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■春退(9)
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(C)Eriko Kawaguchi 2016-02-14
同じ9月1日、武漢(ウーハン)。
19:30(日本時刻20:30)、アジア選手権予選リーグ第4戦、日本と中国の対戦が始まるが、試合前にアンチ・ドーピング機関の人が来て、29日にドーピング検査を受けた玲央美と千里の簡易検査結果を持って来た。
「ふたりとも取り敢えず現段階では禁止薬物や怪しげな成分は検出されていません」
と係の人は報告し、千里も変な薬やドリンクなどは避けてはいるもののホッとする。
「ただ村山選手でひとつだけ気になったのが」
と係の人が言う。
「はい?」
「村山選手、最近出産なさいましたか?」
「はい。6月28日に子供を産みました。国内に置いてきていますが」
と千里は笑顔で答える。
周囲が「ん?」と顔を見合わせる。
「ああ、それなら問題ありません。別に禁止成分とかではないのですが、プロラクチンとオキシトシンの濃度が物凄く高いので」
「お乳出ますよ。出してみましょうか」
と言って、千里はユニフォームをめくり、ブラジャーをずらすと乳首を押して母乳を出してみせた。
周囲から「おぉ」という声が上がる。
「私たちって哺乳動物なのね」
などという声も出る。
「赤ちゃん産んですぐの大会で大変でしたね」
と係官も笑顔である。
「もう2ヶ月経つから平気です。ユニバーシアードにも出ましたけど、あの時は出産直後で大変でした。鎮痛剤使うとお乳にも悪影響が出るしドーピングにも引っかかるので、鍼で痛みをブロックしてもらって試合に出たんですよ」
と千里は語る。
「鍼ですか!」
「中国の伝統医学は素晴らしいです」
「ええ。私たちの誇りです」
と係官も本当に誇らしげな顔であった。
係官が退出してから当然突っ込まれる。
「千里、いったいいつの間に出産した?」
「さっきも言ったように6月28日」
「それ東京で合宿やってた日だよな」
「いや、産気づいてから1時間くらい。あまりにも速くて会陰切開する間も無かったという超安産だったよ。いい子だわ」
と千里。
「そういえばユニバーシアードの時、千里、ドーナツ座布団使ってた」
と江美子が言う。
「安産でも結構あそこは切れてるから。あの座布団に随分お世話になった」
玲央美がしばらく考えてから言う。
「それって細川さんの子だよね?」
ざわめくような声がある。千里と貴司の関係は、結構周囲にバレている。無論みな貴司には奥さんがいることも知っている。
しかし千里は平然として玲央美の問いに答えた。
「そうだよ。でもセックスはしてないよ。セックスしたら不倫になるから」
「セックスせずにどうやって子供を産む?」
「体外受精したんだよ」
「ほほぉ」
「細川の奥さんは卵子が育たない病気なんだよ。だから代わりに私の卵子を使ったんだよ」
「それで体外受精なのか」
「でも妊娠していたらバスケできないから、出産直前まで赤ちゃんは細川の奥さんのお腹の中に入れていたんだよ。出産だけ私がした。あの人体力無いから出産するのは無理だったから」
「うーむ。。。。」
「千里の言葉って、どこまで本当でどこからがジョークなのかが分からん」
「いや多分、千里は全部マジなんだと思う」
と江美子が言った。
「取り敢えず千里が元男の娘だったって噂はやはりガセなんだろうな」
と亜津子が言う。
「それ噂というより本人が主張していたというか。私も一時期欺されてたけど周囲の人の話を聞いている内に、嘘だと判断した」
と蒔田優花。
彼女は旭川N高校OGだが、三木エレンの引退で今回チーム最年長になっている。1981年生。彼女も今年・来年が最後の日本代表だろう。主将の広川妙子は3つ下の1984年生である。
「男じゃ子供産めないしね」
「とりあえずお乳が出るというのは、女で間違いないな」
さて、いよいよ中国戦である。
日本はこの試合の先発をPG博美/SG亜津子/SG千里/SF玲央美/C良美、と平成123トリオを揃える態勢で始めた。ちなみに日本チームは千里を初戦の韓国戦では使ったものの、その後の2試合では使用していない。できるだけ中国に情報を与えないためである。
その千里のスリーで試合は始まる。序盤、日本は123トリオがフル回転して猛攻を加え、第1ピリオドで13-18と強豪中国に5点差を付けることに成功した。千里と亜津子で2本ずつスリーを決めている。
第2ピリオド必死の挽回を図る中国も頑張るものの、このピリオドも18-19と日本が1点のアドバンテージを確保。前半で31-37の6点差である。
第3ピリオド、平成123トリオを休ませている間に中国側が猛攻。一時は中国が逆転するものの、これを妙子や江美子などが何とかしのぎ、再び逆転して43-45と2点リードで終わる。このピリオドだけの得点で見ると12-8である。
第4ピリオド、日本は123トリオを戻す。しかし中国も必死の攻撃をしてシーソーゲームが続く。残り1分を切ったところで地力に勝る中国はとうとう逆転に成功。56-54となるものの、残り12秒で玲央美のスティールから亜津子のスリーが決まり、最後の最後で56-57とわずか1点差で日本が超激戦を制した。
「中国は千里を研究していた雰囲気だった」
「でも研究していたのと違ったという感じだったね」
といった声が試合後の控室で出た。
「ユニバーシアードの千里のビデオを研究したんだと思う」
と江美子が言う。
「でもユニバーシアードの千里が1なら今回の韓国戦や中国戦の千里は20くらいあるから」
と江美子は言う。
「そんなに違う?」
と翼沙が訊く。
「違う」
と江美子、玲央美、妙子、亜津子が断言する。
「ユニバやってた時、千里本調子じゃ無いなと思ってたんだよ。だからやはりしばらくブランクがあったせいかと思った」
と江美子は遠慮無く言う。
「でも出産の話で分かったよ。出産直後だったからあのプレイだった訳だ」
「ごめんねー」
「しかし本調子じゃなかったと言いつつ、3Pリーダーになってるし」
という声もある。
「チームがメダル取れなかったから、3Pリーダーでも嬉しくない」
と千里。
「じゃ千里が本調子なら決勝戦行けたかもね」
と控えポイントガードの比嘉優雨花が言う。
「うん。そんな気がするよ」
と江美子。
「代わりに来年のオリンピックでは優勝に貢献してもらわなくては」
と亜津子が言った。
日本は翌日9月2日のタイ戦は43-95で圧勝。予選リーグを首位で通過。決勝トーナメントに進出した。結局予選リーグの成績は、1位日本、2位中国、3位韓国、4位台湾である。
9月2日の夜、冬子から青葉に電話があった。
「千里の活躍凄いね」
と冬子はいきなり言う。
「どうもいったん落とされたというの自体がフェイクだったみたいですね」
「うん。あれは千里を中国に隠すための作戦だったみたい。落とされたにしては、随分平静だなという気はしていたんだよね。17日に1度会ったんだけどむしろ千里の目は熱く燃えていたし」
と冬子。
「完全に欺されました。あれ?17日に会ったんですか?」
と青葉。
「うん。17日朝帰国したみたい。それでその日に夕方からはもう都内の合宿所で合宿に入ったらしいし」
「ハードだなぁ」
「全く」
青葉は会ったり電話している人の「内心」をたいてい読み取れる。読み取れないのはブロックされてしまう菊枝さんくらいと思っていたのだが、最近認識してきたのが千里の「内心」は読めている気がするのに、読めた内心が本物ではないようだということである。千里は様々なものをフェイクしていて、完全に欺される。
「ところでさ、青葉。Flying Soberの音源聴いたんだけど」
「ありがとうございます」
「あの中のFlying Singerって曲いいね」
「あれは空帆ちゃんの曲なんですよ」
「うんうん。あの曲、私たちが今作っている最中のアルバム『TheCity』に使わせてもらえないかと思って」
「いいと思いますよ。すぐ本人に確認します」
青葉がいったん電話を切って空帆に電話してみると
「気に入ってもらったのなら、使って下さい。印税楽しみにしてますと言っておいて」
「了解。少しアレンジさせてもらうかも知れないけど」
「うん。自由にアレンジして、ケイさんがアレンジしたらどうなるかもちょっと楽しみだよ」
「じゃ、そう伝えるね。あとで使用許可・編曲許可の書類そちらに持っていくから、それに署名してもらえる?」
「いいよー」
それで青葉は冬子に電話し、使用許可・編曲許可が取れたこと、印税楽しみにしてますと言っていたことを伝えた。
「じゃだいたいのスコアができた所で、そちらに一度送るよ。最終的にはそこから更にまた変えるかも知れないけど」
「分かりました。お願いします」
「それと良かったらJASRACか、あるいは他の著作権管理団体でもいいけど登録してもらえると助かるんだけど」
「それは空帆に許可取って私の方で手続きしますよ」
「うん、よろしく。管理番号とか発行されたら教えて」
「分かりました」
アジア選手権は9月3日の休養日を置いて、9月4日から決勝トーナメントが始まる。準決勝は予選リーグ4位の台湾で、台湾はかなり頑張ったものの、日本が58-65で試合を制し、決勝に進出した。日本は例によって千里をこの試合には出さなかった。もうひとつの準決勝は中国が韓国に45-60で快勝した。
そして9月5日、東京で山村星歌の結婚式が行われた日の19:30(日本時刻20:30)武漢(ウーハン)では日本と中国による本大会決勝戦が行われた。
この大会で発行されるオリンピック切符は1枚のみである。日本と中国の内、勝った方のみがリオに行ける。負けたら来年6月にフランスのナントで行われる世界最終予選に回ることになる。決勝戦に先立ち行われた3位決定戦では韓国が台湾を下して、その最終予選の切符を手にした。決勝戦で勝った方はリオ行きの切符、負けた方はナント行きの切符を受け取ることになる。ここは是か非でもリオ行きの切符の方を取りたい所である。
試合は中国が先制する。
フリースローを1点決めた後、更に得点して3-0。キャプテンの妙子が2点返すも中国も2点返して5-2のまましばらく試合は膠着状態に陥る。特に中国は亜津子のスリーに警戒して執拗なマークをし、結果的に日本の攻めは妙子や玲央美を使った近くからのシュートを狙うパターンになるが、中国が硬い守りを見せるため、なかなかゴールを奪えない。
第1ピリオドが半分すぎた所で中国が選手交代をしたのに合わせて日本は妙子を下げて千里を投入する。123トリオのそろい踏みである。
すると交代して入った千里がいきなりスリーを決め、ここから試合は動き出した。
亜津子・千里と長距離砲の発射点が2つになったことから、中国側は一応ふたりにマーカーを付けるものの、両者の動きのタイプが異なることもあり、やはり未研究の千里のマーカーはしばしば振り切られてしまう。
そして2人マーカーを出して3人で内側を守ると、やはりどうしても守りが手薄になり、俊敏で変化あふれる玲央美の動きに付いていけない。それで玲央美からも得点を奪われる。
結果的にこのピリオドの後半は日本側の猛攻という感じになり、11-23とまさかのダブルスコアになった。
第2ピリオドも日本の猛攻は続き、このピリオドも11-21とダブルスコア。前半を終わって22-44である。
13000人入る武漢体育中心(Wuhan Sports Center)体育館はほとんどが中国応援団である。日本から来ている応援者はわずか。それに友情応援ということでホンダ現地支店の中国人スタッフも日本の応援をしてくれているが、それ以外は圧倒的に中国を応援する声が大きい中、日本チームは得点を重ね、リードを広げて行った。
第3ピリオドは厳しいマークを受けて疲れていた亜津子をいったん下げ、またずっと出ていた玲央美も下げて、江美子・(中塚)翼沙を出すが、ここまであまり出番の無かった江美子が爆発する。彼女も中国が未研究だったこともあり、相手守備陣を翻弄し、器用にボールをゴールに放り込んでいく。
結局このピリオドも12-24のダブルスコア。想定外の展開に中国の大観衆から悲鳴があがる。
第4ピリオドは玲央美・千里を戻すが、中国側もこんな所で負けられないと必死の反撃をしてくる。それでこのピリオドは16-17と競った展開になったものの、これまでの貯金が大きく、最終的に試合は50-85という大差で日本が勝った。
終わってみれば日本女子は2大会連続のアジア選手権優勝で、五輪団体競技の中でトップを切ってリオ行きの切符をつかんだのであった。
試合終了後、山野監督、高田コーチの胴上げに続いて、広川主将、佐藤玲央美が胴上げされる。更に「もっと行くぞ」という声で、亜津子、(武藤)博美、(金子)良美と胴上げされた後、千里まで胴上げされた。
千里は選手の中で6番目に胴上げされたのだが、今回千里は本当に優秀な「Sixth player」であった。Sixth playerこそが試合の鍵を握るとは言われるが、まさに千里はその役目を果たして、日本はオリンピック切符をつかむのに成功したのである。
千里自身は胴上げは4度目の経験だが、国際大会での胴上げは高校3年の時のU18アジア選手権を制した時以来7年ぶりであった。国内大会では高校の時の国体制覇では宇田先生が遠慮してしまったため胴上げをしなかったが、2012年3月にローキューツで全日本クラブ選手権を制覇した時と、2015年3月に今度は40 minutesで同じく全日本クラブ選手権を制覇した時に経験している。
胴上げされている時は結構不安なのだが、でもこれって良いもんだよなあ、と千里は思った。
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