広告:放浪息子(8)-BEAM-COMIX-志村貴子
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■春退(8)

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青葉たちはインターハイを終えた後19日の夜、高岡に戻ったので、翌20日(木)からは補習に出た。そして21日から23日に掛けては合唱軽音部の練習が終わった後、16時から20時までの時間帯を使い、Flying Soberのメンツが市内のスタジオに集まって、このバンド最後のCDの音源制作をした。
 
楽曲の譜面は事前に渡してあり、各自練習しておくように、と言っておいたのだが、実際にはみなまともにできていなかったので、最初の2日間がひたすら練習で潰れ、実際には23日、最終日の4時間でバタバタと収録する楽曲の録音だけした。ミクシングとマスタリングは空帆と青葉の2人だけで夜中まで掛けて仕上げた。実はその際、一部の楽器の音を取り直したりもした。空帆がギターやベースを弾き、青葉がドラムスやキーボードを演奏している。
 
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収録完了を受けて8月24日の昼休みに音楽室に集まり、今鏡先生の差し入れのクッキーと青葉が提供した缶ジュースで乾杯してFlying Soberの活動を終えた。
 
「これで高校生軽音活動は引退かな」
「でもまあ楽しかったよね」
「まだやりたい気はするけど、卒業後はバラバラになっちゃうからなあ」
 
「また大学入るなり就職してから近くに住む人で集まってバンド組めばいいと思うよ」
「そうそう。高校生バンドは引退したけど、今度は大学生バンドになればいい」
 
「またFlying Soberを名乗るの?」
とひとりが空帆に訊く。
 
「ううん。Flying Soberはこのメンツの名前だから、また別のバンド名を考えるよ」
と空帆は答える。
 
すると今鏡先生が言った。
「あんたたちさ、今は仲良しだからいいけど、後からこういうのって揉めがちなんだよ。誰が《Flying Sober》という名前の権利を持っているかを文書化しておいた方がいい」
 
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「その名前の権利ということなら、空帆でいいと思う」
という声が複数から出る。
 
それで美津穂が
「じゃ、Flying Soberという名前の権利は清原空帆が持っているという文書を書いて、全員署名しておこう」
と言う。須美も
「うん、それでいいと思う」
と賛成したので、レポート用紙に今鏡先生が今言ったことを書き、その場で全員に回して署名をもらった。また今鏡先生も証人として署名した。
 
なお、売上金の分配についてはこれまでも美津穂が管理していたのだが、今後の分も引き続き管理することにし、口座を変更したい場合、また連絡先を変更する場合は連絡してくれるようみんなに伝達していた。
 
「いや、美津穂ちゃんがいちばんしっかりしてそうだもん」
「空帆ちゃんはアバウトそうだし、青葉ちゃんは忙しすぎるし」
「うん。私、財布に1000円入れておくといつの間にか1200円になっていたりするんだよ」
「それは絶対おかしい!!」
 
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その日8月24日の夕方、青葉は合唱軽音部の練習が終わった後で学校から歩いて15分ほどの所にある自動車学校に入学した。
 
しかしまたまた例によってトラブる。
 
「この住民票違いますよ」
「すみません。性転換しているので。こちら病院の先生に書いて頂いた性転換証明書です」
「へー。若いのに凄いね」
 
それで自動車学校の書類は男性になっているものの、実際にはほぼ女性として学校側は扱ってくれたようである。
 
「トイレは女子用を使ってもらって構いませんから」
と言われたが、実際問題として青葉のような子が男子トイレを使おうとしたら
 
「女子トイレが混んでるからと言って男子トイレに来ないでよ」
と言われるだけのことである。
 
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普通自動車免許の第1段階の課程は学科10時間・実車15時間だが、実車は1日最大2時間しか乗れないことになっている。それで第1段階は最短でも8日掛かることになり、これを青葉は24日から31日までの8日間で完了させ、9月1日の始業式の日の午後仮免試験を受けるつもりであった。
 
この時期は夏休み中ではあるが、補習が朝7時からの0時間目から始まり13時まで6時間鍛えられる。そのあと14時から16時まで合唱軽音部のコーラス練習に出て、17時から20時まで3時間自動車学校の講習を受けた。
 
初日は最初の学科講習を受けた後、シミュレーターを使って運転席の乗り降りや車の始動の仕方、エンジンの停め方、ハンドルやアクセル・ブレーキの操作などの練習をする。そして3時間目は実車である。
 
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青葉は当然指摘される。
 
「えっと・・・君、免許取消しか何かになって再取得?」
「いいえ、初めての取得です」
「これまでも運転していたね?」
「してませんよぉ」
「嘘ついても分かるんだけど」
「嘘ついてませんけど。私、生まれてこの方、一度も嘘なんてついてませんよ」
「やはり相当の大嘘つきのようだ」
と言って教官は笑っていた。
 

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8月27日にはKARIONの富山公演でまたまた冬子と会ったので、Flying Soberの最後の音源を、まだプレス前のデータで渡して「良かったら聴いて下さい」と言っておいた。
 

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8月28日、中国の武漢(ウーハン)に来ている日本女子バスケット代表は現地で(とっても少数しか来てくれていない)日本記者団の前で記者会見を開いた。出席したのは、チームリーダーの坂口さん、ヘッドコーチの山野さん、主将の広川妙子、そして三木エレン選手である。
 
記者会見の冒頭、三木エレンが発言する。
 
「私は今回の日本代表を辞退し、またWリーグからも3月いっぱいで引退します」
 
数人の記者がメールを打つ。速報でツイッターなどに流すのだろう。
 
「どうして引退なさるのでしょうか?」
と質問が出る。
 
「体力の限界を感じたからです。私も1995年に19歳で初めて日本代表に選ばれて20歳の誕生日の直後、静岡で開かれたアジア選手権で3位になり翌年のアトランタオリンピックに出場して。それから20年にわたって日本代表を務めてきましたが、さすがに若い子たちに付いていけないと思っていました。本当は主将として臨んだ2012年の世界最終予選で負けてロンドン・オリンピックに行けなかった時に引退しようと思ったのですが、多くのファンの方たち、そして多くの若い選手から、こんな不完全燃焼状態での引退は許さないと言われて、それで4年後はオリンピックに行けるよう、道筋だけでも作れるよう頑張ってきました。今回、多くの若い選手たちと一緒に代表での活動をしていて、今のメンバーならもう間違いなく来年のリオデジャネイロ・オリンピックの切符はつかめると確信したので、引退させてもらい、若い子たちに託すことにしました」
 
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「でもどうして、このタイミングで引退を発表なさったのでしょうか?」
 
「実は引退することは、先月、海外合宿をしている間に決めました。それで監督やチーム代表、主将の広川さんなどと相談して、月初めの段階で引退発表するつもりだったのですが、8月13-16日の代表強化試合を、事実上の引退試合にしないか?と言われまして、お言葉に甘えさせてもらいました。実際には全然スリーが入らなくてネットには『ロートル・エレン氏ね』とか随分書かれましたけど」
と言って笑っている。
 
「でも最後16日の試合で1本決めましたね」
と隣から広川妙子が言う。
 
「ええ。あれがとても良い思い出になりました。私の日本代表としての最後のスリーです」
とエレン。
 
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「三木さんが抜けられたら、残りの11人で今回は戦うのでしょうか?」
と記者団から質問が入る。
 
「補充メンバーとして、40 minutesの村山千里選手を緊急招集致しました。村山選手を含めて数人の補欠選手を今回の遠征には帯同し予備登録もしておりましたので、村山選手は今日から代表チームに合流します」
と坂口チームリーダーは述べた。
 

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翌日、8月29日にはアジア選手権の初戦、韓国戦が行われた。
 
アジア選手権はレベル1とレベル2に別れており、各々6ヶ国のチームが所属している。日本はレベル1におり、ここで「優勝」することが来年のリオデジャネイロ・オリンピックに行ける条件である。2位・3位の場合は翌年開催される世界最終予選に回ることになる。
 
試合は序盤、相手が日本だと異様に燃える韓国が試合の主導権を奪い、いきなり7-0とワンサイドゲームか?と思わせる展開となる。しかしここから佐藤玲央美が冷静に2点取ったのを皮切りに反撃。亜津子と千里がスリーを1本ずつ決めるなどして第1ピリオドは13-13の同点で終えることができた。
 
その後、試合は追いつ追われつの展開となる。第2ピリオドは17-18と日本が1点リード、第3ピリオドは15-15のタイと進み、最終ピリオドを迎える。
 
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ここで日本は亜津子(3)・玲央美(2)・千里(3)の連続得点で一気に8点を奪い、韓国との点差を9点まで広げる。しかし韓国も必死に追いすがる。
 
一時は3点差まで詰め寄るが、残り1:56でセンターの(金子)良美がフリースローを得てこれを1本決めたあと、残り46秒で今度は主将の(広川)妙子がフリースローを得る。妙子はこれを冷静に2本決め、結局日本は53-59で初戦の激戦を制した。
 
終わってみると59点中、亜津子が15点、玲央美が14点、千里が12点を取っており、この3人でチーム得点の7割を稼いでいる。彼女らが各々平成元年、平成2年、平成3年の生まれであることから、ひとりの記者が「平成123トリオ」と呼んだ。
 
この呼称はネットのバスケファンの間で拡散し、その後10年以上にわたり呼ばれ続けることになる。
 
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試合が終わった後、何かの腕章を付けた女性が2人日本チームの控室に来る。
 
「アンチ・ドーピング・エージェンシーのものです。抽出検査をさせて頂きたいのですが」
と日本語で言う。
 
「はいはい。誰と誰ですか?」
「佐藤玲央美選手と村山千里選手、よろしいですか?」
「はい、行きます」
 
それで玲央美と千里は係官に付いて行き、血液採取と尿の検査を受ける。例によって尿の採取はほとんど全裸に近い状態になって係官の前でおしっこをしたのをコップに取る。玲央美も千里も何度も受けたことがあるので今更ではあるがあまり気の進まない検査でもある。
 
「簡易結果は3日後、完全な結果は半月後に分かります」
「はい、了解です」
 
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その後日本は8月30日にはインドに31-131で圧勝、31日には台湾に44-60で快勝して取り敢えず最初の3戦を3戦全勝の成績とした。明日9月1日は最強の相手・中国との対戦を迎える。
 

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9月1日には青葉の学校が始まる。始業式の後インターハイの報告会が行われた。インターハイに出場した水泳部・テニス部・陸上部の部員が壇上にあがる。この中で入賞して賞状をもらったのが青葉とソフトテニスのペアの2組3人だけだったので、校長先生から特に言葉をもらい、賞状を全校生徒に披露して校長先生と握手もした。お昼休みにはその3人は校長室に呼ばれ、校長のおごりの仕出しを食べながら歓談した。
 
この日は朝からセンター試験の受験案内が配布された。青葉はすぐに書類を書いた。受験料の払い込みは母がしてくれると言っていたので、提出は明後日になるだろう。
 
「あれ?青葉、性別は女でいいんだ?」
と美由紀が青葉の志願票を覗き込んで訊く。
 
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「うん。問い合わせてみたら、高校に女子生徒として在籍しているのであればセンター試験の志願票も女子にしておいてくださいと言われた。大学に提出する時に、高校の調査票が女子になってて、センター試験の成績表が男子になっていたら、トラブるから」
 
「いや実際青葉の場合、志願票を男にしていたら絶対試験会場で揉める」
と日香理。
 
「自分でもそう思う」
 
「そのあたり面倒だね〜」
「うん。早く戸籍も女に直したいよ」
 
「それで志望大学に合格した場合、そのまま女子大生になれる訳?」
と純美礼から訊かれる。
 
「それも照会したけど、金沢のK大学も、富山のT大学、東京の△△△大学もそれでOKという回答をもらっている。まあ△△△大学は私立でセンター試験とは関係無いけど」
「へー」
 
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「ただ正式に戸籍が女に変わったら、その時点で一応届けを出してくれと」
「多分内部的なものと表示上のものを別途管理するんだろうね」
「うん、そういうことだと思う。通り名を使う人の名前を二重管理するのと似たようなものだと思うよ」
 
「なるほどねー」
 
「通称ならぬ通性かな」
「うんうん、そういうことでしょ」
 

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この日青葉は学校での行事が午前中で終わると、そのまま歩いて15分ほどの自動車学校に行き、仮免試験を受けた。結果は合格で、青葉は路上実習を受けるための仮免許を手にした。
 
このあと教習は第2段階に入ることになる。
 
 
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