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■娘たちのベイビー(14)

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2015年11月25日(水)、アクアの3枚目のシングル『冬模様/スキーに行こうよ』が発売された。『冬模様』は岡崎天音(マリ)作詞・大宮万葉(青葉)作曲である。
 
アクアのCDのタイトル曲は最初「先生の娘さん同然でしょ?書いてあげてくださいよ」と加藤課長に言われて上島雷太が書いたが「息子みたいな子に書くのは照れくさくて」と上島が言ってケイに押しつけられ、2枚目はマリ&ケイで書いた。しかしケイは多忙で、アクアに歌わせるような手間の掛かる曲を作るのは負担になる。それでケイが「年の近い子が書いた方がいいよ」と言って青葉に押しつけ、3曲目は青葉が書くことになった。
 
6.26 上島→ケイ http://femine.net/j.pl/memories9/74/_hr010
7.30 ケイ→青葉 http://femine.net/j.pl/aoba4/64/_hr029
 
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『スキーに行こうよ』は加糖珈琲作詞・東郷誠一作曲とされているが、実際には葵照子作詞・醍醐春海作曲である。東郷誠一の名前で曲を書いている人は何人もいるが、千里はネットでは“東郷誠一H”と識別されているらしい。
 
当日★★レコードでの記者会見では最初にアクアがいつものように生バンドをバックに2つの曲をショートバージョンで演奏する。このバンドは今回XANFUSの6人が務めてくれた。
 
Gt.mike B.kiji Dr.yuki KB.noir Fl.光帆 Recorder.音羽
 
最初はエレメントガードを使うつもりだったのだが、ドラムスが未だに決まらず(正確にはほぼ決まってはいるが正式契約ができず)コスモスはメンバーが確定してからお披露目したいと言った。ゴールデンシックスはツアー中、マリ&ケイ及びスターキッズはアルバム制作中。それでトラベリングベルズに頼もうと思ったら11/22に相沢さんの弟さんが亡くなり、相沢さんは奈良の実家に急遽里帰りした。それで困ってケイが音羽に連絡したら
 
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「アクアちゃんの伴奏?やるやる!」
と引き受けてくれた。ついでに
「アクアちゃんにはぜひお姫様の衣装で」
と言ったが、それはコスモスに却下された。
 

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そういう訳で今回のアクアの衣装は、侍風の和服(着流し)なのであった。着流しではあっても、正絹、紋入りで金糸なども使用した立派なものである。だいたい旗本クラスを意識している(時代考証は適当)。
 
アクアは最初青い和服と聞いて嬉しそうな顔をしたものの、武士風の衣装だったのでがっかりしたような顔をした。そしてつい言ってしまった。
 
「和服だというから、つい振袖と思っちゃった」
 
それを聞いたコスモスは言った。
「何だ。君は振袖が着たかったのか?」
「いえ、そういう訳では無いのですが」
とアクアは焦って言う。
 
「よしよし。次は君には振袖を着てもらおう」
とコスモスは楽しそうに言う。
 
「え〜〜〜!?」
とアクアは言葉だけではまるで嫌がっているようだが、顔は期待に満ちていた。
 
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でもこの日は江戸時代の旗本の普段着風の着流しスタイルで歌ったのであった。
 
(下着は褌を着ける?と言われたもののアクアが拒否したので、結局普段着けているパンティの上にペティコート(蹴出の代わり)を着せた。上半身は普通の肌襦袢である)
 

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歌唱終了後、席に座って記者会見となるが、ここでテーブルに並んだ人は下記である。
 
アクア、事務所社長の秋風コスモス、★★レコードの富永純子、作曲者?の東郷誠一、そして伴奏者代表で光帆である。
 
例によって東郷先生が暴走発言をして、それを光帆が止めるどころかどんどん煽る。記者たちは大爆笑の連続である。
 
「アクアは取り敢えず去勢すべきだな。年内に玉は取っちゃおう。手術代くらい僕が出してあげるよ」
「アクアはお正月明けたら学校にはセーラー服で通学しよう」
 
などと言うのを、富永さんが必死に止めていた。彼女は会見が終わってから「疲れたぁ!」と言っていた。
 

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スペインでは10月4日、10月7日、10月11日に試合があったが、千里たちは4日と7日の試合に勝利、11日の試合は落とした。これでここまで2勝2敗となった(スペインでは夕方からの試合なので、日本では深夜に相当する)。
 
10月11日(日).
 
千里は富士スピードウェイで今季2度目のレースを走った(1度目は5月31日、北海道の十勝スピードウェイ)。これで順位認定され、千里は国際C級ライセンス(レース除外)の取得条件をクリアした。
 
正直、貴司とのことを考えるのに、超高速で走るサーキットでの走行がとても良かったのである。千里は自分に自信を取り戻しつつあった。
 

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10月13日(火)には、千里・桃香・青葉・彪志で千葉の玉依姫神社に行く。ここに冬子・政子がシーサーの置物を持ち込み、鳥居のそばに設置した。そしてそこに青葉が沖縄の明智ヒバリから預かってきたシーサー兄弟(兄妹?)の魂を移した。ヒバリが管理しているウタキを守るシーサーたちの子供である。
 

 
「この子たち、沖縄の恩納村(おんなむら)のシーサーの子供なんでしょ?男の娘なのに赤ちゃん産んじゃったって凄いね」
と政子が言うが、千里は
 
「まあ産む時に女であれば何とかなるのでは?」
などと言う。青葉は内心
 
『それって、ちー姉は京平君を産む時は女になっていたということ?』
などと考えていた。
 
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シーザー設置の帰り、彪志と別れてから、千里・青葉・桃香の3人で都内の産婦人科に行く。ここで和実の“卵子採取”を行った。実は先月にも1度試みたのだが、その時は失敗している。今回は桃香を連れてきたことで、曖昧に存在している和実の卵巣から、奇跡的に卵子を採取することができた。103回目の試行での成功であった。採取した卵子はすぐに仙台の病院へ運び淳の精子と体外受精させた。数日後に代理母さんの子宮に胚移植することになる。
 

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千里はスペインで10月18日,24日の試合にも出た。18日は負けたが24日は勝って3勝3敗である。
 
40 minutesの方は10月25日に東京都秋季選手権(オールジャパン予選)の準々決勝に出て(勝利)、10月31日と11月1日には徳島県鳴門市に行き、全日本社会人選手権に参加。決勝まで進出するが、玲央美たちのジョイフルゴールドに敗れて2位であった。しかしこれでオールジャパンの出場権を得たので、東京都秋季選手権は11月3日の準決勝を辞退した。そちらは江戸娘が優勝して関東総合選手権に進出した。
 
徳島からの帰り、11月2日に千里は大阪で阿部子と遭遇する。阿部子は大きな荷物を抱えて困っていた。貴司と一緒に買物に出たのが、貴司は会社から呼び出しがあって行ってしまったらしい。千里はその荷物をマンションまで運んであげた。阿部子はついでにベビーベッドの位置の調整も千里に頼んだ。千里はその位置調整をした上で、ベッドを守っている結界も一緒に移動させた。
 
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ところがここで阿部子は銀行からの連絡で外出してしまう。結果的に千里と京平が2人で取り残された。京平を抱っこして、直接おっぱいをあげると、京平は嬉しそうにしていた。
 
阿部子はなかなか帰って来ない。
 
千里は授乳しながらいつしかうとうととしていた。そして3年前の婚約破棄された時のことを思い出していた。長い夢で、夢の中で千里は自分と貴司が“結婚予定”だった2012年12月22日に再会したこと、その後も頻繁に貴司と会っていたこと、そして京平の身体を作った卵子の採取の時のことまで思い出していた。
 
ふと目が覚めると京平が不思議そうな顔で千里を見ていた。そしてそこに貴司の母・保志絵が来訪した。実は保志絵は京平の顔を直接見たのは初めてであった。貴司が阿部子と結婚した後で、このマンションに来たのも初めてだった。
 
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やがて阿部子が戻ってきて、しばらく話をした上で、千里と保志絵は相次いでマンションを出る。ふたりは結局千里中央駅で待ち合わせてから一緒に伊丹空港に移動し、羽田まで並びの席に座りたくさん話し合った。千里は保志絵の前でも自分は貴司の妻でいることを宣言する。そして保志絵も自分は千里こそ貴司のお嫁さんだと思っていると言った。
 
(保志絵は羽田から旭川行きに乗り継いで帰った)
 

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千里が保志絵と別れて経堂のアパートに帰宅すると、青葉も来ている。青葉はローズ+リリーの『ダブル』の音源製作のために東京に出てきていたのである。その夜も千里は“夢の続き”を見ていた。2年前、貴司から子作りへの協力を求められて気分がすっきりしないでいた時にミラを衝動買いして全国走り回ってきたら、少し気分がよくなったこと、ローキューツを辞めて40 minutesを設立した頃のこと。
 
ここ3年間のことをリプレイするかのように数回に分けた夢を見た千里は、今自分は本当に復活しようとしているのだと思った。自分は貴司の正当な妻としての自覚を取り戻したし、京平の母としての自覚も再認識した。
 
そして貴司から大学1年の時にもらったアクアマリンの指輪を左手薬指にはめると、『門出』という曲を書いた。
 
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2015年11月3日の朝のことであった。
 
ちょうど書き上げた時に青葉が目を覚ました。『門出』の譜面を見て青葉は驚く。
 
「これ凄い曲だ」
「大西典香も引退しちゃったし、これ歌える人がいない気がする。青葉、大学とか行くのやめて、歌手になって、この歌を歌わない?」
 
「遠慮する。これケイさんも歌えるよ」
「そっかぁ!よし、ローズ+リリーに渡そう」
 
と言って、その後数日掛けてローズ+リリーを意識して編曲をし、11月12日にケイのマンションを訪れてCubaseのプロジェクトデータが入ったUSBメモリと、印刷したスコアを渡した。
 

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しかしこの曲を書いたことで、千里は2012年7月以来3年5ヶ月の“失恋”が終了したのである。
 
結局は京平がこの世に生まれて来たことが、千里を完全に立ち直らせたのであった。
 
千里が『門出』をケイに渡したら、ケイは自分の書いた『振袖』という作品とカップリングしてCDを作りたいから音源製作に協力してと言った。それで11月19-21,25-27日にこの音源製作に参加して龍笛を吹いた。
 
★★レコードの氷川は、ローズ+リリーの今年のアルバム『The City』の出来に不満があったので、海外版の発売元となるFMIからの要請ということにして、このアルバムの海外版は、『The City』と『振袖』のセット販売にした。すると、やはり『振袖』と『門出』が凄い!ということで海外でも大いに売れたのであった。『The City』内の曲では、最後になって作り直した『灯海』と『ダブル』の評価が海外では高かった。
 
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スペインでは千里たちのチームは11月1,8,15,29日に試合があり3勝1敗であった。ここまでの累計は6勝4敗である。
 
(11月22日には、音源製作にも参加しておらず、スペインでの試合も無かったのは“ポイント”)
 

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11月4日(水).
 
龍虎は長野支香と2人でタクシーに乗り、さいたま市の高岡越春の家に行った。龍虎の父・高岡猛獅の父、つまり龍虎にとっては祖父に当たるのだが、実はその“祖父”というのが問題であった。
 
安普請の木造2階建てアパートの2階である。支香は鉄製の階段をのぼっていちばん奥の203号室の前に立ち、年代物のドアチャイムを鳴らす。「はーい」という高齢女性の声がして足音がし、ドアが開く。
 
「ご無沙汰しております。長野龍虎です」
と龍虎は玄関先で挨拶した。
 
「まあまあ、よく来たね。汚い所だけど、あがって」
 
と猛獅の母・高岡尚子は笑顔で言った。それで龍虎と支香はあがらせてもらい、尚子の案内で台所を通り、襖を開けて6畳の和室に通される。ここは1DKである。最近の建築なら洋室を設定する所だが1970年代に建てられた古いアパートなので和室である。その和室の畳が龍虎の軽い体重にもたわむので、ここ床抜けないよね?と少し不安になる。
 
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「おお、良く来たな」
と正方形型の古ぼけたコタツに座っている高岡越春は言った。
 
尚子が龍虎と支香に煎茶を入れて出し、2人がそれを1口飲むと、越春はコタツのテーブルに頭を着けて言った。
 
「疑って済まなかった」
 

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娘たちのベイビー(14)

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