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3月11日、震災関係のイベントに出席した久保早紀(丸山アイ)は石巻市内のホテルに泊まったのだが、夜遅く唐突に広いお風呂に入りたくなった。このホテルは個室にバスが付いていて、大浴場が無い。
それでアイはお風呂セットを持ってホテルを出、バスに乗って市内のスーパー銭湯に行った。入場料を払って中に入り、男女に分かれている暖簾の所で迷う。
「ど・ち・ら・に・し・よ・う・か・な? こっち!」
と言って指さした側の暖簾をくぐる。
遅い時間帯だったせいか、浴室内にお客さんは居なかった。それで身体を洗い、湯船につかる。ぼーっとしている。
《アクアちゃんに去勢させよう》という請願、うまい具合に立っちゃったなあ。あれでアクアちゃん本当に去勢する気になってくれないかな、などと妄想している。あの子、精液は冷凍してるんだし、睾丸くらい取っちゃってもいいのに、私は迷わず取ってもらったけどなあ、などと昔のことも考えている。
音がしたのでふとそちらを見た。ちょっと格好いい男の子が湯船に入ってきたようだ。なんか格好いいじゃん。誘惑しちゃったらダメかな?この子とセックスしてみたーい!などと考える。
早紀は今男湯に入るのに男の子モードになっているので発想も男である。
でも彼は早紀を認識してしまった。
「あのぉ、まさか丸山アイさんじゃないですよね?」
「ええ、そうですよ」
「僕、てっきり丸山アイさんって女の人かと誤解してました!」
「ボク、昔からよく性別間違われるんですよ」
などと早紀は開き直って言っている。でも内心焦っている。お湯が濁り湯だから見えにくいけど、彼に自分の身体を見られるとやばい。今日は何も考えていなかったら偽装工作もしていない。
「ボク女顔だし、音域が5オクターブあるんですよ。バスの音域からソプラノの音域まで出るから、女の子みたいな歌い方すると、みんな女性歌手と思うんですよね。それで面白いからそれやってみろと言われて。それでボクの性別は不明ってことにしてあるんですよ」
「そうだったんですか!」
それで結局、早紀はうまく誤魔化して、彼が視線を外した隙にさっと湯からあがり「お先に失礼しまーす」と言って、浴室を出てしまった。
危なかったぁ!でも男湯に入るのってスリルが凄くでやめられない!などと早紀は思っていた。
3月10,12,13,15日、松本→甲府→東京・東京と、千里はレッドインバルスの今期Wリーグ決勝戦に同行した。試合は5試合で先に3勝したほうの優勝だがレッドインパルスは残念ながら1勝3敗で4戦目で敗退。優勝はならなかった。これで今季のレッドインパルスの活動は終わりである。
一方スペインの方は3月13,19,23,26日と試合をして今季17勝9敗の4位となり、プレイオフに進出した。
40 minutesのほうは3月19-21日に四国の今治市で全日本クラブバスケットボール選手権に出場。美事に優勝を決めて、千里はこれを花道に40 minutesから退団することとなった(但しオーナーとしては残る)。優勝の祝賀会は3月25日(金)に行われた。なおこの大会ローキューツは3位であった。
3月下旬『アクアちゃん去勢手術を受けて』という署名が40万件を突破したことから、ΛΛテレビが悪のりして『アクア君これが去勢だ!』という番組をわずか1日で作ってしまった。
テレビ局は午前中に去勢手術をおこなっている都内の病院の院長に取材して、去勢手術の方法や効果、また副作用などについてもインタビューした。また去勢手術を受けた人に取材して、去勢手術でどう変わったかなどについてもインタビューする。そして秋風コスモス社長と、龍虎の母・田代幸恵にまで取材する。2人とも龍虎に去勢手術など受ける気が全く無いことを知っているので安心して“台本”通り、「本人が希望するなら受けてもいいんじゃないですか」と答えた。
そしてその日の仕事が一段落したアクアをキャッチして
「既に40万人もの人が、アクア君に去勢手術を受けて欲しいと署名していますよ」
と告げる。
アクアも様々な番組で一緒になっている気心の知れたリポーターさんなので、気軽に答える。
「ファンの方々のお気持ちは嬉しいですが、僕は将来結婚したいので、睾丸を取るのは嫌です」
「睾丸くらい無くてもアクアさんと結婚したいという女性の声も多数来ていますが」
「でも子供も作りたいので」
「それでしたら精液を冷凍保存してから去勢する方法もありますよ」
「え〜〜!?どうしよう」
(この部分はアクアの応答能力を見込んだアドリブ)
そこでいったんカメラを停め、都内の病院に行く。“台本を確認して”
「え〜?だからボク去勢手術なんか受けませんよ」
「まあまあ、ちょっとこちらに来てお話ししましょうよ」
といってリポーターが強引にアクアを病院に連れ込む。
実際には病院内に入るとアクアはエアーシャワーを浴び手を消毒して青いナース用の手術着を着た。そして他のナースたちと一緒に手術室に入る。実は今日たまたま去勢手術を受ける男の子(男の娘?)がいて、その手術の様子を撮影してもよいという許可をもらっていたのである。
それでアクアが助手のナースたちと一緒に見守る中、去勢手術は実行された。カメラはさすがに手術部位は撮さないものの、少し遠くから様子を撮影している。
患部は既に剃毛がなされている。アクアは実は男性器を見た経験がほとんど無いので「わぁ、これが男の子のおちんちんとたまたまなのか」などと思いながら見ている。手術では部分麻酔が効いているのを確認した上で陰嚢の正中線を少し切開し、睾丸をまずは1個引き出して結索して切断。もう一方の睾丸も同様に引き出して結索切断した。それで切開した陰嚢の部分を縫合して手術は終わった。
去勢手術を生で見たのも初めてなので(こーちゃんさんに睾丸を取られちゃった時は手術というのとは少し違ったし)、龍虎は結構ドキドキしながら手術の進行を見ていた。
カメラが患者の顔を撮す。これで去勢手術を受けたのはアクアではなかった、というネタバレをする仕組みである。
アクアは手術室を出てからカメラの前で顔のマスクを外す。
「アクアさん、去勢手術の見学どうでしたか?」
「悪趣味ですね。僕は血を見るの平気だからいいけど、気の弱いタレントさんは、貧血起こしますよ」
「アクアさんも去勢手術受けてみる気にはなりません?」
「署名してくださった40万人の方々には申し訳ないですけど、僕は去勢手術を受けたり、女性ホルモンの注射とかをしたりするつもりはないので、ごめんなさい。でも世の中には去勢していなくても、ちゃんとソプラノ・ボイスを出すことのできる、いわゆるソプラニスタの方もあります。僕はそれを目指したいと思いますし、そのためのボイトレもずっと受けています。ですから、去勢せずにソプラノ声域を維持することに僕は挑戦しますので、その試みを応援してくれると嬉しいです」
とアクアは笑顔で言って締めくくった。
以上台本であった!
編集された番組の最後には、著名な日本人ソプラニスタが美しいソプラノボイスでグノーの『アヴェマリア』を歌っている所が流れたらしい。
なお、アクアに去勢手術を受けさせてという署名はこの番組の後、1晩で10万件増えて、50万件を突破した!
2016年3月30日(水)、千里たちグラナダ・レオパルダはLFBのプレイオフ準決勝の第1戦に臨んだが、残念ながら敗れてしまった。次の第二戦に賭ける。
3月31日(木)、レッドインパルスでは今月いっぱいで退団する選手の送別会が行われた。そして翌4月1日には、新入団選手の歓迎会があった。千里はこの日からレッドインパルスの正式な選手になるので、新入団選手として紹介されたのだが・・・
「去年から居たよね?」
「いや7−8年前から居た気がする」
などと言われた。
4月3日(日)、40 minutesを今季いっぱいで退団する選手の送別会・兼・新入団選手の歓迎会が行われた。退団者というのは千里のみである。
「でもオーナーとしては残るんだよね?」
「だったら送別会は全く必要ない気がする」
「千里、祝勝会とかには出てくるよね?」
「まあオーナーだし」
「だったら餞別とかも不要だな」
その日4月3日、スペイン時刻の10:00(日本時刻の17:00)、プレイオフ準決勝の第二戦がおこなわれた。決勝に進出するにはこの試合に前試合以上の得点差で勝つ必要がある。
しかし千里たちはこれに敗れてしまい、今季レオパルダはBEST4に終わった。
「結構行ける気がしたんだけどなあ」
「残念」
「また来季頑張ろう」
ところが試合終了後、オーナーが選手たちを集めた。今季の統括や来季に向けてのお話があるのかなと思ったのだが、千里たちは耳を疑う言葉を聞くことになる。
「アイ・ブエナス・ノーティシアス・イ・マラス・ノーティシアス・パラ・ボソトロス」
(Hay buenas noticias y malas noticias para vosotros).
(君たちに良い報せと悪い報せがある)
「いったい何でしょう?」
とキャプテンのビアンカが尋ねる。
「良い報せ。君たちは頑張ってBEST4まで来たので、給料を全員20%上げる」
選手たちの中から「オレ!」などと感嘆の声が上がる。但し2人だけ腕を組んで考え込み、喜んでいない選手が居た。キャプテンと千里の2人である。お互いにチラッと視線をやる。どうも同じ事を考えたようだ。
「それで悪い報せというのは何ですか?」
とレヒーナが笑顔で尋ねた。
「悪い報せ。申し訳無いが、レオパルダ・デ・グラナダは本日をもって解散する」
「ディオス・ミーオ!」
「マドレ・ミーア!」
と選手たちは頭を抱え、一転して悲痛の叫びをあげた。
3月下旬、丸山アイはテレビ番組の企画で、わずか2日間で大阪→松山→大分→鹿児島と移動しての撮影をこなし、鹿児島市近くの温泉宿に泊まった。
ちょっと今回の企画は辛かったなあ、などと思い、撮影が終わった後仮眠して起きたらもう夜中0時を回っていた。
「温泉に入ってこようかな」
と思って、お風呂セットを持ち、2階の渡り廊下で旅館の敷地を越えて隣の敷地に建っている温泉棟に入る。ここは周囲3軒の温泉宿が共同で利用している温泉である。階段を降りると、右手に女湯、左手に男湯の暖簾が掛かっている。
「ど・ち・ら・に・し・よ・う・か・な? こっち!」
と言って指さした側の暖簾をくぐる。
中には誰もいない。ちょっと拍子抜けする。とりあえず髪と身体を洗って汗を流し、それから湯船に入ってぼーっとしていた。
ああ、誰か可愛い男の娘をからかいたいなあ・・・などと思っていたら、誰か脱衣室に入ってきたようだ。アイはぼーっとしながら、その人物を“感じとっていた”のだが、やがて目が輝いてくる。
くくく。
もう笑いが抑えられないが、とりあえず気配を殺す。
脱衣場の人物はやがて浴室の中に入ってきた。ごく普通の雰囲気だ。全く緊張していない。こっちに入るのに慣れてるなと思う。その人物はやがて身体を洗って浴槽に入ってきた。
アイは滅却していた自分の存在感を回復させた。
浴槽に入ってきた人物がギョッとしたようにこちらを見た。
「こんばんは、アクアちゃん」
「丸山アイさん!?」
「アクアちゃんってお風呂はこちらに入るんだね」
などと優しい表情でアクアに声を掛けながら、どうやってからかおうかなとアイは悪だくみを考えていた。
「丸山アイさんって、高倉竜さんでしょ?だから本当は男の人だと思ってた」
「へー。どうして同一人物と分かった?」
「だって同じ声じゃないですか」
「それ分かるのは凄いよ」
と言いながら、この子それが分かるというのは、かなりの霊感持っているなと思う。
「でもボク、実は女の子なんだよ。男の声を出すのは発声法なんだよ」
とアイが言うとアクアはピクッとした。
「その発声法って少し教えてもらえません?ボクも男の子の声を練習したいんです」
「いいけど。でもアクアちゃんも本当は女の子だったのね」
などと言いながら、アクアが気付かない内に“ヤバいもの”を隠した。