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■春水(16)
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青葉は自宅に戻ると、手帳を年順に並べた。手帳は結婚した1996年のものから亡くなった2010年のものまで15年分あった。結婚前のものは美花さんに見られるとやばいものがあって処分したのかもとも思った。
最初の付近はずっと仕事の予定が書かれているだけである。1996年のものにはMKという記号が入り出す。少し考えて「美花」の意味でデートの日付だろうと判断した。結納、結婚式の予定が書き込まれている。妊娠が分かり、予定日という文字がピンクで書いてある。そして恵矢が生まれ、その後七五三の記録が残っている。どうも恵矢の七五三は数えの三歳・五歳・七歳でしているようだ。七五三は、女の子は三歳と七歳、男の子は五歳という所が多いのだが、確かに男女とも3回やる所もある。
幸子、香文が生まれてからの様々な日程も記載されている。
この手帳は処分しきれないだろうなと青葉は思った。この一家の歴史がここには刻まれている。
桜の夢を表す「S」のマークが最初に現れたのはやはり2001年である。青葉はSマークの付いている日付を計算してみたところ、56日周期になっていることに気付く。ただし完全に56日周期ではなく、112日の所もある。これは本当にそれだけ空いたのかあるいは記載漏れか、今となっては分からない。
年間予定表でSのマークの入っている日のデイリーを見てみると、そこに何か文字が書き込まれている所があるのに気付く。しばらく眺めていて、それがドイツ語であることに青葉は気付いた。
これは多分・・・家族などに見られても読まれないようにドイツ語で書いたのではないかという気がした。
最初に書かれていたのはこういうことである。
《tschudschotoみたいな味のお茶を飲まされた》
tschudschotoについて青葉はしばらく悩んだのだが、チュージョートー、つまり中将湯のことかと思い至る。
その後TDTという単語がしばしば現れるが、これもtschu dscho toの頭文字と判断する。
つまり矢恵は外科手術される夢を見ていたが、勝敏は投薬される夢を見ていたようである。このあたりもあるいは同じイメージを本人がどう解釈するかなのかも知れない気もした。
《今日の薬を飲むと睾丸が無くなると言われた》
というメモがある。そしてそのしばらく後に「手術」という記載がある。2005年の手帳である。つまり夢で予告された後、実際には睾丸に腫瘍が出来ていると言われて摘出手術を受けたということになるのだろう。睾丸の腫瘍は大変危険なので、発見されたらすみやかに除去する必要がある。
《今日の薬を飲むとおっぱいができると言われた》
《今日の薬を飲むとちんちんは無くなると言われた》
《今日の薬を飲むと女の声になると言われた》
などといったメッセージがある。
青葉はドキッとした。
《今日の薬を飲むとOLになると言われた》
日付から判断して、これは社長から、いっそ女性社員にならないかと言われた時期ではないかと思った。
そして最後のメッセージは青葉を震撼させた。
《今日の薬を飲むと何も苦労しなくていい世界に行けると言われた》
このメッセージを書き込んで1週間後に勝敏は事故死しているのである。
矢恵さんが危ない。
青葉はそう思った。このままにしておくと、いつか死を予告されるかも知れない。
矢恵が青葉に相談した基本は
「ずっとこの夢と付き合っていていいものか」
ということだった。
彼女は元々女の子になりたかったので、これまでの変化を快く受け入れている。しかし本当にこのままでいいのか。
それは危険だというのが、お父さんの見た夢で確かである。
しかし・・・・最初に呪い?に掛かったナナさんは完全女性化して子供を3人産んだものの、82歳まで生きている。彼女は死の予告をされなかったということか。あるいはそれを乗り越えることができたのだろうか。
青葉は長谷川一門の博識そうな人、数人に中国の恐らく北京近くの山の中にある或いはあった《そこに落ちたら女になってしまう池あるいは泉》というのを知らないかとメールしてみた。しかし反応は芳しくなかった。瞬法さんなどは
「瞬葉君、昔『らんま1/2』という漫画があったの知らないよね?」
などとメールしてきた。確かに青葉がこの情報をネットで検索しようとすると、らんま1/2とか、娘溺泉、呪泉郷、といったものばかりヒットして、それらしきものに迫ることが困難なのである。
青葉はふと思いついて、天津子に電話してみた。
「あんた漫画読まないでしょ?」
などと彼女にまで言われる。しかし自分が今抱えている案件で、1940年頃に、中国で山の中の泉に落ちたら体質が女性化してしまった人が関わっていることを説明すると、知り合いに当たってみると言ってくれた。
すると9月8日の早朝、なんと羽衣さんから直接青葉に電話が掛かってきた。羽衣は最初に
「君のお姉さんに大怪我をさせてしまって、本当に申し訳無い」
と謝った。
「いえ、姉も当日はかなり酷い状態だったのが少しずつ回復してきているようですので」
と青葉は答えた。
「それでその、中に落ちたら女になってしまう泉だけどね。確かにあったんだよ、北京の近くの**山という所に」
「本当ですか!」
「その泉が湧き出したのは、確か1937年だった。盧溝橋事件のすぐ後だよ。そこに中国軍が要塞を築こうとしてね。発破を掛けていたら湧きだしてきた。その水を飲んだ男はみんなチンポが立たなくなった」
「わっ」
「それでファンクァンチェン、宦官の泉と呼ばれた」
「なるほど」
「実際にそこに落ちた者もあって、胸が膨らんだりしたとは聞いているが、どこまで女性化したのかは私も分からない」
「その泉は今もあるんですか?」
「無くなった。第二次世界大戦中のゲリラと日本軍との戦闘でそこより上の方の山でかなりドンパチやってね。その影響か枯れてしまったんだよ。それが1942年頃だったと思う」
「だったら5年ほどだけ存在したんですか?」
「うん。そのくらい。この泉で女性化した人はおそらく数十人くらいだと思うけど、年齢的に考えてもう生きている人はほとんど居ないだろうね」
「貴重な情報ありがとうございました。ちなみに男性化する泉みたいなのは無かったんですか?」
「そちらは聞いたことない」
電話を切ってから青葉は考えた。もしその泉がまだ存在するなら、矢恵さんをそこに連れていくことで、呪いを「納めてくる」ことも可能だと思った。しかしもう無くなってしまっているのなら、その手も使えない。
さて、どうしたものか。
9月9日(土)は東京でアクアの映画のラッシュを見せてもらう予定だったのだが、「ごめんなさい10日にして」という連絡があったので、結局9日は空くことになった。青葉は金曜日の朝から新幹線で東京に出て行き、お昼に東京駅で矢恵さんと落ち合う。そして仙台まで一緒に移動した。
最初にタクシーでお墓に行った。まずはお参りする。
「こちらがあの時、私に倒れかかってきた墓石なんですよ」
と矢恵さんが言う。
「墓石の上に阿弥陀(あみだ)様が乗っているんですね」
と青葉が言うと
「よく阿弥陀様と分かりますね。みんな観音(かんのん)様と思うんですよ」
と矢恵が言っている。
「まあ専門家なので」
と青葉は微笑んで言う。
「あの時、誰かに『危ない』と言われた気がしたんです。それで反射的に飛びのいて、目の前に倒れ込んできたから驚きました」
「ご先祖様が警告してくれたのかもしれませんね」
「その声が実際にその墓石の方から聞こえたので、阿弥陀様が助けてくれたのかなとも思ったんですけどね」
「ああ、そういうこともよくあるんですよ」
青葉はその一番古い墓石の前で目を瞑り合掌した。
あ・・・そうだったのか。
青葉の中で色々なものが整理されてしまった。
青葉はその場で15分くらい合掌していたようである。
「凄く色々なことが分かりました」
と青葉は言った。
「ひとつ。2011年3月11日に、お墓の中から出てきて矢恵さんの身体の中に入ったものですが」
「はい」
「ナナさんの霊ですね。今、矢恵さんの守護に入っていますよ」
「そうだったんですか!」
「自分が掛かった呪いが、孫の勝敏さん、そして矢恵さんにまで及んでしまって申し訳無いと言っています。少しヒントをもらったんですが、親戚の方にお話を聞けますかね?」
「はい。今本家に住んでいる、芳子さんにお話が聞けると思います」
それでタクシーで仙台市郊外にある、剣崎家に行った。ここは吉兵衛が全ての資産を失った後、同情した友人が貸してくれた家で、五十六が東京に行ったままなので、五十六の姉の貞子・淑子、弟の平和と憲法(みちのり)が住んでいて、後に憲法さんが独立したので、平和一家の住処となり、最終的には平和が持ち主から買い取った。平和が亡くなったので、現在は奥さんの芳子(1951生)の所有になっている。
ここは東北地方太平洋沖地震自体では戦後建てた離れが崩れたりする被害はあったものの大正年間に建てられた本宅は無事。そして高台にあるため津波の被害も免れている。
現在ここに住んでいるのは、芳子さん、長女(1971生)とその夫(1965生)、2人の娘である。平和と芳子の次女・三女は各々結婚して別の所に住んでいる。2000年に亡くなるまではナナさんもここに住んでいた。
この日は芳子さんと長女の2人だけがいて、他は仕事に出ているということであった。
「あら、すっかり可愛い女の子になっちゃって」
と芳子さんも長女も、矢恵を見て笑顔で言った。
「お恥ずかしいです。でも女になってしまったのは仕方ないから開き直って生きています」
と矢恵は言って、東京で買ってきたお土産を渡した。
矢恵さんがお仏壇にお参りしたのに合わせて青葉も一緒にお参りさせてもらった。それで青葉はここでまた大きなヒントをもらうことができた。
矢恵は自分の体質変化は、医学的にはあり得ないと医者も悩んだと言った。父・勝敏も似たような変化が起きたが、自分の場合むしろ話に聞いたナナさんの変化に似ている気がするという前提を語った上で、これは遺伝ではなく呪いの類いだと思っていると話す。遺伝なら、父の女性化は思春期の頃に起きていてよかったはずだと説明した。
「確かにそうよね。じゃナナさんの呪いが、亡くなった後、勝敏さんに行って、勝敏さんも亡くなった後、矢恵ちゃんに行っちゃったのかしら」
「こちらの川上瞬葉さんとも話していて、そういう結論に達したんですよ」
今日の青葉はビジネススーツを着ている。法衣でもいいのだが、宗教関係者と思われると警戒されがちである。
「こちらは霊能者さん?」
「はい、川上瞬葉と申します」
と言って、青葉は《心霊相談師・川上瞬葉》の名刺を出した。《金沢ドイル》はあくまでテレビ用の名前である。
「実は私の曾祖母が昔、大船渡で、拝み屋さんのようなことをしていて、私は小さい頃、その助手をしていたんですよ。それでいまだにそのツテであれこれ祈祷を頼まれたりするもので」
と青葉は言った。
「あら、私、大船渡の近くの気仙沼なんですよ」
と芳子さん。
「あら、そうでしたか!」
「あなた何か、言葉のイントネーションが気仙系のような気がした」
「大船渡を出てから6年経つんですが、これが抜けないんです」
「いったん身についた言葉はなかなか変わらないよね〜」
と言ってから、芳子さんは言う。
「その曾祖母さんの名前は何ていうのかしら?もしかしたら知ってるかも」
「えっと・・・八島賀壽子というのですが」
「あなた、八島さんの曾孫さん!?」
「はい」
「八島さんといえば《岩手のおしらさま》じゃん!」
「いや、その名前を私も久しぶりに聞きました」
芳子さんが曾祖母の名前を知っていたことで、その先の話が随分スムーズになってしまった。芳子さんは青葉を全面的に信用してくれた。
芳子さんは自分の知っている範囲でナナさんに関することをたくさん話してくれた。
ナナさんは男性時代は結構逞しい身体付きで、スキー大会で優勝したりしたこともあったらしいし、相撲も強かったらしい。しかし女性化した後は、普通の女性の背丈まで縮んでしまい、筋肉も落ちて20kgくらい持ち上げるのが限界などと言っていたという。ただ筋力は落ちても体力はかなりあったという。
戦後は家計を支えるため、東京や愛知などで工場に勤めてハードな仕事をしていたものの、体力があるので何とかなっていたという。
男性時代は剣道なども段位を持っていたらしいが、女性化した後は剣道も含めてあまりスポーツはしなくなり、手芸を随分して子供や孫たちにセーターを編んでくれていたが、それが商品として売ってもいいくらい上手かったという。
「今着ているこのサマーセーターもナナさんが編んでくれたものなんですよ」
「ほんとに上手かったんですね」
「他に、お人形も随分集めていましたよ。亡くなった後、その大半は親族の女性たちで分けたんですけどね」
「ナナさんのご兄弟はおられましたか?」
「お兄さんが4人、お姉さんが4人の9人兄弟の末っ子だったそうです。もっとも、お兄さん2人とお姉さん1人が小さい頃に亡くなっていたので実質6人だったそうですが」
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