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■春退(17)
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(C)Eriko Kawaguchi 2016-02-20
この祝賀会が行われた日の午後には、バスケット男子日本代表が成田国際空港から中国の長沙黄花国際空港へと旅立った。実は川淵会長を初めとするバスケ協会幹部はそれを見送った後で品川プリンスに駆け付けている。
情勢は厳しいものの、もし男子代表もオリンピック切符を取ってくれたら、日本国内のバスケ熱も一気に高まるところだろう。Jリーグが成功したのも、日本がワールドカップの一次予選を突破し、最終予選でもあと少しでW杯切符に手が届く熱闘(ドーハの悲劇)を演じたことが大きかった。それまではサッカーなどプロ化しても採算が取れる訳無いと言われていた。川淵氏自身も最初はプロ化反対派だったのがヨーロッパのプロチームを視察してきて賛成派に転じたのである。
その男子代表の一員として成田空港に来た貴司はドキドキしていた。海外に行くのは別に今更緊張しない。これまでも何度も関空や成田から飛び立っている。先日も台湾にウィリアム・ジョーンズ・カップで行ってきた。しかし今回はとんでもない問題を抱えていた。
チェックインはチームでまとめてやってもらった。そのあとセキュリティ・チェックを通るがキンコンと鳴ってしまう。それでボディチェックされる。この時、貴司はバレませんようにとドキドキしていた。しかし係官は
「ズボンのポケットに何か入れておられます?」
と訊く。
「あっ、すみません。財布入れたままでした」
それで財布をトレイに入れて通して再度ゲートを通ると何も鳴らなかった。
その後は税関では特に申告するものはないことを告げて通過。出国も自動化ゲートなのでそのまま通過。搭乗ゲート前まで行くと、ホッと脱力する気分であった。
バスケ協会の山岡さんが貴司のそばに寄ってきて小声で言った。
「細川君、何かおかしいよ」
「そうですか?」
「ね、もし怪しい薬とか持ってるんだったら僕に渡して。うまくバレないように処分しておくから」
うっ・・・怪しい薬でも持ってる人に見えたか!?
「大丈夫です。そういう変な物は持ってません」
「だったらいいけど、何かあったら、僕に相談してね」
「はい」
男子のアジア選手権は23日からなのだが、21日夕方、入国手続きをして宿舎に来た時、腕章を付けた人がチームに寄ってきた。
「事前ドーピング検査にご協力ください」
「はい。誰が対象ですか?」
「前山さん、細川さん、広田さん、よろしいですか?」
「はい。おい、その3人行ってきて」
と監督が言う。貴司はやっばぁ!と思った。その様子を山岡さんが心配そうに見ていた。
3人の男性の係官に付き添われて、3人が各々ホテル内の多目的トイレ(別のフロア)に入った。貴司はもう諦めの境地で指示されるままにズボンを足首のところまで下げ、上着はまくりあげ、パンツを下げた。
係官が戸惑う。
「あなたまさか女性ですか?」
「いえ男性です」
「ペニスは?」
「すみません。病気の治療で取ってしまったんです」
「女になりたいとかいうわけではないんですね?」
「別になりたくはありません。私はペニスが無くても男です。ペニスがあるかどうかなんて、男であるかどうかとは関係無いんですよ」
と貴司は言いつつ、千里の場合は、たとえちんちんがあったとしても間違いなく女だったからなあと昔のことを思い起こしていた。
「分かりました。病気で取ったのなら、追って再建手術とかなさるんですか?」
「そのつもりです」
「ホルモン療法とかはしていますか?」
「男性ホルモンの補充療法を勧められましたが、男性ホルモンを投与するとドーピングに引っかかる可能性があるので、拒否しています」
このあたりは万一ドーピング検査をされて股間を見られた場合の想定問答を練り上げておいたのである。
「分かりました。男性の私がこの検査を行っていいですか?」
「はい、私は男性ですから問題無いです」
「了解です。ではペニスが無いと狙いにくいと思いますが、コップの中におしっこをしてください」
「はい」
それで貴司はコップの中におしっこを出してドーピング検査を完了した。
しかし貴司はここでドーピング検査官に、おちんちんが無くなってしまった股間を見られたことで開き直りの心ができてしまった。そうだよ。自分でも言ったけど、別にちんちんがあるかどうかなんて些細なことなんだ。それが無くたって自分は男なんだから。
そういう気持ちが芽生えると、プレイにもキレが生まれた。
「なんか細川今日は凄いぞ」
と翌日の練習で主将から言われた。
「よし、お前調子いいみたいだから、明日はスターターな」
と監督も言う。
「え〜?いいんですか?」
それで貴司は9月23日初戦のイラン戦にスターターで使ってもらった。そして貴司はこの試合で12点も取る活躍を見せる。しかし強豪イランの前に試合としては86-48で大敗してしまった。
しかし貴司は好調を持続していた。24日のマレーシア戦では主力を休ませたこともあり40分の内28分も出場して20点をもぎとり、48-119で快勝する。更に25日のインド戦では接戦になったものの、後半の20分間使ってもらい10点を取る活躍。試合は65-83で勝ち、日本は予選リーグを2勝1敗の2位で通過。二次リーグに駒を進めた。
なおドーピングの検査結果については簡易検査の結果が23日に出たが3人とも問題なしと言われたことで、山岡さんもホッとした表情を見せていた。貴司は自分の検査表を個人的に見せてもらったが、男性ホルモンの数値が男性の標準値より遙かに下(下なのは問題無い。標準値を超えていたらドーピングが疑われる)という結果になっているのを見て、ああそうだよなあ、やはりタマタマが無いと男性ホルモンも無いんだと納得する思いだった。
しかし男性ホルモンが無いと闘争心も無くならないだろうかと心配したが、闘争心はふだんよりあるよな、とも思っていた。
9月24日(木)、連休明け。
青葉は午前中の授業を休ませてもらって、学校からすぐ近くにある自動車学校に行った。今日はここで卒業試験を受けるのである。3人の教習生が乗り込み、試験官が運転して試験コースのある所まで行く。青葉は最初に試験を受けることになった。
地図を渡されて「ここまで行って」と行き先を指示される。本来は地図を見てルートを自分で決めるところからが試験なのだが、地図は事前に教習生の間で流通しているので走るルートも事前に考えてある。
「はい」
と返事して、エンジンを掛け周囲を見渡し、右ウィンカーを点け、周囲を再度しっかり確認してから車を出す。右左折も事前の「歩行調査」でタイミングなどを確認していたのでスムーズに進行することができた。速度も各々の道路の制限速度ピタリで走って行く。最後は目的地のところで左ウィンカーを点けて後方目視確認もしてから脇に寄せ停車し、セレクトレバーをPに入れパーキングブレーキも掛け、エンジンを停めた。
「完璧でしたね」
と教官が言った。
「いや、美しい運転すると思った」
と他の教習生からも言われる。
「ありがとうございます」
「さすが運転歴40年」
「私まだ18歳ですよ!」
青葉はその後教習所内での方向転換もパーフェクトにこなし、卒業試験に合格。卒業証明書をもらった。それで本当なら翌日にも運転免許センターに行って筆記試験を受けて免許を取得したかったのだが、コーラス部の大会が迫っているので後回しにすることにした。
卒業試験の日も午後には学校に戻って午後の授業を受けた後で放課後はコーラスの練習をする。翌日も昼休み・放課後に練習した上、土曜日はお昼くらいから3時間ほど練習した上で、9月27日の本番を迎える。
9月27日は「あいの風とやま鉄道」「IRいしかわ鉄道」の直通便で金沢に行った後、特急しらさぎで名古屋に出る。それから名鉄に乗り換えて会場まで行った。
2〜3年生は今年2度目の中部大会なので、昨年のように浮ついていないし、1年生はもとより緊張などしていない。それでみんなリラックスした状態で本番に臨むことができた。
出場しているのは昨年より少し少ない17校である。どこかの県が参加校が減り参加枠も減ったんだろうなと青葉は思った。全国大会に出場できるのは1校または2校という説明が最初になされた。おそらく基本的には1校であるものの、優劣付けがたい所があれば2校になるということか。
最初に歌った学校は自由曲の途中で明かにミスをした。ソプラノソロが入るべき所をソロ担当の人が出そこなったのである。焦って途中から歌い出したものの、心理的にパニックになってしまったのだろう。ボロボロになってしまい、それに影響されて他のパートの人たちもおかしくなってしまった。演奏終了後、泣いていた。中部大会のトップバッターということで緊張したことから失敗してしまったのだろう。
次に出て行った学校は場内が騒然としていた中歌ったものの、この学校は課題曲の途中でピアニストが演奏を間違って停まってしまうという事態が起きる。ピアノが停まっても歌唱は続ける。それでピアニストも急いでそれに合わせて伴奏を続けようとして違う所を弾いてしまう。そしてその音につられて歌唱者が音を間違う事故が発生、こちらもかなり混乱の中、演奏が終わった。こちらはピアニストが泣いているのを3年生らしき生徒が慰めていた。彼女たちも2曲目はしっかりと演奏した。
2校続けて失敗した後で青葉たちのT高校で、何ともやりにくい雰囲気である。ここで3年生唯一(?)の男子ということで、先頭でステージに出て行き譜面を指揮台の所に置いてくる役目を仰せ付かった吉田君が歩いて行く途中でケーブルに引っかかって転んでしまう。
青葉は思わず天を仰いだのだが、これが逆にプラスに作用した。
吉田君が起き上がって「すみませーん」と気の抜けたような声で言ったことから、思わず座席に座っている参加者たちが爆笑した。それでT高校のメンツもみんな笑ってしまい、これでなんだかリラックスしてしまったのである。
「よし、みんな行こう」
と青葉がみんなに笑顔で声を掛ける。
「頑張って歌おう」
「ダメ元で思いっきり」
と声を掛け合う。それでアルトの日香理が先頭に立ってステージに出て行く。アルトの所に先に立っている吉田君の隣に立って「ドンマイ。おかげでみんな緊張がほぐれたよ」と小声で言った。吉田君は頭を掻いていた。
アルトに続いてメゾソプラノ、ソプラノと出て行く。最後に出て行ったのが部長の青葉、そして琵琶担当の希である。希は楽器を途中で取ってこなければならないのでいちばん端に立つ。
翼のピアノに合わせて最初に課題曲を歌う。このコンクールの課題曲はしばしば歌いにくい曲が選ばれるのだが、今年はとても歌いやすい、美しい歌である。これがとてもきれいにまとまって、会場全体から大きな拍手をもらう。
気をよくした所で希が琵琶とパイプ椅子を取ってきて構える。
今鏡先生とのアイコンタクトで希が琵琶を弾き出す。翼のピアノも始まり、歌唱が始まる。
KARIONの話題曲であるが、実は作曲者自身が演奏しているのである。そのことまでは審査員さんたちも認識はしていないであろう。しかしギター等を入れる学校はたまにあるが、琵琶が入るというのは珍しいので、会場の生徒たちもかなり興味深く聴いてくれていたようであった。
満場の拍手をもらって青葉たちはステージを後にしたが「やったね」「何だかすごく上手くいった」などと言って、青葉たちは手を取り合って満足いく演奏を喜んでいた。
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