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音楽が終わる。
「お疲れ様でした。控室に戻って、自己アピールの時に来ていた服に着替えてください。すぐに歌唱審査が始まります」
と沢村さんが言った。
それで控室に戻るが、柴田さんから言われた。
「バレエか何かやってます?」
「ええ。小学2年生の時からで、人より始めたのが少し遅いんですけど」
「いや。凄く身体の動きのセンスがいいから、きっとこれはバレエかダンスの経験者だと思いましたよ」
「柴田さんは・・・新体操か何かですか?」
「よく分かるなあ。ついでに名前覚えられてる」
「最初から凄くアピールしましたもん」
「やはり何か目立つことしなきゃね」
「ですよね〜」
「そちらもわざわざ性別でボケてたし」
えっと・・・。
「お名前訊いていい?」
「田代龍虎です」
「へー。りゅうこちゃんか。子のつく名前は最近珍しいですね」
「そ、そうですね」
ここで字の訂正までしなくてもいいかな、と龍虎は思った。
あまり時間が無いようなので、控室に戻ったらすぐ水着を脱ぎ、パンティ、ブラジャー、ブラウス、スカート、上着と身に付けた。
本選の歌唱審査はステージに立ち、観客を前に、ロックバンド(Gt/B/KB/Dr) をバックにその場で歌を歌うというものである。ロックバンドは3組用意されており、交替で伴奏を務める(5分×24人なら120分なので連続演奏は無理)。
楽曲は過去3年以内に国内の大手レーベルから発売されたCD/DL音源の中から歌いたいものを3つまで予め届けておき、その場でその中のどれかを指定されて、生バンド演奏をバックに歌う。使用するのはハンドマイクである。キーの高さは原則としてオリジナルとする。どうしても変えたいという場合は変更申請をしてもらうが、認められるとは限らない、と告知されている。
龍虎は
ワンティス『恋をしている』(2013)
小野寺イルザ『琥珀色の侵襲』(2014)
ローズ+リリー『疾走』(2013)
という3曲を届けておいた。
『恋をしている』は高岡猛獅の遺品の中から新たに発見された譜面で「TT作詞FK作曲」というクレジットがされていた。TTは高岡猛獅である。FKという人物は“女の子”という以外情報が無かったが、この曲を発表した後、本人から連絡があり、特定されたらしい。しかしどういう人かは公開されていない。この曲は雨宮三森と上島雷太のオクターブ違いのツインボーカルで録音されたので雨宮の高さで歌うと一般的なアルト歌手に歌うことができる。なお、元々のワンティスは高岡と上島の男声ツインボーカルが多く、一部夕香・支香を入れた四人で歌う曲もあった。
『琥珀色の侵襲』は元々はワンティスが2001年11月に発表した曲だが、今年初めに小野寺イルザがカバーしている。この小野寺版は彼女の音域に合わせて移調されているので、一般的なソプラノ歌手なら歌える。
『疾走』は高岡猛獅と長岡夕香が亡くなる直前に書いた詩に上島雷太が曲を付けたものだが、2013年にローズ+リリーの歌で10年ぶりの初公開となった。元々上島が自分で歌うつもりで作曲していたのをケイの音域に合わせて移調したので、普通のソプラノ歌手なら歌うことが出来る。
そういう訳で実は3曲とも本来ワンティスの作品なのである。
そして龍虎の音域は一般的なソプラノ・アルト歌手の音域をほぼカバーしている。(正確にはアルトのいちばん下の音G3が出ない)
本選歌唱審査は11時半頃から開始された。なお優勝者はこの場では発表されないことになっており、結果は1ヶ月以内に郵便で通知されることになっている。これは恐らく優勝者が辞退したり契約で揉めた場合に備えるためではと彩佳は思った。
龍がもし優勝した場合、やはり男の子だということが分かった時点で取り消しかなあ。それとも性転換して女の子になって下さいと言われたりして!?龍はけっこう唆せば女の子になっちゃう気もするけど。
歌唱審査は渡された番号札の順に始まった。龍虎が渡された番号は16番である。三次審査の時は有望な子を後ろに集めていた。これは龍虎より有望な子が8人居るのだろうかと彩佳は最初思った(彩佳はダンス審査などを見ていない)。
トップバッターで出てきたのが、さっき控室で「アースしてます」と言った北海道代表の柴田さんである。AKB48の『恋するフォーチュンクッキー』を指定されて歌う。
物凄くノリのいい歌だ。観客から思わず手拍子が起きる。歌自体も上手い。ハンドマイクの特性を活かして、ステージ上を動き回りながら、様々な方角の観客を見ながら、時には指差すような動きまで入れて歌っている。この子、このまま即デビューさせていいのではと感じるほどだった。
まあ、龍には負けるけどね。
彼女は曲が終わって大きな拍手をもらうと「サンキュー!」と大きな声で言って投げキスまでした。
2番目以降に出てきた子はトップの柴田さんからすると、見劣りする感じだった。それなりに上手いのだが、柴田さんほどのノリは無い。あるいは歌の上手さで劣る感じだった。見ていると観客の居るステージで歌うのに慣れてないのか、足ががくがく震えて立っていられなくなり座り込んでしまう子まで居た(それでも歌だけは最後まで頑張って歌い、拍手をもらった)。
8番で歌ったのが九州代表の川内峰花さんだった。この人は正統派のアイドル歌手という雰囲気を持っていた。SUPER☆GiRLSの『常夏ハイタッチ』を歌ったが、ひたすら可愛くパフォーマンスをした。先頭で歌った柴田さんとは完全に逆方向の魅せ方である。
この人は若干音程が不安定だったが、多分たくさん練習すれば改善されるのではと思った。1ヶ所歌詞を忘れたのか適当な歌詞で歌ったが、観客の大半は歌詞が適当であることに気付かなかったのではと思った(バックバンドの人がギョッとして譜面を確認していた)。かなり度胸のある子のようだ。そしてここまで出てきた中では最もアイドル性を感じた。
まあ、龍には負けるけどね。
その後9番以降は、また彼女より見劣りする感じの子が続く。
それで彩佳は確信した。
これは本命を何ヶ所かに分散したんだ。多分、1番の人、8番の人、16番の龍、そしてきっと24番の人、その4人の勝負なのでは?
やがて「16番関東代表田代龍虎さん」と呼ばれて龍虎が出てくる。
「それでは『琥珀色の侵襲』を歌って下さい」
と言われた。バックバンドの演奏が始まる。龍虎はマイクを握りしめて目を瞑っていたが前奏が終わると同時に目を開けて歌い出す。
柴田さんがまるでロックバンドのボーカルのように、川内さんがまるでアイドル歌手のように歌ったのに対して、龍虎は「まるで正統派歌手のように」歌った。ほとんど身振り手振りを入れず歌だけに集中している。長い音符を本当に長く伸ばす。表情は無理に笑顔を作らず、むしろ歌詞の世界に没入したかのように《明け方に起きた“何かの襲撃”に不安を持った少女》のような顔である。その龍虎の歌い方に、会場にいる人々は呑み込まれたかの表情をしていた。手拍子も打たずに静かに聴いている。
そして演奏が終わると、その静寂が物凄い拍手に変わった。
龍は・・・龍は・・・
優勝した。
彩佳はそう思った。
例によって17番以降の子たちはやや見劣りする感じであった。20番の人は少し良かった。
そして24番、最後に出てきた子は8番の川内さんと同じような路線、アイドル歌手的なパフォーマンスをした。ただこの人は歌もそこそこ上手い、顔もそこそこ可愛い。スター性もそこそこある。
でも全部中途半端な気がした。
それに歌い方に妙な癖がある。これは「自分は歌が上手いと勘違いした人」にありがちな歌い方なのである。
8番や20番の人なら集団アイドルとかでもやっていけそうだし8番さんなら、集団アイドルのグループ内トップになれそうだが、この24番さんの場合は「部品になれない」ので、集団アイドルでも難しいと彩佳は思った。
この子のパフォーマンスでオーディションは終了し、最後に秋風コスモスと川崎ゆりこが2人でステージに上がり、漫才のようなパフォーマンスをして観客を笑わせてくれた。
これは多分この2人がステージをもたせている間に審査員たちが話し合っているのでは?と彩佳は思った。
秋風コスモスは歌は下手くそだがトークの才能はあるよなあと彩佳は思う。この人はそう遠くない時期にバラエティタレントのような道に進むのだろう。川崎ゆりこは歌も上手いしトークも上手い。人気としては秋風コスモスより1歩下がるものの、多分この人が今の§§プロの稼ぎ頭かもという気もした。
最後に紅川社長が出てきて挨拶をして、今日のイベントは終了した。
いったん解散となるが、龍虎の“親権者”である長野支香の携帯に
《お話したいのですが、御本人と親権者の方で、良かったら今から新宿Pホテル2階レストランSまで起こし頂けませんか?》
という連絡が既に入っていた。
「これ優勝したんだと思うよ」
と彩佳は言った。
「え〜〜?ボクが!?だって最後に出てきた人とか凄い可愛かったのに」
「いや、純粋なパフォーマンスでは龍がいちばん凄かったと思う」
と長野支香が言った。
「これ田代さんたちも行きます?」
「いえ。親権者と書いてあるし、長野さんだけで行ってきて下さい。私たちは何かあったら行けるように、Pホテルのラウンジで待機しています」
「分かりました」
それで支香が「今から向かいます。現在まだ新宿文化ホールです」とメールすると「レストランSの入口で紅川(べにかわ)で予約していると言って下さい」と返信があった。
それで全員でPホテルまで行った上で、龍虎と長野支香だけがエスカレーターで2階に行き、他の5人はラウンジに入った。田代幸恵が飲み物とサンドイッチを注文して、おしゃべりしながら待つ。
「ところでこれ女の子のオーディションだったと思うんだけど、龍は女装でもしてデビューするの?」
と桐絵が訊くと
「え!?女の子のオーディションだったの!??」
と田代夫妻は驚いた様子である。
「知らなかったんですか?」
「あの子、女の子のオーディションに応募するって、やはり女の子になりたくなったのかな?」
と田代涼太。
「全然気付いていないというのに1票」
と宏恵は言った。
「だったら失格するというのに1票」
と田代幸恵は言った。
「でもその場合、男の子タレントとして別途デビューしてという話になるかもよ」
と田代涼太。
「やはりその線かな」
と桐絵。
「まさか性転換して女の子アイドルやってとは言わないだろうし」
と宏恵。
「いや、その手の話はたまにある」
と田代幸恵が言う。
「たまにあるんですか〜〜〜!?」