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■春銀(17)
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(C)Eriko Kawaguchi 2020-12-11
アクアはその日、建築現場などで使用する工作機械で有名なK社の太陽光パネルのCM撮影をしていた。いつものように撮影のシナリオは葉月を代役に使って既に煮詰められているので、アクアの拘束時間は2時間ほどで済む。
太陽光パネルのブランド名が“アマテラスパネル”ということで、アクアは黄色い貫頭着のような衣装を着けて天照大神(あまてらすおおみかみ)に扮している。頭にはヘッドライトも着けている。
このCMは今年1月から全国にテレビで流れているほか、ネット広告にもなっている。あけぼのテレビでもK社がスポンサーになっている番組でパワーショベルやフォークリフトのCMに交じって流されている。今回は10月から流される予定の作品で、撮影は4回目になる。
「でも天照大神をご存じで、しかも女神だというのもご存じというのは、若い方にしては珍しいですね」
などと撮影を見に来ていたK社の社長さんは言っていた。
「実は私の芸名の“アクア”は、天照大神に関係があるんですよ」
とアクアは明かした。
「そうだったんですか!?」
「伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が亡くなった奥さんの伊邪那美命(いざなみのみこと)を連れ戻しに黄泉国(よみのくに)まで行きますよね。でも連れ戻すことはできず、その後、黄泉国の汚れを清めるため、川に入って。ここで身体を洗う内に、住吉三神と海(わだつみ)三神が生れるのですが、最後に左目を洗った時に太陽神の天照大神(あまてらすおおみかみ)、右目を洗った時に月神の月読命(つくよみのみこと)、鼻を洗った時に須佐之男命(すさのおのみこと)が生まれますよね」
「よくそんな神話をご存じですね!」
と社長さんはマジで驚いている。
「それでこの水の中での禊ぎにちなんで、人の心を洗うような歌が歌えたらということでアクアになったんですよ」
「そんな言われがあったんですか!」
社長秘書の20歳くらいの女性が頷いている。あ、この人はこの話を知っていたみたい、とアマアは思った。そういえばどこかで見た記憶がある。誰だったっけ?とアクアは考えていた。
「だったら天照大神に扮するのは、ピッタリですね」
「女役だけどお願いと言われた時、またかいと思ったんですが、この衣装はあまり性別がハッキリしないので助かったです」
とアクアが言うが
「え?男役の方が好きなんですか?そういえば時々映画とかで男役をなさっていることもあるみたいですね」
と社長が言った時、秘書の女性が吹き出した。
ということで、この社長さんは、そもそもアクアを女の子アイドルと思っていたようである。世間には割とそう思っている人が多い。
「まあだから、アクアが『ごめんなさい、ボク実は女の子でした』と発表しても『え?元々女の子ですよね?』と大半の人が思うよ。むろん人気には何も傷つかない」
などと川崎ゆりこは言った。
「そうですかね〜?」
とアクアは疑問を呈する。
「でもボク、いつも紅白は白組で歌ってますよ」
「ここ数年はトップで歌うのが定着してたから、あまりどちらの組か意識されてないかもね。そうだ。NHKから、アクアさん、今年は紅組から出られますか?という問い合わせが来てるけど。9月15日までに回答してと言われてる」
「白組でお願いします!」
「紅組で出る時のために300万円掛けた可愛いドレスも用意したのに」
「スピカさんのライブか何か用に転用して下さい」
(この衣装は結局8/23のアクアのネットライブ前半でアクアFが着ることになる。でも本当にその後スピカがもらって、自分のライブにも着ていた。
「私のプロジェクトの予算ではこんな豪華なドレス買えないから、アクアちゃんからもらってラッキー!と思いました」と言って笑いを取っていた)
「それで『ボク実は女の子でした』という発表はいつする?8月23日のライブの前にやっちゃう?」
「そんな発表しません!」
「『ボク実は女の子なんです』と言っても誰も変に思わないと思うなあ。『前からそうだと思ってた』と言われるだけだと思うよ」
と姉は言った。
(2020年)8月12日に恵馬は水着撮影から帰宅した後、母に言われて、男物の服には着替えず、帰宅時に着ていたワンピースのまま、今日は過ごすことにした。
塾から帰ってきた姉は、スカートを穿いている恵馬を見ると
「うん。似合うよ。いつもそういう格好してればいいのにと思ってた」
と言った。
更に姉は
「ちょっと触らせて」
と言って恵馬の胸とお股に触った。
「手術してきた?」
「そういう訳じゃないんだけど」
「ねえ。ちょっと裸になって見せてくれない?こないだから、まーちゃん胸があるみたいと思ってた」
と姉が言うと
「あ、私も気になってた」
と母も言った。
「ということでちょっとヌードになってみよう」
「え〜?恥ずかしい」
「女同士なんだから、恥ずかしがることないじゃん。私の裸も見せてあげようか」
と姉。
「いやいい」
と恵馬。
しかし実際同じ部屋を共用していて、姉はしばしば下着姿を恵馬の前に曝している。下着姿のまま、恵馬のパーティションに来て本棚から本を取って行ったりする。「ちょっと、服着てよぉ」と言っても姉は「女の子同士だからいいじゃん」などと言っていた。後ろファスナーの服のファスナーの上げ下げを頼まれるのも日常茶飯事である。
「何なら私の裸も見せようか?」
と母まで言う。
「やめて」
と恵馬。
「『いやいい』と『やめて』の違いは?」
「気にしないで」
それで恵馬は服を全部脱いでみせた。
母が一瞬息を呑んだが、姉は冷静である。
「このおっぱい、精巧だね。本物にしか見えない。これ粘着式?」
「接着剤で貼り付けてある。だから自分でも外せない」
(実は剥がし液を渡されていない。エナメルリムーバーなどでも外せることを教えてもらっていない)
「お股も上手く工作してるね。これも女の子にしか見えない」
と姉が言うので
「ちょっと待って。そこどうなってるの?」
と母は覗き込んで確認していた。
「ちんちん切っちゃった訳じゃないのね」
と母。
「こんな処置の仕方があるってびっくりした」
と恵馬。
「切っちゃえば良かったのに。要らないんでしょ?」
と姉。
「でもこれ男湯には入れないね?」
「無理だと思う」
「だったら、今度からは女湯に入らなきゃね」
「え〜?そんなことしたら逮捕されちゃうよぉ」
「いや、むしろ男湯に入ったら逮捕される」
「そうだっけ?」
「あんたはもう私の妹ということでいいよね?」
「ボク、妹なの?」
「女のきょうだいは“妹”というんだよ。もう“弟”ではないね」
「そして私の娘だね」
「ボク、娘なのか」
「女の子供は“娘”というんだよ。もう“息子”ではないね」
「でもちょうど良かったじゃん。これで私たち男2人・女2人のきょうだいになって、男女半々ずつ」
と姉。
「それでいいね。私もまーちゃんが女の子になってくれたらちょうどいいのにと思ってた」
と母も言っている。実際母はよくそんなこと言ってたよな、と恵馬は思った。
「名前はもう“けいま”じゃなくて“えま”でいいよね」
と姉が言うと
「この子の高校の女子制服作ったから」
と母が言う。
「女子制服で通うんだ!」
「申し込みの名前は“えま”にしたよ」
と母は“恵真(えま)”と書かれた注文の控えを見せる。
「なるほどー。だったらさ、お母ちゃん、市役所に名前の読み方の変更届けを出してきなよ」
「名前を変えるのは裁判所の認可が必要なんだろ?」
「漢字の文字を変えるのには裁判所の審判が必要。だけど読みは市役所に届けるだけで変更できるんだよ。診査不要」
「そうだったんだ!だったら明日にも出しに行こう」
「え〜〜?」
「だって、あんたのこと“けいま”と呼ぶ人なんて居ないよ」
「友だちからも“えま”ちゃんと呼ばれてるでしょ?」
「女子の友だちはだいたいそう呼ぶ」
「男子の友だちは?」
「男子の友だちってあまりいないけど、“はまりさん”かなあ」
(恵馬のことを“君”付けで呼ぶのは先生くらいで同級生たちは“さん”付け。親しい(女子の)友人たちはだいたい“えまちゃん”である)
「つまり“けいま”と呼ぶ人はいないんだな」
「友だちからも“えま”と呼ばれているなら、それでいいね」
ということで、恵馬(恵真)は正式に“えま”になることになったのである。
それで服を着たが、ブラジャーの着け方が本来のやり方をしていると母が褒めて(?)いた。
「私が教えた通りにやってるね」
と姉が言うので
「あんたが教育したんだ?」
と母は呆れていた。
「でもバストの所に貼り付けてるやつ、高そうだけど、お母ちゃんが買ってあげたの?」
と姉が訊く。
恵真がどう答えようかと思っていたら
「私の知り合いの人なんだよ」
と母が言うので、恵真は「へ?」と思った。
「いいの?」
「お金持ちの趣味か暇つぶしだと思うなあ」
「お金持ちならいいか」
母はAさんを知っているのだろうか?でもまだ会わせてないのに。
「それで制服はいつ頃できるの?」
と飛早子は訊いた。
「えっとね」
と言って、母は注文控えを見る。
「8月19日仕上がり予定」
「だったら、24日から学校が始まったら新しい女子制服を着て登校できるね」
と姉。
「え?ボク女子制服で登校するの?」
と恵真は焦って言う。
「だってあんたまさか男子制服着ていく気じゃないよね?」
「どうしよう?」
「だって、ちんちんは無くなったし、おっぱいがあるんだから、男子制服がそもそも入らないと思う。ちんちん無いと男子トイレも使えないしね」
と姉。
「え〜〜?でも女子制服着て出て行ったら何か言われないかな」
と恵真は不安そうに言う。
「女子制服も制服なんだから校則違反でもないし、問題無いと思うなあ」
「でもどうして女子制服なの?と訊かれたら?」
「女の子になりましたと言えばいいじゃん」
「そんな恥ずかしい」
「女の子なのは事実なんだから、何も恥ずかしがることない」
「そうかなあ」
「そもそもあんたが『ボク実は女の子なんです』と言っても誰も変に思わないと思うなあ。『前からそうだと思ってた』と言われるだけだと思うよ」
と飛早子は言う。
「ああ、私もそんな気がする」
と母も言う。
「お母ちゃん、付いてきてくれたりしないよね?」
と恵真は言ったが、飛早子は
「いや、こういうのは親が付いてって、校長先生と話し合ってなどということになると、今度は女になった証拠に戸籍謄本を提出してとか、ややこしい話になる気がする。なしくずし的に女子制服で通しちゃえばいいのよ」
などと言う。
母も
「確かに親が出ていくとよけい話が面倒になる気がするね。じゃ何かあったら出て行ってあげるから、ひとりで登校してごらんよ」
と言った。
「そうかなあ」
でも確かに姉の言う通り、親が出ていった方が大変そうな気もした。
ところで何とか巨大すぎる資産を減らそうと無駄な努力をしている若葉であるが。
最初、津幡町の火牛スポーツセンターのアクアゾーンについて3月上旬に完成させ、(2020年)3月下旬に、春休みにぶつけてオープンするつもりだった。しかしCOVID-19(Corona Virus Disease 2019)の感染拡大でその計画を断念せざるを得なくなった。アクアを起用し1.5億円掛けて制作したテレビCM(内8000万円はアクアのギャラ)もお蔵入りである。
若葉は中国の人脈および製薬会社の人脈を駆使してこの新型コロナウィルスに関する情報を集めた。とりわけドイツ在住の恋人(事実上の夫)紺野吉博が勤めている会社が現地の製薬会社と資本関係があり、そこからかなりの情報を得ることができて、どうすれば感染を防げるかについて精度の高い情報を獲得できた。それに伴って、吉博や向こうの製薬会社の人とも電話で話しながらプールの設計をし直し、その方針に基づいてとても安全度の高いプールを3月下旬までに完成させることができた。
これを4月17日にオープンさせたが、当初は50mプールについては津幡で練習している日本代表候補の人たちのみ、25mプールは自らも少し出資させてもらった〒〒スイミングクラブの会員にのみ限定。遊泳プールは非常事態宣言が解除されるまで当面休業とした。
25mプールについては、厚生労働省の人に審査してもらい非常事態宣言下でも例外的な営業許可を得たものである(この審査を受けていたのでオープンが4月17日までずれこんだ)。向こうは完璧な感染対策を施したプールと聞いて、ここを全国のモデルケースにできないかという期待をして審査に来てくれたのだが「とても普通ここまではできない!」と絶句し、モデルケースにするのは諦めたようであった。実際ここまでやればどう考えても採算が取れない。
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