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(C)Eriko Kawaguchi 2017-04-08
千里たちが連れてこられたのはリトアニア南部のドルスキニンカイ(Druskininkai)という町である。ヴィリニュスから128km、1時間半ほど高速道路A4を走った所にある。実はここで、10-11日の2日間で、日本・リトアニア・ブルガリアの3国のナショナルチームでリーグ戦をすることになっているのである。但しその前の9日にリトアニアと1試合練習試合をすることになっている。
8日朝、取り敢えずミーティングが行われる。リトアニアのバスケ協会のルーカスさんという30代くらいの男性が通訳を兼ねて遠征中、日本チームのサポートをしてくれるということで紹介された。
中肉中背で、柔らかい曲線的な体型をした人である。
「普通の国では1番になったチームが報道されますが、リトアニアでは最下位になったチームが報道されます。なぜなら・・・・ビリニュース(ヴィリニュス)」
といきなりダジャレを飛ばして笑わせてくれた楽しい人であった。
「私、男ですけど、女の子の秘密のお買い物にも付き合えますから、遠慮無く言ってくださいね」
などとも言っている。
ちょっと女性が警戒心を緩めてしまうような雰囲気を持った人だ。
「じゃ、女物の下着を買いに行く時は、女装してもらえますか?」
と王子が調子にのって発言すると
「おぉ、女装は、私うまいよ。日本に留学した時、常総市(じょうそうし)に住んでいたから」
と返してくる。
これでまたみんな苦しそうに笑っている。本当に常総市にいたのかどうかは分からないが、物凄く頭の回転の速い人だな、と千里は思った。
「あれ?日本に留学なさっていたんですか?」
「そうそう。日本女子体育大学、略して日女体に通ったから、女体の専門家だよ」
「マジ?」
「いや、女子大はさすがにあり得ない」
ちなみに日本女子体育大学の略称は確かに日女体だが「にちじょたい」と読む。ルーカスさんはわざと「にちにょたい」と発音した。
「だいたいなんで東京の東側にある常総市に住んで、東京の西側にある日女体に通わないといけないんです?」
「そりゃ、やはりくノ一修行だよ」
「あのぉ、マジでルーカスさん、女の子になりたいとか?」
「女房と娘の許可が降りたら女の子になってもいいけど」
「娘さんいるんですか?」
「日本のラサール高校に入って東大に行きたいと言ってる」
「ラサールは男子校ですけど?」
「そこは男装させて」
彼の発言はほとんどがジョークなので実態が分からないが、ラサールなどという名前まで知っているということは、ルーカスさんは本当に日本に住んでいたのかもと千里は思った。
この日は取り敢えず丸1日調整日に当てられた。
実際時差が6時間ある所から、合計14時間の旅をしてくると身体がかなり疲れているしリズムも崩れやすい。それでこの日は身体をこちらの時間に合わせるのを主目的とし、軽めの練習をすることにした。
「割と涼しいね」
「さすが樺太の緯度」
という声が出ていたが、実はこの到着した日の前後がたまたま涼しかっただけでこの時期、リトアニアは記録的な猛暑だったらしい。合宿の後半ではその猛暑と対決することになる。
この日の練習は基礎トレーニングを主体にして、15時頃、ベテラン対ヤングの紅白戦をして終了した。
「軽めと言っても随分早く終わった気が」
「みんなで温泉に行きましょう。この町は保養地として有名なんですよ」
と富永チーム代表が言った。
「おお、それはすばらしい」
水着を着て入るということで、水着を支給される。ここの温泉は更衣室だけ男女に分かれていて、中は混浴らしい。
「よく私に合うサイズの水着があったな」
などと王子が言っているが
「外人さん、背が高くて体格の良い人多いもん」
と華香が言うと、納得していた。
ひとりが冗談で
「プリン、男子更衣室は向こうだよ」
と言うと、王子本人が
「行って来ようかな。どうせ中は一緒なんでしょ?」
などと言って本当に行きかけるので、彰恵が
「いや、さすがに待て」
と言って停めてくれていた。
温泉を出たのが17時くらいだが、まだまだ日は高い。
「太陽があんなに高い所にある」
「リトアニアの夏は日が沈む時刻が日本よりずっと遅いから、太陽の高さに合わせて行動しようとしたら寝不足になるよ」
「うん。旅疲れもあるし今夜は早く寝よう」
などと言い合い、多くの子が夕食が終わるとすぐに寝てしまったようである。千里もこの日は20時に寝た。
9日。早く寝たせいか朝5時に目を覚ます。後で確認するとちょうど太陽が昇った時刻であった。玲央美は千里より少し早く起きていたようである。
なにやら紙にマーカーで色分け?しているようだ。
「何してんの?」
「ロースター予測」
「ん?」
「この赤いマーカーの人は確実」
と玲央美は言っている。マークされているのはこの8人である。
PG.羽良口英子 SG.三木エレン SF.広川妙子 PF.横山温美 PF.宮本睦美 PF.高梁王子 C.白井真梨 C.馬田恵子
WNBAの羽良口さんは現在の日本女子バスケットのエースである。誰が見ても当確だろう。スペインリーグに行っている横山さん、キャプテンの三木さん、それに外国出身センターの白井・馬田も確実だろう。広川・宮本も安定した実力を発揮しているし国際試合の経験も充分だ。
「きみちゃん(高梁王子)も確実?」
「間違い無いと思う。だからわざわざインターハイ直前なのに招集したんでしょう」
「なるほどー」
「だから事実上残り4つの席を巡る争い。緑色がボーダーライン。マークしてないのは落選濃厚」
マークされているのはこういうメンツだ。
PG.武藤博美 PG.富美山史織 SG.川越美夏 SG.花園亜津子 SF.佐伯伶美 SF.佐藤玲央美 PF.寺中月稀 PF.月野英美 C.黒江咲子
マークしてないのはこういうメンツである。
PG.福石侑香 SG.村山千里 SF.早船和子 SF.山西遙花 SF.千石一美 SF.前田彰恵 PF.花山弘子 PF.簑島松美 PF.鞠原江美子 C.石川美樹 C.中丸華香
「私は落選濃厚かぁ〜〜!」
と言って千里は大きく伸びをする。
「エレンさんは不動だから、千里はあっちゃんを大きく凌駕しない限りロースターには入れない。同程度と思われたら、年齢が上のあっちゃんが優先される」
「だよなあ」
と千里は少々不快ながらも同意せざるを得ない。
「これが10年後には同程度と思われたら、年齢が下の千里が優先されるようになる」
「あははは」
「スモールフォワード、パワーフォワードは合計人数の勝負だろうね」
と千里は言う。
「そうそう。ポイントガードとシューティングガードは専門職だから各々のポジションで、武藤さんと富美山さん、川越さんとあっちゃんの争い。だけどフォワードは潰しが効くから、スモールフォワード・パワーフォワードという区別はあまり関係無いと思った方がいい」
「センターも似たようなもんだよね」
「うん。ただしセンターはリバウンド取れる人でないといけないから、もしかしたら黒江さんを予備として入れる可能性はあると思う」
「黒江さんは日本人センターの中ではいちばん凄いんだけどね〜」
「まあ外国出身センターの背の高さにはとても対抗できない」
「そこら辺も不条理を感じるなあ」
「田原監督は、全員最低2試合は出すと言ってたけど、多分千里は3試合出してもらえると思う。全力でスリー放り込みなよ」
「うん。あっちゃんの倍入れるつもりで行く」
「その調子、その調子」
今日から11日まで3日間の試合会場はドルスキニンカイ市内にある、ドルスキニンカイ・スポーツセンターである。観客席が300くらいの小さな体育館であるが、明日からのリーグ戦のために、リトアニア・ブルガリア・日本の3ヶ国の国旗が既に掲げられている。
今日のロースターは朝食が終わった所で監督から発表された。
PG.羽良口 武藤 SG.三木 川越 SF.広川 佐伯 佐藤 千石 PF.横山 宮本 高梁 簑島 C.白井 黒江 石川
千里はロースターに入っていないので、ふっと大きくため息をついたものの、同じく入っていない亜津子と誘い合って体育館の外に出て、石畳の庭で1on1をかなりやりこんだ。
10時から1時間公式練習時間だったので、ロースターの15人がコートに入って練習をする。千里たちは最初10分くらいリトアニアの選手の動きを見ていたが、じっとしていると自分もコートに出て行きたくなるので、結局、千里・亜津子・江美子・彰恵・(月野)英美・(寺中)月稀の6人で、また石畳の庭に行き、独自に練習をした。
「石畳の石の角に当たるとイレギュラーにバウンドが変わる」
「それがまた面白い所」
「小学生の頃、屋外でバスケやってて、色々面白いことが起きていた」
「雪の上でやると、雪にボールがハマって停まることもあるんだよね〜」
「風が強いとボールが流されることもあった」
「投げた方向と反対側にボールが飛んで行くこともあった」
「ああいうのも楽しいけどね〜」
「しかしフル代表のチームに入って行動していると、自分が下っ端だというのがよくよく分かる」
「そうそう。私たちって、中学の頃には既に中心選手だった子ばかりだから、それなりのプライドがある。そのプライドをへし折られるのが代表チーム」
「まあでも2年後には中心の少し傍くらいまでは行きたいね」
「うん。今回の世界選手権ではまだダメだろうけど、ロンドンオリンピックには行きたいね」
「まあお互い頑張ろう」
昼食を経て13:00から試合が行われた。これはさすがに客席から見学し、応援していたが、千里にはリトアニアの選手たちが割と軽く流しているようにも見えた。もしかしたら調整中?とも感じた。
試合は108対84で日本が勝った。
7.09 13:00-14:42 LTU 84-108○JPN
客席で見ていた千里や亜津子たちは試合の前半終了間際に“トラベリング”問題について話し合った。
「随分日本側がトラベリング取られてるね」
「でもあっちゃんはあれ分かるよね?」
「ちーも分かるよね?」
「そのあたりが分からん」
と彰恵が言う。
「空中でボールをキャッチして、両足同時に着地した場合は、どちらも軸足にすることができる。でも、完全に両方の足が同時に着地というのは意外に難しい。一瞬でも時間差ができた場合は先に着地した方が軸足とみなされる」
「軸足が定まっている状態でボールを持ったまま相手と対峙していて、相手をドリブルで抜く時、ボールが床に着くまでは、まだ“ドリブル”は始まっていない。その状態で軸足を離してしまうと、即トラベリングになる」
「『撞き出しのトラベリング』って言うんだよね」
「実は日本の審判はこの『撞き出しのトラベリング』の判定の甘い人が多いんだよ」
「それで、この問題を意識していない選手が多い」
「それで国際試合では、けっこう日本人選手はこれでトラベリング取られている」
「だけどうちの宇田先生とかは、この問題に凄く厳しかった。ボールが床に着くのより早く足を離してはいけないと、かなり厳しく指導されている。そちらもじゃない?」
と千里は最後は亜津子に問いかける。
「そうそう。うちの沢田先生も厳しかった。だからボールが早く床に着くように最初は小さく撞き出すんだよ。そうしないと、トラベリング取られるから」
「それ私意識したことなかった」
と江美子が言っている。
「私も」
と彰恵。
「ちょっと練習しようよ」
「どこで?」
「庭でやると、ボールがイレギュラーするから、ロビーでやらない?」
「よし」
それでこの4人はもうすぐ前半が終わるという時点で近くで観戦していた富永代表に声を掛けて客席を離れ、ロビーに行って練習しはじめた。
「今の彰恵のはトラベリング」
「うっそー!?」
「あっちゃん、模範演技見せなよ」
「じゃやるから、ちー、ディフェンスはお手柔らかにしてよ」
「OKOK」
と言いあって、千里がディフェンスしている状態で、亜津子は江美子からのボールを空中で受けてからわざと左→右と1歩ずつ着地してみせ、その状態で千里と対峙する。
千里の左を一瞬にして抜くが、その時、左足が軸足なので最初小さく撞いてから左足を離して突破した。
「もうひとつ」
と言って、再度、左→右と着地する。
今度は亜津子は千里の右を抜いたが、ボールが床に着く前に右足を離した。
「そうか。軸足でなければ先に離してもいいのか」
「当然」
「じゃ自分がどちらを先に着地したかきちんと意識してないといけないね」
「それ、バスケする場合、基本中の基本なんだけどねー」
「そもそも両足を正確に同時着地させれば問題は生じない」
「どうも上の世代の選手には、そのあたりをきちんと訓練されていない人もいる感じなんだよね〜」
と亜津子が言う。
「上の世代でなくても、私は適当だったかも知れない。結構アバウトに今の同時の範疇だよねとか思っていたかも」
と彰恵。
「でもU18アジア選手権とかU19世界選手権では、そういうトラベリングあまり取られなかったね」
と江美子。
「みんな割とちゃんとできていたと思うよ」
「無意識にやっていたのだろうか?」
「アジア選手権の審判はわりとこの問題緩かった気がする。でも世界選手権の審判はちゃんと取っていたよ」
「ごめん。私は世界選手権で2回トラベリング取られた」
と彰恵が言っている。
「あの時、ちょっと不可解だったんだけど、この問題だったのかも」
「私も細かいことは覚えてないけど、彰恵がトラベリング取られたなら、これかも知れないね」
千里たちは結局試合が終わる頃まで、ひたすらこの練習をやっていた。途中で華香や福石さんなども来て、その様子を見ていた。福石さんも「自分も危ないかも」と言って、一緒に練習していた。