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■娘たちのベイビー(5)

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(C) Eriki Kawaguchi 2019-08-25
 
審査員は続いて3位の川内峰花(通称“ハナちゃん”)を呼び出した。
 
彼女は昨年のロックギャルコンテストで本選4位だった(1位アクア、2位高崎ひろか、3位月嶋優羽:後に《三つ葉》でデビュー)。歌も踊りもうまくて、可愛さもあり、普通のアイドルオーディションならトップ合格だったかも知れないが、ロックギャルコンテストはそういう路線ではないのである。
 
昨年審査員はトップの3人と面談して、そのまま帰ろうとしていたが、彼女は電話を掛けてきて自分の順位を尋ねた。そして面談を希望したので、取り敢えず紅川だけ残って話すことにしたら両親とともに来訪した。彼女は言った。自分はこのオーディションの中でトップだと思っていた。しかし4位だったというのはやはり自分に足りないものがあるということだと思うから、それを教えて欲しい。また可能だったら“給料安くてもいいから”こちらの歌手か、無理なら誰かのバックダンサーかコーラスにでもして欲しい、などと、ひじょうに積極的に自己アピールした。
 
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彼女がひじょうにしっかりした性格で、しかも正直な評価を聞きたがっていると感じた紅川は説明した。
 
・君はアイドル性は高い。しかし個性が弱い。たぶん、集団アイドルのオーディションなら合格して、その集団の中でリーダーになれる。しかし現時点ではソロ歌手向きではない。
 
・ソロ歌手になるにはあと少し歌唱力も欲しい。特に音程が不正確で、耳の良い人にしか分からないが、楽器の音から数Hz低いことがしばしばある。そのためハモらない。
 
・そもそもこのオーディションでは、アイドル性より音楽的な能力や対応能力、パフォーマンス能力などを重視しているので、今回は残念ながら4位であった。
 
すると彼女は言った。
 
実は横居剣一さん主宰で新設予定のアイドル集団(ホワイト▽キャッツの名前で2015年4月に発足することになる)のオーディションも受けていて、そちらも三次選考に合格している。それがまさに社長がおっしゃる集団アイドル向きということなのだと思う。
 
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しかし自分は集団アイドルの1人になってチヤホヤされるより、本格的に評価されるミュージシャンになりたい。
 
こちらのオーディションが本格派の歌手を求めているのなら、自分は横居剣一さんの方は辞退して、音楽的な力を付け来年またこのオーディションに挑戦したいと。
 
そこで紅川が彼女や両親としばらく話した結果、彼女は§§プロの研修生となって1年間、発声・歌唱・ダンス・楽器・演技・コントなどのレッスンを受け、今年再チャレンジすることになったのであった(この時期は“練習生”と“研修生”の区別が曖昧で、彼女はこの1年間は練習生に近かった)。
 

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「昨年は4位で今年は3位(対象外の穂高充乃を除く)。でも今年は昨年に比べて参加者のレベルが高かった。数字は1つしか上がっていないけど、君はこの1年間でぐっと伸びた」
 
と紅川はハナに言った。
 
それで彼女には色々お仕事を紹介するから、取り敢えず研修生の身分のまま数年後のデビューを目指すという線ではどうか?と打診した。また桜野みちるのバックバンド“チェリーズ”のベーシストが9月いっぱいで退任することになっており、よかったら10月からその後任になってくれないかとも言った。
 
彼女は「自分はミュージシャン志向だしベースも得意なので、ベーシストの話、ぜひやりたい」と言った(*2)。それで彼女はこの後は毎月お給料をもらう形式で契約し、他の事務所のオーディションを受けたりもせず、§§プロのタレントとして、活動していくことになった。
 
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(*2)実はこれはハッタリで彼女はこの時点でベースなど触ったこともなかった。しかし翌日すぐ楽器店に飛び込んで、お店の人にベースそのものについて種類や人気モデルなどを教えてもらった上で、店頭に置かれていた限定品のピンクのGibson USA SGベース(15万円)を買ってきて2ヶ月間猛練習し、10月にチェリーズに合流した時は
 
「へー、女子高生にしては結構弾くじゃん」
と20代の女性ギタリストから褒めてもらった。
 
「ちみなに“女子”高校生だよね?」
「昨日お風呂で見た時は男子ではなかった気がします」
 

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なお、ハナちゃんは1年後にはチェリーズのベースと兼任で!品川ありさのバックバンド“フィフティースリー”のベースも担当することになる。また自作の曲を何曲か、みちるやありさに提供している。
 
「芸名も何か付けようか?」
「いえ。それはCDデビューする時でいいです」
 
といった会話を交わしたのだが、彼女(後の山下ルンバ)の歌手デビューは結局2019年までずれ込むことになる。しかし彼女の顔写真はこの年の秋から§§プロのホームページに“仮名ハナちゃん”の名前で掲載された。それで後に山下ルンバの芸名がついた後もライブなどで「ハナちゃーん!」という呼び声が結構掛かる。
 
“山下ルンバ”の芸名は彼女がラテン好きであること(ケーナとかサンポーニャも吹ける)と、掃除機のルンバに乗ってみせている写真をインスタグラムに公開して話題になったことがあったことに由来する(「寮では猫が飼えないので、猫の代わりに自分が乗ってみた」とコメントしていた)。
 
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なお、ハナちゃんは昨年夏からずっと足立区の§§プロの寮に住んでいるが(彼女より早くから住んでいた米本愛心から“研修所の主”の称号を贈られた)、今回のオーディションの結果、秋田利美と大村祭梨も寮に入ることになり、利美はNo.201、祭梨はNo.202 を使用する。その他、今回8位の佐藤ゆかちゃんも東京に出てきて研修生になりたいと言ったので入寮することになる。結果、寮の部屋番号はこのようになった。
 
201.秋田利美(後の白鳥リズム)
202.大村祭梨(後の花咲ロンド)
203.佐藤ゆか
204.米本愛心
205.川内峰花(後の山下ルンバ)
206.(明智ヒバリの部屋だが2014夏以降本人不在で荷物だけある)
207.柴田邦江(高崎ひろか)
208.田代龍虎(アクア)
209.佐藤絢香(品川ありさ)
210.(空室だが海浜ひまわりが自分の物置代わりにしている)
 
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部屋が満杯に近くなった(既に満杯という説もある)ので、紅川会長は敷地内に新しい寮を建築することにした。
 

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元々は1996年に§§プロが設立された時に、当時の所属タレントである新宿信濃子と上野陸奥子が「日々練習する場所が欲しい」と言ったので、紅川さんと新宿信濃子がお金を半々出し合って(紅川さんは自宅マンションを売却して資金を作った)、ここに土地を買い、住宅と離れの練習室を建てたのが発端である。当時は母屋も離れも安価なユニット住宅で、離れは練習室のみ。この練習室には紅川さんが日曜大工!で吸音板を貼り付けたが、これが意外に遮音性がよく、夜中にピアノを弾いても周辺から苦情は来なかった。当時離れには寝室は無く、信濃子と陸奥子は紅川一家と一緒に母屋の2階(紅川自身も含めて男子禁制)で寝泊まりしていた。
 
2000年に看板スター新宿信濃子(当時28歳)の1年以上に及ぶ長期入院があり、同プロは経営危機に陥るが、起死回生を狙って実施したフレッシュガール・コンテストの優勝者・立川ピアノがカリスマ的な人気を得て、同プロは盛り返す。
 
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信濃子が入院中なので取り敢えずピアノには信濃子の部屋を使ってもらったものの、信濃子が退院した時帰る部屋がないとまずい。また、紅川の長男・開治が中学生になり、年頃の男の子がいる家に若い女の子たちを同居させるのに紅川は問題を感じた。
 
紅川は“当時存在した”第二地銀から4億円の融資を受けることに成功(立川ピアノが好調なことから貸してくれたが、実は4億の担保になるようなものが存在しなかったので普通なら貸してくれない)し、これで新しい鉄骨構造の“研修所”を当時の練習室の前面側に建てた。これが今使用しているものである。
 
複数の楽器・歌唱練習室、CD・ビデオライブラリ、ダンス練習室(兼講義室)、お風呂、洗面所、などを装備し、居室は(防犯のため2階に)10個作った。しかしこの建築費は立川ピアノの稼ぎで2年で完済できた(その2年間に返済先の“銀行”は、めまぐるしく変わった!)。信濃子も翌年には無事退院して新しい寮に戻ってくることができて、立川ピアノと並ぶ§§プロの2枚看板として活躍することになる。
 
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それで現在の研修所と母屋を結ぶ渡り廊下(これも紅川さんの日曜大工!厳密に言うと?違法建築)は斜めに走っているのである。
 
なおここは土地・建物ともに元々は紅川と信濃子の共有だったが、信濃子が引退して結婚し、田園調布に夫と共同で家を建てることになった時、紅川に自分の所有分の買い取りを打診し、紅川も快諾して買い取ったので、現在は100%紅川の所有になっている。また、母屋は2004年にこちらも鉄骨構造で建て替えた。
 
最初に建てた練習室の方はその後更地にしていたのだが、この場所に新しい寮を建てることにしたのである。
 

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8月9日(日).
 
わざわざ東京で開かれたFIBA(国際バスケットボール連盟)の中央委員会で、日本の全面制裁解除が決定された。これで日本はアジア選手権(リオデジャネイロ五輪予選)に出場することができるようになった。
 
日本女子代表チームはまだニュージーランドで合宿中である。明後日帰国予定である。
 
なお、8月13-16日に日本国内で行われる壮行試合に出場する12名の選手名簿の中に千里の名前は無かった。それで千里は随分友人たちから「残念だったね」という気遣いの電話やメールを受けた。
 
しかし実はこれは、この壮行試合を長年日本代表を務めてきた三木エレンの引退試合にするためと、今回“秘密兵器”に近い位置づけになった、千里と鞠原江美子をあまり他国の偵察隊の前に曝さないようにするための作戦であった。
 
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千里と江美子は11日には帰国せず、16日までニュージーランドで合宿を続け、17日成田に到着する便で帰国した。
 

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2015年8月12日(水).
 
アクアの2枚目のシングル『ぼくのコーヒーカップ/貝殻売り』が発売された。記者会見には、アクアとコスモス社長、★★レコードの北川奏絵、それに作曲者のケイと東郷誠一さんが出席した。
 
『ぼくのコーヒーカップ』はマリ&ケイの作品、『貝殻売り』は加糖珈琲作詞・東郷誠一作曲である(ということになっている)。
 
実際には『ぼくのコーヒーカップ』はマリ&ケイ風に千里が冗談で!書いてみせた作品で、『貝殻売り』は加糖珈琲=葵照子の詩に醍醐春海(千里)が曲を付けた作品である。つまり実はこの2曲はどちらも千里の作品である。
 
デビューシングルの時は「おひな祭りのコスプレだよ」と言われて十二単(じゅうにひとえ)を着せられてしまったアクアだが、今回はイギリスのパブリックスクールの(男子)制服っぽいスーツで決めて登場。ゴールデンシックスをバックに発売する2曲をいづれもショートバージョンで演奏した。
 
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演奏の後、コスモスからコンセプトの説明などがあったが、質疑応答になるとまたもや東郷誠一さんのお茶目な応答が記者たちの笑いを誘った。
 
「せっかくパブリックスクールの制服着るなら、女子制服にすればよかったのにね」
などと言って拍手をもらったりする。
 
今回も東郷先生が実は全く楽曲のことを知らなかったことがバレてしまうような応答もあったのだが、先生は開き直っている。
 
「今初めて歌詞を見たけど、貝殻売りって凄い意味深な歌詞だよね。でもアクアちゃんの貝殻は超高価だから誰も買えないね」
などと、放送する時に“ピー”で消された発言まであった。
 
(アクアは意味が分からず困惑したような顔をしていた)
 
ネットでは「初めて歌詞を見た」とはホントに正直な人だ、という書き込みが多数あった。
 
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ケイは東郷先生の隣に座って、その暴走を抑えるのに、かなり苦労していたようであった。
 

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