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■夏の日の想い出・日日是好日(21)
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1月15日(日・なる).
朝10時、信濃町の§§ミュージック事務所に、レディス・ビジネススーツで決めた23-24歳に見える女性が訪問してきた。
「大宮万葉先生にご紹介いただいたのですが、人事担当の方に」
と言って、“作曲家・大宮万葉”の名刺を見せ履歴書を渡した。
応接室に通され、コロナの検査を受ける。
「ちなみに富山からこちらへはどういう交通手段を使われましたか?」
と白衣を着てコロナ検査をしてくれた女性に訊かれた。
「友人がちょうど東京に出ると言っていたので彼女の車に同乗してきました。この事務所の前で降ろしてもらいました」
「なるほど。丁度良かったですね」
事務の男性社員がケーキとコーヒーを持って来てくれる。わあ男の人でもお茶を持って来るとか、さすが女性社長の会社だなあと思う(ように実はお使い以外の女性客にはたいてい男性社員がお茶を出す!)。
川崎ゆりこが対応する。基本的にはゆりこは朝1番から夕方まで、コスモスはお昼過ぎから夜中までの勤務で、このどちらかは事務所に居るようにしている。彼女は午前中に来たのでゆりこが対応した。
「大宮万葉先生からはお話を聞いております。楽器をなさるんですね」
と笑顔でゆりこが言った・
「はい。小さい頃からピアノとヴァイオリンを習っていました。高校時代にトロンボーンとアコスティック・ギターを覚えました」
と杉本美滝は答える。
「トロンボーンとは面白いですね」
「大宮万葉先生と一種に合唱軽音部というのに入っていて、そこでトロンボーンの担当になったので覚えました。トロンボーンは誰でもすぐ覚えられるからと言われて」
「でも音感のいい人にしか吹けない」
「それはありますね。でもヴァイオリンやってたからスケールが分かるんです」
「なるほどー。でも弦楽器・管楽器どちらもできたら頼もしいですね」
そのあと一般的な話をした。
「個人情報に関わることで申し訳無いのですが、なんでも結婚する予定が御破算になったとか」
「そうなんです。話が違うということで」
「でも仲直りして復縁という可能性は?」
「ありません。向こうは結婚しちゃいましたし、私は完全に熱が冷めましたから」
「二股ですか?」
「そうです。私には“妹”と言ってた人が実は彼女だったんですよ」
「それは酷い」
「その“妹”と言ってたのが実は男性だったんですよね」
「ほほお」
「それで男同士になるから婚姻できないんで私と法的には結婚するつもりだったみたいで」
「偽装結婚ですか」
「だと思います。知り合ってから結婚するという話になっているのにまだ1度もセックスしてなかったから変な気はしてたんですけどね」
「ああ」
「EDかもと思ってたらとんでもなかったです。それで、その“妹”が性転換手術を受けて戸籍も女に直したから結婚できるようになったんですよね。で私は振られてしまったんですよ。君には済まない、慰謝料も払うと言われたけど、全部断りました」
「なんか大変な目に遭いましたね」
「きっと向こうとしては彼を失いたくないから性転換手術を受けたんですよ。きっと彼はそこまでしてくれたその子に感動して向こうと結婚することを決めたんじゃないでしょうかね。でも私はどうなるのよ?という感じで」
「いやそもそも二股が悪い」
「ですよねー」
「戸籍なんか気にせずに最初からその“妹”と結婚してれば良かったのに。こちらは無駄に巻き込まれただけですね」
「全く。一時的にでもそんな奴を好きになった自分が許せない感じ。もう恋愛は5年はしませんから、ぜひ仕事をさせてください。周囲に『結婚するから』と言ってて、結婚式の招待状も出してたのに結婚しないなんて、もう恥ずかしくたまらないと思ってたら、大宮万葉さんが東京に行く?というのでそれもいいなと思って、金沢を出て東京に移住しようと思って出て来たんです」
「分かりました」
会社としては年齢が微妙なだけに結婚するからと言ってすぐ辞められたら困るので踏み込んだことまて聞いたのだろう、と美滝は思った。
「演奏を聴かせて下さい」
と言われ、スタジオに入って、ピアノ・ヴァイオリン・トローンボーン・アコスティックギターの演奏を見てもらった。桜野レイアさんが同席して聞いているので「わあ」と思う。
ゆりこ副社長が
「どう思う?」
とレイアさんに訊く。
「ピアノはセミプロレベル。他のは上手なアマレベル」
とレイアは答えた。
わー。評価が厳しーと思う。さすが音楽の会社だ。私不合格かなあ。
「でも欲しかったのはピアニストだもんね」
「うん。だからゆりこちゃんが判断していいと思うよ」
「じゃあなた仮採用。いつから入れますか?」
「今日からでも」
「OKOK。じゃ3月末まで一応試用期間ね」
「分かりました!」
「住む所は決まってますか?」
「採用して頂けたら探すつもりでいました」
「そしたら良ければ岩槻の社員寮に入ってくれる?」
「はい。助かります」
「それで今日の午後、ちょっと沖縄まで行って来て」
「はい、行きます」
ゆりこ副社長はどこかに電話した。
「ああ、秋世ちゃん?キーボード奏者が見付かったから。今日の午後から入ってもらう。三村ちゃんの方にはキャンセルの連絡しとくね。よろしく。え?名前?」
と言ってから、ゆりこはこちらを見て
「あなたの名前なんだったっけ?」
と訊いた。
「杉本美滝(みたき)です」
「みたきちゃんだって。え?性別?」
と電話の向こうに言ってから
「あなた女性だっけ?」
「はい。女です」
「女性みたいよ。うん。じゃよろしくー」
そういう訳で杉本美滝は、薬王みなみ、三田雪代(Gt) 篠崎希(B) 坂上透(Dr) および永田秋世マネージャー、プロデューサー役の花咲ロンド、録画録音スタッフとともにGulfstream G450で那覇空港まで飛んで沖縄で日帰り!撮影をしてきたのである。
12:30 熊谷郷愁飛行場発
14:30 那覇空港着
15:00-20:00 撮影(日没18:10日暮18:40天文薄明終了19:29)
21:00 那覇空港発
23:00 郷愁飛行場着
24:00 岩槻の社員寮着
美滝はすぐ郷愁飛行場に行ってと言われ譜面を渡されてSCCの車で熊谷に向かった。キーボードもひとつ借りて車の中でずっと練習していた。そして熊谷を離陸してからG450の中で他の人と合わせる。初めての参加だったのに一発で合わせるだけは合わせることができたので美滝はホッとした。
しかし飛行機の中で演奏するというのも面白い体験だった。
「これでやっと“浄瑠璃(じょうるり)バンド”の完成だね」
と花咲ロンドさんが言った。
「浄瑠璃って文楽ですか?」
「いや“薬王”というのが薬師如来の別名なんで、その薬師如来がおられるのは東方・浄瑠璃世界というのでこういう命名なんだよ」
「へー」
美滝はあいにく仏教にはあまり興味が無い。
「観音菩薩が南方・補陀落(ふだらく)世界、阿弥陀如来が西方・極楽浄土、薬師如来が東方・浄瑠璃世界」
「北は無いんですか?」
「うーん。仏教に詳しくないのでよく分からない」
「でもひとりの仏にひとつの浄土があるともいうからなあ」
「きっと浄土はたくさんあってどこに行ってもどこかの浄土に行き着く」
「我々が住んでいる世界こそが浄土(密厳浄土)という説もある」
「あっ。そちらがしっくり来る」
「だいたい日本的な信仰では亡くなった人は“あの世”に行ってお盆になると帰って来る。輪廻して生まれ変わったらもう戻って来られないし、遙か彼方の浄土に行っちゃってもそう簡単には戻ってこれる訳がない。きっとその付近の“草葉の陰”に居るんだよ」
「そのあたりの死生観って矛盾してますよね」
「人形劇とはあまり関係無いんですか」
「あれはね。薬師如来の申し子の浄瑠璃姫の物語が人気演目だったので、その人形劇のこと自体も浄瑠璃と呼ばれるようになったもの」
「へー」
「マラトンの戦いの勝利の報せ(エヴァンゲリオン)を42km走ってアテナイに届けたことから長距離走をマラソンと呼ぶようになったようなものかな」
「なるほど」
「ちなみに文楽というのは人形浄瑠璃を演じるプロ劇団の中で最後まで残ったのが文楽座だったから」
「ああ、固有名詞ですか」
「元々浄瑠璃とはサファイアのことだから浄瑠璃姫って今で言うとサファイア姫だね」
「あっ、なんかかっこいい」
「リボンの騎士みたい」
「あれはサファイヤ姫(王子)(*47)だけどね」
「私たちもサファイア・バンドでもいいかも」
「英語名はそれにしよう。sapphire bandで」
「いいですね」
「sapphiresでもいいかも」
「あっ、そっちがいいかも」
「いや浄瑠璃バンドという名前に違和感を覚えるという意見も多かった。サファイアズを正式名にしよう」
と花咲ロンドは言った。
「おぉ!」
「でも薬王みなみのカラーは“浄瑠璃イエロー”だよ」
「黄色いサファイアで」
「補色なのでは」
などという意見も出る。
「実は浄瑠璃光というのも青い光なんだけど」
「そうか!瑠璃光がラピスラズリの色だ!」
「正確にはそれを砕いて作ったウルトラマリンの色だね」
「誰かが間違えた可能性が濃厚だな」
「ゆりこ副社長が怪しい」
「ちょっとその件も花ちゃんと話しあってみるよ」
と花咲ロンドは言った。
(*47) “リボンの騎士”サファイヤは天使の悪戯の結果、女の子の心と男の子の心の両方を持って生まれた。だから彼女は姫であると同時に王子でもある。特に騎士の服装をして出歩いている時は男の子の心がメインに働いているものと思われる。アメリカ・インディアンの一部の種族に見られるtwo spirits に近いかも。
"non binary"の人は“男50%女50%”などと言ったりするが、サファイヤの場合は“男100%女100%”であり、完全に2人分の心を持つ。ある意味アクアに近い。
主人公の名前は連載時には“サファイヤ”であったが、宝石の方は日本語の正記法では「サファイア」と書くことになっている。それで、後日虫プロはこの名前も“サファイア”と訂正した。しかし固有名詞を変更するのはおかしいとして、虫プロで実際に制作に関わっていた辻真先ほか、このマンガの古いファンはだいたい“サファイヤ”と書く。筆者は辻真先の信奉者なので辻真先流に“サファイヤ”と書く。
ということでこのあと、花咲ロンドさんの指示で曲を練り上げていく。
演奏が安定したところで薬王みなみちゃんも入ったが(それまで寝てた)、彼女が凄い上手いので驚いた。那覇空港に到着するまでにだいたい完成する。。
それで現地で演奏して撮影した。夕闇迫る中で演奏し、最後は星空の下で演奏した。
そして帰る!
「え〜〜〜?沖縄日帰りなんですか?」
「いつものこと、いつものこと」
「あはは」
私いったん金沢に戻って引越の作業するつもりだったけど、もう帰れなかったりして(正解!お母さんに頼むことになる)。
この日のお昼は熊谷に向かう車の中でもらったお弁当を食べた。夕食は帰りの飛行機の中でやはりお弁当を食べた。また演奏撮影中はハンバーガー、チキン、ジューシー(*48) などの軽食?が出た。
「この仕事で大事なのはしっかり食べておくことだよ」
とギターの三田ちゃんに助言されたのでハンバーガーなども3個くらい食べた。
そして美滝は郷愁飛行場に帰着した後、永田秋世マネージャーが岩槻の社員寮まで送ってくれる。フロント(門の近くに独立棟になっている)で社員証引換証と交換に、部屋の鍵、社員証(idカード)、名刺、健康保険証などを渡された。
「誕生日などは大宮万葉さんに聞きました。年金手帳を出してください。部屋番号は多分同じフロアで近い内に移動になるので大型荷物の購入・引越荷物の搬入は少し待ってください」
というメモが添えられていた。
お夜食にとパンをもらい、永田マネージャーにお礼を言って別れ、2号棟9階の部屋に入ると寝具や冷蔵庫・洗濯機・テレビ・電子レンジなどは用意されていた。お茶などもあったのでお湯を沸かして紅茶を一杯飲む。その後でコンビニにでも行こうと思い、フロントで尋ねたら
「同伴ロボットを使ってください」
と言われた。この同伴ロボット(“しゅん”君)(*49) と一緒にコンビニまで往復したがちゃんと付いてくるし会話もできてなかなか面白かった。
しかしそういう訳で薬王みなみのバックバンド“サファイアズ”が正式発足したのである。
(*48) ジューシーは沖縄の庶民的な料理でピラフのようなもの。スーパーのお惣菜コーナーで食品パックに詰めて売られている。今回も再生プラスチックの食品パックに詰め、厚紙スプーン(割箸に交換可)付きで提供された。
(*49) 社員寮同伴ロボット個体名
1号:アクア、2号:セレン、3号:クロム、4号:リズム、5号:アケミ、6号:マネ、7号:ビーナ、8号:セシル、9号:シュン、10号:ミナミ
(社員寮自治会の女子部会で決められた。主に使うのが女子社員だからである。なお男の娘も戸籍上の性別によらず「自分は女である」と宣言すれば女子部会に出席できる。投票権もある)
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