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玲央美の写真(+くるりと回る動画)を撮り、それを元にシュミレーターで玲央美の身長に合わせられる「長い生地」で、縫製が年内に間に合うものをひとつひとつ画面上で着せていく。モニターで様子を見る。
「このシミュレーション凄いですね」
と玲央美は感心している。
12月までに間に合う生地全20種類を着せてみる。またその内8個は尺違いの“通常サイズ”のものであればお店にも在庫があったので、実物を玲央美の肩に掛けてみたりもした。
その結果、その通常サイズであればお店にもあった、青い加賀友禅風の生地が合いそうだという結論に達する。価格はセット価格で72万円である。玲央美の身長に足りる生地自体が、どうしても割高になってしまう。
「支払いなんですが、一部だけ今払っておいて、残りは12月にとかできますか?」
「はい。大丈夫ですよ。いくらくらい入れて頂けます?」
千里は鈴木さんの《思考》を読んだ。
「この価格なら15万程度入れておけば行けます?」
と千里は訊く。
「はい。そのくらいお預かりしていれば大丈夫です」
と鈴木さんは笑顔で言った。
もう金曜日の18時以降で銀行振り込みが使えないので、千里が取り敢えず現金で15万円払った。週明けに精算することにする。
「結構な額の現金をいつも持ち歩いておられるんですか?」
と鈴木さんが訊く。
千里は15万払うのにバッグの中からいったんかなりの厚みの札束を出してからその中から15枚数えて渡した。
「いつも50万円+2000ドル・2000ユーロは入れているんです。私の上司が、突然『ちょっとニューヨークまで来て』とか言ったりするもので」
と千里が言うと
「あんたも大変ね〜」
と玲央美が言っていた。
「U20で優勝して、明日の大会で優勝して、11月の大会でも優勝して、お正月の大会に出場できたらボーナスで払える気がする」
などと玲央美は言っている。
「まあ足りなかったら貸しとくよ」
「ところで私が頼んだものも佐藤のも《友禅風》となっていましたが、友禅風って実際問題として、友禅とは何が違うんですか?」
と千里は質問した。
「これは型押しなんですよ」
「なるほどー。でもそれって、お店によっては手描き友禅と称して売っている所もありますね?」
「そういう店はありますけど、うちでは型押しは手描きとは呼べないという考えから『友禅風』と呼んでいるんですよ」
「なるほどですね」
「お誂(あつら)え品を制作しているのは既製品の製作を最低3年以上は経験した職人さんですから、充分な品質を持っていると自負しております。ただ、手作業での制作ですので、ひとつひとつの生地にどうしても微妙な差が出て、全く同じ振袖は絶対に生まれません」
と鈴木さんは答えた。
千里たちはしばらく振袖の制作技法やこのお店の制作システムなどについて話をした。インクジェットについても尋ねたが、鈴木さんはこんなことを言っていた。
「近年インクジェット印刷の振袖がかなり広まっていて、レンタルの振袖は大半がインクジェットになっていますが、どうしても平面的な薄っぺらい感じになってしまうんですよね。現時点では当店ではお客様にお勧めできる商品では無いと判断しているんですよ」
「じゃ将来的には取り扱われる可能性もあるんですね?」
「インクジェットの技術があがって、充分な品質が出るようになったら可能性はありますね」
鈴木さんは奥から大手和服チェーンで販売されているインクジェット印刷の振袖(30万円)と、この店で販売している最低価格の振袖(40万円)とを並べてみた。
「並べてみると差が歴然としている」
と玲央美が言っている。
「インクジェットはお安いものでしたら15-16万円という信じたい価格のものもありますね」
「それってレンタルするのと価格が変わらないのでは?」
「インクジェットに関していえば、レンタルの価格と買った価格の標準的な価格差は5万円程度と言います。レンタルといっても成人式の時しか貸せないから、花嫁衣装などと違ってひとつの商品を何人にも貸して元を取れない。1回のレンタルで元を取らないと商売にならないんですよ」
「なんか借りる意味が無い気がしてきた」
「実はそうなんですよね」
千里たちは振袖について色々談義をした。鈴木さんは販売価格1200万円という超高級の生地も奥の棚から出してきて見せてくれた。
「1200万円というのが凄すぎてよく分からないけど、物凄くいい生地だというのは、見た瞬間思った」
などと玲央美は言った。
結局1時間ほど、おしゃべりに近い会話をしてから帰りがけ、最後に鈴木さんは言った。
「でも佐藤さんも、凄く女の子らしい声が出せますよね。最近の男の娘さんって、そのあたりが凄いですね」
多分鈴木さんとしては「褒めた」つもりだ。
しかし千里と玲央美は顔を見合わせて、笑ってしまった。
鈴木さんがキョトンとしていた。
お店を出たのはもう閉店時刻の20時近くであった。
渋谷駅の方に坂を降りて行っていたら、駅近くでケーキ屋さんのまだ開いている所があったので、そこでお土産用にマカロン10個入りを買った。「これ美味しそう」と言って、玲央美も3個入りを買っていた。
その後、玲央美と一緒に焼肉屋さんで夕食を取る。
「焼肉屋さんって、これからHする恋人同士みたいね」
「うーん。私に彼氏がいなければレオちゃんと結婚してもいいけど」
「そうだなあ。千里のことは割と好きだよ」
何かそれ以前にも言われたぞと千里は思う。
「レオは女の子が好きなの?」
「いや、恋愛とか考えたことない。私よりバスケの強い男の子に出会えたら結婚するかも」
「きみちゃんも似たこと言ってたけど、それは難しいなあ。少なくとも日本には居ないと思うよ」
「まあコミュニケーション取れる国の人ならいいかな」
「レオって、色々話せるよね。英語、フランス語、スペイン語、ロシア語、中国語、は話している所を見たことある」
「千里もそうだと思うけど、ヨーロッパ系の言葉は、どれかひとつ覚えれば応用が利くんだよ。中国語だけは別」
「うん。中国語は難しい。私も中国人が話しているの聞いてて半分くらいしか聞き取れない」
「半分聞き取れるのは、かなりできる部類という気がする」
たくさんおしゃべりして、お肉も沢山食べて、22時頃に別れた。
「じゃ大会頑張ってね」
「そちらも着付けの練習頑張ってね」
玲央美が去って行く後ろ姿を見ながら、千里は《せいちゃん》に頼み事をする。《せいちゃん》は『OKOK』と言って、千里から分離して“ミッション”に必要な道具を取りに行った。
千里自身は山手線で上野駅に移動する。
桃香とは翼の像の前で待ち合わせしていたのだが、なかなか来ない。念のため駅構内の全体に感覚を広げてみると、微かな気配を感じる。的を絞っていくと、ジャイアントパンダの所に桃香の波動を感じた。それで行ってみたら居た。
手を振る。
桃香はスカートを穿いてメイクもした千里を見ると「おお、可愛い」と言った。
一緒に23:33発の夜行急行《能登》に乗る。
普通の人が東京から富山・金沢方面に行くとなると、飛行機で羽田から富山空港・小松空港に飛ぶか、上越新幹線と特急《はくたか》を越後湯沢で乗り継ぐことを考えるのだが、貧乏性の桃香にはそのような発想は全く無い。
「新幹線はブルジョアの乗り物、飛行機はお金持ちの乗り物」
などとこの頃、桃香は言っていた。
そういう訳で、高速バスか《能登》である。
ただ今回千里は「教えてもらうから交通費は私が桃香の分まで出すからね」と言っておいたので、新幹線+はくたかで手配するつもりだったのだが、桃香はそんなのもったいないと言う。私が出すと言っているのに〜と思うものの、桃香が納得しないようなので、結局《能登》を使うことにした。
《能登》を使うと乗車券(488.2km)が7670円、急行料金1260円、指定席料金510円で合計9440円である。これが新幹線+はくたかなら、特急料金4590円になるので、3000円くらいの節約になる。
但し体力は使う!
千里もさすがに合宿の疲れもあり熟睡していた。
9月18日。
千里は《能登》の車内で目が覚めると、自分の身体が男に戻っているので、思わずぎゃっと声を出しかけた。
《いんちゃん》に尋ねると、実は千里の「男の子」の時間があと2ヶ月弱ほど残っていること。その時間がこれから来年の6月頃までの間にほぼ消費されることを《いんちゃん》は説明した。
『千里は来年の6月に去勢手術を受けることになっているから』
『やっとかぁ』
『その後は再来年に性転換手術を受ける直前、男の子の身体に戻る』
『あはは。男の子の身体でないと性転換手術受けられないよね』
『女から男にされちゃったりして』
『それは困る』
《いんちゃん》もジョークを言うんだな、と千里は考えていた。
『そういう訳で、桃香のお母ちゃんに着付けを教えてもらう間は男の子の身体になっているから』
『それも気が重いなあ』
なお男の子の身体に戻っても、タックはされているので、普通に裸になってもおちんちんが存在するようには見えない。むしろ女の子のお股に見える。
しかし千里は男の子の身体に戻ってお股に変なものがくっついていることより、腕とか足が細くて、それが物凄く頼りなく感じた。
『男の子の身体って頼りないんだね』
『・・・・千里はやはり面白い』
『そう?ところで、これいつ女の子に戻るの?』
『3日間だけだよ。高岡から戻ったら元に戻るよ』
『良かった。これからアジア選手権に参加しないといけないのに』
『大会の時は間違いなく女の子だから大丈夫だよ』
急行《能登》は朝6:03に高岡に着く。ここで6:54の氷見線に乗り継いで7:06に伏木に着く。伏木駅からは15分ほど歩いて、桃香の実家に到達する。
桃香の自宅は住宅街の中で、細い路地を入った先にある、狭い土地にギリギリまで建てられた木造二階建ての家である。建蔽率が高すぎるし接道義務も満たしていないので、いわゆる建て直し不能物件だ。この家が最初に建てられたのは桃香によると多分明治40年頃で、その後度重なる改築が行われているらしい。居間として使っている部屋がその明治40年頃のもので、他は昭和34年頃に改築した部分がほとんどだと言っていた。
台所は昭和45年の改築。お風呂は昭和52年の改築で、どちらも朋子の姉(戸籍上は従姉)喜子の好みが色濃く反映されているという。
喜子が結婚して子供を産んだ直後はここに7人も住んでいたのだが、朋子の祖母トラが亡くなった後は、朋子と幼い桃香が2人で取り残されてしまった。そして今は桃香も家を出て朋子がひとりで住んでいる。
博文=トラ
1896┃1902
1940┃1994
┏━━┻━━┓ ┏━┻┳━┓
鐵國 湯川芳晴=敬子 義子 路子
1920 1926┃1934 1930 1928
1991 1965┃ 2008
┃ ┏━━┻━━┓
喜子 朋子=光彦 典子
┃48 1960┃1955 1963
鮎子 桃香1992
1977 1990
千里は桃香が自分の鍵を取り出して玄関を開けようとしているのを見て、《とうちゃん》に『よろしく〜』と言った。結局《とうちゃん》《こうちゃん》《りくちゃん》の3人で『処理』してくれたようである。
桃香はなかなか鍵が見つからないようである。あれ?これも違うなどとやっている。その内、ドアが内側から開けられた。
「おかえり」
とまだ40歳くらいにも見える女性が笑顔で言った。
「母ちゃん、ただいま。電話で言ってた友だち連れてきた」
「いらっしゃい」
と言って、桃香の母は千里を見て挨拶する。
「お邪魔します」
と言って千里もぺこりと挨拶をして中に入った。
桃香の母は入って来た千里を見て、なぜか微妙な顔をしながら
「美人のお友達ね」
と言った。しかし桃香が
「この子、男の娘だから」
と言うと
「うっそー!?」
と驚いた。そしてなぜかニコニコ顔になった!?
ここで千里はほぼ逆の認識をしていたのだが、千里を見た時、朋子はてっきり桃香が「女の恋人」を連れてきたと思い、この子と結婚しますとか言わないよね?マジで女同士の結婚式とか挙げないよね?と思ったのである。ところが男の子だと聞いて、桃香が初めて男性に興味を持ったのかと「淡い期待」をしたのである。この際、千里が女装していることなどは、朋子にとっては「些細なこと」であった。
中に入ると、桃香は
「あれ?この居間、蛍光灯替えた?」
などと訊いた。
「ううん。別に。あら?でもなんか急に明るくなった気がするね」
と朋子は言った。
千里がお土産に渋谷のケーキ屋さんで買ったマカロンを出すと
「凄く美味しそう!」
と言って、お茶を入れるのにヤカンでお湯を沸かし始める。
「朝御飯代わりかな」
などと桃香は言いながら、そのあたりに転がっていた雑誌を開いて読み始める。千里はさりげなく席を立って、
「お茶これでいいですか?」
と言いながら棚に置いてあるオレンジペコーの缶を取る。
「うん、それにしよう」
と言って朋子が缶を受け取る。千里がさっとスプーンを食器棚から取って渡す。
「ありがとう。あなたよく気がつくわねぇ。凄く女の子らしい感じ」
などと朋子は言っている。
「ありがとうございます」
と千里は微笑んで言った。
「うん。この子は男の子ではあっても、すごく女らしいんだよ」
と桃香は言いながら雑誌を読みつつ、テーブルの上の菓子入れから煎餅を1枚取ると食べ始めた。
やがて紅茶が入り、朋子はミルクティー、桃香はミルクは入れないものの砂糖たっぷり、千里はストレートで飲む。それでマカロンの箱を開け、適当に取って食べる。
「これ美味しい」
千里が目に付いた店に入って買ったものだったのだが、マカロンはとても美味しかった。
「これ高かったでしょう?」
「うーん。いくらだったかなあ」
「これ1個400-500円くらいしそう」
「ああ。普通のケーキの値段だなと思った記憶はあります」
「やはりねぇ」