母ちゃんは『だったらあんたも年長さんになったらね』と言って、その年は私の七五三だけした。そして2年後、あんたに私のお下がりの女の子の和服を着せて、香沙には2年前にあんたに着せるはずだった男物の和服を着せて七五三に行ったんだよ」
「へー。そうだったのか」
「そもそも凄く小さい頃はあんた、私のお下がりばかり着てたし」
「そう?」
「(覚行)兄ちゃんと私は4つ離れているし男女が違うから、兄ちゃんのお下がりは従弟のさとちゃんにあげていた。そして私は新しい服を買ってもらっていた。そして私が着た服をまーちゃんが着ていた」
「そういう流れか」
「さとちゃんが着た服を香沙がもらうこともあった」
「往復して来たりして」
「それは無いと思うよ。男の子って乱暴だから男の子が2人も着た服は使えない」
「ああ」
(略系図)再掲
「女の子は大事に着るから、私が着て、まーちゃんが着た服が更に、ゆめちゃんに行っているケースもある」
「ボク、女の子サイクルに入っていたのか」
「表向きは私が着た服ということで。でも実はまーちゃんも着ている」
「お姉ちゃんが着た服というのは事実だ」
「そういうこと。小学生くらいではお下がりは上着やズボン・スカートが多いけど、ごく小さい頃は、あんた私のお下がりの下着もつけてたらしいよ」
「嘘!?」
「小さい内はいいよね、とかいって、私が着たプリキュアのシャツとかショーツとかも着せてたらしい」
「それは知らなかった」
「幼稚園に入る時に園で着替えることもあるから、さすがに女の子の下着を着せるわけにはいかないというので、お兄ちゃんが穿いてるような仮面ライダーのトランクスを買って来て穿かせようとしたら嫌がって」
「へー」
「それでポケモンのブリーフで妥協してもらったと」
「それでボクだけブリーフだったのか」
姉は普段着のもう自分では着ないものもくれたが、中学の時に着ていたセーラー服と、現在通っているL高校の制服(いづれも夏服・冬服)で姉が昨年途中まで着ていた服も「よかったら着て」と言って渡した。
「香沙は着ないだろうし」
「まああの子は着ないよね」
「あんたまだ胸が小さいから入るよね」
と言われる。実際L高校の制服を試着してみると特に問題無い。姉は胸が入らなくなって作り直したのである。
「まああんたも胸がもっと大きくなってきたら着られなくなるけど、取り敢えず今の所は着られるから着てお出かけすればいいよ」
「じゃ胸が入る内は着ちゃおうかな」
と恵真がいうと
「ふーん」
と姉は言った。恵真は姉がなぜ「ふーん」と言ったのか分からなかった。
「でもボクがこれ着てたら、L高校の女子生徒かと思われないかな」
「うちの学園祭に潜入するのにはいいかもね」
なお姉が中学時代に着ていたセーラー服も普通に着られた。
「あんたまだ中学生でも通るから、それで中学にも潜入できるよ」
「潜入ってどういう状況だろう」
「あちこちに中学生料金で入れたりしてね」
「物事には理由というか大義名分が必要だよね」
とその日、雨宮先生は、たまたま§§ミュージックで遭遇した、アクアと葉月の前で言った。
「織田信長はどっちみち、長くは持たなかった。明智光秀がやらなくても、秀吉か家康にやられていた。本当に信長に心酔してたのは、柴田勝家や丹羽長秀くらいだよ」
「まあ、そんなものでしょうね」
「しかし秀吉にしても家康にしても、自分から手を出す訳にはいかなかった。秀吉が自分で直接手を汚せば、主君を殺した男と言われ、人望を失っていた。家康も、それこそ秀吉・勝家らの軍に“殿の仇”とか言われて倒されていたろう」
「だから光秀が信長をやったのは、絶好の機会だったんでしょうね」
とその日来ていたケイも言う。
「信長自身、尾張統一の時に同様の手法を使っている。尾張守護の斯波義統(しば・よしむね)を、守護代であり信長のライバルであった織田信友の勢力が殺害した。すると、信長は『大和守(信友)は主君殺しの大罪人』と糾弾して、これを倒してしまう。結果的に信長は、目の上のタンコブとライバルを一気に葬ることができて、尾張の統一者となった」
と雨宮先生。
「信長から秀吉への天下継承と全くバターンが似てますね」
とアクア。
「斯波義統殺害から織田信友殺害までは9ヶ月ほどある。11日しかもたなかった光秀はあまりにも早く倒れすぎたな」
「無計画すぎたんでしょうね」
とコスモスも言う。
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