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■春退(15)

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「まあそういう訳で4月からのキャプテンはステラ(星乃)、副キャプテンはメル(麻依子)ということで」
と夕子が言う。
 
「キバ(秋葉夕子)もどこかに移籍するの?」
と神田リリムが訊く。
 
「私は赤ちゃん産みたいから。籍だけは置いておくけど、実質稼働できないと思う」
「もう妊娠してるんですか?」
「春頃仕込む予定」
「ほほぉ」
 
食事が終わった後も1時間ほどこの問題を話したが、みんな千里の移籍には理解を示してくれた上で、プロ化についても、今まで通り自由に参加して、家や仕事の都合では練習や大会を欠席しても構わないということ、大会に参加する場合のメンツも、練習の参加頻度ではなく、あくまで実力順で選ぶという点を確認したことで、来年からのプロチーム化自体についても全員了承してくれた。
 
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「でもたぶん全員がプロ選手になったら、予算が足りないですよね?」
「取り敢えず3年くらいは私が必要な分の費用は全部出すよ」
と千里は言った。
 
「千里を破産させるくらい頑張ろう」
「売上もあげてよ〜」
 

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祝賀会が終わった後、千里たちはバスケ協会に千里・夕子・星乃・麻依子に下田監督・矢峰コーチ・立川さんというメンツで出て行き、宮本専務理事と話をした。当面40 minutesはプロ化してもクラブチーム連盟に留まり、Wリーグ入りについては、そちらのリーグ拡大の機運が盛り上がってきたあたりで検討することになった。
 
「取り敢えず実業団の方からはバタフライズをWリーグに昇格させるけど、これに続くチームを少しずつでも出して行きたいんだよね」
と宮本さんは言うが
 
「向こうは元々Wリーグでしたし、地域の支援態勢もファンクラブ組織も最初からありますから。うちもそういうものをこれから作っていかないといけないですね。まだ3〜4年は掛かるでしょうけど」
 
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「うん。地域に応援されるチームに育って欲しいですね」
と宮本さんは言っていた。
 

宮本さんは、女子バスケットの実力底上げのため、クラブチームの上位の選手を育成する意図で2月くらいに有望選手を集めて合宿をやろうかという計画を練っているということを言った。
 
「エンデバーみたいなものですか?」
「です。クラブ・エンデバーという感じですね」
 
それでそういう合宿をやる場合に使うことになる北区の合宿所を一度見ませんか?と言ってナショナル・トレーニング・センター(NTC)に連れていってくれた。むろんここはバスケットだけの合宿所ではなく、日本国内の様々なスポーツのトップアスリートが集まる場所である。
 
「おお、ここは久しぶりだ」
と星乃が言っている。
 
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「私は初めて来た」
と麻依子・夕子。
 
「千里はここの常連でしょ?」
「そそ。顔パスで入れちゃう」
 
ちょうど男子バスケ日本代表が合宿をしていたので、それを少し見学した後、宿泊棟であるアスリート・ヴィレッジの方に行こうとしていたら、事務局の三村さんが千里に声を掛けた。
 
「村山さん、忘れ物が届いてますよ」
と言って銀色の万年筆を千里に渡した。
 
「わあ、ありがとうございます。これ探していたんですよ。ここに落としていたのか」
 
「合宿に入った選手さんが見つけてくれたんですよ。この刻印を調べたら村山さんのものだろうということになったので」
 
「助かりました」
 
それで三村さんは戻っていくが、星乃から訊かれる。
「何落としたの?」
「U21世界選手権の3P女王取った時にもらった万年筆」
「そんな大事なもの、持ち歩いてるの?」
「これは普段使いにしてるよ。だって筆記具は文字を書くために生まれてきたんだから」
「そうかも知れんが、無くしたらどうするの?」
と星乃。
「ってか、あやうく無くすところだったね」
と夕子。
 
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「そうだね。誰かさんは何かを無くしたかも知れないなあ」
 
と言って千里は笑いを噛み殺していた。そしてその様子を麻依子は難しい顔をして腕を組んで眺めていた。
 

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9月17日(木)。和実が富山県にやってきた。コーラスの練習を終え、この日は自動車学校の方は休んだ青葉と、射水市の病院で合流する。
 
「青葉ちゃんか和実ちゃんか、もう一度性転換手術受ける気無い?ふたりの手術はどちらも楽しかったなあ」
と松井医師が言う。
 
「もうおちんちん取ってしまったので再度は手術できません」
「いったんおちんちんくっつけて、もう一度切るとか」
「無茶な」
 
和実は採卵に挑戦することにして松井医師とその件で合意した時から、ずっと排卵をコントロールするためのホルモン剤を毎日自己注射していた。それでそのホルモン剤のコントロールのタイミングから「理論的に」この日が採卵に適した日になるはずなのである。
 
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医師が採卵の方法を説明する。
 
「これハッキリ言って痛いですから。私も体験してみたことあるけど、体験してみようと思ったことを激しく後悔した」
 
などと松井先生は言っている。
 
「麻酔はするんですよね?」
と青葉が尋ねる。
「するけど痛い」
と松井。
 
「うん。その覚悟をして来た」
と和実は言った。
 
採卵台に寝てスカートの中でパンティは脱いでしまう。部分麻酔を掛ける。青葉は和実の手を握っていた。
 
採卵針が膣内に挿入され、やがて膣壁を通して卵巣があるはずの付近へと針が入れられていく。和実が激しい苦痛の表情を浮かべる。青葉はしっかりと手を握り、波動を送っている。
 
「失敗。もう一度やるよ」
「はい、お願いします」
 
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刺される度に和実は本当に苦しそうである。手を握っている青葉まで痛みを感じる。これ実際和実の痛みを少し引き受けているんだろうなと青葉は思った。
 
10回くらいした所で和実がかなり消耗しているのでしばらく休憩した。それでまた10回ほどやるが卵子は1個も取り出せない。
 
「痛みが激しいね。全身麻酔掛けようか?」
と医師が言う。
「いえ。頑張ります」
「じゃ今日はここまでにする?」
「成功するまでしてください」
 
「分かった。やるけど、やはり全身麻酔する。これ以上この痛みに耐えられないのは医師の目で見て明らか」
 
それで松井医師は和実に全身麻酔を掛けた上で採卵作業を更に20回やったものの卵子は取れなかった。この日は全部で50回くらいしている。
 
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「これ他の医師がこんなことしてるの知ったら私を告発するだろうな」
などと松井医師は難しい顔で言っていた。
 
意識が回復してから和実に
 
「今回はどうしても取れなかった。来月また挑戦する?」
と尋ねる。
 
「挑戦させてください。今日は私も根性が足りなかったですけど来月はまた頑張ります。そしてやはり全身麻酔はしないでください。たぶん私の意識が無くなっていると、卵巣は出現しない気がするんです」
と和実は言った。
 
青葉も同意する。
「女でありたいという和実の意志がやはり卵巣出現に絡んでいると思うんです。ですから、意識のある状態で作業しないと採卵は成功しないと思います」
 
「分かった。それじゃ次回は全身麻酔は使わないことにしよう。それとこれは来月と、それで失敗したら再来月までやって、それでも成功しなかったら諦めようよ。費用も掛かるし、あんたの体力が耐えられないよ」
と医師は言った。
 
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「分かりました。11月までに成功しなかったら諦めます」
と和実も答えた。
 
その夜、和実は青葉の家に泊めて、青葉はずっと一晩中(オートで)和実のヒーリングをしてあげた。それで翌朝には和実も
 
「ありがとう。だいぶ楽になったよ」
と言える状態になった。病院を出る頃は今にも倒れるのでは?という感じだったのである。
 

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9月19日(土)から9月23日(秋分の日)までは5連休、いわゆるシルバーウィークである。この間、学校ではずっと補習があっているものの、青葉はこれを欠席することにした。そして自動車学校の残っている教習を一気に受けた。
 
高速教習では、3人1組で乗車する。助手席が教官である。最初ひとりの受講生が高岡ICから乗って氷見ICまでの約15kmを運転した。ICを出た所の路上で運転交代し、次の受講生が七尾大泊ICまでの約15kmを運転する。そして帰りは高岡ICまでの30kmを全部青葉が運転したが、他の2人の受講生から
 
「川上さん、運転うまーい!」
と言われる。
 
教官まで
「川上さんは、生まれた時から運転していたという噂もあるから」
などと言っていた。
 
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「ところで川上さん、実は男性なのではという噂を聞いたんだけど」
などとひとりの受講生が言う。
 
「こらこら、個人情報」
と教官が注意するものの
 
「戸籍上は男ですよ〜」
と青葉は運転しながら答える。
 
「すごーい。男には見えない」
「声も女の子だし」
「発声法なんですか?」
「私、声変わりする前に去勢しちゃったから」
「え〜〜!?じゃカストラートみたいなもの?」
「そうです、そうです。だから骨格が完全に女子らしいです。あんたこの骨盤なら赤ちゃん産めるとか言われました」
 
「いや、赤ちゃん産めそう」
という声もあがる。
 
「じゃ、睾丸はもう無いんだ?」
「おちんちんも無いてすよ」
「性転換しちゃったの?」
「中学3年の夏休みに手術しちゃいましたよ」
 
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「すっごーい!」
「中学生で手術ってのは早いですね」
 

そういう訳で青葉は22日までにこの自動車学校での全ての教習を終了した。残りは卒業試験だけだが、これは平日にしかできないので連休明けの24日(木)に受けることになる。
 

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一方この連休中の9月19日、千里は所属しているドライビングクラブのメンバー数人とともに、宮城県のレーシング場に向かった。5月に北海道でのレースに出た時は車は札幌のレーシングクラブから借りたのだが、今回は宮城県なのでクラブの車を使って会場まで自走していく。車3台に9人が分乗して向かった。千里は前回も一緒だった鹿美さん、それに前回は参加していなかったものの、わりと親しい彩里花さんと3人で1時間交代程度で運転を替わりながら東北道を北上した。
 
山形自動車道に分岐する少し手前、村田ICで降りて15kmほど走ってレース場にたどりつく。
 
最初にみんなで歩いてコースを下見する。知らない道を走る場合、実は歩いて見ておくのがいちばんよくその道を覚えるのである。車で1回走ってみるのも効果はあるが、細かい点を見過ごしがちである。カーブの曲がり具合、距離などの感覚は歩いてみた方が正確に把握できる。
 
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それでこの手のレースでは歩いて下見というのが入ることが多い。このコースは3.7kmの長さがあり、平均時速160kmで走れば1分23秒掛かることになるが、ここのコースレコードは1分5秒(平均速度205km/h)である。
 
最大直線700m, いちばんきついカーブは30Rで130度くらい曲がっている。千里はこのカーブはどういう走り方をするか脳内でシミュレーションしてみた。
 
その後、試走時間があるので、ゆっくりめの速度で走ってみる。例のカーブはやはりなかなかきつい。ここは30Rが3つ続くので、どうしても減速せざるを得ない。それをどこまで落とさずに走るかが鍵だろう。
 
「みんな怪我だけはしないように。自分の技量を超える速度を出さないこと」
とリーダーの人から注意があった。
 
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やがて1人ずつ走行が始まる。このレースは数人で一緒に走るのではなく1人ずつ順番に走り、2回走った内の良い方のタイムで比較して上位8名が決勝に進出する。
 
参加者は70-80名いる。今回は千里たちのクラブで実際に走ったのは来た9人のうち7人なのだが、決勝に残れたのは千里と男性の勝山さんの2人だけであった。鹿美さんは14位、彩里花さんは68位であった。
 

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