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(C) Eriko Kawaguchi 2022-01-29
「ねえ、兄貴、友だち同士で泊まり込んで勉強会合宿するんだけどさ、その費用に7000円めぐんでくれない?」
「ふーん。合宿して赤ちゃんの作り方でも勉強するの?」
「学校の勉強だよ!」
「私を姉と呼ぶなら融通してあげるけど」
「じゃお姉様、お願いします」
「はいはい」
と言って、姉は1万円札を渡してくれた。姉は高校生だが、ラーメン屋さんで女性従業員(女子高生スタッフ!)としてバイトしているので、わりと資金的な余裕がある。少なくとも両親よりはお金を持っている!
「3000円はおやつ代ね」
「ありがとう!姉貴」
「いつも姉と呼んで欲しいなあ」
「検討しとく」
「あと、あんた女の子と“する”時は、これちゃんと着けなさいよ。中学生で父親になったら責任取れないよ」
と言って、姉は小さな四角いものを渡した。
「女の子とはしないと思うけどもらっとく」
2003年6月30日(月).
千里(B)が、いつものように昼休みにQ神社別館に行き、龍笛の練習をしようとしていたら、小町が声を掛けた。
「千里さん、これ細川さんから言付かって。この龍笛を使って下さいということです」
それで千里(千里B)か受け取ったが
「何この凄い龍笛は?」
と言う。
「なんか凄いですよね。私もびっくりしました」
「これ70-80万円しない?」
「細川さんから受け取ったのは千里さんに扮した小春さんなんですけど、小春さんも60-70万くらいの龍笛じゃないかと言ってました。細川さんは40万円と言っておられましたが、40万円には見えません」
「私に擬態して受け取ったんだ?了解。だったら、これQ神社のお仕事をしている間、私が借りていていいのかな」
「千里さん個人にくださるそうです」
「嘘!?こんな高いものもらっていいものかな。代金払うべきという気がする」
「細川さんとしては息子さんの彼女へのプレゼントのつもりだと思います。でも気になるようだったら、おとなになってお金がたくさん儲かったら払ってと言っておられました」
「じゃ出世払いということで」
といい、千里はその龍笛を受け取った。
「最初もっと凄い龍笛を千里さんに渡そうとなさったんですが、小春さんが、さすがにそれは自分にはもったいないですよとお断りになりました」
「これよりもっと凄い龍笛があるんだ!」
「楽器店で買ったら5-600万円クラスの龍笛だろうと小春さんは言ってました」
「それは恐ろしすぎる」
「でも『あなたがこの龍笛吹けるようになったら受け取って』とおっしゃってたそうです」
「それはきっと50年後だな」
そんな会話をしながら、千里Bは御旅所の建物に入った。
しかしその細川さんから実質頂いたという龍笛を吹くと、千里は
「なんつーパワーの笛だ?」
と思った。
警備員さんまで
「なんか凄いですね」
と言っていた。
2003年7月1日(火)、「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」の法案が、参議院法務委員会に提出された。審議の末、両院本会議でいづれも全会一致で可決され、7月10日(木)に成立する。そして7月16日(水)に公布された(平成15年7月16日法律第111号)。この法律は公布1年後の2004年7月16日(金)から施行される。
この法律の成立を信じられない思いで喜び、希望の火を灯した人が全国に恐らく数十万人居た。
2003年7月5日(土)、WHO(世界保健機関) は新型コロナウィルスによる感染症SARSの封じ込めに成功したと発表した。昨年11月に最初の症例が報告されてから約8ヶ月、WHOがGlobal Alertを出してから約4ヶ月で、この大騒動は終息することになる。SARSによる患者の数は、この後単発的に発生したものを含めて8422人、死者は916人である。当時としては恐怖の病気であったが、17年後のSARS2 (COVID-19) に比べたら、遙かに小さなものであった。
しかし病気の終息が宣言されても、旅行・出張を控える傾向は、まだしばらく続き、アメリカ同時多発テロ(2001.9.11)に続く航空業界への打撃は、極めて深刻なものとなった。
7月5日(土).
千里Bは細川さんから(千里R→小春→小町経由で)受け取った(人工)煤竹の龍笛を持ってQ神社に出掛けて行った。
「細川さん、ありがとうございます。あれは凄くいい龍笛ですね」
と千里はあらためて御礼を言った。
「吹きこなせそう?」
と細川さんが言うので、千里はバッグから龍笛を取りだした。
瞬間、細川さんが「あれ?」という顔をした。しかし千里がその笛で昇殿祈祷の時の曲を吹いてみせると、香取巫女長や平井宮司が頷きながら聴いている。
「うん、しっかり吹けてるね。今日からよろしくね」
と宮司さんが言って、この日は寛子さんと1回交替で昇殿祈祷の笛を吹いた。
「落ち着いて吹いてたね」
と寛子さんから褒められた。
「そうですか?内心はドキドキなんですけど」
「まあ最初は緊張するけど、少しずつ慣れていくよ」
「はい、頑張ります」
「でもわりといい龍笛だね、それ」
と寛子さんから言われる。
「いい笛に見えますよね。これ実は合竹(ごうちく:竹の集積材)なんですよ。だから私みたいな初心者でも安定して良い音が出る」
と言って、千里は龍笛を見せた。
「なるほどー。でも見た目は立派だ」
「樺巻き(*7)ですからね。一見高そうに見える」
「ほんとほんと」
(*7) 普及品の龍笛は一般に藤(とう)巻き。高級品が樺(かば)巻きされている。練習用の龍笛には紐巻きというのもある。ところが千里が見せた龍笛は安い合竹製なのに高級品みたいに樺巻きされている。
樺(かば)は木材としては、あまり強くなく安物の材木とみなされるが、樺皮(かばかわ)は優秀で、古くから高級工芸品や美術品に使用されている。抗菌作用があるので、内側の細工物を保護する能力が高い。昔は食品を入れる容器にも使用されたようである。
「寛子さんのは花梨(かりん)ですか?」
「そうそう。昨年辞めた先輩から頂いたものなんだけどね。これでも買えば5-6万するから、待機教員の私にはなかなか手が出ない」
寛子は公立高校の教員採用試験に合格しているものの“待機中”なのである。いつまで待機すれば実際の学校に赴任できるのかは分からない。
そんな感じでみんな褒めてくれたが、細川さんだけが何か首を傾げていた。
千里はこの日12-13回、翌日も15-16回、昇殿祈祷の笛を吹いた。
7月4日(金).
S中ではクラス対抗球技大会が行われた。
校庭でソフトボール、テニスコートでテニス、第1体育館でバスケット、第2体育館で卓球という4つの種目が行われる。千里たちのクラスで女子はこのようにチーム分けがされた。
Basket 美那 恵香 亜美 萌花 侑果
Tennis 優美絵 千里
PingPong 蓮菜 玖美子
Softball 尚子 幸代 朱実 沙苗 小春
ソフトボールは男子4人・女子5人の男女混成チームである(鞠古君が出ないので人数合わせで小春も参加した)。他の種目は男女が分けられているので、沙苗は男女混成のソフトに入れた。本人が最も“罪悪感”を感じなくて済み伸び伸びとプレイできるようにという配慮である。
基本的に部活でしている種目には出ない方針なので、千里はバスケを回避し、ソフトも「それやったら勧誘されるから」と言って逃げて、テニスになった。
優美絵と千里は小学校の体育では、卓球の最弱コンビだったのだが、テニスでも1回戦で全くポイントを取れないまま敗退した。千里はその後はバスケットの審判に徴用されて、ひたすらコートを走り回り、笛を吹いていた(バスケの審判ができる人は実は少ない)。
「選手で出てるよりきつい」
と千里が言うと
「バスケットって60歳,70歳になっても選手続ける人はいるけど、審判は若い内でないとできないみたい」
と数子が言っていた。
「ところで時々でも部の練習に出て来ない?」
「すんませーん」
千里(B)は最近ずっと昼休みも放課後も龍笛の練習をしているので、バスケ部に全く顔を出していないのである。
なお体力の無いバスケ部員友子は「私にはバスケの審判無理〜」と言って、テニスの審判に回っていた。
バスケットでは千里たちのクラスが準優勝(2年1組が優勝)した。また、卓球の蓮菜・玖美子の“秀才コンビ”は3位まで行った。ソフトは1回戦で3年2組に勝ったものの、2回戦で留実子の居る1年2組に敗れた。男子を含めて誰も留実子の投げる球を打てなかった!この1年2組が優勝した。
「花和君は一度性別検査すべきだと思う」
などと言っていた男子がいたが、留実子は言われ慣れているので
「検査の結果男子ということになったら、堂々と学生服着れるから理想的」
などと言っていた。
今でも堂々と学生服を着ている気もするけど!?
7月12日(土)に剣道の留萌地区大会、13日(日)には級位・段位審査が行われたのだが、千里(R)はこの級位・段位審査には出ないので、13日朝、母に
「ちょっと旭川に行って来る」
と言って、朝いちばんのバスで旭川に出た。
旭川駅前7:06-9:10旭川駅前
そして、きーちゃんの家に行った。
「実は凄く良さそうな龍笛もらっちゃって。せっかくもらったなら少し練習した方がいいかなと思って」
と言い、小春から(細川さんからもらった龍笛の代わりに)もらった龍笛を見せた。
「ああ。これはよく出来た龍笛だよ。シリアルナンバーが入っているね」
「うん。228と書いてある」
きーちゃんはしばらくその龍笛を見ていたが
「この作者知ってる」
と言った。
「へー」
「これTes No.228と書かれて、川のマークが入っているでしょ?これは7-8年前に亡くなった、中川町の梁瀬龍五さんの作品だよ」
「有名な人?」
「全然有名じゃなかった」
「でも、きーちゃんは知ってたんだ?」
「大正5年の、たつ年生れだから龍五」
「うちの親戚に十四春さんっていたよ」
「昭和14年の春生まれ?」
「そうそう」
「まあそれで梁瀬さんは、気に入った人にしか売らないから、商業ベースに乗らなかったんだよ」
「ああ、そういう職人さんって居るよね」
「若い頃は東京の楽器店に卸してたんだよ。でもそこの店主さんが亡くなった後は、お店を継いだ息子さんに“納期を守らない困った制作者”とみなされて取引を切られてしまって。札幌の楽器店に置いてもらうのと、地元に小さな工房兼店舗を出していたけど、生活費を稼げる程度も売れてなかったと思う。だから実質年金だけで暮らしていた」
「へー」
「確か7-8年前に亡くなったはず」
と言って、きーちゃんは棚から1本の龍笛を取りだした。
「あ、これにも同じ感じの川のマークと番号が入っている」
「これはNo.214。確か1992-3年頃に札幌の楽器店で買ったもの」
「へー。だとするとこれはそれより新しいのか」
「恐らく亡くなる直前頃の作品だと思う」
「ひゃー」
「この人は当時は年間4本くらいしか煤竹の龍笛は作っていなかった。214から228まで14あるから、4で割って3.5を1992に足すと1995.5になってほぼ亡くなった年になるからね」
「最後の作品だったりして」
「それもあり得ると思う」
と、きーちゃんは言った。
きーちゃんは刻印されている Tes というのは、苗字の梁瀬の“梁”(やな)をアイヌ語に翻訳したものだと思うと言っていた。川のマークが“瀬”である。
梁というのは。川の端から端まで石を積んだりして仕切り、そこで向こうに行けないでいる魚を捕まえる仕組みのことである。古典的な漁法のひとつである。これをアイヌ語ではテスと言うらしい。
きーちゃんは
「ちょっと借りる」
と言って、その千里が持って来たNo.228を試奏した。
「これ私が持ってるのより優秀だよ」
と言って、自分が持っているNo.214も吹いてみせた。
「違いが分からない」
「まあ千里にはまだ分からないかもね」
と言って、きーちゃんは微笑んだ。
しかしその日きーちゃんは龍笛の基本的な扱い方や音階の名前に始まり、譜面の読み方・書き方なども含めて、基礎的なことを教えてくれたのである。
「龍笛で大事なことは大きく息を吹くこと。小さな息では、龍じゃなくて、蛇とかミミズになっちゃうから」
「ああ」
それで、きーちゃんは
「これはミミズ」
「これは蛇」
「これが龍」
と言って、吹き分けてみせた。
「この違いは分かる」
「だから、ちゃんと龍になるようにしよう」
「頑張る」
この日は龍笛を4時間くらい練習して
「まだ龍には遠いけど、その下の蜃(しん)くらいにはなった」
と言われた。
「それどのくらいのレベル?」
「龍がレベル7、蜃はレベル4」
「まだ4かぁ」
「いや1日でここまで来る千里が凄いと思うよ」
と、きーちゃんは褒めた。
その後はフルートの練習を3時間くらいして、帰りはきーちゃんに車で送ってもらった。
最終バス(旭川駅前18:20-20:17留萌駅前)で帰るつもりだったのだが
「送ってってあげるからもう少し練習しよう」
と言われて、20時頃まで練習を続けたのである。
例によって、18時頃に自宅で千里から「遅くなるから適当に食べてて」という電話を受けた玲羅は、台所で晩御飯を作っている姉の後姿を見ながら
「じゃ気をつけてね」
と電話の向こうの千里に伝えた。
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女子中学生・夢見るセーラー服(17)