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■夏の日の想い出・日日是好日(30)
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2月6日(月).
薬王みなみのバックバンド“サファイアズ”のメンバーが確定したことから、女子寮に住んでいた三田雪代、そこに一時的に滞在していた坂上透、江戸川区内のアパートに住んでいた篠崎希も岩槻の社員寮に引っ越した。三田・坂上・杉本が女性で、篠崎希も去勢済みなので女性に準じて、4人を同じフロアの連続した4部屋に入れることにした。
「どの部屋に誰が入るかは君たちで決めて」
と言ったら一番若いのにリーダーに指名された三田雪代が少し考えてから
「これがきっと平和です」
と言って、
1903.杉本美滝(1997), 1904.三田雪代(2002), 1905.篠崎希(1999), 1906.坂上透(1999),
と書いた。それで暫定的に1903に入ってもらっていた杉本はそのままでいいことになった。
三田は坂上透が男の娘であることに気付いていたので男の娘の篠崎希と並べた方がいいだろうと考えた。杉本・篠崎はむろん旧知なのだが、彼が女性として扱われているようなので
「きっと去勢か性転換かしたのだろう」
と思っているようだ。体型が明らかに女性体型なので
「きっと長年女性ホルモンを飲んでいるのだろう」
と思われている。
ゆりこ副社長や花ちゃん・ロンドなどは気付いていないようである。本人も自分の健康保険証に「女」と記載されていることに未だに気付いていない。むろんホルモンなど飲んでないし、手術も受けていない。そもそも女の子になりたいような気持ちは微塵も無い!
(彼は女性に対して不感症なので女性フロアに入れても多分大きな問題は無い)
三田雪代(2002)が信濃町ガールズを卒業したため、信濃町ガールズの最年長は太田芳絵(2003)になった。
なお信濃町ガールズのリーダーは中学3年生から選ばれるので4月からは宮地ライカが務めることになった。
歴代の信濃町ガールズ・リーダー
信濃町ガールズ歴代リーダー
1.佐藤ゆか 2015.8-2017.3
2.南田容子 2017.4-2018.3
3.山口暢香 2018.5-2019.3
4.中村昭恵 2019.4-2020.3
5.今川容子 2020.4-2021.3
6.水谷康恵 2021.4-2021.8
7.箱崎マイコ 2021.8-2022.3
8.豊科リエナ 2022.4-2023.3
9.宮地ライカ 2023.4-
原則としてB契約の中学3年生で最古参の天然女子メンバーが務めている。宮地ライカと知多めぐみは同時加入だが、オーディションの成績が、宮地10位・知多11位(僅差)だったので、宮地にお願いすることにした。なおこの時14位だったのが、古屋あらたである。
「信濃町ガールズのリーダーは売れないというジンクスは?」
「それは中村昭恵ちゃんと水谷康恵ちゃんが破っている。でもそもそもリーダーの決め方からどうしてもそうなりがち。中3でまだデビューしてないということだから」
「うーん。やはり私は売れないのかなぁ」
2月8日(水).
立山煌の5枚目のシングル『バイキングしてからハイキング/立山だってや。まぁ』が発売された。
『バイキングしてからハイキング』(平野鉄郎作詞・峰京子作曲)
『立山だってや。まぁ』(蜂矢仁美作詞・南海妃呂作曲)
『城を作りましょう娘さん』(狩葉穣作詞・ポーランド民謡)
『家を建てましょう娘さん』(水野歌絵作詞・ポーランド民謡)
『バイキング(*85)してからハイキング(*86)』はまずは充分腹ごしらえしてから歩こうということである。MVでは食事シーンと歩行シーンが交互に出てくる。
食事シーンは深川アリーナのレストランで撮影している。料理は全てパッケージに入っており衛生度が高い。換気も良い。レストランにいる客は信濃町ガールズ関東のメンツである。レストランを2時間貸し切りにして撮影した。通常は平日の昼間に行なっているサービスだが、撮影する時に同様のシステムで料理を出してもらった。
歩行シーンは埼玉県某所で撮影した。30歳以上のファンクラブ会員の希望者から抽選で参加者を募り10kmのウォーキングをしている。
『立山だってや。まぁ』はダジャレで全国の名山を制覇するシリーズである。
『北岳に来ただけ』『阿寒をなめたらあかん』『槍ヶ岳やりほーだい』に続く第4弾である。今回ちょっと北陸方言?が入っているが“なめたらあかん”でも関西方言が入っていた。
MVの背景には超秘境鉄道の“立山砂防工事専用軌道”(*87) の映像が入っている。物凄い場所の映像なので「これはどこですか」という問合せが多数あった。これについては後述(*87).
『城を作りましょう娘さん』はポーランド民謡『森へ行きましょう娘さん』(*84)のメロディーに「城を作りましょう蜂須賀さん」という歌詞を載せたものである。長時間時代劇『The 天下』の中で使われたものだが、有名なエピソードなので、立山煌本人に歌詞を書かせた。
(*84)原題 『Szła dzieweczka』。以前にも述べたように日本語のよく知られた歌詞では男が銛へ娘を誘うが。原詩では娘はひとりで森へ行き、そこで出会った若者が娘を誘う。
Szła dzieweczka do laseczka
娘は行った。森へ。
Do zielonego, do zielonego, do zielonego.
緑の、緑の、緑の、
Napotkała myśliweczka
彼女は若い狩人に出会った。
Bardzo szwarnego, bardzo szwarnego, bardzo szwarnego.
とても陽気な、とても陽気な、とても陽気な、
ペンネームの狩葉穣というのは彼の本名・広中礼音から次のようにして作られた名前である。
れのん→ジョン・レノン(名前の由来)→じょん→穣
hironaka → karinoha →狩葉
最初一緒に考えてくれたセレン・クロムはこんなのを提案した。
れのん→ジョン・レノン(名前の由来)→じょん→城
Hironaka → Hon Akari→本灯
組み合わせて本城灯(ほんじょう・あかり)。
「女の子の名前に見えますけど」
「レノンちゃん中2でしょ。今が女の子になる最後のチャンスだけど」
「別に僕は女の子にはなりたくないです」
「スカートが似合うのに!」
「スカートくらい穿くけど、別に女の子になりたい訳じゃないですよー」
「・・・・・」
『家を建てましょう娘さん』は『海幸彦・山幸彦』の挿入曲である。こちらの歌詞はアクアが書いた。
「忙しいのによく歌詞まで書く時間ありますねー」
と煌は感心していた。
ドラマの撮影のため実際に“竪穴式住居”を作っているところがMVになっている。このため作業員さんたちは作業服の上に生成り色の筒型衣を着、髪も美豆良のヘルメット内蔵!かつらをつけて作業してもらった、
(*85) 日本で食べ放題のサービスを“バイキング”と呼ぶようになったのはそういうサービスを最初に始めたお店の名前が“バイキング”だったからである。1960年代に開設された東京帝国ホテル内のレストランで、当時大卒初任給が12,000円くらいの時代に1200円もしたが、待ち行列が凄まじかったらしい。今なら2万円食べ放題くらいだが、帝国ホテルならそれでも客がたくさん来ると思う。
(*86) 日本で“ハイキング”という場合は、一般に自然の中のコースを歩くことを意味し、結果的に山に登るコースの場合、登山との境目は微妙である。ドイツ語のワンデルンと意味が近い(ワンダー・フォーゲルのフォーゲルは“鳥”)。
ウォーキングとも境目が微妙だが、ウォーキングの場合はたいたいコースの半分は町中を通る。歩かずに目的地までバスで移動して目的地の自然を楽しむものを昔(1960年代??) はバス・ハイク(和製英語)と言ったらしいが、この言葉は多分死語。ピクニックというのは歩くことより現地で食事を楽しむことが目的のものとされる。
(*87) 立山砂防工事専用軌道とは下記のような鉄道である。
1858年4月9日(安政5年2月26日)飛騨(岐阜県北部)と越中(富山県)の境界付近で起きた巨大地震“飛越地震”(*88)により立山連峰の鳶山(とんびやま)が山体崩壊を起こし山は消滅。4億m
3もの土砂が通称“立山カルデラ”(実はただの凹地でカルデラではない!)になだれ込んだ。この地震で立山温泉の湯治客や従業員が多数死亡。更に復旧工事をしていた4月23日に強い余震があり工事関係者が多数死亡した。
この時溜まった土砂はその後も度々下流地域に多大な被害を出している。現在でも当時の半分程度の土砂が残っているものと推定され、これが全て常願寺川の下流に流れ出した場合、富山市街地を含む富山平野が全て厚さ2mの土砂で埋まると言われる。
そこで20世紀初頭から国家予算を注ぎ込んで砂防工事が行われている。1930年代に2つの巨大なダムが作られたが気休め程度にしかならない。この工事は土砂の量があまりにも膨大であることから、実質的に永遠に終わらないだろうとも言う。この工事用の資材を運搬するために作られたのがこの国土交通省・立山砂防工事専用軌道なのである。
610mmという物凄い狭軌である。JR在来線が1067mm/新幹線1435mm。後述の関西電力黒部専用鉄道でも 762mmである。
17.7kmを約2時間掛けて走行する。おそらく日本で最も秘境にある鉄道(*89) (*90).
1926 工事開始
1929 千寿ヶ原−樺平 11.7km 開通
1930 樺平−水谷 インクライン(ケーブルカー)で結ぶ。
1931 水谷−白岩 開通
1962-1965 樺平−水谷を軌道に変更。18連続スイッチバックになる!
インクラインを軌道に変更したのは荷物の載せ替えがあまりに大変だったからである。
樺平は“かんばだいら”と読む。
千寿ヶ原連絡所は地鉄・立山駅(ここで既に秘境感がある)のすぐそばにある。なお現在では水谷−白岩間には列車が運行されていない。
基本的には工事関係者だけの鉄道だが、毎年数回見学会が開かれており、一般の人でも抽選に当たりかつ!天候が良ければ乗れる。昔は“緩かった”のでこの軌道を一般人が歩いて登ることもできたが現在は厳しくシャットアウトされている。
↓はこの列車に乗車した人が許可を得て運転室にカメラを設置させてもらい撮影したものである(約2時間の動画)。
立山砂防トロッコ【前面展望 運転台アングル付き】秘境を走る
https://youtu.be/TaNYY5Kx4-0
(1時間7分あたりから18連続スイッチバック)
随分上の方まで登って行くのにそこに人が多数居るのが凄い。
筆者もついこの動画を2時間ずっと最後まで見てしまいました。下手な映画より面白い。ハラハラドキドキでした。スイッチバックでのポイント切り換えは運転席のパネルからリモートでやっています。途中にすれ違うための待避線まであります。
解説と多数の写真↓
立山砂防工事専用軌道
終点・水谷の先のトンネルの写真まで掲載されているがそのトンネルの向こうにいい感じの温泉があるらしい。
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