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(C) Eriki Kawaguchi 2019-09-06
「辞めたい?どうして」
コスモスは月嶋優羽(つじま・ことり)の言葉に戸惑いを隠せなかった。
「ここ1年ちょっと研修生として活動してきて、世の中にはこんな凄い人達がいるんだと思い知らされてしまって」
「まあ確かに今は凄い子が揃っているよね」
「ハナちゃんとか今年デビューするものと思っていたのに、まだ先みたいだし」
「あの子は今デビューさせれば売れるだろうけど、2〜3年で潰れると思う。これ本人にもしばしば言っているんだけど、あの子は才能はあるのに覚悟が無いんだ。まあ覚悟だけで才能がない私が言うのもなんだけどね。でも私はあの子に海浜ひまわり・千葉りいな・神田ひとみの轍を踏ませたくないんだよ」
とコスモスは言った。
恐らくそれが紅川会長の“目”とコスモス社長の“目”の違いなんだろうな、と優羽は思った。コスモス社長は第1回ロックギャルコンテストの審査員にも入っていた。きっとあの時点でコスモスさんが社長を継承する方針が決まっていたのではと優羽は思っている。
「社長は私をどう見ます?」
コスモスはしばらく考えていたが言った。
「ことりちゃんは、ハナちゃんと全く逆のタイプだね。覚悟はあるから今すぐデビューしても何とかしていくと思う」
「でも才能は無いんですか?」
コスモスは黙って棚の上に置かれたヴァイオリンケースを取ると開けて中身を取り出す。弦を指で弾きながらペグを巻いて音程を調整しているようだ。
「この音を聴いて」
と言って、弓を引く。
「今から3つ音を出すから、どれが最初の音と同じ音か答えて」
「はい!」
それでコスモスは指をずらしながら3つの音を弾いた。
「真ん中です!」
と優羽は答えた。
「不正解」
「だったら、3番目?」
「不正解」
「あれ〜?最初のでした?」
「不正解」
「うっそー!?」
「ことりちゃん、即答したでしょ」
「はい!」
「こういう時、長時間悩んでいるのはダメ。即答できるというのは芸人として大事。でも実はどれが正しい音か分かってなかったでしょ?」
「実はそうです」
「これがハナちゃんだと10秒くらい悩んでから、どれも違うということあります?などと言うんだな」
「それが才能と覚悟の違いかぁ!」
「ハナちゃんは普段わりと即決即行動しているみたいに見えるけど、あの子事前にいくつかのパターンを想定してよく考えている。だから想定外のことに弱い」
「うーん・・・」
「ことりちゃんは何も考えていない」
「あはは」
「考えていないから即行動できるんだな。間違っていたら修正すればいいと思っている」
「それピアノの先生にも言われたことあります」
「うん。ことりちゃん、わりと即興に強いもんね」
「ええ。けっこう自信あります」
「フレッシュガールコンテストの時も、ことりちゃん歌唱テストで堂々と違うメロディーで歌っちゃったもんね」
「わっ、あれ覚えておられましたか」
「あの能力は芸人として貴重だと思うよ。自分にできないことが起きた場合に、その場をもたせる力というのは大事だし、昔の芸人さんはそういう力が強かった。三波春夫は公演で歌っている最中に歌詞が飛んじゃったけど、堂々と全く違う歌詞で歌って演奏を終えたというエピソードがある。あまりにも堂々と歌ったから、それが正しい歌詞かと多くの観客が思った」
「すごーい!」
「その直前に歌った村田英雄は、何度も『すみません、間違いました』と言って最初からやり直した」
「うーん・・・」
「という話を村田英雄自身が話していたらしい。今は録音・録画が基本だから、間違ってもやり直せばいいと思っている人が多いけど、ライブでは折角乗っている観客に水を差しちゃうよね」
「ですねー」
「ことりちゃんは、ローズ+リリーのケイちゃんと似たタイプだと思う」
「へー!」
「ケイちゃんもライブで誤魔化すのがうまい」
「あはは」
「ケイちゃんも下積みが長いよね。小学5年生頃から様々な芸名で活動していたけど、売れていなかった。でもマリちゃんという物凄いカリスマ性のあるパートナーを見つけて、その引き立て役となることでブレイクしたんだよ」
「そんなに長かったんですか!」
「ことりちゃんも実はソロ歌手より、2〜3人のユニット売りの方がうまく行くかもね。誰かと組んで、あえてパートナーの引き立て役になることで自分を伸ばせる」
優羽は驚いた。
「実は自分でもそんな気がしてきていたんです」
「じゃパートナー探しの旅に出るの?」
「それもいいですけどね。でも、その前に一度リセットして頭を空っぽにしてみたくて。でも結果的には旅行に行ってくるのもいいかな。この1年間で随分いいお給料もらっちゃって貯金もできたから、ハワイとか行ってきてもいいかな」
「貯金できたのは偉いね。だったらアメリカかヨーロッパの音楽シーンを見に行っておいでよ。旅費も出してあげるからさ」
「あ、いえ、長期間の休みはご迷惑掛けると思うし、それで辞めたいのですが」
「うん。そういう話なら退所は問題無いよ。まあ旅行は退職金代わりかな。この1年間スタッフみたいなことも、随分してもらったし」
「けっこうそちらが楽しかったですけどね」
「うちをやめた後でもし他の事務所と契約する場合は私か紅川に連絡して。業界上必要な手続きがあるから」
「分かりました」
「ボディーガード兼通訳もつけてあげるよ。どこ行ってくる?」
「お金出してもらえるなら、南米とか見てこようかな」
「ああ。ラテンのリズムは身体で感じてくるといいかも。だったら元女子プロレスラーというボディガード付けてあげるよ」
「頼もしそう!」
「チケットも手配してあげるから、後でパスポート貸して」
「パスポート?」
「まさか持ってないとか」
「持ってません!」
「じゃ作ってからだな」
そういう訳で、優羽(ことり)の§§プロでの活動はアクアの初アルバムのPVに出たのが最後になってしまったのである。
優羽は結局、「南米?私も行きたい!」と言ったハナちゃん、保護者として付き添うことになったハナちゃんのお母さん(一応英語はできる)、そしてボディーガード兼通訳の女性と4人で、学校の冬休みにぶつけてブラジル、アルゼンチン、ペルーを巡ってきた。この体験は優羽にとっても、ハナちゃんにとっても物凄く大きな刺激となり、後々の音楽活動に強い影響を与えたと2人とも言っている。
「私、芸名付けてもらう時はルンバにしてもらおうかな」
「なんでルンバ?」
「サンバ、ボサノバ、タンゴ、マンボ、チャチャチャ、ビギン、ルンバ、サルサと並べるといちばん名前っぽい」
「確かにサンバと名乗ったらお産で呼ばれそうだ」
ボディーガードを務めてくれたのは川井唯(かわい・ゆい)という女性で、日本の永住権を持っているものの日系ペルー人の娘で現時点での国籍はアメリカ!?という人だった。10歳の時に来日し日本の小学校・中学校を出たので、スポーツでは日本人に準じて扱われ、インターハイの柔道にも日本人として出た。お父さん(200cm)ゆずりの恵まれた体格180cm 92kgで女子78kg超級BEST4まで行ったらしい。高校卒業後は大学(仏文科)に通いながら実は女子プロレスをしていたものの、怪我をして引退。現在は怪我を治した後、柔道に戻って道場で日々鍛錬をしているとのこと。柔道四段・黒帯の持ち主である。
「まあ女子トイレに入って行くとギョッとされるけどね」
「ああ・・・」
現時点での職業は翻訳家兼通訳である。最初はスポーツ用品店に勤めながら副業でやっていたが、そちらが忙しくなり、お店はやめて翻訳家の専業になった。年間500万円ほどの収入があるらしい。それで安定収入があるということで、日本の永住権を取れたとのこと(インターハイに出たことがあること、柔道の師範代もしていることも考慮された模様)。
言葉の方は両親がスペイン語を話していたのでそれは自然に覚え、10歳まではアメリカに住んでいたので英語も覚え、来日してから日本語も覚えて、大学時代に学校でフランス語、独学でポルトガル語を勉強したが、スペイン語の素養があるのですぐ覚えて現在ペンタリンガルである。彼女は日本語・スペイン語・英語のNativeとみなされるので翻訳の仕事は多いらしい。
そして実は彼女は桜野みちるの妹・玲香が所属する赤羽ドラゴンのギタリストなのである。その縁で今回優羽とハナちゃんのボディーガードを務めることになったようであった。
「赤羽ドラゴンでベース弾いてるマリアちゃんが実は男の娘なんだけどさ、この3人の内1人は男の娘です、というと真っ先にみんな私が男の娘、というより普通に男だろ?と言って、私が天然女だというと、じゃレイアだったのか!と言われる」
「マリアちゃんって凄く女らしいんだ!」
「温泉で男湯に入ろうとしたら従業員が飛んできて、こちらに入ってと言われて女湯に案内されちゃったから、そのまま入っちゃったという話がある。おっぱいもないし、ちんちん付いてるのに」
「うーん・・・」
優羽もハナちゃんも某アクアのことを考えていた。
11月の初旬、アクアは事務所に呼ばれて、これまでアクアのリハーサル役は主として高崎ひろかが務めていたのを、今後は主として研修生の秋田利美を使うことにするからと田所から言われた。
「ひろかちゃん、かなり忙しそうですもん」
「そうなんだよ。特にこれから年末に向かうとアクアちゃんもひろかちゃんも忙しくなる。それでまだ小学生だけど、利美ちゃんにお願いすることにした」
アクアがデビューした時点では、実際問題として代理が務まるような子はひろか以外に居なかった。同期の品川ありさは174cmと長身なので、155cmのアクアの代理は務まらない。20cmも身長が違うとライティングの設定が流用できないのである。158cmのひろかなら何とかなっていた。
「でも私の代理って忙しそうだけど大丈夫ですか?」
「利美ちゃんはサッカー少女で体力あるしね(実は“サッカー少年”であることを田所は知らない)。それにアクアちゃんは高校生だから原則として22時まででしょ?そのリハーサル役はだいたい20時までにはあがれるんだよ」
「ああ、それだったら問題ないですね」
もっともそれで利美はこの後、頻繁に学校を早引きするはめになる!
2015年11月19日(木).
アクアは桜野みちる、沢村マネージャーと3人で新幹線で大阪に向かった。この日大阪ビッグキューブホールで行われるBH音楽賞の授賞式に出席するためである。アクアとみちるのバックバンド、エレメントガードとチェリーズのメンバーは昨日のうちに大阪入りしている(この時、エレメントガードのドラムスはレイア、チェリーズのベースはハナちゃん)。
11月から2月頃に掛けては大小様々な音楽賞が発表されるが大きな賞の中ではこの賞がトップバッターである。
この授賞式の様子は生放送され、約1時間50分(実質80分)の放送時間の中で24組のアーティストが約2分半くらいずつ歌うことになっている。選考基準は“容赦無い”。今旬のアーティストのみが選ばれ、過去にどんなにビッグであった人でもこの1年ほど大きなヒットがなければ落とされる。そういう意味では大きな賞の中でこの賞が実はいちばん凄いのではないかと思っている、と桜野みちるは道すがら言っていた。
「私も去年今年は選ばれたけど来年選ばれる自信が無い」
と彼女は言っていた。
やがて本番が始まり、直前に発表された順番に歌っていくが、出番を待っている時、トントンと肩を叩かれた。
「おはようございます、丸山アイさん」
「おはようございます、アクアさん、桜野みちるさん」
「あれ?みちるさんと丸山さんって同い年ですかね?」
とアクアは今気付いたように言った。
「そうそう。ボクは10月生まれ、みちるさんは4月生まれでしたよね?」
「うん。4月26日」
「ああ、やはり牡牛座ですか?」
とアイは尋ねる。
「よく分かるね。4月生まれというと、牡羊座さんですね、と言われるのに」
「みちるさんは牡羊座の性格じゃないと思うなあ」
「そう?」
「牡羊座さんは行動してから考える。牡牛座さんは考えてから行動する」
「ああ、私は思い切りが悪いと言われることある」
「でも失敗が少ない」
「だったらいいんだけど」
「アクアちゃん、ボクの誕生日とか分かる?」
とアイは突然アクアに尋ねた。
するとアクアの脳内に“誰かさん”の声が響く。
「10月5日ですか?」
「正解。知ってた?」
「いいえ」
「それで当てられるのは、なかなか筋がいい」
とアイは笑いながら言ったが、みちるは今のやりとりがよく分からなかったようである。
「ところでアクアちゃんって、実際は男なんだっけ?女なんだっけ?」
とアイが尋ねる。
「男の子ですよー」
とアクアが言うが、みちるはアイに言った。
「私はアイちゃんの性別が分からない」
「“アイ”は自称女の子だよ」
「うーん・・・」
「ちなみに、中学の制服も高校の制服も男女両方のを持ってた」
「へー!!」
「アクアちゃんも男子制服だけじゃなくて女子制服持ってるでしょ?」
「持ってはいるけど、それで学校には行ってないですよ」
「ああ通学の時は自粛して学生服だけど、校内ではセーラー服なのね?」
「違いますよー」
みちるが吹き出していた。
アイとアクアがお風呂の中で遭遇するのは翌年の3月になるが、それが男湯であったか女湯であったかは、両者とも語らない!?
なお、この日のアクアの衣装は『ときめき病院物語』で佐斗志が着ていた中学の制服を、テレビ局の許可をもらって着ていた。
(『白い情熱』は『ときめき病院物語』の主題歌だが、同番組はΛΛテレビ、BH音楽賞はFHテレビ)
「どうせドラマで着ていた制服を着るなら佐斗志君の男子制服じゃなくて友利恵ちゃんの女子制服を着ればいいのに」
という声も一部に出ていて、ローズ+リリーのマリが
「アイちゃんの意見に賛成!」
と言っていた。