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■女子中学生・夏祭り(10)

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食事のあと、城内をガイドさんに連れられて見学するが
「金の鯱(しゃちほこ)(*10) って本当に金でできてるんだ?」
と驚く声があった。
 
「銀でできてたら銀の鯱だ」
「いえ、江戸時代には徳川家のお金が無くて度々改鋳して最初は純金に近かったのに最後の頃はほとんど金(きん)が無いようになって、あまりのみすぼらしさに、それが目立たないようにするため“盗難防止”と称して周囲に網を張ってたそうです」
 
「実は既に無くなっているのを目立たないようにしていたのか」
「盗難防止というより持ち主自身により盗難されたことを隠すための網か」
 
「1959年に再建された時に新たに金88kgを使って本当の金の鯱を作り直しました」
「金88kgって高いの?」
「15億円くらいだね(*11)」
と玖美子がG-SHOCK携帯電話(時計に見える)の電卓を叩いて言う。
 
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(再掲)

 
「すごーい、鯱(しゃちほこ)だけで15億か」
「私お金あったら金の鯱抱いて眠りたい」
「腕がしびれるというのに1票」
 
「元の鯱はどうなったんですか?」
「空襲で焼けた残骸から金だけ取り出して、金の茶釜と名古屋市の旗の冠頭にしたそうです」
「その金の茶釜はどこに?」
「普段はこの名古屋城の収蔵庫に保管されていて、見ることはできないのですが、今年の3月から6月まで開かれた新世紀・名古屋城博で展示されました(*12)」
「へー」
「普段も展示すればいいのに」
「警備が大変なんじゃない」
「ああ、そうかも」
 

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(*10) “鯱”という1文字で“しゃち”とも読み“しゃちほこ”とも読む。国字である。中国語ではシャチは“虎鯨”。金鯱も“金虎鯨”という。
 
(*11) 2005年7月頃の金の相場は1650円くらいである。88kgを掛けて14.52億円という計算になる。なお、金でできているのは鯱の表面の鱗の部分である。本体は銅製。
 
江戸時代のものは本体は木製だったので頻繁に中身を交換する必要があった。そしてその度に金を減らしていった。最初は200kgほどの金が使用されていたのに、昭和20年に回収された金はわずか20kgである。その純度で鱗を作ると金の色にならないので、銅板に金箔を貼ったもので鱗を作っていた。
 
(*12) 正確にはオリジナルの茶釜から、2つの茶釜に作り直している。片方は純金だが、片方は金メッキ。
 
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「伊勢音頭に『伊勢は津で持つ、尾張名古屋は城で持つ』と言いますが、金鯱あってこその名古屋城でした。この金鯱を名前の由来とするものはたくさんあります」
 
「サッカーチームの“名古屋グランパスエイト”(*13) の“グランパス”というのが鯱(しゃち)を英語に訳したもの(*14)らしいです。名大のアメフト部もグランパスです」
 
「それからプロ野球の黎明期に金鯱軍というチームがあり、ここが巨人軍と試合をしたのが日本のプロ野球の最初の試合らしいのですが、このチームは後に福岡に移転し、西鉄ライオンズの母体(*15)となって、現在の西武ライオンズにつながります」
 
「スタンプ印鑑で有名なシャチハタも名古屋城の鯱を由来にします。ここは名古屋発祥の会社です(*16)。陸上自衛隊の第10師団が“金鯱師団”です。以前名古屋港の遊覧船に金鯱号というのがありました。また名古屋牛乳は鯱のマークです」
 
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(*13) 名古屋グランバスエイトは2008年に“名古屋グランバス”に名称変更した。11人でするサッカーに“エイト”は変だという意見があったらしい。元々“エイト”は母体となったトヨタ自動車工業サッカー部の“トヨタ”の画数が8画であることから来たものという(他にもいくつかの説がある)。
 
(*14) grampus はシャチの英名のひとつ。英語ではむしろ日本語の別名にもなっているオルカ(0rca)と呼ばれることが多い。別名 killer whale。人間以外に主な天敵を持たない海の王者である。
 
クジラやイルカを集団で襲って捕食するのが知られているが、サメを食べるシャチもいる。シャチ(オルカ)は群れごとに食べるものが決まっていて、決まっているもの以外は食べない。人間を食べるシャチは居ないとされるので、人間を襲うことはない。人間も積極的にシャチを狩ることはない。しかし魚網に誤ってかかり死亡する例がある。
 
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(*15) 組織としてはいったん切れている。金鯱軍の流れを汲む西鉄軍が戦争のため解散してしまったので、その復興を目指して戦後西鉄クリッパースが作られたのが現在の西武ライオンズにつながっている。このあたりは鳥栖フューチャーズが解散したので復興を目指してサガン鳥栖が作られたのと似ている。但し西鉄軍と西鉄クリッパーズの経営母体は同じなので、微妙に繋がっているとも言える。
 
なお金鯱軍は名古屋新聞の主宰、現在の中日ドラゴンズにつながる金城軍(後の名古屋軍)はライバル紙・新愛知の主宰だったが、この2つの新聞社は1942年に合併して中部日本新聞(現在の中日新聞)となった。
 
(*16) 当初は日の丸の旗のマークだったが、日本の国旗を私企業がマークにするのは許されないと言われ、名古屋城の鯱から取って「鯱旗」に変えた。
 
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名古屋城の後はまたバスで10分ほど移動してトヨタ産業技術記念館に行く。
 
千里は名古屋城では起きていたが、ここではまた眠ったまま見学していた!
 
「よく寝る子だねー」
「この子都会で暮らすようになったら通勤中ずっと寝てるな」
「仕事中もずっと寝てたりして」
 
「この子きっと運転する時も寝てる」
「危ないな」
「いや千里なら寝てても普通の人が起きてるのと同様に運転できると思う」
「できそう」
 
「でも千里がOLとかするとは思えない」
「確かに」
「千里を部下に使える上司はそうそう居ないだろうな」
「じゃ千里は何の仕事をするのかね」
「専業主婦」
「それは全くあり得ない」
 
「学校の先生はありえる」
「確かにあり得る」
「スポーツ選手とか、芸術家とか、実業家とかだな(←全部当たってる)」
「給与所得者ではない気がするね」
 
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この日はトヨタ産業技術記念館で終わりで、ホテルに帰って休む。この日の夕食は“ひつまぶし風!あなご飯”だった。
 
「あぁ、うなぎのひつまぶしが食べたい」
「予算が足りないからね」
 
それでも、「そのまま食べる/薬味を掛けて食べる/お茶漬けにする」と3度楽しむというのをやってる子がいた。千里たちは「そのまま食べる/お茶漬け」と“2度”楽しんだ。
 
「だって3度も楽しむほど穴子が残ってないし」
とみんな言っていた。
 
この日も千里は小春(コリン)、穂花などと一緒にお風呂に行き、のんびりと入浴し、そのあと部屋でぐっすりと寝た。
 

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この日の夕方、夕食の前、公世は千里からお金を借りて、担任の吉永夏生先生に付いていってもらい、学生服を扱っているお店に行って、公世の身体に適合する学生用スラックスを買った(もちろん女子用!)。1日歩き回って司から借りたスラックスは汗だらけになっていた。
 
千里は「ズボンが無ければスカートを穿けばいい」と言ったが公世が「お金があったら買ってくるんだけど」と言ったのでお金を貸してあげた。
 
本当は多額のお金を持ってくるのは違反だが、先生も目を瞑ってくれた。ちなみに千里の財布はコリンが持っている。千里が持ってたら間違い無く落とす!
 
今日穿いたスラックスは夕食の後、他の着替えと一緒にホテル内に設置されたコインランドリーで洗濯乾燥を掛けた。乾燥機の後は部屋の中に干していたが、3日目の夕方までには全部乾いていた。
 
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ちなみにコインランドリーはお風呂の脱衣室内にあり、この洗濯を公世は沙苗に頼んだ。
 
「公世ちゃん、女湯の脱衣室に入っても騒がれないと思うのに」
「ぼくは自分としては男の意識だから、女湯の脱衣室に入るわけにはいかない」
と公世は言い、沙苗も了承した。
 
むろん彼は男湯の脱衣室に入ったら従業員さんに摘まみ出されるのが確実である。
 
(沙苗に頼んだのは正解だと思う。千里や玖美子に頼むと説得されて女湯に入ることになりかねない。公世も司も雅海ほどではないが結構意志が弱い)
 

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さて河洛邑に行った千里Yであるが、光辞の残る30ページほどの解読を進めていた。
 
これまで通常の作業では真理さんが原文を書写したものを千里が朗読し、また千里自身の手でそれを書写していたが、この最後の作業では、
 
(1) 原文を見て千里が朗読する。
(2) 千里が書写する。(*18)
(3) 書写したもので再度千里が朗読する。
 
という手順で進めた。録音作業は香留子さん(来光さんと前妻さんとの長男の次女。60歳前後)がやってくれた。どうも河洛邑に残る人の中で、恵雨さんが今いちばん信頼できる人のようである。
 
「この書写したものはどうしますか?」
「それはこれまでと同様、千里ちゃんが持ち帰って向こうで保管して」
と恵雨さんは言い、香留子さんも頷いていたのでそうすることにした。
 
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千里は念のため書写したものは日中は小春に持たせておいた。そして夜中にコリンを召喚してコンビニのコピー機でコピーを取り、それを部屋に置いている自分の旅行鞄の中に入れた。そして原本はコリンに持たせた。
 
(コリンは名古屋/四日市と河洛邑との往復で大変である)
 
作業は千里が疲れないペースで進めるのでだいたい1日に2〜3ページのペースで進んだ。この分だと10日ほどで全部読み終えそうである。ほんとに少しだけ残っていたのである。
 

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(*18) これまでの部分の大半は真理さんが書写し、それを更に千里が書写。この千里が書写する時にカーボン紙(*19)をはさんでいたので結局3部出来ていた。しかし今回のやり方では写しは1部しかできない。真理さんが書写できなかった絵で描かれた部分も同じである。
 
“写し”の保管場所
 
真理さんが書写したもの(A)P神社の物置
千里が書写したもの(B)鈿女神社の地下倉庫
それのカーボンコピー(C)旭川A神社の倉庫
(A)をコピー機で複写したもの(D)P神社資料室の桐箪笥
 
(D)は形だけのコピーで力を持たないが万一誰かが暴力で奪いにきた時の用心である。まさか大事な写しが物置に入っているとは思わない。立派な桐箪笥に入ったものがあればそれが本物と思うだろう。
 
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これまでも(絵心の無い)真理さんが書写できなかった絵の部分は写しが1つしかなかったのだが実際には千里Yが河洛邑で描き写したものを見て、わりと絵の上手いGが更に描き写したものを作り、この写しでもVが読めることを確認している。Yが写したものをP神社の物置、Gが更に写したものを鈿女神社の地下倉庫に置き、写しが一部しか無い状態は避けている(それのコピー機で取ったコピーは桐箪笥へ)。今回千里が書写した30ページほども同じ扱いになるものと思われる。
 
(*19) インクの成分が特殊で、複写したものの耐久性が高い特殊なカーボン紙を使用している。ただし元々高価な上に製造後半年以内に使用せねばならず、1回しか複写に使用できないのでとても高く付く。
 
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通常のカーボン紙で複写した物の耐久性は5-10年と言われるがこの紙で複写したものの耐久性は(メーカーの主張では)100年らしい。千里や翻田宮司は、まあ20年持てばいいかなと思っている。
 
なお“複写に使用したカーボン紙”には陰影が残るのでこれも読めることは読める(ちゃんとVが朗読できた)。これも実はW町の家に別途保管している。
 

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