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■春社(2)
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ところが歩き始めてから70-80mも行くと、天井が木の枝で覆われて急に道が暗くなり、また道路は一応舗装されているものの、路肩が崩れていたり、道路に多数の亀裂があってそこから草が生えていたりして、まるで廃道のような雰囲気になる。
「ちょっとやばいかな」
と独り言を言い、戻ろうかなと迷い始めた時、ひょいと近くの木々の間から出てきた人物がいる。
「きゃっ」
と言って紗早江は腰を抜かしそうになった。
その人物は60歳くらいだろうか?白い髪に白い髭。長い銃を肩に掛け、右手にステッキ、左手に銃で仕留めたのだろうか、鴨を手にしている。
「あんた宿泊客?」
とその老人(?)は尋ねる。
「はい」
「この道は危ないよ。戻った方がいい」
「危ないんですか?」
「そもそも物凄いワインディングロードな上に、案内板の無い枝道もあるし、大きな道に合流するまで10km以上ある。山歩きに慣れている人でも、この道を向こうまで歩き抜くのは大変だよ。僕は何度か歩いたけどね。猟銃とステッキ持って」
「猟銃ですか」
と言いつつ、彼が手にしている猟銃(?)を見る。これほんとに猟銃だっけ?紗早江はあまり銃には詳しくないが、なんか随分と大きくて、メカっぽいデザインである。
「ステッキは傾斜のある所の歩行補助でもあるけど、マムシ対策にもなる。マムシはたいてい向こうが逃げるけど、襲われそうだったら、一撃で頭を叩きつぶす。これ失敗したら噛まれるから」
「きゃー」
「マムシとはこれまで数回出会った。幸いにもいつも向こうが逃げてくれてる。一度はイノシシと遭遇して突進してきたから、猟銃で仕留めたよ」
「ひぃー」
どうもこの道路は自分にはワイルドすぎるようだと紗早江は認識した。
「僕は出会ったことないけど、クマも出るらしいよ」
「クマですか!?」
「僕の銃はクマには効かないからね。もっと強力な銃でないと倒せない。だからクマには遭いませんようにと祈りながら歩いている」
「わぁ・・・」
紗早江はちょっと死にたい気分でもあったのだが、クマに食べられるのは怖いかもという気がした。
「万一出会った場合はどうするんですか?」
「とりあえず友好的に撤退できないか試みる」
「それがいいですね」
「笑顔で挨拶したりして、敵対心が無いことを相手に示しつつ、後ずさりで逃げる。背中見せて逃げたら追いかけてこられるから」
「あ、その話は聞いたことあります」
「襲ってきた場合は仕方無いから、できるだけ近くに寄るのを待ってから急所を狙って撃つ。遠すぎると威力が落ちるし外しやすいけど、近すぎると倒れる前に噛みつかれるから、物凄くタイミングが難しい」
「うーん・・・・」
「最後の1発を残して全弾撃っても倒れなかったら、南無阿弥陀仏と唱えて、自分の冥福を祈る」
「最後の1発は何のために残すんですか?」
「自分の頭に撃ち込むためだよ。熊って人間の胴体から食べ始めるから、自分が食べられていく所を見ていなくても済むようにするため」
「ひぃー!」
やはりこの道は通らない方がいいようだ。
結局彼に促されて、紗早江は道を戻り、ゲートの所まで来る。
「イノシシとかサルとかが侵入しないように、旅館の周りのフェンスは二重にしていて外側のフェンスには電流を流しているんだよね。道の出入り口も普段はここのゲートを閉じてるんだけど」
「なんかロックしそこなったみたいでした」
「始末書もんだなあ」
などと言って、紗早江と一緒にそのゲートを通り、そばの操作盤のふたを開けて数字を4つ押すと、いったんロックが解除される。それでゲートをきちんとしめると、自動的にロックされた。
「その鴨は今仕留めたんですか?」
と紗早江は旅館の建物に戻りながら尋ねた。
「うん。実はもう狩猟期間は終わってて今は禁猟期なんだけど」
「え〜〜〜!?」
狩猟が許可されている期間は都道府県によっても異なるが、だいたい11月から1〜2月くらいまでである。季節感のずれる北海道だけは4月15日までになっている。基本的には農作業のできない冬の間だ。これは誤射を防ぐためでもある。
「これ、内緒ね。だから支配人さんに見つからない内にこっそり焼鳥にして食べる」
「あはは」
「支配人さん、厳しいからなあ。狩猟可能な鳥は厳しく法律で決められているから、種類の分からない鳥は撃ってはいけないんだけどね」
「へー」
「でも間違って撃っちゃうことはあるじゃん」
「それまずいのでは」
「うん。支配人さんに見つかるとそれも叱られる。見つからなければ似た鳥ということにしてごまかして」
「うーん・・・・」
「男の娘を女の子だとごまかして女子高に入れちゃうみたいなもんかな」
「あはは」
紗早江は唐突に疑問が湧いた。
「従業員の方ですよね?」
「ううん。僕も宿泊客。もう半年以上湯治してるかな。あんたは最近来たの?」
「はい。2週間くらい前です」
「2週間いたにしては、お風呂場で会ったことないね」
「えっと・・・・私、女なので」
「へー。髪が短いし声も低いから男かと思った。それともチンコ切って男から女になったの?」
「いえ、生まれた時から女です」
と答えながらさっき見た、手術で男にされてしまう夢を思い出す。
「なんだ、つまらん。男だったら、夜這いかけようかと思ったのに。あんたが男なら、わりと僕の好みなんだよね」
こいつホモか〜〜〜!?
「あ、そうそう。僕は水下(みずした)」
「私は双(くらべ)」
とここで初めてふたりは名乗りあった。
「クラベってどんな字?」
「双子の双だけです」
「そんな苗字は初めて知った」
「うちの親戚だけかも。元は大蔵省の蔵に部長の部だったのではと聞いたことあります。石川県白山市に倉部町という所があって、そこがルーツらしいです。その傍系みたいで」
「ああ。地名が人名に転化したパターンか」
「確かにうちの親戚も北陸に多いんですよね。私は東京生まれですけど」
「なるほど。ちなみに手術して男になる気ない?いい病院紹介してあげるけど。最近の手術ではちゃんと立つし自分で触って気持ちよくなるチンコ作れるんだよ」
「いえ。結構です」
「相手の中に入れるの気持ちいいよ」
それはちょっと興味無いこともない。
「取り敢えずいいです」
と紗早江は一瞬の間を置いてから答えた。
「立ち小便できると便利だよ」
「立ち小便くらい、ちんちん無くてもふつうにしますけど」
紗早江はトラベルメイトの愛用者だったのだが、デビューした後は事務所から使用を禁止されており、仕方無く座ってしている。
「偉い!だからかなあ。あんた雰囲気が男なんだよね。体臭も男だし。男性ホルモン飲んでるの?」
「飲んで飲ません」
と答えて、体臭が男だと言われたのが気になった。生理が停まっているせいだろうか。
「でも半年も湯治って、ご病気か、お怪我かですか?」
「頭の病気かな。頭が壊れてるのがなかなか治らなくてね。夜中に錯乱して銃を乱射したらごめんね」
紗早江は彼が冗談で言っているのかどうか判断に苦しんだ。しっかし頭の病気なのに猟銃を持っているなんて危ない人だ。
旅館の通用口の所で別れたものの、彼の背中を見送ってから
「へんな人」
と独り言のようなつぶやいた。
紗早江はさんざん人からは変人だと言われてきたが、紗早江が人を「変わってる」と評するのはなかなか珍しい。例の死んだスナック店主さん以来かもなどと思ってから、また心の傷がうずいた。
2016年4月。
この月の頭に高知の祖父の葬儀に行ってきた青葉は、その時千里と話して節税のため個人会社を作った方がいいという話を聞き、高岡に戻ると早速動きだした。自分で色々調べた結果、こういう手続きは専門家に任せた方がいい!という結論に達し、司法書士さんに依頼することにした。
青葉はパソコンで富山県司法書士会のサイトを開き、高岡市内の司法書士のリストを取り敢えずコピーした。そこからまず認定司法書士だけを抜き出す。研修を受けていない人は除外する。これで12人に絞られてしまった。その12人の1人ずつにタロットカードを置いていく。
開く。
眺めてみる。
「ここかな」
と思った司法書士さんの事務所サイトを検索してみる。サイトはどうも3年前から全く更新されていないようである。これは全然問題無い。業務が忙しければ更新できなくなるのは自然である。その3年前に書かれたコラム記事を読んでみる。
「ここ良さそう」
と思い、青葉は電話してみた。
「ああ、学生さんで会社を設立なさるんですか?ベンチャーか何かですか?」
という司法書士さんの「声のトーン」が青葉はとても気に入った。声に乗っている波長はその人の性格や能力をかなり反映する。
「いえ。私は作曲家なので、ふつうの会社で言うような業務はほとんど無いのですが、今まで個人事業主でやっていて、税金が大変だったので、法人化した方がいいよと言われまして」
「なるほどですね。昨年度の売上はおいくらくらいでした?」
「約4000万円です」
一瞬向こうが息を呑んだような気がした。
「今年度も同じくらいになりそうですか?」
「今年はたぶん2億円くらい行くのではないかと思います」
「どこか会計事務所などご利用ですか?」
「J税理士事務所さんにお願いしています」
「おお、彼は私のK大同級生ですよ」
「それは凄い!」
青葉はほぼここに依頼することを決めつつあった。それで一度詳しい話を聞きたいということであったが、青葉がK大に通学しており、なかなか昼間時間が取りにくいと言うと、今夜だったら21時くらいまでいいですよと言ってもらえた。そこで高岡に戻ってから、そちらを訪問することにした。
それで4月12日の夕方、青葉は美由紀たちを伏木駅まで送った後、そのまま高岡市内の司法書士事務所に赴いた。
司法書士さんと、20-21歳くらいの女性が残っていて、応接室に通され、お茶と「ごますりダンゴ」を頂く。
「これもしかして岩手のですか?」
「ええ。お土産にもらったんですよ」
「私、大船渡の出身なんですよ」
「おお、それは奇遇ですね!」
という会話で結構なごむ。
「でも済みません。こんな遅くに」
「いや、実際仕事してたら、このくらいになるのは普通なんですよ」
「大変ですね!でも事務の方まで」
「ああ、あれはうちの息子ですから大丈夫です」
ん?と思う。あれ〜、女性のような気がしたけど、男の人だったっけ?青葉は自信が無くなった。
「会社設立に最低何日掛かるかとよく訊かれるのですが、その気になれば1日で株式会社を設立することも可能です」
と40代の司法書士・霧川さんは言った。
「1日でできるんですか!?」
「株式会社の設立に発起設立と募集設立があるのはご存じですか?」
「はい。それでちょっと人に募集設立を勧められたのですが」
「それはまた何で?」
「そちらが社会的な信用が出ると言われたのですが」
「関係無いと思いますよ。出資したい人がたくさんいるというのでない限り、発起設立でいいと思います」
「ああ、そういうもんですが」
「実際最近は大きな会社でもほとんどの会社が発起設立してますよ」
「へー」
「それに募集設立の場合、資本金が確かに保管されていることを証明するのに銀行から払込金保管証明をもらわないといけないのですが、これを銀行がなかなか出してくれないんですよ」
「え〜〜〜!?」
「銀行はその証明を出した場合、万一実際には口座に残高が無かった時は、その証明した金額を銀行自らが弁済する義務があります。ですから銀行は会社の設立者について入念な信用調査をします。日数も掛かりますし、結構拒否されるケースもありまして」
「わぁ。。。」
「ですから個人で開業する場合に募集設立をするのは難しいと思います」
「うーん・・・・」
ちー姉はそのあたりどうしたんだろう?と青葉は思う。
「逆にそういう意味では募集設立は信用度が高いかも知れません。そもそも充分な信用を持っていないと設立困難ですし、出資者を募集してそれを集めることができたということ自体がまた信用です」
「なるほど!」
「発起設立の場合は、基本的に定款を作って認証を受け、資本金を振り込んで登記の書類を作って法務局に提出するだけですから、発起人さんの印鑑証明、取締役さんの印鑑証明を用意して会社の社印も作っておけば、本当に1日で可能なんですよ。もっとも本当に1日で設立なさる方はあまりなくて、個人で会社を興される場合はだいたい1〜2週間で設立なさる方が多いですね」
「分かりました」
それで青葉は、やはり発起設立で行くことにし、会社のタイプとしては取締役会設置会社にすること(つまり取締役3人と監査役1人が必要)、発起人は青葉1人あるいはひょっとしたら別の人にも出資をお願いして2人と決め、司法書士さんから定款のひな形をもらい、それを書いて次回持ってくることにした。
青葉は帰りがけに、パソコンに向かって何か書類作成をしているっぽい事務の人をチラッと見た。長い黒髪にブラウスとスカート姿、お化粧もしてる。女の人に見えるけどなあと思うものの、詮索するのは、はばかられた。
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