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■女子中学生・秋の嵐(4)

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9月6日(月).
 
この日、転入生があり、2年1組に編入された。男子で増毛町から移動してきた児玉君である。彼には取り敢えず、最後尾に机を搬入して座ってもらったものの、転校生がひとりポツンと座るのは良くない!というクラス委員の上原君とセナの話し合いで、席替えが実施された。席替えは急遽用意したくじを男女別に引いてもらうことで実施した。
 
「え?ぼく女子のくじを引くの?」
と雅海が言っているが
 
「当然当然」
と言われている。公世に関しては事前に上原君が本人に確認した所
 
「ぼくは男子だし女の子になるつもりはない」
と本人が強く主張するので、暫定的に?男子のくじを引かせた。
 
この結果、新しい座席はこのように決まった。
 
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そういう訳で、雅海はとうとう女子を表す赤いマークの席になった!
 
転入生の児玉君は、前クラス委員の恵香の隣である。サポートするには適任者だろうということで、ここは上原君とセナで決めた。
 
「男女のクラス委員が並ぶの?」
「並べた方が連絡とかで便利だよと大沢(恵香)さんから言われてそうした」
「男女の美化委員も並んでる」
「偶然偶然」
 

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「児玉君の出席番号は何番だっけ?」
「17番」
「あれ?でもこれまで男子の最後は三木君の15番だったのに」
「誰か1学期前に転校したんじゃないの?」
「あ、そうかもね」
 
(むろん千里Bが男子の16番を取っちゃったせい)
 

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9月6日(月).
 
この日午後から、S中では水泳大会が開かれた。
 
「え〜〜〜!?200mに出るの〜〜?そんな凄い距離、泳げないよー」
と千里は言ったのだが
 
「千里ちゃんが400mでも800mでも泳げるのは、実際に見て判っている」
と新しくクラス委員になったセナが言う。
 
「うーん。まずい人に見られたな」
「私も見てるよ。頑張ってね」
と前のクラス委員、恵香も言った。
 
2年1組から200mに出るのは千里と玖美子、100mが沙苗と絵梨、50mが佐奈恵と蓮菜だったが、この6人が女子でターンができる全員である!(一応壁タッチさえすれば、端で立ちあがって再度泳いでもよいことになっている)
 
雅海は女子の25mに出そうとしたが
「ぼく男子ですー」
と主張するので、男子の25mに出した。男子水着の生徒が並ぶ中、ひとりだけ女子水着を着けて25mを何とか泳いだ(男子の最下位)。セナは平和に女子25mを泳いで(最下位の優美絵に次ぐ)女子ブービーだった。
 
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公世は
「女子200mに出る?念のため公世ちゃんの身体に合う女子用スクール水着を用意したよ」
とセナと優美絵が言い、水着を手渡される。
「サイズはお姉さんに確認したから」
などとセナが言っている。
 
また姉貴絡みか!と公世は思ったが、
 
「僕は男子だし、男子水着を着る」
と言って、男子の200mに出て、全体で3位だった。自分でもびっくりしていたが、やはりこの夏の剣道の濃厚な練習で、筋力がかなり鍛えられていたようである(特に下半身が鍛えられたのが大きいと思う。キック力がかなり上がったはず)。
 
「きみちゃんブラ跡が無いのは1週間くらい前からブラジャー着けてなかったの?」
「ブラジャーなんて着けないよ!」
 
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(でも実は8/31は丸一日ブラを着けていた。この日までにブラ跡が消えてホッとしている。また自分の部屋の衣裳ケースにはブラジャーが8枚も入っている)
 
ちなみにこの女子用スクール水着は、公世がそのまま何となく持ち帰ってしまったので、自室の衣裳ケースのキャミソールなどが入っている段に収納されることになる。
 
なお公世については
「水着になってる所見るとよく分かる。工藤さんって女性体型だ」
「きっと3〜4年前から女性ホルモン飲んでたんだよ」
などと言われていた。
 
司はクラスの女子たちから
「司ちゃん、恥ずかしがらずに女子水着を着なよ」
と言われたのだが
 
「恥ずかしー」
と言って、男子水着で(でもブラ跡が分かる)、男子の200mに出て、7位入賞であった(タイム決勝)。同じ野球部の前川君がそれに続く8位になった。
 
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千里は例によって「あまり上位になりませんように」と祈りながら?200mを泳いだが、女子3位だった。1位が留実子で2位が玖美子。その玖美子から
 
「手抜きはいかんなぁ」
と言われたが。
 
クラス対抗リレーは、千里→絵梨→蓮菜→玖美子と繋ぎ、留実子の入っている2年3組に次ぐ2位だった(沙苗も出そうとしたが逃げたので蓮菜が代わった)。
 
部活対抗リレーでは、剣道部は、紅音→聖乃→千里→玖美子と繋いで3位。バスケ部は、久子→伸代→数子→留実子、とつないで優勝である(2位はソフト部)。
 
留実子は個人200m, クラス対抗リレー、部活対抗リレーで優勝して3冠であった。
 
留実子は最初「応援団・女子」で出たかったようだが、応援団の女子は留実子1人だけでチームが成立しなかった!のでバスケ部に出た(チア部女子は出たが下位のほうだった。ちなみにチア部男子も4人揃わなかったらしい!?)。
 
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なお男子では、剣道部が、吉原→佐藤→竹田→工藤とつないで優勝した。
 

この日(9/6)、千里が剣道部の部活を終えて帰り支度をしていたら、携帯に着信がある。何だろうと思って見ると、蓮菜からである。
 
「はい」
「千里、さっき玲羅ちゃんが神社に来て教えてくれたんだけど、今日はお父さんが自宅に居るんだって」
「へ!?」
 
「台風(*23)が近づいてるでしょ?だから今週はお父さんの船は出港取りやめになったらしいよ。正確には出港したけど、お昼頃には戻って来たって」
「え〜〜〜!?」
「いよいよ、セーラー服で学校に通ってること、お父さんにカムアウトする?」
「う・・・・」
 
それはいつか父には納得してもらわなければならないことだが、今それを言うと家の中が台風になる!
 
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「分かった。ありがとう。何とかする」
 
(*23) 台風18号である。長崎県に上陸した後、日本海を北上し、北海道を含めて日本海沿岸に多大な被害をもたらした。羽幌町では9/8に観測史上最大の瞬間風速46.9m/s、札幌でも同じく観測史上最大の50.2m/sの風速が観測され、北海道大学の有名なポプラ並木の多くが倒壊した。この台風で観測された最大風速は広島県広島市で観測された60.2m/sで、厳島神社の左楽房(国宝)が崩壊した。
 
この台風による死者・不明者は45名。この中には山口県下松(くだまつ)市で座礁した貨物船の乗組員22名が死亡した事故が含まれている。
 
この台風は北海道に甚大な被害を与えた点で、洞爺丸沈没事故を引き起こした、1954年の台風15号(通称:洞爺丸台風)と比較される。
 
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それで結局千里はこの日、小春の家に帰宅?し、そこで体操服に着替えて自宅に戻った(買物はコリンに頼んだ)。なお、千里YはいつものようにRより帰りが遅いので、30mルールで消滅する。
 
自宅に帰るのは、神社に居る千里ではなく、剣道部の千里だろうと推察する蓮菜は大したものである。
 
翌日の朝は朝御飯を食べた後、千里Rが勝手に消滅!したので、千里Yがバス停近くに出現して普通にセーラー服で登校した(いつもの千里たちのパターン)。
 
この週は木曜日までこれが続いた。ただし9月8日(水)は学校自体が臨時休校になった。部活および神社での勉強会は9/7-8がお休みになった。
 

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9月10日(金).
 
S中の2年生は校外学習に行った(1年生は先週行っている)。
 
朝7時に学校に集合するが、例によって遅刻魔の留実子が7:03くらいにお父さんの車で駆けつけて来て、叱られていた。
 
クラス単位3台のバスで今年は稚内に向かう。
 
国道232号を走り、途中の道の駅でトイレ休憩して、11時半頃に稚内市に到達する。
 
稚内市は日本政府が実効支配している領土の中では最北に位置する自治体であり、最北端は、宗谷岬の沖に浮かぶ弁天島である。有名な野寒布岬(のしゃっぷみさき)は北端ではなく、その隣にある宗谷岬のほうが北端になっている。“わっかない”の“わっか”は、道内によくある“OOワッカ”という地名と同様に水を表す。“ナイ”は川や沢を表し、現在の港1丁目付近にあった小川が地名の由来とされる。
 
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稚内駅は、日本最北の鉄道駅である。現在は新旭川駅から稚内駅まで1本だけのルートになっているが、1989年までは、宗谷本線の音威子府(おといねっぷ)駅から南稚内駅まで別ルートを走る天北線(てんぽくせん)という線も存在した。その頃は南稚内が最北の分岐駅だったのだが、天北線の廃止で現在は新旭川駅が最北の分岐駅となっている。
 

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到着すると、まずはその稚内駅を見学する。ガイドさんの説明を聞いていたが、記念に入場券を買っている子たちも居た。
 
その後、すぐ近くの稚内公園に移動する。ここで氷雪の門、九人の乙女の碑などを見る。その後、やっとお昼になる。
 
「お腹空いたぁ」
という声多数で、既に公園でフランクフルトなど勝手に買って食べている子などもいた。入ったお店は稚内のソウルフード?チャーメンの店でみんな美味しそうに食べていた。
 
「変な定食っぽいものより、こういうのがいいよねー」
「うちの先生たちは理解がある」
 
となかなか好評であった。
 
でも自主的にギョウザ、チャーハン?、中華丼?、やきそば!?などを追加して食べている子たちも居た。
 
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満腹した後は、バスで野寒布岬に移動する。そして、まずは岬の眺望を楽しむ。ガイドさんが
「遙か向こうに見えるのが日本が実行支配している領土の最北端、宗谷岬です。あちらには、日本最北端の碑、間宮林蔵の像などが立っています」
などと解説していた。
 
↓概略図

 
(宗谷岬の北西にある弁天島が45.525Nくらい、礼文島の北にある平島が45.484Nくらいで、両者は僅差である。この弁天島が日本が実効支配している領土の最北端。礼文島本体の北端は45.463N,野寒布岬が45.450Nくらいで両者はほぼ並んでいる。礼文島と平島の間にあるトド島はアゲハ蝶のような形をした島で、比較的近年まで夏季だけ漁のために住んでいる住人がいた。風が厳しいので年間を通しての定住は困難であるらしい)
 
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野寒布灯台を外から見学し、イルカの像と戯れ?、ノシャップ寒流水族館に入る。ここで1時間ほど掛けて見学した。
 
まずはアザラシ君たちに女子たちの歓声があがり
「可愛い〜」
「連れて帰りたいくらい」
などと言っているので男子たちから
「女子の“可愛い”の基準が分からん」
という声も出ていた。
 
その後、多数のお魚たちを見るが
「可愛い」
「美味しそう」
などという女子たちの声に
「やはり女子たちの感覚が分からん」
と飛内君などは言っていた。
 
たくさん盛り上がってから最後にペンギンを見るが、これもたくさん歓声があがっていて、この水族館の見学は特に女子たちに好評であった。
 

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水族館を出たのがもう14時半である。
 
「じゃ帰りますよ〜」
「宗谷岬行かないんですか〜?」
「往復2時間掛かるから、泊まりがけでないと無理」
「え〜〜?間宮のリンちゃん(間宮林蔵のことらしい)見たかったのに」
「個人的に見に来てね」
 
ということで、帰途に就いた。
 
帰りも途中の道の駅でトイレ休憩し、S中に辿り着いたのは、19時頃である。多くの子は保護者の車で帰宅した。
 
でも千里は消えちゃった!!(村山家の夕食はコリンが作った)
 
 
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