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■女子中学生・夏祭り(9)

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それは7月上旬のことであった。
 
千里Gは青龍と玄武を呼び出すとW町の2つの家の内、元病院だった家を少し改装させた。診察室・処置室の医療機器とか処置用ベッドなどを全部どかし、注射器などが入っている棚もどけた。
 
「この医療機器、どうします?」
「あんたたちの改造手術をしてあげてもいいけど」
「私たちを改造するんですか?」
「可愛い女の子に改造してあげようか」
とGはジョークで(本気だったりして)言ったのだが、
 
「女にするとか勘弁してください」
と玄武が即言ったのに対して、青龍は一瞬考えてから
「まだ20年は待ってください」
と言った。
 
この子、実は女の子になりたいのかね〜とGは思った。
 
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「医療機器は大物と小物に分けて車に積んで。処分する場所があるから」
「分かりました」
 

そのほか、処置室を区切って居室を2つ作った。この居室には吊り天井も入れて居心地を改善した(元は天井4m)。受付の硝子窓を撤去して普通の壁に換えた。またこの付近の仕切りの形を斜め線で区切られていたのをまっすぐに直した(↓参照)玄関ドアも普通の住宅の玄関のものに交換した。
 
病院改造Before/After

 
また古いカーペットを新しいものに交換。Pタイル敷きだった各部屋にもカーペットを敷いた。壁紙の交換もした。
 
青龍たちが帰った後で、A大神の眷属さんが2人来て、医療機械や医療ベッド、カーテンスタンドの類いを載せた2トントラック、注射器やメス・鉗子の類いを積んだワゴン車、それぞれを運転してどこかに持ち去ってくれた。
 
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そこまで終わってから司令室に戻るとVが
「お帰り。心細かったよぉ」
と泣きそうな顔で言っていた。
 

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2005年7月12日(火).
 
P神社の宮司・翻田常弥ががっかりした様子で戻ってくるのて、妻の菊子は結果は分かったものの一応尋ねた。
「どうだった?」
「ダメだった。原付だったら乗れるということなんだけど普通車(*5)はこの視力ではダメと言われた」
「どうするの?」
「更新期限までに再挑戦しますと言って帰ってきた」
「いつまでに更新しないといけないの?」
「誕生日が8月2日だから9月2日が限度(*6)。ウルトラCとして半年以内に免許を再取得する方法もあるけど(*7)、その場合、9月3日以降再取得するまで運転できない。運転してる所を見付かると無免許運転として罰則をくらう」
 
「あらあら。大変ね」
と言ってから菊子は言った。
 
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「あんたもいい年だし、誰か若い人に運転してもらったら?」
「それが運転してくれる人が居ないんだよ。(孫の)和弥はまだ2年半は伊勢に行っている(*8)。花絵は9月には結婚して札幌に行っちゃう。梨花ちゃんは妊娠が分かった」
 
「純代ちゃんは?」
「免許は今年取るけど、高校出た後、旭川の大学か専門学校に行くと言ってる」
「留萌に仕事がないもんねー」
「そうなんだよ。だからみんな出て行く。それに実際問題として免許取ってから半年くらいは危ない」
「誰かドライバーしてくれる人を雇うしかないのでは?」
「予算が無いし、その前にこんな田舎の寂れた神社で仕事してくれる人が居ない」
「困ったもんだねー」
 
宮司にはもうひとつ頭の痛い問題があった。現在、この神社では“家のお祓い”の報酬が結構大きな収入の柱になっている。でもこの家祓いは実際問題として千里頼りになっており、千里が来春旭川か札幌に行ってしまうと、これができなくなるという問題があったのである。
 
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他にも、梨花・花絵の離脱で“大人の”常駐巫女が居なくなるというのも大きな問題だった。
 

(*5) 中型免許ができたのは2007年6月2日なのでこの時代は普通免許と大型免許しか無かった。
 
(*6) 誕生日の1ヶ月後まで更新可能になったのは2002年6月1日から。それまでは誕生日までに更新する必要があった。この時代は1ヶ月後までOK。
 
(*7) 免許を“うっかり”期限切れさせてしまった場合、半年以内なら視力検査と講習のみで再取得が可能である。むろんその間は運転免許は無効なので運転すれば無免許運転である。半年過ぎてしまうと自動車学校からやり直すか一発試験を受ける必要がある。海外出張などやむを得ない理由があった人は別。
 
(*8) 宮司の孫の翻田和弥は2005年度時点で伊勢の皇學館大学の4年生で来春には神職の資格“正階”が取れる。但し彼は常弥にもしものことがない限りあと2年大学院に通ってひとつ上の“明階”まで取る予定である。
 
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神職の階位
・浄階:階位の最高位。名誉階位。
・明階:伊勢の神宮の大宮司以外ならどこの神社の宮司にもなれる。
・正階:別表神社の禰宜・宮司代務者になれる。
・権正階:一般神社の宮司、別表神社の権禰宜になれる。
・直階:一般神社の禰宜になれる。
 

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さて千里Rが参加している修学旅行の2日目。7月20日(水).
 
この日は凄く修学旅行っぽいコースだった。
 
朝食を食べてから最初熱田神宮(あつた・じんぐう)に行き、ここで1時間ほど参拝する。なお宗教的な理由で参拝したくない人はバスで休憩していてよいということだった。クリスチャンの子とかもいたが「他の神様にも、ご挨拶・ご挨拶」と言って参拝していた。このあたりは宗派によっても寛容度は異なるようである。
 
「私、タイのエメラルド寺院(仏教寺院)でも、トルコのブルーモスクでも、インドのラクシュミー・ナーラーヤン寺院でもご挨拶だけした」
「あちこち行ってるな」
「でも欧米に行ってない」
「ああ」
「アメリカ行ってアカプルコの海岸でのんびりするとか、イギリス行ってロンドンのシャンゼリゼ通りを歩いてみたい」
 
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「アカプルコはメキシコだし、シャンゼリゼはフランスのパリだけど」
「あ〜れ〜!?」
「シャンゼリゼがパリというのは私も分かった」
 

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千里はエネルギーの高い所だなあと思いながら参拝していた。蓮菜が
「千里は伊勢の神宮にも行ってるよね」
と言う。
「私が?行ったことないけど」
と千里Rは答える。
「それ多分別の千里」
とそばに付いている小春(実はコリンの擬態)が言う。
 
「なるほどー、別の千里かぁ!」
と蓮菜も近くに居る恵香も納得していた。
 
(千里Bが2年前に巫女研修でお伊勢さんを訪れている。コリン自身もサポートのため付いていった。コリンはRの眷属だが、他の千里をサポートする場合もある)
 

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「この熱田神宮に、天皇家の三種神器のひとつである天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)別名・草薙剣(くさなぎのつるぎ)が御神体として納められています」
とガイドさんが説明している。
 
「須佐之男命(すさのおのみこと)が八岐大蛇(やまたのおろち)を退治した時しっぽの中にひと振りの剣があるのを発見しました。これがとても立派な剣でしたので、須佐之男命は姉の天照大神(あまてらすおおみかみ)に献上し、これが孫の迩迩芸命(ににぎのみこと)に託され、その子孫である天皇家に伝えられたと言われます」
 
「ずっと後に日本武尊(やまとたけるのみこと)が関東方面の平定に行ったとき、伊勢の神宮の倭姫(やまとひめ)から御守りにとこの剣を預かりました。そして周囲から火攻めにあった際、この剣で草を薙ぎ切りにして火を逃れました。それ以来この剣は、草薙剣(くさなぎのつるぎ)とも呼ばれるようになりました」
 
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「日本武尊(やまとたけるのみこと)は関東遠征の帰り、この熱田の地で妻の宮簀媛(みやずひめ)に剣を預けたまま、伊吹山の豪族と戦いに行き、敗れて亡くなりました。それで宮簀媛はこの地にこの剣を祭り、これがこの熱田神宮の起原と言われております」
 

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ここで質問が出る。
 
「どうして宮簀媛は剣をお伊勢さんに返却しなかったのですか?」
「うーん。なぜでしょうね。もしかしたら伊勢の神宮にお伺いを立てたら、その剣はそのままその地で祭れと言われたのかも知れないですね」
 
「草薙の剣って壇浦(だんのうら)の合戦で沈んだのではなかったのですか?」
 
「あれは皇室に伝えられていたもので、こちらの剣の分霊、つまりレプリカのようなものですね。あの剣が紛失されたので、天皇家には別の古い剣が新たな分霊として授けられました。現在天皇の元にあるのはその新しい分霊です」
 
「でも剣って鉄でしょう?ヤマトタケルって4世紀末頃(*9)の人ですよね?1600年も経ったら錆び付いてないんですか?」
 
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「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)の材質については議論があるようです。古来中国の王権の象徴には銅剣が使用されていたので、天叢雲剣も銅剣ではないかという説もあります。銅剣であればそんなに錆び付いてないかも知れません」
 
「今天皇の元にある分霊のほうの剣は材質は何ですか?」
「三種神器は箱に入っていて、天皇といえども中を見ることは許されていないので分かりませんね」
「中を見てはいけないって本当に中身入ってるんですか」
「儀式などの時に箱を持った人の話ではかなりの重みがあったそうなので入っていることは確かです」
 
「熱田神宮のご神体は見られないのですか」
「宮司といえども見ることは許されていません」
 
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(*9) 神功皇后の朝鮮出兵が好太王碑によりAD391年と推定されるが、神功皇后の夫の仲哀天皇が日本武尊(やまとたけるのみこと)の子供であるから、日本武尊の年代は370-380年頃と推定される。
 
なお竹取物語の所でも述べたが、日本武尊は、吉備津彦(桃太郎)の姪の息子である。桃太郎−(姪の息子)日本武尊−(息子の妻)神功皇后というのが強い武力集団を継承していたのかも知れない。
 

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熱田神宮を出た後はバスで30分ほど移動して、徳川美術館に行く。御三家のひとつである尾張徳川家に伝わる様々な美術品を収めた美術館である。
 
↓今日のコース概略

 
紙本著色源氏物語絵巻、千代姫(徳川家光の長女で、尾張家2代徳川光友に嫁ぐ)の婚礼調度類、多数の太刀などが国宝に指定されている。また、石清水八幡宮縁起絵、はいすみ物語絵巻、はつきの物語絵巻、西行物語絵巻などが重要文化財に指定されている。
 
「へーすごーい」
などと言いながら見て歩いていたが、千里の様子がおかしいので蓮菜が千里の顔の前で手を振ってみる。
 
「この子眠ったまま歩いている」
「ああ、千里ならありがち」
「この子眠ったままテストの問題解いてたりするもん」
「眠りながら楽器演奏してることもある」
「大きな問題は無いね」
ということで放置されたので、千里は徳川美術館の記憶が無い!
 
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徳川美術館の後はバスで10分ほど移動して名古屋城に行き。この城内でお昼を食べた。団体様用にテントのようなものを張ったところでごく普通の定食という感じの食事が出る。でもこのランチにも味噌カツが入っていて好評だった。千里も食事ということで小春(実はコリン)に起こされていた。
 
「起こさなくても多分寝たまま食事してたのに」
「寝たまま1日中行動して。寝たままお風呂入って、寝たまま寝る」
「寝たまま寝るというのがよく分からん」
 
「寝たまま剣道の試合に出すのだけは危険だから起こさないとやばいね」
と玖美子が言う。
「やっぱり怪我する?」
「いや手加減せずに戦うと相手を殺しかねないから」
「それはやばいな」
 
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女子中学生・夏祭り(9)

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