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今回の事件で、中立的な新聞はこのように論評した。
朗読者6(木取道雄)「フォーサイス・ハデルスン裁判の裁定はきわめて妥当である。無主物先取は基本的なルールであるが、ここで“先取”というのは、その物件を実際に確保し、自分の管理下に置いた時に初めて成立する。魚を単に見ただけでは自分のものとは主張できない。その魚を釣り上げ、自分のフィッシュバスケットに入れた時、初めて自分の管理下に置いたことになり、先取が成立する。ふたりはその天体を単に“見た”だけであり、自分でそれを拾い、自分のバッグに入れたり、自分の家の倉庫に入れたわけでもない。“見た”だけで先取は成立しないので、ふたりのどちらにも天体の所有権は無い」
ミッツがフォーサイスを諫めた時、彼女は実に的確な指摘をしていたのである。
そして、裁判の翌日、ボストン天文台のJ.B.K. ローウェンサルは、このような声明を出したのである。
朗読者1(西宮ネオン)「今の段階では、フォーサイス・ハデルスン天体が本当に落下するかどうかは、まだ予断を許さない。ましてやどこにいつ落ちるかまで予測するのは不可能である。フォーサイス氏とハデルスン博士が、落下の日付と場所を予想したようであるが、それは5月10日に天体の軌道に乱れが生じてすぐの1〜2日の動きだけを見て計算したものと思われる。実際には天体は5月10日の後、数日は極めて不規則な動きをした。高度も一度下がってから上がったリしている。現時点の高度だと、まだ地球との距離が離れて元の安定軌道に戻ってしまう可能性もある。天体は5月15日以降は規則的な軌道のずれ方をしているが、現時点ではまだ天体の確実な落下を予想するのは時期尚早である」
語り手(元原マミ)「ボストン天文台という権威ある機関の発表で、人々は騒然としました。日本に行こうとしていた人々はサンフランシスコまで来た所で報道を知り、その先の旅行を中止しました。またアルゼンチンに行く準備をしていた人たちは出発前に旅行をキャンセルしました。人々はフォーサイスとハデルスンを激しく非難し、損害賠償請求を提訴する人たちまでありました」
「フォーサイスはサンフランシスコで茫然自失の状態になっていたので、見かねた知人がフランシスに電報を打ちました。それでフランシスは大陸横断鉄道に乗り、サンフランシスコまで行って、ホテルでぼーっとしている叔父を連れ戻してきました」
「そしてこの事件をきっかけに2人は信用を失い、フォーサイス派・ハデルスン派の市民グループも解散してしまったのです。これまで2陣営に分かれて2人がお互いを非難する声明を載せてきたマスコミも、全て2人を等しく非難する側に回りました。そして当の2人はショックで生ける屍のようになってしまいました。ハデルスンもフォーサイスも、自分の部屋に閉じこもり、天体観測もせずに、一日中放心状態で過ごしていました」
父の様子を見てルーは言いました。
「今ならお父ちゃん反対する気力も無いだろうから結婚式を挙げちゃおうよ」
しかし母は答えました。
「お父ちゃんが少し落ち着くまで待とう」
語り手(元原マミ)「フォーサイス・ハデルスン天体がもしかしたら落下するかも知れないということになって、世界中の政治家が“落下した場合の帰属”に強い関心を持ちました。そして様々な意見が表明された末、国際会議を開こうということになったのです」
「それで数十ヶ国の代表が集まり、国際会議は5月25日に最初の会合が開かれました。会議は最初に議長にアメリカ人のハーベイ氏を選出しました」
画面はハーベイ氏(演:Thomas Russell)が議長席に就いた所を映す。
「副議長にはロシア人、書記としてフランス人、イギリス人、日本人を選出しました」
それで議事を始めようとした時、1通の電報が議長に届けられる。
議長は一読したものの、こう言った。
「全く世の中、おかしな人が多い。こんな電報が来てますが、無視していいですよね」
と言って読み上げる。
「議長様。御議会で議題になさっている天体は無主物(res nullius)ではなく私の個人所有物であります。従ってこの国際会議をする必要はありません。出席者の方々が審議をなさっても無意味です。この天体は私の意志により地球に引き寄せ、私の意志により私の所有地に落下するので、従って、私に帰属します」
「なんじゃそりゃ」
という声が相次ぐ(*55).
「その電報の差出人は?」
「書かれていません」(*54)
「そんなもん無視していいよ」
「ではこれは放っておいて審議に入りましょう」
(*54) この電報はむろんジルダルが打ったものであるが、差出人の名前はうっかり入れ忘れたものである。でも入れ忘れてよかった気がする。
(*55) 代議員たちの映像はこのようにして作成した。
(1) 配信予定の国(3月の時点で名乗りを挙げた国が41ヶ国)の各配給会社に頼んで、50-60代の俳優またはスタッフ!にフロックコートまたはその国の伝統的な正装をしてもらい、ブルーバックで1〜2分何か話しているかのような映像を撮影してもらう。
(2)これをモンドブルーメに集めてもらい、それを同社と大和映像の共有スペースに入れてもらい、大和映像側で編集して会議をしているかのような映像にまとめあげた。
何ヶ国かセリフをお願いした所には英語で入れてもらい、制作側で日本語の吹き替えセリフも作った。この吹き替えをしたのは黒部座の俳優さんたちである。
議場に見立てたのは都内のホールである。末広がりのいわゆるワイン畑型のホールを使用している。実際にここで演技したのは、議長役のトーマス・ラッセルさんと、記録者役を演じてくれた黒部座の人たちのみ。代議員たちは協力してくれた各国から集めた映像を合成している。
場面は変わってパリのアパルトマンである。
ナタリー・チボー(立花紀子)が入ってくる。
「こんにちは〜って。あれ?居ない?」
と言って、まずは食器や鍋が積み上げられているシンクを片付ける。
「男の人のひとり暮らしってこんなものかなあ。結婚しないのかしら」
などと言ってから
「でも意外とお嫁さんもらうんじゃなくて、お嫁さんに行く方だったりして」
などとも呟いている。
台所のシンクを片付けて“キャパ”が空いた所で、部屋の中に入り、放置されている食器を回収する。ついでに洗濯すべきと思われる衣類を回収する。食器はシンクに放り込み、水を掛けてふやかし、洗濯に取りかかる。
まずは比較的汚れが少ないと思われるものを洗濯機のドラム(*56) に放り込み、水と石鹸を入れ、釜に点火してハンドルを回す。15分くらい回してから衣類は“絞り器”(*57) を通しながら取り出してタライに入れる。汚れが酷い物をドラムに入れ、今度は20分くらいひたすらハンドルを回す。全部洗濯した後、洗濯済みのものをお風呂場でゆすぐ。これを搾って干して洗濯終了である。家事のサービスをする中で何と言ってもこれが最も重労働である。
(逆にこんな大変な作業をジルダルが自分でやっていたとは、到底思えない)
(*56) この時期は電気洗濯機は発明されたばかりで、まだ普及していない。電気洗濯機の発明は諸説あるが1906-1908年頃である。当時一般的だったのは、手回しハンドルを備えた、手動洗濯機であった。電気洗濯機が普及する前にはこれに蒸気機関やガソリンエンジンを取り付けたものも存在した。ミレイユの家ならエンジン洗濯機を使っていたかも。
手動洗濯機はハンドルにより縦に回転するドラムの中に洗濯物を入れ、重力で落下するのを利用して叩きつけるようにして洗う。ヨーロッパはペストに苦しんだので、お湯で洗う方式が早い時期に普及している。それで、洗濯機の下に釜があり、これで水を温めて温水で洗うようになっていた。
排水は下水に流す。パリの上下水道は、19世紀の内にかなり普及しており、20世紀初頭なら、パリに限って言えば、少なくとも平均より上のアパルトマンなら、上下水道につながっていたと思う。19世紀前半のパリを描いた『レ・ミゼラブル』に、その付近の事情が詳しく書かれている。
(*57) 日本では昭和40年代に使われた絞り器だが、ヨーロッパでは18世紀頃から使われていたようである。これは石鹸とお湯の節約が最大の目的だった。
今回このクラシカルな手動洗濯機はドイツの古い家庭に残っていたものをもらってきて、オーバーホールして動くようにしたものである。立花紀子が面白がっていた。撮影に使ったものは実は電気でも動くように改造していて、紀子は5分くらい手で回しただけで、後は電気に任せた。絞り器については、藤原中臣さんが「なつかしー!」と言っていた。
洗濯が終わったナタリーは
「まだジルダルさん、戻って来ないのかなあ」
などと呟きながら、再度居室のほうに入る。
そして腕を組む。
「この散らかりようは、さすがに酷すぎるよね。少し片付けてあげよう。こんなに散らかっていては、必要な資料とかも探せないじゃん」
それでナタリーは、取り敢えず、本の山が崩れたように見えるものを崩れない程度の高さに積み直したり、斜めになっている本はまっすぐしたりして、少しずつ通路を確保した。でもわざわざ、物理学の本と生物学の本が別々の山になっているのをひとつにまとめたりしちゃう!本が開かれたまま伏せてあるのは、きちんと閉じて!適当な場所に積み上げる。
1時間ほどの奮闘で、部屋の入口から窓まで到達する“道”が完成した。
窓の所に変な機械が置いてある。
「窓も汚れているなあ」
とナタリーは呟くと、その機械を“ひょいとどけて”拭き掃除をした。
「ほこりが凄い。1日ではとても掃除しきれない。ジルダルさん、どこか旅行にでも行ったのだろうか。“明日も来て、お掃除してあげよう”」