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■夏の日の想い出・ラブコール(15)

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8月28日は品川ありさ、29日は高崎ひろかのネットライブを織姫で行った。これで今年夏の一連の(通常)ネットライブは終了した。高崎ひろかのライブでは幕間に松梨詩恩・高崎ビーナ姉妹(姉弟?)が登場して、詩恩の曲1曲とビーナが近い内にリリースする予定の曲2曲を歌った。
 
幕間が終わって、高崎ひろかが後半の衣装で登場した所で一時的に三姉妹が並ぶ。それを司会の鈴鹿あまめが撮影してこのライブのホームページにアップしたら、とても好評だった。
 
今回のイベントで高崎ひろかたち三姉妹を運ぶのに初めて Honda-HetSilverが使用された。(品川ありさは今回 Red を使用した)
 
これでSilverも処女飛行を終えて5機がいつでも使用できる状態になった。
 
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今回のありさ・ひろかのライブでバックダンサーを務めたのは信濃町ミューズのメンバーである。具体的には下記のメンツ。
 
三田雪代(19) 太田芳絵(高3) 斎藤恵梨香(高2) 大仙イリヤ(高2) 夢島きらら(高2) 今川容子(高1) 坂田由里(高1) 青木由衣子(高1) 左蔵真未(高1) 山本コリン(高1) 直江ヒカル(高1)
 
高3以上の5人をHonda-JetYellow, 高1の6人をOrange で連れて行っている。つまり今回はHonda-Jetが4機使用された。
 
今回は東北の地方ガールズは集めていない。その代わり、経験の長い子たちが多いので、結構複雑なフォーメーションのダンスを披露してくれた。
 
運動神経の良い山本コリン・直江ヒカルがバク転を交えたパフォーマンスをして、ダンスへの歓声があがり、思わずありさ・ひろかが後を振り返るシーンもあった。
 
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ありさ・ひろかのイベントで5機のHonda-Jetの内、Red, Silver, Yellow, Orange を使用したのだが、残るBlueを使って、実は青葉を東京に呼んだ。
 
ラピスラズリが夏休みの内に『作曲家アルバム』の取材をしておきたかったのである。年末が近づくと、ラピスラズリはかなり多忙になることが予想される。
 
そこで青葉は8月25日にHonda-JetBlueで能登空港から熊谷に連れて来て、下記の日程で取材をしてもらった。
 
取材日/放送予定日
8.26 11.08 神崎美恩・浜名麻梨奈
8.27 11.22 醍醐春海
8.28 12.06 ゴールデンシックス
8.29 12.20 ステラジオ
 
2008年組の私を先日取材したので、続けてXANFUSの神崎美恩・浜名麻梨奈の取材をする。続いてオリンピックで取材を延期していた2007年組の醍醐春海を取材してから、醍醐春海と関連の深いゴールデンシックスを取材する。ステラジオは“ポスト2008年組”の筆頭ということになる。
 
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神崎美恩・浜名麻梨奈は、国分寺市の神崎美恩の御自宅を訪問した。
 
XANFUSは音羽・光帆は無茶苦茶だし、mikeは適当だし、noirはわりと何も考えてないし、yukiは訳が分からないし、kijiはなぜかいつも「お金が無ーい」と言っているが、作詞作曲を担当するこの2人はわりと堅実だし、常識人である。2人ともちゃんと貯金して、数年前に2人とも国分寺市内に1戸建てを建てているし、2人とも結婚して夫と一緒に暮らしている。
 
今回ラピスラズリはXANFUSの出世作『Down Storm』を歌ったが
「ロック魂が足りない」
と言われ、30分ほど指導が入った!結局この歌は朱美がメインボーカルを取った。
 
この歌が生まれた時の話も聞く。
 
・浜名麻梨奈が携帯をしながら自転車に乗ってて、道が無くなっているのに気付かず数メートル転落した。その時、物凄い“風”を感じた。
 
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・病院に運び込まれ手術を受けたが、その手術の最中に唐突にメロディーが浮かび、結局手術を受けながら書いた。
 

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「なんか凄い状況で書いてますね」
と東雲はるこが本当に驚いたように言う。
 
「ながら運転は絶対にしちゃいけないよ」
「あれひとつ間違えば死んでた」
と相棒の神崎美恩は言う。
 
「手術受けた時、母ちゃんには、命の保証はできないとお医者さんが言ったらしいし、腰の骨が折れてたから妊娠に困難が生じる可能性あると言われたけど、ちゃんと赤ちゃん産めたから」
 
「それもラッキーなだけだと思うよ」
と神崎美恩は言う。
 

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2人はXANFUSの音楽のあり方について熱く語った。多人数で一緒に演奏しながら練っていくと、曲は“本来あるべき形”に落ち着いていく。それがその曲の完成形だと神崎美恩は言う。
 
ただコロナの情勢で今集まって練るということができないから、レコード会社の技術部の人に、各メンバーが“同じ時間差”で全員の演奏を聴ける環境を作ってもらい、リモートで楽曲を練っているという。
 
「やりにくいけど、コロナが落ち着くまでは仕方ない」
「音羽と光帆は外で飲めないからお金が無くならないと言ってた」
「ああ、それはいいことです」
 
この日はやはり常識人の2人だけあって、ラピスラズリも楽しく取材をすることができたようである。
 
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8月27日は醍醐春海(千里)の取材に行く。これは浦和の千里家に行った。地下のラウンジの方が取材にはいいのだが、そこは非公開なのでカメラを入れることはできない。それで1階のLDKを使用した。
 
「ここは大宮万葉先生の御自宅でもあるんでしょう?」
「そうそう、そちらに万葉の部屋があるよ。東京方面に出て来た時はその部屋に泊まる」
と千里は指さす。
 
「ここは、私と青葉と私の“友人”の桃香と3家族が共同で暮らしているんだよ」
「大きい家だなと思いましたけど、家族も多いんですね」
「何人住んでるのかよく分からなくなることもある」
「人数多いとそうかも」
 
実際には建前上は↓の9人が住んでいる。
 
千里・青葉・彪志・桃香・貴司・早月・由美・京平・緩菜
 
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しかし実際には↓の13人がここにいることがある。
 
千里1・千里2・千里3・青葉・彪志・桃香・貴司・早月・由美・京平・緩菜・龍虎M・龍虎F
 

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「念のため確認しておきますけど、醍醐春海先生がお姉さんで、大宮万葉先生が妹さんですよね?」
と町田朱美は言った。
 
「それよく誤解されるんだよ。私は年甲斐もなく10代の子が着るような服が好みで、万葉は落ち着いた服が好みだからかもね」
と千里が言うので、そういうことにしておいたが、朱美は絶対服だけの問題じゃないと思った。
 
実際には現在、千里が30歳、青葉が24歳なのだが、だいたい青葉は28-29歳くらい、千里は25-26歳に見られることが多い。
 
「まあ万葉は今でも『北陸霊界探訪』で心霊相談やってるけど、小さい頃から霊相談してたから、当時は年齢が上に見られるのはクライアントに信頼感を与えていたんだよ」
 
「なるほどー」
 
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「小学生に言われても今一信頼性が無いけど、高校生くらいかなと思われると信頼してもらえる」
 
「それあるでしょうね」
「だから本来の年齢より6-7歳上に見られるのを容認してたら、それが今でも続いてしまってるんじゃないかな」
 
「そういう訳で年齢を誤認されるんですね」
 

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本格的なインタビューが始まる前に、立体駐車場や半地下のバスケット練習場なども撮影した。
 
「このバスケット練習場って、階段とかは無いんですか」
「無い。滑り台だけ」
「面白い仕様ですね!」
と滑り台を歓声をあげて滑り降りた東雲はるこが本当に面白がって言っていた。
 
「まあ上に昇る時は駐車場のエレベータを使う手もある」
「なるほどー」
「だから子供たちが、滑り台でここに降りて、駐車場まで走って行って、エレベータで地上に出て、駐車場の軒下、駐車場と母屋の間の通路と走って戻ってくるというので永遠にぐるぐる走っている」
 
「楽しそう!」
とまた東雲はるこが言った。この日は普段言葉の少ない東雲はるこが結構しゃべっていた。
 
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創作に使う2階の部屋も見せる。
 
「ここは防音になっているから、夜中でも他の住人に迷惑掛けずに創作ができるんだよ」
 
「それもいいですね」
 
最後は1FのLDKで“お茶とかは飲まずに”話をした。
 
「そういえば、先生の“醍醐春海”というお名前の由来って何かあるんですか?醍醐天皇から来たのかな?とか“醍醐味”(だいごみ)から来たのかなとか、GODIEGO(ゴダイゴ:“ガンダーラ”などで知られるバンド。電子楽器を使用したバンドとしては先駆的なバンドのひとつ)から来たのかなとか、友だちと言ってたんですが」
 
「あれは雨宮先生の誤読から出発してるんだよ」
「誤読なんですか!?」
 
「私はラッキープロッサムの創設にちょっと関わりかあってね」
「はい」
「その縁で、ラッキープロッサムにも楽曲を提供していた。ラッキープロッサムの楽曲のクレジットって、神楽とか絵馬とか逆鉾とか福助とか、そういうノリでさ、それで私は“大裳”(たいも)というペンネームを使っていた(*1)」
 
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と言って千里は手近なホワイトボードに“大裳”と書いてみせた。
 
「それで“たいも”と読むんですか」
「裳は衣裳の“裳”だから、音読みでは“しょう”と読むけど、訓読みは“も”。平安時代の貴族の女性が正装する時に着けていたスカートが“裳”(も)だよ。元々衣裳の“衣”は上着のことで、“裳”はスカートのことだから、男性が衣裳をつけるとスカートを穿くことになる」
 
「その手の元の意味が忘れられていることばって多いですよね。“元旦の朝”ってテレビのアナウンサーが言ってるの聞いたことあります」
「“元旦”自体が元日の朝だよね。まあそれで“大裳”は“たいじょう”と読む人もいるけど“たいも”という読み方もある。私は師匠から“たいも”と習ったからそれで読んでる(本当は“本人”がそう読んでと言った)」
 
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「へー」
 
「ところがこの名前を雨宮先生が“だいご”と誤読しちゃって」
「あらら」
「そして自分がそう読んだんだからお前の名前は“だいご”にしろと言うからさ」
「雨宮先生らしい」
「じゃ漢字変えさせて下さいと言って“醍醐”にした」
「なるほどー」
 
「春海は、醍醐だけでは短いなと思って追加した」
 
「それで醍醐春海が生まれたんですか」
 

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(*1)ラッキープロッサムの作曲名義
 
神楽:鮎川ゆま
福助:河合龍二
熊手:貝田茂
招猫:幣原咲子
絵馬:相馬晃
釜鳴:雨宮三森
大裳:醍醐春海
逆鉾:宝珠七星
螺旋:田船美玲
 

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千里は(他の作曲家に比べたら)とっても常識人だし、気配りも凄いので、この日のラピスラズリはとても取材がしやすかったようである。
 
インタビューの中ではバスケット活動の話もてて、ふたりがあらためて
「メダルおめでとうございます」
と言うと
 
「ありがとう」
と言って、ラピスの2人に東京五輪の銀メダルを触らせてくれて、2人は感動していたようであった。
 
「万葉もメダル出しなよ」
と千里は言った。
「え〜?」
「持ってるでしょ?」
「持ってる。色々な人に見せないといけないこと多くて」
 
それで青葉が自分の取った、金メダル2個と銅メダルを出した。
 
「ほら金銀銅と3種類のメダルが揃ってる」
「これは凄いシーンだと思います」
と町田朱美がマジで興奮していた。
 
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この部分は、放送された時、速攻でyoutubeに無断転載されていた。
 
しかし、この日は本当に平和な取材だった。
 

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この日の取材が終わった所で、私は千里と青葉に頼んだ。
 
「その2人がメダルを掛けている所とかを撮影させてもらえない?作曲家アルバムの取材ではなくて」
 
「何に使うの?」
「ローズ+リリーのアルバムのMVに使いたい」
「へー。そういうことならいいよ。今回は楽曲で協力できなかったし。青葉もいいよね?」
「うん。ローズ+リリーで使うのなら全然問題無い」
 
それで、ラピスおよび作曲家アルバムのスタッフは帰して、私はサンシャイン映像のカメラマンを呼んだ。
 
それで2人が金メダルを掛けている所を撮影させてもらい、更にその後、深川アリーナに一緒に移動して、千里がスリーを入れるシーン、青葉がプールで泳いでいるシーンも撮影させてもらった。
 
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「ありがとう。これでいいビデオが作れるよ」
「この程度はOK。でも何て曲なの?」
「金目鯛かな」
「は?」
 

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夏の日の想い出・ラブコール(15)

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