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■女子中学生・夏祭り(14)

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司は廊下で待っていて、母だけ話を聞いているようだった。母は首を傾げながら診察室から出て来た。
「あんたもしかして性転換手術とかしてないということは?」
「うん、みんなぼくが性転換手術を受けたと思っているみたいで話を合わせてたけど、実は手術なんて受けてないんだよ」
 
それで母はどうも父に電話してかなり話し合っていたようであった。結局父も出てくることになり、雅海は母とお昼をガストで食べながら待った。そして父が来てから母は雅海を置いて店の外に出て1時間ほど話し合っていた。
 
やがて2人が戻って来る。拓兄と隼兄もいる。そして父は言った。
 
「お前、ちゃんと性別を女に変更できるらしいから、法的にも女の子になろう」
 
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司は答えた。
「そうしようかな」
 
電話で航兄とも話し合ったらしい。
 
「そしたら、あんたちゃんと高校で女子野球部に入れるよ」
と母は言った。
 
「そうだよね」
 

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それで両親と兄たちは司を連れて旭川の裁判所に行き、何か書類を書いていた。司は事務の女性?(実際は判事さん!)から色々質問され、よく分からないものの訊かれたことに答えた。
 
アイドルグループのバックダンサーで踊っていることも話した。
 
「凄い。パーキングサービスに入ってるんだ?」
「いえ、そのバックダンサーです」
 
野球部の活動で性別問題で何度もトラブっていることも話す。
 
「今後はどうするの?もしあなたが女性ということになったら。ソフトボールに行く?」
「札幌SY高校に女子野球部があってそこから誘われてるんです。もし私が女子ということになったら、そこに行くかも知れないです」
 
「ああ、女子野球部があるんだ」
と面接をした女性は感心して言った。
 
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「あなた自身の性別意識はどうなの?」
「わたし自分でも記憶が曖昧なんですけど、友だちによると小学2年生の頃までは学校にもスカートで来てたらしいです。でも野球部に入った頃から少し男っぽくなったらしいです。でもこの1年はほぼ女子と思われている感じです。先日の旭川および函館への遠征でも先週の修学旅行でも女子と同室に泊まって一緒にお風呂行ったし」
 
「女子と一緒にお風呂行ったんだ!?」
「はい。自分はやはり女の子かもという気持ちになってたので」
「自分が女であるなら女湯に入るのは当然よね」
「はい、私もそう思ったんです」
 
「それまでに女湯に入ったことは?」
「昨年の夏札幌のガトーキングダムで入りました。今年の1月にはトマムで入って、5月には親戚の法事で旅館の女湯に母と一緒に入りました」
 
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「あなたは女湯に入って裸の女性を見て変な気分にならない?」
「変なというと?」
 
「あなたは女性と一緒に居る場合と男性と一緒に居る場合とどちらがホッとする」
「女性かなあ。男の子ばかりの所ではどうしても緊張します」
「友だちは男の子と女の子のどちらが多い?」
「女の子や“娘”のほうの男の娘が多いです。男子では野球部の子以外とはあまり話さないです」
 
そんなことを話しながら、やはり自分ってかなり女の子っぽかったかもと思っていた。
 

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7月25日(月).
 
七尾善美は、24日の夜24時頃、再度食料を買い込んでイオンを出ると、国道8号(金沢バイパス→津幡バイパス)から昨年完成したばかりの月浦白尾インターチェンジ連絡道路を通り、能登有料道路に入った。西山PAで3時間ほど仮眠し、徳田大津JCTで能越自動車道・上り(*26)/田鶴浜バイパスに乗って七尾市に行く。七尾港に車を駐めた。
 
「わあ、ここが七尾市か」
 
実は自分の苗字と同じ名前の街・七尾に一度来てみたかったのである。
 
トイレに行くついでに駐車場そばの公園を散歩すると、虹色に光る物が立っていて何だろう?と思う。
 
善美は公園と反対側にある、能登食祭市場が開くのと同時に中に入り、新鮮な海の幸を食べる。その後、市街地を歩いて“花嫁のれん”を見る。七尾美術館に行って、長谷川等伯のコレクションなどを見る。それから蘭の国に行き 長ーーーい滑り台(*27) を子供のように滑り降りる。ペチュニアの鉢植えを買う。
 
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また七尾駅前のパトリアでミスドを食べてからユニーで食料品や服を少し買った。大和(だいわ)のお菓子売場で中田屋の“きんつば”を買う(*28)。実は金沢で買い忘れていたが、ここにもあったので買った。港に戻って車の中で仮眠した。
 

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(*26) 実は能越道の上り・下りの解釈には微妙な問題がある。“能越自動車道”の起点は富山県の砺波(となみ)市、終点は石川県輪島市で、ここでもその方式に従っている。ところがここは国道としては国道470号であり、国道470号の起点は輪島市、終点が砺波市である。つまり自動車道としての起点終点と国道としての起点終点が逆転している。
 
(*27) この滑り台はこの頃は使えたが、2018年頃までには老朽化により使用禁止になっていた。能登には同じタイプの「長ーーい滑り台」が、蘭の国、縄文真脇温泉、日本海倶楽部と3ヶ所にあったが、2023年現在でも使用できるのは、日本海倶楽部のもののみである。
 
(*28) パトリアはその後いったん経営破綻しテナントは全て退去を求められたが、ミスドは“借地人の権利”を楯に撤退を拒否した。その後経営再建され、ユニーが入っていた場所にドンキが入っている。ミスドは健在である。大和は隣の七尾図書館のビルに移転したが、残念なことに中田屋は撤退して、きんつばが買えなくなった。
 
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玲羅は、P神社に久しぶりに顔を出した蓮菜に言った。
 
「お姉ちゃんに連絡取れます?」
「どの千里?」
 
うーん。これは難易度が高いぞ。確かにお姉ちゃんたちは個々の経済力が違うっぽい。
 
「剣道してるお姉ちゃん」
「OK」
 
それで蓮菜は千里・赤に電話を入れた。
 
Gが代わりに取った。
 
「ああ、千里、玲羅ちゃんが何か話があるらしい。ちょっと代わるね」
と蓮菜が言う。それで代わる。
 

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「あ、お姉ちゃん?うちの炊飯器がさ、何か壊れかけてるみたいで度々うまく炊けないのよ。最近なんか週に1回は“メッコ飯”になってる気がするのよね。もしお金に余裕があったから、新しいの買ってくれない?」
 
「いいよ。ネットで買って、2〜3日中にそちらに届くようにする」
「ありかとう!」
 
新しい炊飯器は木曜日に届いた。ちょうど玲羅が居たので受け取った。これで村山家の御飯は炊飯失敗の確率が大幅に減った。
 
母が新しい炊飯器に驚いていたが「お姉ちゃんが買ってくれた」と言うと、「助かる助かる」と感謝していた。
 
「千里と話したの?」
「電話で話したよ」
「あの子今どこにいるの?修学旅行はとっくに終わってるみたいだし」
「剣道の合宿やってるみたいだよ」
「なるほどー」
 
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しかしこの新しい炊飯器をもってしても母は炊飯を時々失敗していた(母は水加減が適当っぽい)ので、炊飯はこれ以降玲羅がするようにした。武矢が出港する月曜の早朝はタイマーで午前3時に炊き上がるようにする。
 

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7月26日(火).
 
七尾善美は佐渡に来ていた。
 
25日夕方七尾を出た後は、国道160号を通って氷見(ひみ)に行き、氷見ICから能越道に再度乗る(*29)。そして小矢部砺波(おやべ・となみ)JCTで北陸道に入る。
 

 
親不知・子不知(おやしらず・こしらず)(*30) を通り、トンネルの多い区間を抜けて新潟西IC(*31)で降りる。新潟港に来て港の駐車場で仮眠した。
 
車を置いて単身フェリーで佐渡に渡り、港でレンタカーを借りて金山(きんざん)に行く。坑道の中にも入る。“金の延べ棒”を狭い穴から手を入れて取り出せるかというコーナーがあったので挑戦したが無理だった。
 
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観光センターのような所に寄ったら話題のチャールズ・ジェンキンスさんが居た。「God May Help You」と言うと「ありがとう」と言って握手してくれた。その後、ときセンターにも寄った。
 
新潟県名物の“えごねり”(*32) も食べた。そして帰りはジェットフォイルに乗って新潟港に戻った。船の中で佐渡そばを食べた。
 

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(*29) この時期、能越道は、田鶴浜ICから氷見ICの区間が未成。当時この間を走るには、国道160号ルート、県道18号ルート(最短)、国道415号ルート(最楽)の3つがメインで、県道18号を使う人が多かったが、多分善美はカーナビに従ったのだと思う(ミニゴリラを積んでいる)。
 
(*30) 親不知・子不知(おやしらず・こしらず)は、昔ここを通る時は、たとえ親子であっても、人のことは心配する余裕がない。自分の身の安全だけに集中する必要があるといわれた、崖の途中の細い道を通る難所であった。現在は快適で安全な道が、トンネルと橋により作られているがそれでもこの区間の北陸自動車道は速度制限がされている。
 
(*31) 新潟西ICのひとつ手前の巻潟東ICは“誤読されやすい”IC名として有名である。知らない人の多くが“巻潟・東”と読んでしまうが、ここは実は巻町と潟東村の境界に作られたインターで、“まき・かたひがし”と読む。
 
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(*32) この物語には度々登場しているが、“えごねり”は博多の“おきゅうと”と同じ物。同じ味がする。ただしおきゅうとがスライスして巻いてあるのに対して、えごねりはコンニャクのようにブロックで売っている。単に“えご”とも。
 

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7月27日(水).
 
七尾善美は出羽に来ていた。
 
金沢・七尾から新潟まで来たので、その“解析的延長”で日本海に沿って北上した。
 
26日午後、新潟港から“赤道”と呼ばれる県道4号を南下し、竹尾ICから新潟東西道路に乗る。聖籠新発田ICから日本海東北自動車道に入り、終点の中条ICまで走る。このあたりで日が落ちる。
 
この付近は海側の道と山側の道が複雑に道路番号が入れ替わりながら続いているのだが、ずっと海沿いの道にそって北上する。昼間だと景色がいんだろうなと思う。国道345号をかなり走り、山形県に入った所から国道7号の方に行き鶴岡市まで行く。時々道の駅で仮眠する。
 
27日のお昼前、羽黒山の出羽三山・三神合祭殿にお参りした。
 
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境内の蜂子神社に行ったら中に居た女性神職?にいきなり
「あんた女山伏にならない?9月に女性だけの山駆けがあるんだけど」
と勧誘された!パンフレットももらっちゃった。
 
ここの駐車場で少しまた仮眠する。その後、月山に行こうと思い、月山8合目までの山道を走っていたら、おばあさんが倒れているのを見る。
 

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これ人間?幽霊?
 
と判断が付かなかった。こんな道を歩いている生身の人間がいるとは思えない。きっと幽霊だと思う。でも万一人間だとしたら放置できない。善美はハザードを焚いて車を停め、車から降りて、倒れているおばあさんに声を掛けた。
 
「もしもし、大丈夫ですか?」
「み、水を」
「待って」
 
それで善美は車に積んでいるアクエリアスの500ccボトルを持ってくる。
「これでもよければ」
「ありがとうございます」
 
おばあさんは1-2分ほどで少し体力を回復したようである。
 
「ありがとうございます。このお礼はいづれ。あとは何とか自力で行けると思います」
と言っておばあさんは歩いて行こうとする。
 
「待って。行き先まで連れて行ってあげますよ」
と言って、お婆さんを自分の車に乗せる。
 
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「私の服、汚れてるから、あんたの車の座席を汚しちゃう」
「そんなの全然気にしません」
 
それでお婆さんは後部座席に乗ってシートベルトを締めた(*34).
 

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「どこまで行くんですか」
「湯殿山まで」
「これ月山に行く道ですけど」
「月山から湯殿山へ行く道があるんですよ。松尾芭蕉も通ったんですよ」
「へー。そんな道があるのか。じゃ湯殿山まで付き合いますよ」
 
この時、善美は「道」というから、遊歩道のようなものがあるのだろうと思っていた!!
 
8合目のレストハウス前に到着すると、その頃にはお婆さんはかなり元気になったようである。
 
「あんた割と体力ある?」
「そうですね。中学・高校と陸上の長距離やってたからスタミナたけはありますよ」
「だったらあんたなら行けるかもね」
 
しかしこの日はもう夕方だったので、ここで仮眠して明日の朝出発することにした。レストハウスももう閉まっている。お婆さんは一応お弁当を持って来たといっておにぎりを出すが、善美がたくさん食料を積んでいたので
 
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「もし禁忌とかが無ければカップ麺とか食べます?」
 
「私は何でも食べますよ。ありがとうございます。いただきます」
と言ってお湯を沸かして作ったカップ麺を美味しそうに食べていた。
善美は鍋とカセット式の小型ガスコンロを積んでいる(*33).
 
「若い頃、私は出されたものは何でも食べますよ、と言ったら私の前にちんちん出した男が居たんですよ」
「それ何となくオチが見えます」
「あら、そう?頂きます、と言って歯を立てたら『ぎゃー』って凄い悲鳴あげて逃げてった」
「男を廃業する羽目になってなければいいですね」
「男って馬鹿ですね」
「一般に馬鹿ですね」
 
その晩は車の中で、善美が前座席、お婆さんが後座席で寝たが、善美はこのお婆さんが実は幽霊で朝には居なくなっていても驚かないぞ、と思って寝た。
 
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(*33) これはカセットがコンビニで調達できるので車での旅行には便利。普通のカセットコンロより小型で携帯に便利なものである。コンロは小型だが、カセットボンベは普通のと同じ物で火力が強い。車中泊用にはキャンプ用のコンロを勧める人が多いが、燃料が登山用品店でないと調達できないので実用性が落ちる。
 
(*34) この年代の人にはシートベルトを嫌がる人も多いが、この人の場合“孫”の運転する車に乗る時、シートベルトをしてないと“命にかかわる”のでシートベルトをする習慣ができた。
 

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女子中学生・夏祭り(14)

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