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■春社(16)
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それでナミと千里、それにジャネのお母さんで赤外線を使ってメールアドレスを交換する。(ホシは携帯を取り上げられているらしい)
「わ、久しぶりにガラケーを見た」
とナミ。
「私、静電体質だからスマホは苦手なんですよ。私が触るとすぐダウンする」
と千里は言っている。
「へー。たまにそういう人いますね」
お互い交換したデータを読んでいる。
「むらやま・ちさとさんですか?」
とナミ。
「はたやま・くろみさんか」
と千里。
「はやしば・るみさん?」
とジャネのお母さん。
「あっと、私の名前はそこで切るのではなく、林・波流美(はやし・はるみ)です。業務用のスマホにはステラジオ・ナミで登録しているのですが、こちらは個人用なので」
とナミ。
「でも私の名前をよく一発で読みましたね」
とジャネのお母さんが言う。
「私、人の名前を読むのは得意なので」
と千里。
「すごーい」
お母さんの名前は「自由」と書いて「くろみ」なのである。クロールから来ている。彼女の妹さんは「平泳」と書いて「ひらみ」らしい。
「ホシのお母さんも凄いよね」
とナミが言う。
「うん。お祖父さんとお祖母さんが陸上選手だったからホップステップジャンプのホップなんだよね。本人は水泳選手になっちゃったけど」
「へー」
「中学時代、陸上部にも入っていたんだけど、助っ人で出た水泳で全国大会に行っちゃって、すっかりそちらが本業になってしまって」
「凄ーい」
「名刺も差し上げておきます」
と言って千里はレッドインパルスの選手の名刺を配っていた。
「わ、バスケット選手ですか。あ、そういえば、ここにいる人たちの関係は?」
「ジャネさんと圭織さんと青葉が同じ水泳部のチームメイトで、私は青葉の姉です」
「大宮万葉さんのお姉さんでしたか! 万葉さんの苗字の川上と苗字が違うのはご結婚なさっているのかな?」
「そのあたりは話せば長くなるので」
と千里。
「ちょっと複雑かもね」
と青葉。
「その複雑な所が知りたい」
とホシ。
ああ、暇もてあましてるなと青葉は思う。
それで千里が青葉が東日本大震災で家族をまるごと亡くし、桃香の母に後見人になってもらったこと。そして千里は桃香と夫婦であることを説明する。
「川上さん、大変だったね」
と言ってホシは涙もろくなっているようだ。ジャネさんとお母さん、圭織さんも腕を組んだり、難しい顔をしたりしていた。みんなこの話は初めて知ったようである。
「ですから、桃香と青葉が義理の姉妹で、私は桃香の妻なのでやはり義理の姉妹になるんですよ」
と千里。
「でも女同士の結婚かあ。それもいいなあ」
などとホシは言っている。
「ホシさんもビアン婚したい?」
と千里。
「ここだけの話、私は自分はビアンというよりはFTXっぽい気はしている」
とホシは大胆発言をする。
「ああ、それは歌詞を見ると感じますよ。ホシさんの詩って結構男っぽいもん。男が考えた女性主人公の歌って感じなんですよ」
と千里は言う。
「それ、以前、後藤正俊先生にも言われたことあります」
とホシ。
「ホシ、いっそ性転換手術しちゃう?」
とナミが言う。
「うーん。手術までするつもりは無いというか、実は男装もしたことないんですよ」
「一部話が見えないんだけど、大宮万葉って何?」
と圭織が質問する。
「すみません。私のペンネームです。私、作曲家もしてるんで」
と青葉。
「あんた忙しいね!」
と圭織は驚いていた。
「KARIONとか、スイートヴァニラズとか、広原鳥子とか、槇原愛とかに主として書いてるよね?」
と千里。
青葉は敢えてアクアを外したなと思った。広原はスイートヴァニラズと同じ事務所の10代の歌手で、青葉は彼女にこれまで3回曲を提供している。
「うん。そのあたりをケイさんとかエリゼさんに押しつけられているというか」
と青葉は答える。
「ケイもオーバーフローしてるからなあ。でもあの人、ゴーストライターとかは使わないし」
と千里。
「ここだけの話、ケイってまじであれ全部自分で書いてるの?」
とホシが小さな声で訊く。
「ですよ。だから年間100曲くらい書いているはず」
と青葉。
「すげー!」
「上島雷太さんにはかなわないけどね」
と千里。
「上島さんってさ、あれこそゴーストライター何人いるの?50人かひょっとして100人くらいいるのかなと思ってたんだけど」
とホシ。
「あの人はゴーストライターが嫌いなんですよ。だから1人で書いてますよ」
と千里。
「いや、それはさすがにありえない」
「一度上島さんのご自宅に行ってみるといいです。次から次へと曲を書いているところを見ることが出来ますよ」
「嘘!?」
「それは私も見たことない」
と青葉。
「私が見てた時は一晩で10曲書いたよ」
と千里。
「信じられない!」
「あの人はメロディーライターだからね。伴奏を付けてちゃんと編曲するのは下川工房のアレンジャーさんたち。上島担当チームは数十人いるはず」
「そのくらい居ないと無理だろうね」
「歌詞は面白いですよ。上島雷太歌詞データベースというのがあって、上島さんはキーワード検索して適当なものを見つけて、そのデータベースの何番とか指定するので、その歌詞をアレンジャーさんが取り出してメロディーに合わせ付ける。これ大半は高校大学時代に大量に書いた歌詞のストックで、ある時期に人海戦術で入力したものですけど、それを使ったら消し込んでいく」
「へー!!」
「でもさすがに尽きてきたんで、最近は結構、他の作詞者さんを使ってますよね」
「あれだけのペースで書いてたら尽きるだろうね」
「一応出しても1000枚以上売れなかった曲の歌詞は微調整して再利用してもいいことにしているみたい。あと、演歌系は逆によほど売れたもの以外は同じ歌詞を何度か再利用して微調整している。そのあたりの調整は上島さんの弟子を自称している山折大二郎さんの担当」
「ああ、演歌はむしろ全部同じ歌詞でもいいんじゃない?」
「そもそも演歌って、ほぼ同じ曲だよね」
「そうそう。**の歌詞で**が歌える」
「**の歌詞で**も歌えるよ」
「一般に演歌の歌詞は『どんぐりころころ』で歌えるものが多い」
「『水戸黄門』でも歌える。高校時代のバンドでよくやってた」
などと千里とホシは会話しているが、どうもふたりとも演歌が嫌いっぽいなと青葉はそれを聞いて思った。
「あれ?でもお姉さんも音楽業界詳しいみたい」
とホシ。
「私もメインはバスケ選手なんですけど、たまに時間が取れた時に、頼まれて曲を書くことがあるので」
と千里。
「へー。何か名前とかあります?」
「じゃ、この名刺も差し上げますね」
と言って千里が渡した名刺を見たホシとナミは
「うっそーーーーー!!!」
と驚いていた。
「でも女同士で結婚しているというと、あの人たちもそうだったね」
とナミは突然思いついた感じで言った。
「あの人?」
「あ、えっと・・・例の片町でスナック経営していた人」
と言ってから、ナミは話を出したことを後悔しているっぽい。
例の事件で、亡くなったスナックのオーナーさんが女装者で、女性の奥さんがいたんだったなと青葉は思い起こしていた。
「ああ、あの人か」
とホシは疲れたような感じで苦笑いしながら答えた。
「名前といえば、あの人も名前が強烈だったなあ」
とホシは言う。
「どういうお名前だったんですか?」
と何気なくジャネが尋ねた。
「キトウ・マラと言うんですよ」
というホシの答えに
「はぁ!?」
と青葉は言ったのだが、ジャネ・ジャネの母・圭織の3人がこわばったような表情をした。
しかしホシはそれには気付かないようで、解説を続ける。
「キトウは木を倒すと書くんです」
とホシが言った時、青葉も「え!?」と思った。それって・・・まさか・・・
「マラはマラソンの略らしいです。いや、戸籍名は別にあるらしいんですけど、その人、戸籍上は男なんだけど、実質女として生活していたので、女性名でマラを名乗っていたらしいです。でもマラに変な意味があること、人に指摘されるまで全然気付かなかったらしくて。しかも苗字が苗字だし」
とホシは少し苦笑いしながら語る。
ちょっと待て〜〜!? マラソンの略って、そういう名前の人を知ってるぞと青葉は思う。それにその苗字は・・・・。
青葉は重大な見落としをしていたことを認識しつつあった。
ホシたちと別れてから千里が運転する車で金沢に向かうが、最初に圭織さんが発言した。
「ホシさんたちが言ってたキトウ・マラさんって、木倒ワサオ部長のお父さんだよね?」
「ですね。キトウ・ワサオも酷い名前でみんなから『キトウ・サオ』って、からかわれていたけど、キトウ・マラって、名前だけで発禁になりそうな名前。でもあの人のお父さんはその名前でゲイバーのママをしていたんですよ。そういう職業ならインパクトがあっていいのかなと思っていたけどね」
とジャネさんが言う。
「でもマラソンの略というのは知らなかった」
と圭織。
「漢字では真良と書くんですよ」
「ほほぉ」
「戸籍名はご存じですか?」
「いいえ」
というので誰も知らないようである。
「亡くなったのはご存じでしたか?」
「ええ。ワサオ君が大学に入る前の年に亡くなったと言ってました。その後はお店はチーママしていた玉梨乙子(たまなし・おとこ)さんという人が接待の中心になって、ワサオ君のお母さんが店長としてお料理と会計だけして運営していたらしいです。でもそういうお店に出ていると、ふつうにオカマさんだと思われていたみたいですね。最初は天然女だと主張していたけど、信用してもらえないので、開き直って、私高校時代にこっそり去勢して、20歳でタイに行って性転換手術受けたの、とか架空のプロフィール作っていたらしいです。名前もキトウ・クリコを名乗って。本名はクミコなんですよ。さすが若い内に去勢した人は女らしいね、とか言われてたみたい」
あそこ、そういうお店だったのか!
あ・・・と思う。あのお店の名前の「数虎」の読み方は「スートラ」だ。カーマ・スートラに掛けていて、オカマのお店だったんだ!!
青葉は頭の中で関係者の年齢を計算していた。
「木倒ワサオさんって浪人してますよね?」
「ええ。二浪ですよ。だから1990年生まれ。現役と1浪の時は東大狙ってたらしいけど、二浪になると慎重になって、ランク落として地元のK大を受けたんですよ」
1990年生まれというのは桃香や千里と同学年である。彼の場合高校に行ったのが2006-2008年度。2009-2010年度を浪人して、2011-2014年度が大学生。ジャネさんが突き落とされ、木倒ワサオが自殺(?)する事件は2015年1月。当時ジャネさんが3年生、ワサオは卒業を目前にした4年生であった。事故死と考えられていたこともあり、ワサオは特例で卒業扱いにしてもらい、お母さんが代理で卒業証書を受け取っている。
なおワサオは先日発見された遺書によりいったん自殺と認定されたものの、その後検察庁の再捜査で、自殺方法不明につき事故死の可能性もあるということで判断保留状態になっている。
事故なら建設会社に数千万円の賠償責務があり、自殺なら逆に木倒家側に数百万円の賠償責務が出る。しかし検察の段階で判断保留になってしまい、今後新事実が出る可能性も薄いので、双方の弁護士による話し合いで、結局建設会社が木倒家側に適当な額の御見舞金を払うことで和解したらしい。
青葉は今まで見えていなかった事件の背景のパズルが急速に組み合わさっていくのを覚えていた。
途中の小矢部川SAで休んだ時に、青葉は先日マソの元ボーイフレンドで唯一、サトギのことを覚えていた人の所に電話した。
「お仕事中恐れ入ります」
「いや、今いいですよ」
「先日言っていたサトギさんなんですけど、苗字は何とおっしゃいました?」
「ああ。苗字はキトウ、木を倒すと書くんです。でもマソは彼の居ない所ではちょっと言えないようなあだなで呼んでたよ」
「ありがとうございます!」
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