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■春銀(15)
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クラウドは朝、大阪のホテルで爽快に目が覚めた。彼は眠り薬で眠ったこと、睡眠薬を打たれていたことには全く気付いていない。
取り敢えずトイレに行き、便座をあげておしっこをしようとしたら、おしっこがちんちんの先から出ずに下にこぼれてしまうので、慌てて止める。
「何?何?どうしたの?」
と思って自分のちんちんを確認すると、ちんちんの先に尿道口が無い。
「嘘!?」
と思い、座り込んでよく見ると、完全に女性化していた時期のように、おしっこは割れ目ちゃんの中から出てくるようになっていることに気付く。
「そんなぁ。女性化が進んだ?」
と焦る。
しかし尿意がかなり残っている。仕方ないので取り敢えず便座を降ろし便器に座って、“女のように”おしっこをした。した後、尿道口の周囲がかなり濡れているので“女のように”トイレットペーパーで拭く必要があった。自分の身体を拭いていたら床が汚れていることに気付いたので、そこも拭いて便器の中に捨てる。
「ちんこ自体、昨日までより短くなった気がする」
(いったん消失させられたことは知らない)
「ちょっとシャワー浴びてからよく考えよう」
などとつぶやき、服を脱いでから浴槽の中に入りシャワーを浴びた。
それで髪を洗い、顔を洗い、それから首や耳の後ろを洗ってから胸を洗おうとして空振りする。
「え!?」
よくよく見るとバストが消失していることに気付く。
「なんで〜!?」
と叫んでしまったが、胸が無いのはいいことだ。
「助かったぁ。ブラジャーとか着けてるのバレたら変態だと思われる所だった」
などと言っている。これまではノーブラでは走ったりした時に痛いので仕方なくブラジャーをしていたのである。ブラジャーをお店に買いに行くと痴漢として通報されそうなので、セシールの通販で買っていた。
そういう訳で本人としては大いに戸惑い、立っておしっこができなくなったのもとても困ったのだが、取り敢えずブラジャーは着けずに済むようになったのである。なお所持していたブラジャーは帰宅後全てゴミに出した。万一所持していて、落としたりすると、絶対どこかで盗んだものと思われると思った。
生理についても、そろそろ来る頃かなと思ったのが来ないので
「まさか妊娠してないよね?」
と不安になり(男性とセックスした記憶は無いが)、妊娠検査薬を買ってきてチェックしてみたが陰性なのでホッとする。
しかし彼はその後、最後の月経から1ヶ月半後、2ヶ月後にも妊娠検査薬を使ってみた。彼が「どうも生理は止まったようだ」と認識するのは最後の月経から半年後である。
なお、クラウドの車は、2月に買った時はピザ屋さんの塗装がされていたのを『夜はネルネル』の番組内で、3月にたこ焼き屋さんの塗装に変更され、4月にはハンバーガー屋さんの塗装、5月にはタピオカドリンク屋さん、6月には焼鳥屋さん、7月にはアイスクリーム屋さん、と次々と塗装を変更されていた。
個人の車なのに!
「これあまりやり過ぎると塗装が厚くなりすぎて、その内重量オーバーになるかもな」
「その前に塗装丸ごと落下しそうな気もします」
などとケイナと健康バッドは無責任に会話していた。
マリナは、千里と一緒に大阪まで行ったついでに寝屋川市の渚のお店に誘った。なお今回の遠出は、千里のアテンザ・ワゴンXDを、マリナと千里が交代で運転してきている。
お店の外に「お持ち帰り弁当600円」という、A4のPPC用紙に手書きした紙が張られている。
「へー。テイクアウトもやってるんだ?」
と千里は言った。
「毎日用意した分がソールドアウトするから、店の売り上げはコロナ前より上がっているらしいです」
とマリナが説明する。
「それはいいね」
「配達もしていて、彼女の旦那がミラを運転して配達してまわっているらしいですよ」
「大将は調理場に居なくてもいいの?」
「旦那は調理音痴だから絶対に厨房に立たせないそうです」
「調理音痴なのに、飲食店やってるんだ!」
「彼氏のお父さんが始めた店なんですよ。お父さんが亡くなった後、お母さんが調理してたけど客足は遠のいていたんです。そこに渚が入って客が戻ってきたらしくて」
「じゃ、彼女は大恩人か」
「逃げられたくないから結婚しちゃったんじゃないかという気もします」
「まあ離婚する手はあるね」
「それは言ってます」
などと言って、2人は店内に入った。
「すみません。まだ開けてないんですがって、何だマリナちゃんか。あ、醍醐春海さんまで!」
「あれ?知ってた?」
「去年、歯長峠で会ったね」
と千里が笑顔で言う。
「うん。去年バイクでお遍路した時に、途中で会ったのよ」
と渚もマリナに説明した。
マリナは、昨年渚がたぶん“自然性転換”の直前頃に醍醐先生と会っていたということを聞き、渚が性転換してしまった理由を理解した。
「知り合いなら都合が良かった。営業前で悪いけど、残りもんでいいから、何か朝こばんを出してもらえない?」
「OKOK」
それで鮭を焼いてくれて、御飯とお味噌汁も出してくれた。
「だけどそんな大きなお腹抱えてお店に出てるんだ?」
「お医者さんからは予定日の1週間前になったら休みなさいと言われている。一応私の産休中の代理の調理人さんを頼んでいる。出産後1ヶ月も休ませてもらう予定」
「でもお味噌汁が美味しい」
「個人的には信州味噌も好きなんですけどねー。これは大阪市内の味噌蔵から直接買っているものです」
「鮭も美味しい。これ本物の鮭だね。西日本ではしばしば鱒が使われてるから」
「実際、鮭と鱒の違いが分からない人も多いみたいですよ。でも美味しいというのは分かるみたい。これは北海道の業者さんからの直送だったりします。うち、結構素材にこっているんですよ。先代(彼女の夫の父)からのこだわりで」
と渚は仕込みをしながら説明する。
「だから近隣の他の店より少し高いけど客は入っている」
とマリナ。
「それでもコロナで一時的に客がほとんどいなくなった時はどうしようかと思った」
と渚。
「私が必要ならお金貸すから、店の環境を改善して絶対に感染が起きない環境にしなさいと言った」
とマリナは言っている。
「あれは助かった。実際お店を改装するにも資金が無い〜!ってあの時は思ったもんね。うちは幸いにも料理が中心で“酒類提供飲食店”ではなかったんで、休業要請の対象ではなかったんです。でも窓を開けて運用することにして、雨風避けに窓の外側にシェードを設置して。箸とか食器もエコじゃないけど、使い捨てのものに変更して。カウンターにもこうやって透明アクリルの板を設置したんですよ。空気清浄機も買ったし、入口の所に非接触式の体温計を設置して37.5度以上の人はアラームが鳴るようにして」
「結構投資してるね」
「3月の時点ではマスクを入手できずにいる人がいたけど、マリナちゃんから送ってもらったのをお客さんに配布して、食事前の待ち時間も食事が終わった後もそれをしてもらうようにして」
「あのマスクは醍醐先生から頂いたんだよ」
「そうだったんですか!本当にありがとうございます。助かりました」
「そういえばふと思ったんだけど」
と千里は言った。
「このお店の名前、マウント・フジヤマって、マウントとヤマが重語になってるね」
「そうなんですよね。先代が苗字の藤山に掛けて決めたんですが、時々それを指摘されます」
と渚。
「まあ、イーバンク銀行とか洞爺湖の類いかな」
とマリナは言った。
(洞爺湖の“とうや”は湖の意味。オンネトーのトーと同じ。昔、倭人がアイヌの人に「ここは何?」と訊いたら「トーヤ」(湖だ)と答えられたので、トーヤという名前の湖かと思って、倭人は“トーヤ湖”と呼ぶようになったという伝説がある。似た話はインドの“カレー”(単に食事という意味)、九官鳥なとにもある。ヨーロッパのエルベ川も元々“エルベ”自体が“川”という意味らしい)
恵馬が住んでいる家は、1階に畳敷きのDK(シンクの前だけ板張り)と和室(4.5畳), 2階に和室が2部屋(10畳と6畳)ある小さな家である。
元々は祖父(母の父)が昭和40年代に建てたものだ。それ以前に建っていたぼろ家(土地ごと買った)を名目上改築したものだが、実際にはほぼ完全な建て替えだったらしい。現在ならこんなに畳敷きの多い家は建てられない。また、建蔽率もやばい。敷地ぎりぎりくらいに建てられている。足場も組めないと思うので、どうやって建築したのか不思議!道路にも面してない(他人の敷地内を通過しないと道路に出られない)ので、完全な再建不能物件である。
1997年に祖父が亡くなった後、母・紘子とその兄・弦太がこれを相続することになったが、弦太は既に独立していたこともあり、恵馬たちの父・豊和は、この家と土地の評価額(本当に価値があるのか?)の半分を弦太に払い、結果的に恵馬たちの両親(紘子・豊和)が共同で所有することになった。お金は10年ローンで銀行から借りたが、返済が終わって間もない頃、父・豊和は亡くなった。もし父がローン完済前に亡くなっていたら、母は残債を払えずにこの家を売却することになっていたかも知れないなどと母は言う(実際には売れない気がする)。
(父の遺産は、親族の助言(特に豊和の父の号令!)に基づき子供4人には相続放棄させ、豊和の両親と兄弟たちも相続放棄したので、母・紘子が全て相続した。勤めていた会社の株を所有していたのでそれを会社に買い取ってもらい、相続税を払った)
恵馬は4人きょうだいであり、大学生の兄・覚行は大学の近くにアパートを借りて1人で住んでおり、ここに今住んでいるのは母・紘子と、姉の飛早子、恵馬、弟の香沙の合計4人である。父は4人の子供に角行・飛車・桂馬・香車にちなんだ名前を付けたのである。まだ更に子供ができていたら金将・銀将にちなんだ名前になる予定だったらしい。
略系図↓
両親が結婚した頃は、祖父母が1階の和室、両親が2階6畳の部屋に住んでいた。6畳の部屋だったのは、元々10畳を母の兄・弦太が使い、6畳を紘子が使っていたから、その延長だった。
子供が生まれると両親は最初の内は生まれた子供を同じ部屋に寝せていたが、さすがに狭くなってくる。飛早子まで生まれた段階で両親は10畳の部屋に移動した。更に恵馬が生まれると、長男の覚行は独立させることにして、彼に「幼稚園生は1人で寝よう」と言って6畳の部屋で寝るようにさせた。更に香沙が生まれたると、飛早子も独立させることにして10畳の部屋をパーティションで切って、その1つに飛早子を寝せ、両親と恵馬・香沙は1階の和室に移動した。
2009年に恵馬が幼稚園に入るタイミングで恵馬は10畳の部屋のもうひとつのパーティションに寝るようになった。
10畳の部屋を女の子の飛早子と男の子(?)の恵馬が共用するようになったのは、そういう“歴史的経緯”があったためだが、ここで女の子の飛早子を6畳に入れて、6畳にいた覚行と恵馬で男の子同士10畳を共用する手もあったはずだ。しかし覚行が部屋の共用を嫌がったことと、当時は既に父が亡い状態で、紘子ひとりでは荷物移動は困難だったこともあった。
更に香沙が幼稚園に入ると、香沙に1階和室をひとりで使わせ、紘子はDKの畳敷き部分に布団を敷いて寝るようになった。
これが兄・覚行の高校卒業まで続いた。覚行は実際問題として大学入学後は1度も実家に戻ってない。大学の休み期間中も(というか授業のあっている時期も!)運送屋さんのバイトに励んでいて、トラックを運転して全国飛び回っているので、帰省する時間が無いようである(大学の講義には出席しているのか心配になる)。
覚行が使っていた部屋は2年間そのままにしていたのだが、「俺が使ってた部屋は自由に使っていいよ」と言ったので、覚行が大学3年になった昨年の春、その部屋を香沙が使うことにして1階和室から移動。1階和室は母が使うことにした。荷物の移動は香沙がひとりでした。恵馬は腕力が無いのでこういうのの役には立たない。
つまり、飛早子と恵馬は、恵馬が幼稚園に入った2009年春以来、ずっと部屋を共用している。
↓2009年時点の部屋割
(現在は香沙が覚行の部屋に移動して母が香沙の使っていた部屋に移動)
恵馬がしばしば姉の服を勝手に着てみたりしていたのは、そもそも部屋を共用していたという事情があったのである。また姉はしばしば自分が着なくなった服を恵馬にあげていた。
「このくらいのデザインなら男の子でも着られるよね」
などと言って、くれていた。刺繍の入ったズボンくらいは、恵馬も普通に穿いていたし、そういうズボンで学校などに行っても、友人たちは何も言わなかった。
でもそういう“女児用ズボン”はファスナーが短くて、そこからちんちんを出して、立っておしっこすることができなかった。そもそも前の開きが無いズボンもあった。そういうズボンを穿いている日は必然的に個室を使っていたが、その点についても、友人たちは特に何も言わなかった。
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春銀(15)